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大正妖怪デモクラシー  作者: 一色明
第三章 呪縛
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第十五話

 闇の中へ、身体が落ちてゆく。

 上下も左右も分からぬまま、痛む腹にもがく気力すら湧かなかった。大した時間稼ぎも出来なかった己を悔やみつつ、気がかりなことが頭の中を巡る。




 あのまま、犬神は逃げられただろうか。




 あの少女は、弟に会えただろうか。




 先生は、無事だろうか。




 

 何も出来ない自分が情けない。

 己の不甲斐なさに、目頭が熱くなった。



「せ、んせぃ………」



 呟きは、闇に呑まれて響きもしない。

 いずれ、この速度のまま闇の底に辿り着けば、無事では済まないだろう。そっと、諦めて瞳を閉じる。



 せめて、あの子が弟に会えますように。



 そう祈りながら、落下し続ける身体に訪れるであろう衝撃に備えて拳を強く握った時だった。





「火炎清風 如律令」






 聞き慣れた声と共に、常闇に閃光が煌めいた。

 身体の周りに炎が駆け抜けたかと思えば、熱風が身体を押し上げるかのように吹き上げた。その風は燃えるように熱い筈なのに、触れても火傷などせずに、心地よく全身を包み込む。


 吹き上げる炎の先を見下ろす。


 すると、闇ばかりが続くと思われた視界の向こうに、灯りが見えた。灯りの中心に佇むその姿を認識すると同時に、此方を見上げる涼しげな瞳と視線が交わる。

 込み上げる感情のままに、僕はありったけの声で叫んだ。



「どいてくださいぃぃいいいいっ!!!」



 なぜなら、熱風の抵抗によって速度は落ちたが、僕の身体は、その人物の頭上目前だったのだ。どう身体を捻ろうとも

、もはや避けようがなかった。ぶつかる直前に、強く目を瞑る。だが、予想していた衝撃は訪れなかった。



 気がつけば、僕は大きな腕に抱きとめられていた。



 ふわりと、慣れ親しんだ香りを嗅ぎ取れば、身体は柔らかな着物に包まれる。掠れる声で、その人物を呼んだ。

「……せ、先生?」

 恐る恐る瞼を開ければ、酷く整った顔が此方を見下ろしていた。視線が絡み合い、思わず言葉が溢れる。



「え、本物?」



 次の瞬間、躊躇いもなく床に放り出された。



 ドスンッ!!!!



 今度こそ、僕は冷たい床に叩きつけられる。

 尻餅の痺れるような痛さに呻く僕に、彼は手をパンパンと払いながら、優しい声色で囁くように言った。


「まずは謝罪が先だろう。店の留守番をすっぽかし、謹慎を破った挙句に、雇い主の頭上に殺す勢いで落下してくるとは……、全く何事だろうねぇ?」


 そう矢継ぎ早に言葉を紡ぐ口元は笑みを浮かべているのに、その瞳は絶対零度の眼差しであった。そして何より、容赦なく地面に放り出すこの所業。

 彼は間違いなく、探し求めていた先生であった。ゆったりと腕を組みながら、にこやかに嫌味は止まらない。


「庭にいた時から気がついてはいたが、何故君がここにいる。留守番はどうした?しかも、一度だけでなく二度までも同じ手にかかり穴に落ちるとはどういうことだい?君の頭は何のためにあるんだ」

「えっと、猫を追いかけて……。留守番は、あのー……」

 左近時さんが……と言えば、先生は間髪入れずに「あの阿呆が」と呟いた。その背後には般若が見えそうだ。


 僕は『そんなに早くから気がついていたんですか!』とか『なんでこんな所にいるんですか!』とか、言いたいことも聞きたいことも山のようにある筈なのに、やっとのことで言えたのは、たった一言だけだった。



「先生が、生きてて良かった………」



 泣きたいのか笑いたいのか、ぐしゃぐしゃな感情のままに自分がどんな顔をしているのか気を回す余裕さえない。

 そっと手を伸ばせば、彼の手は力強く掴んで僕を立たせてくれた。口元から、取り繕った笑みが消える。

「君は、もっと阿呆だねぇ」

 そう溜息を吐くかのように呟いた先生の表情は、とても朗らかだった。全く失礼な事を言われているが、そんなことも気にならずに、僕は笑ってしまった。

 そうして、やっと安心して息が吸えた時だった。






 ドンッッッ!!!!






 木製の扉を突き破るようにして何かが現れた。

 舞い上がる埃が、仄暗い部屋の中で灯りに照らされながら妖しく蠢く。



 その向こうから現れたのは犬神と彼女だった。



「クロッッ!!!」



 僕が、そう叫び駆け寄ろうとするよりも早く、背中に乗っていた彼女の方が動いた。犬神の背から飛び降り、臙脂色の着物が一心不乱に駆け出してゆく。


 よく見れば、ここは奇妙な部屋だった。

 仄暗い闇に包まれたこの広い部屋は、窓もなく木製の板壁に覆われていて飾りもない。そんな空虚な部屋を、大きく円を描くように置かれた蝋燭達の炎だけが照らしていた。





 その蝋燭の中心にあるものを見て、僕は目を見張る。






 駆け出した彼女は、それに躊躇いもなく飛びついた。






「ゆうたっ!ゆうたっ!!」





 安堵の涙を流しながら、名を叫ぶ。

 そして、言った。




「会いたかったっ!!!」




 心から愛おしそうに、





 何よりも大切そうに、







 彼女が抱きしめたのはー………







 衣桁に掛けられた、浅葱色の着物だった。



 

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