番外編③---万問屋の妻の独白---
少年からの手紙には、丁寧な文字で此方を心配し労るような言葉ばかりが綴られていた。そこには、私達を責める言葉は一文字もなかった。
読み終わった後、私達は涙が止まらなかった。
最後に、店の再開が決まったら知らせてほしい旨が記されており、私達は戸惑った。
「あんなことをしておいて、また店を開いても良いのだろうか……。」
彼は、手紙を何度も読み返しながら呟いた。
私が何も言えずにいると、突然部屋の障子が開いた。
入ってきたのは、息子夫婦だった。二人は神妙な面持ちでその場に座る。姿勢を正すと、息子が言った。
「父さん、母さん。そろそろ店を俺達に譲ってくれないだろうか。」
私達は家の呪いのこともあり、未だ家督や店の権利を彼らに譲ってはいなかった。それでも文句一つ言わずに経営に協力してくれていたのに、今になってそんなことを言われたことに驚いた。
「何言ってんだい。こんな時に、こんな店を継いだって火の車だよ。碌なことにー……。」
私の言葉は、息子に遮られた。
「店や商店街のために、二人が苦労しているのは重々知っている。だからこそ、俺に譲ってほしい。二人は、二人きりで頑張りすぎなんだよ。周りをもっと見ろよ。」
何を言われているのか分からなかった。
しかし、障子の向こうの影にハッとする。
そこにいたのは、暇を出した筈の従業員達だった。
「何でも二人じめするんじゃねぇよ。店には……、二人には、俺達がいるじゃないか。」
そう言って笑ったのは、もはや保護するべき息子ではなく、立派に成長した一人前の男だった。
その後ろからドタドタと走る音が聞こえ、廊下から幼い孫達まで入ってきた。
「「「ぼくたちだって、いるんだから!」」」
そうして、此方に勢い良く抱きついてくる。
末っ子が私達の顔を見上げて、不思議そうに尋ねた。
「じぃじ?ばぁば?どうして、ないてるの?おなか、いたいの?だいじょうぶ?」
小さな掌が、優しく頬に触れた。
「違うんだよ……。嬉しくてっ、泣いてるんだよ。」
ありがとう。
その言葉は、掠れて声にならなかった。
彼と二人で築き上げた我が家は、こんなにも温かいことを、今更になって気付かされた。
もう一度、ここから始めてもいいだろうか。
きっと、みんなで、力を合わせれば何も怖くない。
その時、私は気がついた。
この家に本当に必要だったのは、神様なんて特別なものじゃなくて、人のぬくもりだったのだ。
「お店の再開、おめでとうございます!」
小さな花束を持ってやってきた少年は、開口一番にそう言った。屈託なく向けられたその笑顔に、私も彼も驚きで固まってしまう。
しかし、次の瞬間、彼が突然叫び出した。
「ね、ねこぎぢくん!ごめんなぁっ、……ごめんなぁっ!頭は大丈夫かいっ!?怪我は!?」
涙と鼻水を垂れ流して、店の床へと土下座する。
再開したものの店の客は少年だけだったが、後ろで控えていた従業員達はオロオロと右往左往していた。
そんな彼を、少年は優しく立たせた。
「全然へっちゃらですよ!すぐに治りましたから!」
しかし、そう言って笑った彼の前髪の隙間から、傷跡のようなものが見えた。
「それ、あの時の跡かい?」
思わず尋ねると、少年は驚いたように額に触れた。
そうして少し俯き、首を横に振る。
「違いますよ。これは……、もっと前にできた傷ですから。」
そう呟いた彼の瞳は、酷く憂いを帯びていた。
だが、次に顔を上げた時には、明るい笑顔だった。
彼は、少年のそんな変化には気がついていない。買い物がしたいという少年を、いそいそと棚へと案内する姿を見送りながら、私は様子を伺った。
てっきり、何の苦労も知らない育ちの良さそうな坊ちゃんだと思っていたその姿は、見れば見るほどチグハグだった。
身なりは良いものだが、袴の足捌きがぎこちない。上品な顔立ちのおかげで様にはなっているが、まだまだ服に着られているようだった。襟足から覗くうなじは細く、同世代の子よりも華奢に見えた。品物を選ぶ掌の中には畑仕事をする者にあるような蛸ができているし、何より指先には霜焼けにより赤くなっていた。
それは間違いなく働き者の手だと思った。
そして、その表情はまだまだ幼いのに、時折大人びた瞳が垣間見える眼鏡の奥に、何故だかたまらなく哀しくなった。
あんな風に笑う彼が、何の苦労も知らない訳がきっと無かったのだ。
「これは、どうだい?」
そう言って差し出したのは、赤い毛糸で編まれた手袋だった。少年は此方へ振り返り、不思議そうな顔をした。
「朝早くから外掃除や水仕事をしてるんじゃないのかい?指に、霜焼けができてる。今の時期、まだまだ早朝は冷え込むだろう?だから手袋があるといい。」
そう告げて手袋を持たせてやると、少年は嬉しそうに笑った。
「わぁ!さすが奥さんだ!そうなんですよ。毎朝店先を掃く時に、指が悴んじゃって……。」
喜ぶ少年に、彼が言った。
「じゃあ、それは俺達からの詫びの品として受け取ってくれ。他にも店のものなら何でもやろう。」
その言葉に、少年が慌てる。どうしても受け取れないと言いはるので、夫婦でもっと高い品物を並べ始めたら、大人しく受け取ってくれた。
少年は困りながらも、少し拗ねたように呟いた。
「せっかくお給料もってきたのに、使えないじゃないですか……。」
その姿は、まるでお小遣いを握りしめて買い物に来た幼い子のようで、私達は笑ってしまった。
少年は、不服そうではあったが、何かを思いついたように言った。
「あっ!じゃあ、もう一つ手袋がほしいので、それは僕に買わせて下さい!」
聞けば、自分だけが手袋を買ったんじゃ雇い主に悪いからと、彼の分も買うらしい。サイズを尋ねると、少年は神妙な顔で言った。
「待ってください!今、デコピンされた時の感覚を思い出しますので……。」
そう言って、至極真剣な面持ちで自分の額を触っているので、私達は堪らなく吹き出した。当然、デコピンの時の説明じゃサイズなんてわからない。その後、背の高さ等を伺い、手頃なものを見繕った。
「このサイズかなぁ。あ!この藤色の、毛糸で編まれたもの素敵ですね。んー……。でも、僕とお揃いなんて嫌かなぁ……。」
棚の前でうんうん唸る横顔に言ってやった。
「返品、交換ならいつでも受け付けるよ。プレゼントは第一印象が大切さ。」
すると、少年は嬉しそうに振り返った。
「じゃあ、やっぱりこれにします!これはお土産なので、僕が支払いますからね!」
意外と頑固な様子に苦笑いしながら会計を済ませた。
紙袋に赤色と藤色の手袋を入れつつ、こっそり手荒れ用の軟膏もオマケしてあげる。
品物を大切そうに抱えた少年は、此方へ向き直ると、血色の良い唇で言葉を紡いだ。
「貴方達は、何も悪くないですよ。」
不意に告げられた言葉に、息を呑んだ。
その瞳は慈愛に満ちていて、真っ直ぐに私達を捉えて離さない。どこまでも優しく深い黒色に、まるで吸い込まれてしまうような気持ちになった。
「だから、どうかお元気で。これからもずっと応援しています。いつかまた先生とこの商店街にも遊びに来ますから……。また、会いましょうね!」
少年はそう言い残すと、手を振って去っていった。
私達は、いつまでもその後ろ姿を見送り続けた。
その姿が見えなくなった頃、彼がポツリと呟いた。
「日に日に、得体の知れない何かに体を乗っ取られていく感覚に怯えていた時に、あの少年に出会ったんだ。彼と一緒にいる間だけは、自分が自分でいられるような心地がして、とても息がしやすかった。」
彼の頬に、涙が零れた。
「彼が、常闇の"光"のように見えたんだよ。」
笑ってくれ……、と彼は言った。
私は、そんな彼の言葉を笑うことなど出来なかった。
だって、その言葉は私の胸にもストンと落ちたのだ。
「きっと……、その通りだったのよ。」
店の中へ戻ろうとした時、遠くから呼び止められた。振り返ると、剣道場の旦那と倅、その後ろには商店街の皆が見える。
「な、なんで……。」
呟きに応えるように、旦那が言った。
「今日から開店だって、猫吉くんから聞いたんだ。水臭いじゃないか……。俺達に一番に知らせてくれよ。」
目頭が、燃えるように熱い。
その後ろでは、皆が笑っていたが、霞む視界に遮られる。
視界は、酷く滲んでいた。
「ありがとう……、ありがとう………!」
お礼の言葉は、今度こそ大きな声で伝えられた。
私は、私達は、きっとこの日を一生忘れないだろう。
大きく息を吸うと、梅の花の香りに満たされる。
寒い冬は、もう終わりを告げたのだった。
人には人の喜びがあり、悲しみがあり、苦悩があり、事情がありますよね……?というお話でした。
次回は、小噺を更新予定です。
三章をお待ち下さっている方がいましたら、申し訳ありません!近々、必ず始まります!
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