番外編① ---万問屋の妻の独白---
小噺ではありません。
猫吉くん視点では拾えなかった妻の苦悩です。
我が家は江戸時代の頃より、大変繁盛する商家だった。現在も、万問屋として商店街に根付き、地域の盛り上げ役として一層商売に打ち込んでいる。
だが、その代償とでもいうのだろうか。
我が家は、呪われていた。
家の跡継ぎとなった男は、皆同じように気が触れて、碌な死に方をしやしない。
私の父親もそうだった。
父親は、寡黙で真面目な人だった。幼い頃は、私はもちろん好きだったし、周囲の人間から一目置かれる人だった。けれど、うちは先代が長く続かないせいで、後継者に引き継がれるのが早い。
先代である祖父も呆気なく早死にし、父親が店を継いだ。
しかし、後を継いだ途端に、やはり父親も変わってしまった。経営はさほど傾いていないというのに、血眼になって金稼ぎに精を出し始めたのだ。家庭では浴びるように酒を呑み、母親や私を殴った。髪を掴まれて引きずられたこともある。寡黙ながらも優しかった筈の父親の面影は消え失せ、そこにいるのは得体の知れない男だった。
その姿は、まるで何かに取り憑かれたかのような恐ろしい別人に見えた。
うちの血筋は、間違いなく呪われている。
後を継いだ曽祖父も、祖父も、父親も狂った。
けれど、私は考えた。
それならば、血筋など関係のない男が後を継げば良いのではないかと。
そして、私は長女として婿を家に迎えた。
彼は、とても穏やかな人だった。
結婚をする時、私は家のことを素直に話した。
うちの血筋の男が、皆狂っていくこと。
父親の酒と暴力によって、辛い思いをしてきたこと。
そんな環境で、自分自身が家庭を持つことが怖いということ。
全て話終えると、彼は私を抱きしめてくれた。
「辛かったね……。苦しかったね……。俺は、必ず君を幸せにする!君をいつまでも愛し続けるよ。」
そう言うなり、彼は声をあげて泣いた。
私自身は、こんな家族話をしたって、ちっとも涙を流していないのに、彼はボロボロ泣いていた。
きっと、今までずっと泣けなかった私の分まで、泣いてくれていたのだろう。
その後、彼は私に約束してくれた。
自分は、"決して変わらない"と……。
私は、彼の涙と約束だけで十分救われた気がした。
そして、私は、この男を心から愛したのだ。
それからの月日は、幸せだった。
彼は、おせっかいな所がたまに傷だが、お人好しでどこまでも優しい。そんな彼は、私の家の者はもちろん、商店街の皆にも、大層好かれていた。
しかし、ある日の事だった。
店主だった父親が、突然死んだ。書斎で自分の首を刃物で掻っ切って、笑いながら死んだ。あの人は、最後まで、ずっと狂っていた。
そうして、ついに彼が店主となる時が来た。
私は、妻として彼を支えながらも、内心はとても怯えていた。しかし、彼は分かっていたのだと思う。
不安に駆られる度に、私の手を優しく握り微笑んでくれた。さらに、私の不安なんて吹き飛ばすかのように、彼はずっと彼のままだった。
私達夫婦は子宝にも恵まれ、孫にも恵まれ、幸せな日々を過ごすことができた。
しかし、幸せな日々は終わりを告げる。
時代の波は、私達に残酷だった。
商店街全体の経営に、陰りが見え始めたのだ。
理由は明白であった。
中心街に大きな百貨店が建ったのだ。
彼は、商店街の会長として奮起した。
皆を呼び集め、一丸になって頑張ろうと励ました。毎晩遅くまで頭を悩ませ、毎朝早起きして仕事に打ち込んだ。商店街の皆への協力にも惜しみなく尽力した。
けれど、彼の努力は実を結ばなかった。
次第に、客を取られて暖簾を下ろす店もあれば、引き抜きに合う店もで始めた。
日に日に、商店街が寂しさを増す。
その頃からだろうか。
彼に、変化が現れ始めた。
初めは、毎晩魘されるようになった。
次に、眠れないからと酒を呑むようになった。酒なんて呑まない人だったのに、魘される日が続けば続く程に、酒は量を増して行く。
彼から、穏やかな表情が消えた。
些細な事に怒るようになった。
声を荒げて、怒鳴るようになった。
あんなにも優しかった彼は、日に日に知らない人間へと変貌してゆく。
私は、それが恐ろしかった。
私の愛する人を、取り戻したかった。
だから、自分に出来ることをした。
この身ひとつで叶うのならばと思い、引き抜きに合った店へと頭を下げに回った。
彼は、そんな私を皆の前で穏やかな顔をして止める。
でも、その顔は、私が知っている彼の顔じゃなかった。
そんな中で、ついに事件が起きる。
もう日が落ちた頃だった。
庭先から物音が聞こえ、彼が帰ってきたのかと思い、出迎えの為に外へと出る。
だが、門まで行っても彼はおらず、私は首を傾げた。
辺りを見回すと、普段は使われていない古い蔵の戸が開いていた。不思議に思い、そっと近づく。
だが、蔵にいたのは彼ではなかった
狭い竹籠の中で、簪家の珠子が眠っていたのだ。
「きゃっ!」
思わず短い悲鳴を漏らすと、彼女の小さな体は身じろぎし、その瞳は開いた。
「そこに、いるのだぁれ?」
唐突な質問に答えられずにいると、幼い顔はくしゃりと歪んだ。
「ここ、どこ?だして、こわいよぅ。」
その大きな瞳には涙が溢れる。
私は、直感的に彼の仕業だと感じた。
だが、頭の中に、彼の笑顔や温もりが蘇る。
体は痺れたように動かない。
私は、どうしたらいいのだろうか。
しかし、悩んだのは一瞬だった。
「おかぁちゃん……っ。」
その声を聞いた瞬間、私は彼女を籠ごと抱きしめた。
私は、彼がどんなに変わってしまったとしても、愛している。けれど、どうしても、ここで泣いている幼児を見殺しにはできなかった。
私は黙ったまま、珠子の頭を撫でた。
すると、彼女はピタリと泣き止む。
私は、竹籠ごと連れ出すのは目立つと思い、一度屋敷へ戻った。手近にあった毛足の長い毛布と、孫の玩具の人形を手に取ると、急いで蔵へと走っていった。
珠子は、不思議そうに籠の中を触っている。
その伸ばされた指先に、人形を持たせてやった。
珠子はペタペタ触り、人形だと分かると抱きしめた。
「おにんぎょうさんだ!」
嬉しそうに、顔を綻ばせている。人形に夢中な間に、小さな体を抱き上げて、毛布に包んだ。
すると、珠子は驚いた顔をした。
「もふもふで、ふわふわっ!もしかして、あなた、いぬがみさま!?」
突然、興奮しながら、告げられた言葉に戸惑う。
「よるねっ、ねるまえに、おかあちゃんがおはなししてくれるんだよ!もふもふでふわふわな、いぬがみさまのはなし!おりこうにしてると、いぬがみさまがまもってくれるんでしょ!?」
そう言いながら、珠子は毛布に頬づりした。
「ね、いぬがみさま?たまちゃんとあそびたかったの?」
私は悩んだ末に、黙ったままもう一度頭を撫でた。
「やったぁっ!」
それを肯定と受け取った珠子は、とても喜んだ。
そんな彼女を『しーっ』と囁き静かにさせると、私は小さな体を抱き上げて蔵をでた。
商店街へ続く道には大人が数人見えた。
皆、珠子の名を呼んでいる。
ここで、見つかるわけにはいかない。
人目を避けるうちに、気がつけば私達は林の中へと入っていた。
どうしようかと悩んでいた時、珠子の『犬神様』という言葉を思い出す。
そうだ。祠へ届けよう。
しかし、それは叶わなかった。
やはり、祠の前にも人集りができていたのだ。
仕方なく、私は祠のすぐ近くの林の中で、珠子を下ろす。毛布から出してあげると、珠子は笑って言った。
「だっこ、もうおしまい?つぎなにする?」
次の瞬間、近くで声がした。
「たまこぉっ!どこにいるの!?」
それは、悲痛な母親の叫びだった。その声に、胸が痛い程に締め付けられる。
「……おかあちゃん?」
珠子は、声のする方へ振り返った。
私は、幼い背中をそっと押した。
「……いぬがみさま?ばいばい?」
そう尋ねられたので、頭を撫でてやる。
珠子は頷き「ばいばい!」と言うと、ゆっくりと声のする方へ歩いていった。
その晩、彼は何事も無かったかのように家に帰ってきた。
私も、何事も無かったかのように彼を出迎える。
珠子のことは、私達夫婦の暗黙の秘密だった。
私は、あの日の理由なんて、怖くて聞けない。
そして、珠子の事件の熱りが冷めやらぬうちに、あの少年は商店街にやってきた。
次回、ようやく猫吉くん出てきます。




