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大正妖怪デモクラシー  作者: 一色明
第三章 呪縛
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第十四話

 犬神の苦しそうな声が響き渡った。


 その巨体が、白虎に引きずられるようにして後方へと下がる。だが犬神は抵抗し、身体を揺らして暴れ回った。

 僕達は振り落とされないように、その背にしがみつくことしかできない。


「ほらほらぁ、もう捕まってしまうのですか?もっと逃げてくれないと面白くないですよぉ」


 楽しげな声が囁くように木霊した。


「クロ………ッッ!」


 犬神は、ガリガリと鈍い音をたてながら床に爪をたてて耐え凌ぐ。その顔は、苦痛に歪んでいた。暴れる犬神に対して、白虎は決してその尾から口を離さなかった。鋭い牙が食い込んだ尾からは、赤い血液が滴り落ちる。

「あら、健気な犬だこと。猫吉くんの指示は、"戦うこと"ではなく"逃げること"でしたねぇ。それを忠実に守っているみたい。でも、このままでは尾が取れてしまいそう」

 どうするのかしら?とその声は、問うた。


 苦痛に顔を歪ませながらも必死に逃げようともがく犬神。


 その背の上で、震えながら涙を流す彼女。



 僕の答えは、既に決まっていた。



「どうします?いっそのこと闘ってみますか?犬と虎の力比べなんて、また一興ですもの!」



 その言葉を合図に、僕は動いた。

 犬神の背から、白虎に目掛けて飛び降りる。

「あんたっ!何してんのよっ!」

 そう叫んだ彼女の方へは振り返らずに僕は言った。

 


「彼女を連れて早く行くんだ!」



 僕は、白虎の背に飛び乗った。

 白虎は犬神の尾から牙を外す。その口からするりと漆黒の尾が抜けると同時に、力強く床を蹴る音が軽快に離れて行った。


「あら?これは少し予想外かしら」


 白虎は身を翻し、僕を振り落としにかかった。僕の身体は呆気なく落とされ、壁に打ち付けられてしまう。

 ドンッと鈍い音と共に、背中に激痛が走る。

「かはっ!」

 強く打ち付けたせいで、息が詰まった。

 何とか身体を起こそうとする僕に、白虎はゆっくりと近づいてくる。その後ろで、女性が困ったように声を上げた。

「頼みの犬神は行ってしまいましたねぇ。どうするのかしら?困りましたねぇ」

 心配するかのように頬に手を添えながら首を傾げているが、赤い唇には笑みを湛えている。


 白虎は僕の目の前まで来ると、その口を大きく開けて白い牙を覗かせた。まるで、頭から丸呑みでもされそうな体制だったが、僕は不思議な感覚であった。


 目の前の白い虎に恐怖を感じないのだ。


 牙は、刻々と己に近づく。でも、その深紅の瞳と目が合った時、僕は気がつけば言葉を発していた。



「止めるんだ」



 空気を震わせた僕の声に、赤い唇から笑みが消えた。

 だが、僕は目の前の存在にだけ、ゆっくりと語りかけた。

「止めよう。僕は、君と追いかけっこはしないよ。口を閉じて。良い子だから……」

 深紅の瞳が見開かれる。ひたすらにその目と見つめ合っていると、やがてその口を閉ざされ始めた。


 深紅の瞳に、一瞬、紫炎が煌めく。


「良い子だ………」


 もう一度褒めると、今度こそ口は閉ざされた。

 代わりに、長い舌で頬を一舐めされる。

「ははっ、くすぐったいよ」

 僕は安堵し、白い毛並みに触れようとした時だった。



 パンッッ!!!



 鋭い拍手の音が、耳を劈く。

 


 目の前にいた筈の白虎は、一瞬でその姿を消した。

 その毛並みを撫でようとして空を切った僕の手を勢い良く掴んだのは、小さな柔らかい手だった。


「貴方、私の白虎を使役しようとしたの?」


 すぐ近くで、低い声がした。

 何を言われたのか、分からなかった。

 気がつけば、目の前に黒いベールが揺れ動く。握られた手は、僕よりも小さいにも関わらず、血が止まりそうな程ギリギリと細い指が食い込ませてくる。僕の手を掴んでいない方の手は、僕の瞳の周りに指先を這わせていた。

 赤い唇が、すっと息を吸う。


「その瞳……、」


 吐き出される息と共に、興奮した声が響いた。


「おもしろいわっ!!」


 そう叫ばれた瞬間だった。

 彼女のベールが、その勢いによってめくり上がったのだ。



 次の瞬間、漆黒のベールの下から零れ落ちたのは、白銀の長い髪だった。そして、目の前に迫った形の良い瞳も、同じく白銀の長いまつ毛が縁取られている。

 

 

 そして、その瞳の色は、



 ーーー燃え盛るような、深い紅の瞳だった。




「………綺麗」




 僕は呆気にとられ、気がつけばそう呟いていた。

 その瞬間、楽しげな揺らめきを湛えてた深紅の瞳が、見開かれた。そして、僕の手を離したかと思うと、ベールを慌てて手繰り寄せるような仕草をする。

「………見たわね」

 そう呟いた声は、震えていた。

 纏っていたベールは、力なく床へと舞い落ちた。


 細い体が、豊かな白銀の髪を靡かせ、叫ぶ。


「一つ目入道!」

「……承知!」

 

 その声に反応したのは、一つ目の僧侶だった。

 僧侶は床に手をつき、その手を天へと引き上げる。同時に、床からその背丈程もある竹筆が出現した。

 そして、その竹筆を数度回しながらこちらへ向けたかと思うと、その筆で空に大きな円を描き叫んだ。



「天! 展! 転! 移転!!」



 轟く声と同時に、僕の背後の壁には大きな穴が空いた。

 そして、目の前の深紅の瞳が何の感情も映さないままに、ゆっくりと言葉を紡いだ。



「お望み通り、先生に会わせてあげますよ」



 次の瞬間、彼女の右足は、僕の腹を蹴り込んだ。

 凄まじい力で蹴り付けられた身体は抗う術もなく、空虚な穴へと吸い込まれるかのように落ちてゆく。

 突然与えられた痛みによって、声も出なかった。



 伸ばした手は、何も掴まない。

 


 そのまま、僕は、暗闇に飲み込まれた。

 


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