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大正妖怪デモクラシー  作者: 一色明
第三章 呪縛
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第五話

 外へと飛び出すと、途端に強い風に煽られた。


 道を左右に見渡すと、遠くに臙脂色の着物が見える。その後ろ姿を追うために、僕も走り出した。


 向かい風の中で、大きな声で叫ぶ。


「ねぇ!ちょっと待って!!」

「待たないわよ!猫が逃げるでしょうが!!」


 女の子は、振り返りもせずに怒鳴った。切り揃えられた黒髪は、風に大きく靡いている。その気迫に圧倒されつつ、何とかその背に追いつき、彼女の右側へ並んで走る。


 猫はニシンを咥えたまま、大通りから細い路地へと曲がり姿を消した。僕達もその曲がり角を勢い良く曲がり、民家の隙間を駆け抜けてゆく。


 猫の姿はいつの間にか見えなくなっていた。

 それでも彼女は、着物の裾の乱れも気にせずに、一心不乱に走っていた。健康的な足が着物の裾から大きく覗き、はしたなく着物をはためかせている。そんな姿に、僕の方が恥ずかしくなって顔を空へと上げてしまった。


「もう、猫見えないよっ。何処へ向かってるの!?」


 僕が息を切らしながら尋ねると、彼女は道を真っ直ぐに見据えながら答えた。


「気配を辿ってるのよ!あの猫、普通じゃないから気配が強い。気配は、姿の残像が粒子みたいに光って見えるから!力が強ければ、強い程ね!」



 そして、彼女は此方をきつく睨んだ。



「頭おかしいって、言わないでよね!!」

「よ、よく分からないけど……、」



 言わないよ!そう言おうとした時だった。

 誰かの声が聞こえたような気がして振り返る。すると、すぐ近くの暗い路地の隙間から、長い髪の女が此方を見ていた。髪の隙間から覗く青白い顔と目が合った途端に、僕の体は痺れたように動かなくなる。急に走る足を止めたせいで、体制が崩れてしまい転びそうになった。


 声は、今度ははっきりと僕の耳に届く。



『ぃかないで……、そばにぃて……、』



 悪寒が全身を駆け巡り、背筋がぞわりと粟立った。


 その気配は、明らかに生者のものではなかった。

 路地から伸ばされたか細い手は、僕の右腕に絡まり始める。


 慌てて左手で目元を触ると、ある筈の眼鏡がない。


「なんで……っ!」


 呟きと共にカウンターの上に置いた光景が頭に過ぎる。

 後悔と絶望で混乱する中で、右腕はどんどんと女に引き摺られて、僕の足は一歩一歩女に近づいてしまう。


「ごめんなさい……。僕は貴女の傍にいられないっ。」


 そう答えるが、女は腕を離そうとしない。

 触れられている感触はしない筈なのに、右腕がギリギリと痛みだし、目に見えない圧迫感は強まる一方だった。

 なんとか、手を振り払おうとした時だった。何かが僕の左腕を強く引いた。


 臙脂色の袖が、視界の端で揺れる。

 ヒュッと息を大きく吸い込む音がすると思ったら、次の瞬間耳元で大きな怒号が響いた。



「ちょっと!今それどころじゃないから!あんたに構ってる暇なんてないのよっ!!」



 振り向くと同時に、彼女の胸に引き寄せられた。だから……、とその声はより大きく言葉を発した。



「は な し な さ い !!!!!!」



 その瞬間、右腕にかかる圧力がするりと弱まった。

 代わりに、僕の左手は温かくやわらかな手によって強く握られる。そのまま引き摺られるようにして、勢いのままに再度僕達は走り出した。



 あっという間に、先程の女の姿は遠のいていく。



 驚きのあまり放心したままの僕に、彼女は言った。



「あんた!道草してんじゃないわよ!」



 ごめん、と思わず呟いた。

 それでも、彼女の怒りは止まらない。



「あんた男でしょ!?なにあんな糞みたいなのに引っ掛かってんのよ!あんなの、ヒュッとかわしてペイッで終わりよ!舐められたら負けなんだからっ!わかった!?ほら!返事は!?」



「は……!はいっ!」



 半分くらい言っている意味が分からなかったが、促されるままにとにかく返事をする。眼鏡がない不安感と、それ以上に完全に"みえている"彼女に驚きを隠せなかった。


 僕達はそれ以上は何も話さずにひたすら走った。

 民家の間を抜けると、いつの間にか背の高い垣根の間を走っていた。艶やかな葉に、燃えるように赤い椿の花が所狭しと咲き誇っている。時折、垣根に触れたどちらかの腕が椿を散らし、赤い花弁が舞い上がった。




 しばらくその間を走っていると、不意に視界が開ける。




 目の前には、大きな洋館が現れた。




 彼女は鉄格子でできた門の前で、急に足を止めた。

 僕は、予期せぬ足止めに止まれずに、思い切り彼女の背に飛び込んでしまう。押し倒してしまいそうになったが、なんとか踏みとどまり謝ろうとして顔を上げた。振り返った彼女は不快そうに此方を睨んでいる。

 そして、繋いでいた手を乱暴に離したかと思うと、その手で僕を突き飛ばした。尻餅はつかないまでも数歩後ろによろめいてしまう。


 繋がれていた左手は汗にまみれてしっとりと濡れていた。


 こうして立ち止まると、僕より彼女の方が頭ひとつ分、背が高かった。彼女は至極嫌そうに顔を顰めながら、着物で自分の右手を乱暴に拭っている。



「あんた、何歳?」



 唐突な質問に、反射的に答える。

「15です。」

 つい敬語で答えた僕に、彼女はニヤリと笑った。

「じゃあ、私の方がお姉さんね。私、16だから。」

「一つしか違わないじゃ……、」

 抗議の声は、彼女の一睨みですぐに呑み込んだ。

 ぐぅっと唸る僕に、彼女は告げる。


「この洋館にあの猫は入って行ったわ。命令よ。私と一緒に、弟を探しなさい。」


 腕を組んで此方を見下ろす姿は、とても偉そうだった。


「探すのはいいけど、なんで君が命令するんだよ。」


 またもや抗議すると、今度は頭を一叩きされた。

「ぃたっ!?」

 頭を抱えて見上げると、彼女は乱れた着物の裾を直し、髪を掻き上げながら言い放った。

 



「年上の言うことは黙って聞きなさいよ、このチビ。」




 その理不尽な姿に、何故かここにはいない筈の美丈夫の姿が重なった。


 

 僕は、叩かれてジンジンと痛む頭を抱え込んだ。

 そして、とんでもない相手に、とんでもないことに巻き込まれてしまった事実に、今更ながら気付かされたのだった。


 

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