第十三話
「奪い返す?どうやって?」
コロコロと鈴を転がすように笑う。
白く細い指先が再び此方にゆっくりと伸ばされた。
「猫吉くんは面白いですねぇ」
うっとりとした声で囁かれると、吐息と一緒に毒のように甘い香りが鼻についた。それだけでも身がすくみ、目の前の存在に飲み込まれそうになる。
それでも、僕は前を向き口を開いた。
「もう一つ、聞きたいことがあります」
女性が面白そうに首を傾げる。
「………なぁに?」
どうしても、聞かずにはいられなかった。
「先生は、無事ですか?」
一瞬、時が止まったかのような沈黙が流れた。
けれど、それはすぐに破られる。
「さぁ、どうでしょうね」
楽しげな声で紡がれたその言葉に、目の前が赤く染まった。視界の端で、細い指先が僕の瞳に伸ばされるのが見えたが、それをどこか他人事のように眺める自分がいる。
『それは、あの糞陰陽師から聞き出したからですよぅ』
あの言葉が、耳の奥で反芻する。
庭先でみた大きな後ろ姿が、脳裏に浮かんだ。
どうして、
なんで、
先生は、もうー………?
しかし、最悪な結末を想像していた思考を遮ったのは、地鳴りのような呻き声だった。
グルルルルルルルルルッ!!!!
黒い大きな影に、僕と彼女の間を遮られた。
「クロッ!!!」
それは、先程までは影を潜めていた犬神だった。僕と隣に座り込む彼女を隠すように立ちはだかっていた。
その全身の毛を逆立て体を大きく膨らませ、牙を剥き出しにし彼等を威嚇している。
女性は、犬神が間に割って入る直前に、後方に大きく飛んで下がっていた。僧侶と猫又もいつの間にか女性の後ろに控えて臨戦態勢を取っている。
互いに睨み合い、緊張が走る。
「ふふふっ」
張り詰めた空気を、女性の声が震わせた。
「まぁ!猫吉くんは可愛い顔をして犬神なんて使役しているんですか。それにしても、随分と怒っていますねぇ」
先程より離れた所にいる女性は、優雅に首を傾げながら此方に質問を投げかける。
「其方の少女を泣かせたから?猫吉くんの大切な瞳に触れようとしたから?それともー……」
赤い唇が弧を描いた。
「猫吉くんを怒らせたから?」
その言葉に、咆哮が轟く。
けれど、女性が怯むことはなかった。
「でも、まだ日が浅いのかしら?意思の疎通は、きちんと出来ていますか?」
そう尋ねられて犬神を見やる。
「クロ……?」
僕の呼びかけに、反応はなかった。
「クロッ!クロッ!」
僕がいくら呼びかけようとも、凄まじい殺気を放ちながら、その身をぶるぶると震わせるばかりである。
「感情に呑み込まれ、主人の声も届きませんか。それでは、とても使役しているとは言えませんねぇ」
でも、とその言葉は続いた。
「犬神を見せてくれたお礼に、私が使役しているものもお見せしましょうか」
女性はそう言うと、自分の顎先に掌を広げる。赤い唇が、その上に滑らせるかのように吐息を吐いた。
「白虎」
その名は、静かに呟かれた。
吐息は突風のように空気を揺らして白銀に煌めく。眩い光の中から飛び出すかのように姿を現したのは、庭で出会った虎だった。
「あぁ。初めまして、ではなかったですね。ふふっ」
その口ぶりは、僕達と虎が出会った事まで見透かしているかのようだった。自分を頭から丸呑みできてしまいそうな虎を平然と撫でながら女性は言った。
「また、この子と追いかけっこしてくれますか?」
その言葉に、ぞくりと背筋に悪寒が走る。
「クロッ!!!!」
前を見据える鋭い瞳を覗き込みながら、僕は叫んだ。
今度は、きちんと反応があった。
紫炎に輝く瞳が、真っ直ぐに僕を映す。僕は、その瞳を見つめながら言った。
「クロ、彼等から逃げよう。そして、浅葱色の着物の少年とー……」
命令が伝わるように、ありったけの思いを込めて告げた。
「先生を探して!」
犬神は、大きく頷いた。
着物の襟を咥えられて体が強く引かれる。そのままクロは僕を素早く背に乗せると、女性から距離を取るように後方へ大きく飛んだ。僕は隣にいた彼女の腕を掴み、背に引き上げる。だが、彼女はひどく暴れた。
「離して!あの女から場所を聞かなきゃっ!」
「落ち着いてっ!ちゃんと君の弟も探すからー……」
そう言った時、視界が大きく揺れた。
走る犬神の体が、急にガクンと止まったせいだ。
背から振り落とされそうになるのに耐えながら、不自然に揺れた先を見る。
犬神の尻尾には、すでに大きな虎が喰らい付いていた。




