第十二話
その声が響いた瞬間、僧侶と猫又は目の前から消えた。
だが、それは消えたのではなかった。
見れば、僧侶は廊下の端に寄り片膝をついて頭を下げている。長い髪が垂れその表情は見えないが、完全に平伏すような姿勢だ。猫又も同様に、僧侶の隣で体を丸めて頭を下げていた。
「貴方達、大切な客人に無礼ですよぉ」
その声は、大きな声で話しているわけではないのに、何故かはっきりと空間に響き渡る。それはまるで、脳に直接語りかけられているかのような不思議な感覚だった。
体の緊張がほぐれて、足に力が入らなくなる。
隣の彼女も同じだったようで、僕達はほぼ同時にその場に座り込んでしまった。
「彼等は私が直々におもてなし致しましょう」
声がする方へ目を凝らせば、廊下の向こうから小柄な影がゆっくりと此方に近づくのが見えた。
大輪の紅椿が咲き誇る着物。
深緑色の艶やかな袴。
それは、僕よりも小柄な女性であった。
女性は僕達の前まで来ると、立ち止まり深くお辞儀した。動きに合わせて振袖がたおやかに揺れ動く。
それを目にした途端に、僕の頭の中で中庭の景色が蘇った。あの大きな背から見え隠れした着物と、目の前の女性の着物が合致する。間違いない。
先生と一緒にいた女性だー………。
しかし、その顔を見ることは叶わなかった。
動作や着物は間違いなく淑女であるが、何故かその顔は黒いベールで覆われてたのだ。そして、白く細い首にはいかつい大玉の黒い数珠を下げている。
その姿に魅入っていると、横から声がした。
「お嬢、彼等は客人ではなかろう。その手を煩わせずとも小性が片付けましょうぞ」
「お嬢。その少年は、美味しい」
声がする方を向くと、猫又は口から涎を垂らし、僧侶は大きな目玉で此方を睨んでいた。女性はゆったりと双方を見比べるような仕草をした後、鈴を転がすような愛らしい声で言った。
「だまりなさい」
その瞬間、痺れるような圧力に押し潰されそうになった。顔を上げていられず、床に手をついてしまう。全身から汗が吹き出し、あまりの圧迫感に眩暈がした。
それは僧侶や猫も同様であったようで、彼等も床に手をつき俯いていた。
「私が、客人と言ったら客人なのですよ?それに、ずっと会いたかったお方なのです。邪魔しないで下さい」
女性は、そう言うとベールの上から照れたように口元を押さえる。そして、その手はそっと僕の頬に寄せられた。
「ねぇ?猫吉くん?」
つぅっと、頬から顎にかけて細く白い指先に撫でられた。
黒いベール越しに、熱い吐息を感じた。
「な、んで…………?」
喉が引き攣り、上手く言葉を発せなかった。けれど、それでも伝わったようで女性は嬉しそうに首を傾げた。
「何故名を知っているのか、ですか?それは、あの糞陰陽師から聞き出したからですよぅ」
からかいまじりの楽しげな声が言葉を紡ぐ。
「なかなか強情さんなので、随分と時間がかかってしまいましたが。まぁ、楽しめたので良しとしましょう」
ね!と語りかけるその様子は、まるで少女のようだった。
けれど、揺れるベールから時折覗く口元は、血のように赤い紅と顎先の黒子に彩られ色香を醸し出していた。
ねぇ、とその唇は尋ねてきた。
「どうして、突然会いに来てくれたのですか?こちらから伺う予定でしたので、都合は良いのですが」
「うかがう……予定…………?」
「そうですよぉ。あの男が邪魔しなければ、今日にでも行こうと思っていたの。でも、どうしてここにいらっしゃるのかしら?」
「それは………」
僕が、言いかけた時だった。
「弟をっ!返してっ…………!!」
僕の隣から悲痛なが響いた。
隣の彼女は震える手を握りしめながら、真っ直ぐに女性へと向かい叫んだ。
「弟を、返してよっ!!!」
「なんのことでしょう?」
女性は惚けながら、僕の頬から細い指を離した。
「私の家に、アンタの気配が残ってた。アンタでしょう!?私には、分かるんだから……!」
彼女は、そう言ってその瞳を赤く潤ませた。
「返してよっ!返してよぉっ!!!」
そして、とうとう、涙が溢れ落ちる。
それを見た瞬間、僕の中で何かが弾けた。
「僕達は、彼女の弟を探しに来ました」
気がつくと、僕は立ち上がっていた。
黒いベールの女性を真っ直ぐに見下ろす。
「浅葱色の着物の………、ご存知ですよね?」
僕の言葉に、女性の肩がピクリと反応した。
「知っている、と言ったらどうします?」
僕が答えるよりも先に、楽しげな声が言った。
「でも残念だけど、いくら猫吉くん相手でも渡せないわぁ」
せせら笑う相手に、恐怖とは違う全身の震えが込み上げた。きっと、これは"怒り"だ。
「………だったら」
拳を固く握りしめる。
「奪い返すまでです」
僕の言葉に、赤い唇は微笑んだ。




