第九話
ぐるりと周囲を見渡すと、そこは大きな台所だった。
立派なコンロに、広い調理場、おまけに硝子戸の食器棚まである。硝子の向こうには、花模様のティーカップや皿が綺麗に並べられており、随分と可愛らしいものだった。
どうやら僕達が入った扉は、この台所の勝手口だったようだ。人の気配がないことに、とりあえず安堵する。
「なんとか中へ入れたけど、この後はどうする?弟さんの居場所は分かるの?」
僕が尋ねると、彼女は廊下に繋がる扉をそっと開け、慎重に外を覗きながら答えた。
「分かる……って言いたいところだけど、この屋敷なんか変だわ。色んな気配の色が混ざり合ってて気持ち悪い。」
そうして、目を擦り顔を顰める。しばらく目を凝らして廊下を眺めていたが、やがて諦めたように言った。
「とりあえずここから移動しましょ。歩きながら気配を探して辿るわ。」
そう言うと、彼女は覗きこんでいた扉を大きく開けた。そして、堂々と廊下へと歩き出してしまう。僕もその後へと続くが、彼女ほど堂々とできずに緊張に身を縮めた。
屋敷の中は、異様な静けさに包まれていた。
廊下は曲がり角が幾つもあり、至る所にドアがあった。まるで迷路のように似たような景色ばかりが続き、並ぶドアの色は色とりどりで目がチカチカしてしまう。
床には深紅のカーペットが敷かれており、足音が立たなかった。不法侵入してしまっている身としては有難いが、これでは屋敷の人に近づかれたとしても足音が聞こえそうにない。
僕は小さな声で、隣を歩く彼女に話しかけた。
「ねぇっ、こんなに堂々と歩いていて大丈夫かな?見つからない!?」
「大丈夫よ。今のところ人の気配はしないし、さっさと見つけてこんな所早く出ましょ。」
コソコソと小声で話しながら、また曲がり角を曲がる。
この屋敷は随分と広いようで、歩いても歩いても突き当たりにならなかった。こんな広さでは、万が一にでも彼女と逸れてしまったら、再度会うのにとんでもなく骨が折れそうだ。
「ねぇ、あんたも見えるんだよね?」
思考していると、唐突に話しかけられて驚いた。
隣を少し見上げると、此方を見つめる彼女の瞳と視線がかち合う。その質問に、戸惑いながらも頷いた。
「ふーん……。私、こんな変なのが見える人間なんて、自分以外に初めて会ったわ。」
その言葉は、世間話をするくらいの軽やかさだった。つられて、僕も口が軽くなる。
「でも、僕は君みたいに色は見えないんだ。」
「え!じゃあ、どんな風に見えるのよ。」
「えっと、僕は気配を辿ったりはできないんだけど……。」
僕の言葉に驚く彼女は、その吊り目がちな瞳を丸くした。
こうして見ると、猫のようだと思う。
僕は、言葉に悩みながらも答えてゆく。
「でも、死者の顔とか手足とかが、はっきりと見えるんだ。だから、他の人が見えていない者との区別がつきづらくて。だから、つい普通に人と話しているつもりなのに、周りからはよく変な目で見られちゃう感じかな……。」
ははっと苦笑いすると、彼女は僕から視線を外した。
「ねぇ………。」
不意に彼女の声が、静かに響いた。
その瞳は、真っ直ぐに前を見据えている。
「私達、なんでこんなのが見えるんだろうね。」
彼女は、先程までと同じ軽やかさで言葉を紡ぐ。
「うちさ、私のせいで父親が出て行ったの。気持ちが悪い、呪われた子だなんて罵られたわ。そのうちに、母親も男作って出て行っちゃった。ほんとに最悪よね。まぁ、弟がいたからいいけど。」
突然の彼女が語った話に、僕は息を呑んだ。
「あんたは?」
そう問われて、気がつけば僕も話していた。
「育ててくれたじいちゃんは理解してくれたけど、学校とか近所の人とか、叔母さんは……、駄目だった。」
「両親は?」
「分からない。僕が小さい時に死んでしまったから。」
「そう、親いないんだ。」
彼女は、静かに言った。
「でも、お祖父さんに理解してもらえて良かったじゃない。私も、弟だけは分かってくれたわ。」
"弟"と声にする度に、彼女の言葉には優しさが滲んでいた。厳しい表情も少し和らぐ。きっと、彼女にとって弟はとても大切な存在なのだろうと感じた。
「じゃあ、早く弟さん見つけないとだね。」
そう僕が言うと、彼女は強く頷いた。そして、立ち止まったかと思うと、徐に此方に向き直る。
不思議に思って僕も止まると、彼女はまじまじと呟いた。
「あんた、いい奴ね。」
「えっ!?あ、ありがとう……?」
急に褒められたことに驚き、思わず照れてしまった。視線に耐えかねて、僕は視線を床へ外した。
「ね、ねぇ!そういえば探すのに、弟さんの特徴を聞いてなかったんだけど……。」
いたたまれずに話題を変えようと、そう呟いた時だった。
ガコンッッ!!!
突然、大きな音が響き渡った。
「はっ………?」
とぼけた声が漏れる。
何故なら、僕が見つめていた筈の床が姿を消したのだ。
次の瞬間、視界が大きく揺れ動いた。
体は急激に落下する感覚に襲われる。
「ぅわぁああああああっ!!!!」
「キャァアアアアアアッ!!!!」
僕達の絶叫は、突然現れた大きな穴にのまれて掻き消された。




