第八話
僕達は、重なり合うようにして倒れたまま呆然と目の前の虎を見上げていた。
その虎は、僕達なんかよりも遥かに体が大きかった。
少し離れた先から、姿勢を低くしてその身を怒りに震わせている。威嚇する様に低い唸り声をあげるその口は、僕の頭なんて丸呑み出来てしまいそうな程に大きかった。爛々と輝く瞳は血のように赤く、あまりの威圧感に目を合わせることもできない。今にも襲われそうな緊迫感に、自然と呼吸が浅くなる。
だが、その沈黙は長くは続かなかった。
ジャリリ………。
それは、小さな音だった。
沈黙の中、僕の下敷きになっている彼女の指先が地面の砂利に触れて小さく音が響いたのだ。けれど、その音は僕達の沈黙を破るには十分だった。
次の瞬間、唸り声をあげていた口が大きく開かれ、此方に向かって鋭い牙を剥いた。
ガァアアアアアアアッッ!!!!!
地鳴りする程の雄叫びが耳を劈く。
あまりの声量に、鼓膜が傷んだ。だが、その声を合図に僕はすかさずに立ち上がり、彼女の腕を掴み上げた。
「逃げよう!!!」
僕がそう叫ぶと、彼女も立ち上がる。
肌がビリビリとひりつく程の雄叫びが続く中、僕達は来た道を引き返した。恐怖に震える足を動かし、なんとか走り続ける。もたつく彼女の足が何度か転びそうになったが、それでも僕も彼女も止まらずに走った。
だが、背後からの殺気ともとれる威圧感は増すばかりだ。
耐えきれずに振り向いた彼女が、震える声で叫ぶ。
「きっ、来てるわよっ………!」
「振り返っちゃ駄目だ!」
僕は、前を向いたまま叫んだ。彼女の腕を掴んだままだった手を、その掌へと移動させ強く握る。
「このまま走ってっ!!!」
彼女は顔面蒼白のまま頷いた。
僕達は手を繋ぎ、がむしゃらに走り続けた。高い生垣の曲がり角を幾度か曲がる。その内に、屋敷の壁らしい赤煉瓦が見えた。その先に見える屋敷の裏口が、僅かにだが開いている。
「あそこへ入ろうっ!」
勢いのままに扉を開けて、彼女を先に押し込む。僕も中へ滑り込み扉を閉めようと振り返る。すると、白い巨体は此方へ飛びかかってきていた。
鋭い牙が、目前へと迫る。
「早くっ、閉めなさいよっ!!!」
その声と同時に、彼女の手と僕の手が同時にドアノブを握りしめた。
ダンッ!!
扉は大きな音を立てて閉ざされる。強く引いたせいで、僕も彼女も後方に倒れ込でしまった。
「「痛っ……!」」
尻餅をついてしまったせいで、同時に声が上がる。
だが、はっとして扉を見やるとそれは閉ざされたまま、壊されることも開かれることもなかった。
虎の姿は、もう見えない。
先程までの出来事が嘘のように、辺りは静まり返っている。ほっと安堵の溜息がどちらの唇からも漏れ落ちた。
同時に、繋いでいた手は乱暴に引き離された。
「いつまでもレディの手を握ってんじゃないわよっ!」
離された右手で、ポカっと頭を叩かれてしまう。
「ご、ごめん。夢中で………、え、なに?」
彼女が何か呟いた言葉が聞き取れずに、反射的に聞き返す。すると、今度は左手で叩かれた。
「やめてっ、いたいよっ!」
「〜…!ありがとうって言ったのよ!馬鹿!」
その顔は、先程までとは打って変わり血色が良い。痛む頭を押さえつつ、その様子に笑ってしまった。
こうして、僕達はなんとか目的の屋敷の中へと入ることができたのだった。




