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大正妖怪デモクラシー  作者: 一色明
第二章 輪廻
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小噺②〜新聞配達員の独り言〜

 作者の息抜き小噺シリーズです。

 俺はベテラン新聞配達員、シゲだ!

 長年の自転車配達で鍛えられた脚力が自慢の、下町のナイスガイとは俺のことさ。以後、お見知り置きを。


 俺の一日は、日の出が見える前から始まる。


 発行されたての、まだ生温かい朝刊紙を自転車の後ろに乗せると、今日も元気に薄暗い街へと漕ぎ出す。

 秋から冬へと季節はとうに移り変わり、配達人にはすっかり嫌な季節になっちまった。

 特に、今朝は冷え込みが厳しかったな。

 白い息を吐き出しながら、意気揚々と配達を進めていく。そうすると、じきに見慣れた家が見えてきた。

 いや、家ではなく店というべきか?

 俺は、冷たい息を吸い今日も大きな声で挨拶した。


「おはよう猫吉くん!今日も早いねぇ。」


 すると、少年は振り返った。いつものように、着物の下にスタンドカラーシャツを着込んだ袴姿の彼も、今日はその鼻の上を赤くしている。


「おはようございます!シゲさんも、朝早くからお疲れ様です!」


 寒さに負けないくらい、にっこりと笑った少年の笑顔は温かい。朝刊紙を手渡してやり、一言二言たわいも無い話をするのが日課だ。

 また自転車を漕ぎ出そうとする俺に「いってらっしゃい!」と笑顔で言ってくれるものだから、「いってきます!」と言うのがすっかり習慣になっちまった。



 まだ町が動き出さないような早朝に、こんなやりとりをするようになったのは、いつからだっただろうか?




 自転車を漕ぎながら、俺は思い返していた。




 元来、ここは人が生活する気配もしないような薄気味悪い骨董品屋だった。いや、看板もないもんだから、店はやってるのか些か疑問だ。二階建てになっている建物自体は手入れされているようで小綺麗だが、昼間でさえここの店主を一度も見たことがなかった。一階の大きな硝子窓の向こうに見えるのは、よく分からない埃の被ったガラクタばかりで、実に不気味だ。興味本位で中を覗いた時に、女の生首(よく見りゃ文楽人形だったが……)と目が合った時には、腰を抜かしたのを覚えている。


 とにかく俺は、この店への配達が嫌いだった。

 配達仲間が噂しているのを聞いちまったせいもある。

 なんでも、時折女性の啜り泣く声が聞こえるだとか、はたまた女性の恨めしい声が聞こえるだとか……。前のこの地区の担当配達員は、この店から飛び出してくる恐ろしい形相の女を見たとか見なかったとか………。


 とにかく、女に呪われた骨董品屋らしい。


 俺は、足の筋肉が自慢の男だが、怪談話には滅法弱い。とにかく、もしも何かに遭遇したらこの脚力で絶対に逃げ切ってやる!と息巻いていたのだ。





 そんなある秋の日、ついに店先に人影が現れた。


 日の暮れも日の入りも遅くなってきた今日この頃。

 まだ薄暗い景色の中で、その小さな人影は立っていた。近くの電線に付いている街灯が球切れのせいで点滅しており、その影を不気味に浮かび上がらせる。


 ザッ………、ザザッ………。


 人影に近づくにつれて、その音は大きくなった。

 噂の女か!?と思って目を凝らすが、暗闇に紛れた後ろ姿では判断できない。


 町はまだ眠っており、道には人っ子一人いやしない。


 俺は生唾を飲み込んで、一人でその影と対峙するしかなかった。そっと自転車を止めて、朝刊紙を握りしめる。ポストにいれようとする手は震えていた。ポストに入れたらダッシュで逃げよう。そう思っていた時……。


 ガゴンッ!


 朝刊紙は思いの外大きな音を立ててポストに吸い込まれてしまった。次の瞬間、その影が勢いよく振り返る。


「ヒョぇえええええっ!!」


 思わず変な悲鳴をあげて目を瞑った。


 すると、


「おはようございます!」


 少し高い男の声が、爽やかな挨拶を告げた。

「……はっ?」

 目を開けると、目の前には丸眼鏡を掛けた小柄な少年が此方を覗き込んでいた。

「大丈夫ですか!?驚かせてしまいましたか?」

 その手には箒が握られており、どうやら店先の掃き掃除をしていたことが分かった。女、女と思い込んでいたカチカチの頭は、すぐには正常に機能しなかった。

「お、お前は?」

 思わずでたのは、そんな質問だった。少年は濡羽色の髪を揺らして首を傾げた。髪と同じ色の瞳が、眼鏡の奥できょとんと丸くなっている。

 夜みたいな色だな……と思った。

 さして珍しくない色の筈なのに、薄暗闇の中で濡れたように光る彼の色は、一等綺麗に見えたのだ。


 そんなことを考えていると、少年が笑って言った。


「僕、猫吉です!」


 それが、少年と初めて交わした言葉だった。





 結果、この店に女の幽霊なんざいなかった。

 それから毎朝顔を合わせるため、少年とはすぐに打ち解けた。聞けば、彼はここの店主の"先生"に住み込みで雇ってもらっているらしい。ついつい大きな声でお互い挨拶してしまうが、猫吉くんにお願いされた。


「先生は朝が弱いんです。だから、もう少し小声でお話しましょうね。僕も気をつけます。」


 しぃー……、と口元に人差し指を立てて真面目な顔で言われたので素直に頷いた。「だから僕、朝の身支度の時や階段を降りる時の忍び足が得意になったんです!」と得意げに胸を張っている。その"先生"とやらを起こさないように、あれこれ試行錯誤しているらしい。


 だがなぁ………。


 俺は話しながらチラリと上を見た。


 なんとなく、なんとなくだが、二階のあの部屋から視線を感じるんだよなぁ………。



 これが、ここ最近の俺の悩みの種であった。



 猫吉くんは先生が起きてないと思っているようだが、どうやらその先生はガッツリ起きているようなのだ。

 しかも、彼の仕事ぶりを見るためなのか、姿は見えないがこっそりと此方の様子を二階から伺っているのだ。

 猫吉くんに教えてあげるべきか、否か。

 もしかしたら、ここで無駄話なんかしていて後で怒られたりでもしたら可哀想だし、だけど先生が起きないように一生懸命気を遣ってる彼に「実は起きてるぜ!」なんて言ったら真面目な彼はショックを受けるだろう。


 最近は、悩みすぎたのか酷い肩凝りになっちまった。


 俺はつくづく悩み事には向いていない。


 今朝も今朝とて、挨拶をしつつうんうん唸っていると、いつものように朝刊紙を受け取ろうと猫吉くんが近づいてきた。だが、いつもと違ったのは、彼が盛大に躓いて転んだことである。


「ぅわっ!」

「………おっと!」


 カシャンッ!


 地面に思い切り倒れ込む前に小柄な体を抱きとめたが、彼の眼鏡だけは重力に逆らえずに落ちてしまった。


「ご、ごめんなさ……っ!」


 腕の中で見上げられた瞳が、大きく見開かれた。

 ぶるりとその体が震え、心なしか顔色も悪い。

「おい?大丈夫か?」

 そう尋ねるが、彼は俺の服にしがみついたまま、肩越しに目線を向けて何かを呟いた。

「ぉ……、おんなが………。」

「ん、何だ?」

 振り返るが、背後には薄暗い道が広がっているだけだった。すると、猫吉くんが俺の服を強く引っ張った

「シッ!シゲさん!振り返っちゃ駄目だ!貴方まで気づいてしまったら、もう……っ。」

 猫吉くんが言い終える前に、俺の肩がズシリと重くなった。酷い肩凝りが悪化したのか、吐き気がする程の痛みすら伴う。

「……ぐぁっ!は!?」

 それは、まるで誰かに腕を回されているかのように、肩が重く息が苦しかった。


 一体、何が起こっていやがる!


 はっ、はっ、と息を荒げながら、パニックになっていた時だった。



 一瞬、


 

 燃えるように熱い空気が肩へと吹き抜ける。




 次の瞬間には熱風も重さも何もなくなっていた。




「は……?」




 呆気ないくらいの体の変化に追いつけずに目を見開いたまま固まっていると、同じく猫吉くんも俺の腕の中で固まっていた。沈黙が流れる。


 先に動きがしたのは、彼の方だった。


「あ、あれ……?見間違いだったかな?」

 そう呟きながら、目を擦っている。

 俺はブリキ人形のようにぎこちなく眼鏡を拾い、彼に手渡してやった。

「あ……、ありがとうございます。」

 猫吉くんも、ぎこちない動きで受け取った。



 眼鏡を掛け直している彼から視線を外す。

 首を捻りつつ肩を回しながら、何気なく二階を見上げると、




 二階の窓から、美しい人が顔を覗かせていた。




 目が合った瞬間、思わず変な呻き声をあげそうになった。

 だが、その人がしぃっと口元に人差し指を当てた為、問答無用で飲み込んだ。

 黙り込んだ俺の様子に満足そうに頷くと、その顔は、すぐに部屋の中へと戻ってしまった。


 その日は何ともいえない気まずさのまま、猫吉くんと別れた。その後、いつも通りに仕事を終えて、昼には日勤の人間と交代して職場を出る。

 いつもなら真っ直ぐ家へと帰るところだが、今朝の何とも言えない不快感が胸に残っていて、なんだか家へ帰る気が失せてしまった。仕方なく目に止まった蕎麦屋へと入り、席に着いた時だった。



「ちょっと、いいかい?」



 耳心地の良い声が響いた。

 声がする方へ振り返り、驚かされる。


 そこに佇んでいたのは、今朝方見た美しい人だったのだ。


 思わず動悸がしたが、はたと気がつく。

 よく見れば随分と背が高いし、何より身につけていたのは男物の着流しと羽織だったのだ。なんだい、男じゃねえか!なんて一気に興醒めしていると、彼は言った。


「いつも猫吉の相手をしてもらって悪いね。」


 その言葉に、丸眼鏡の少年が頭に浮かんだ。

 あぁ、この人が"先生"なのかと合点がいく。


「いや、こちらこそ!」


 そう返すが、彼の涼やかな目は俺の顔から外れている事に気がついた。なにやら、肩越しを覗かれている。そんな様子に既視感を覚えつつ、「あの?」と声を掛ける。すると、目の前の美丈夫は此方に視線を戻して口を開いた。

「貴方は、心根が優しい。」

 そう言って、微笑まれた。突然褒められたことに、訳もわからず照れてしまう。いやいや!と謙遜していると、さらに言葉が紡がれる。

「だが、ズボラな所は直した方がいい。特に、墓参りはきちんとすることだ。」

 突然短所を指摘されて、頭と体が硬直した。


「勘が鋭いくせに、守護霊の加護が弱まっているから、やっかいなのに取り憑かれるんだ……。」


 美丈夫が小さく呟いた言葉は、残念ながら俺の耳には届かなかった。

 

 固まる俺の肩に、そっと白い手が置かれて、ようやく意識が戻る。



「まぁ、ともかく。今後もあの子と仲良くしてやってくれ。」



 そう言い残し、彼は颯爽と去っていった。

 無愛想な蕎麦屋の店主が、固まったままの俺の前に皿を置いた。


「あの旦那からだよ。」


 そこには、美味そうなだし巻き卵が乗っていた。





 それ以来、相変わらず猫吉くんとは仲良くしている。

 彼があの朝のことで何かを悩んでいる様子だったが、何となく聞けずにいた。彼の横顔は、その話題に触れて欲しく無さそうに見えたのだ。



 しかし、こんな質問をされたのは、それから間もなくのことだった。



「シゲさんは、僕のこと気持ち悪くないですか?」 



 思いがけ無い言葉に、朝刊紙を落としそうになる。

「あの朝、変なこと口走ってしまったので……。」

 そう言って此方を見上げる彼の瞳は潤んでいた。

 どうやら、そんなことを悩んでいたらしい。


 はっきり言って、あの朝何が起きていたのかは、未だによく分からない。

 だが、俺は深く悩むのは苦手だ。

 美丈夫に言われた通りに墓参りだってしたし、あれから肩凝りだって治ったし、怪談話は苦手だが、俺が何かを見てしまった訳でもねぇし。

 別に悩むことなんか何もなかった。


 だから、言ってやった。



「別に気持ち悪くねぇだろ?猫吉くんは、爽やかな挨拶ができるナイスガイだぜ!」



 俺と同じだろう?と親指を立てて豪快に笑ってやる。

 一瞬泣き出しそうに歪んだ彼の顔は、次の瞬間、破顔した。



 それはもう、もう、ものすっごい笑顔だった。



「ありがとうっ!僕、シゲさん大好き!」



「あぁ、俺もだっ!」



 今日も今日とて、二階の視線には気がつかないフリをする。絶対に先生は起きているが、それは猫吉くんが気がつくまで未来永劫胸にしまっておく事にした。



 しっかしなぁ………。



 月日は流れ、季節は冬から春に移り変わろうとしていた。


 そんな俺には、また新しい悩みの種ができている。

 え?何故かって?だって、そりゃあよ。



 …………視線が、二つに増えたのだ。



 二階からと、加えて今度は何故か猫吉くんの肩から視線を感じる気がしてならない。俺がいくら目を凝らそうとも何も見えないが、確実に何かがそこにいる気がしてならなかった。


 だが、何となくだが、その視線は猫吉くんにとって悪いものじゃないことだけは分かる。 


 まるで、彼を守ろうとしているかのように此方を警戒しているだけなのだ。

 


 だから、俺は何も気がつかないフリをしながら、今日も今日とて、自転車を漕ぎながら悩むんだ。



「おい、先生!そんなに過保護にしてちゃあ、仲良くし辛いだろうがよぉ〜……。」



 その心の叫びは、小さな呟きとして吐き出され、朝焼けの空に溶けて消えてゆく。 



 胸の中で、もう一度呼びかけた。



 おい、先生よ!

 過保護もいいが、あんまり度がすぎるのも猫吉くんがかわいそうじゃねぇか。あの子を困らせたら、俺の自慢の足が火を吹くぜ!



 なぁんて、ちょっと自分でも訳の分からないことを思いながら、自転車を漕ぐ足に力を込めた。




「はっ…、くしゅん!」


「あれ?先生、風邪ですか?今夜は、ネギたっぷりのお味噌汁を作りますね!」

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