第七話
奥の棚でしゃがみ込んで作業していると、しばらくして店のドアが勢いよく開かれた。
カランカラン…
ドアベルが軽やかに鳴る。
驚いて振り返ると、スーツを着た背の高い青年が店内へ入って来た。爽やかな短髪に、本来なら優しそうな甘い面持だが、その目は何故か怒ったように釣り上がっている。そして、そのままどんどん階段の方へ向かって歩き、大きな声で叫んだ。
「せんせーい!いらっしゃいますかー!?」
二階から返事はない。
青年は僕に気づかないまま、大きな溜息を一つついて二階へ上がっていった。何事が起きたのか。僕はハタキを握りしめたまま固まってしまった。
すると、二階から青年の悲鳴のような声が聞こえる。
「先生!もう締め切りですが、原稿はできていますよね!?もう印刷にかけないと、本当に間に合わないですから!」
ややあって、彼の声も聞こえた。
「うるさいね。…ちゃんと出来ているよ。全く、需要の減ったオカルト誌の発行が遅れようとも、誰も構わないと思うけどね。」
そして、カンカンと煙管を叩く音がする。
「今朝は何故いらっしゃらなかったのですか?ついに逃亡されたのかと、肝を冷やしましたよ!」
「馬鹿を言うんじゃないよ。拾った猫に餌付けしてたのさ。」
「ねこ!?また先生の拾い癖がでたんですか?もう、やめましょうよ〜。」
呆れたような声が聞こえた。
「ところで、猫ちゃんはどこですか?」
「おや?下で会わなかったかい?」
ややあって、ドタドタと階段を下る音がした。
「猫ちゃ〜ん!どこかなぁ〜?」
先程とは打って変わって、意気揚々とした声が聞こえる。どうやら、青年は猫好きらしい。
僕は、期待に添えそうになく、どうしたら良いか慌てていると、不意に目が合った。
ヒュッと青年は息をのむ。
次の瞬間、絶叫した。
「先生!猫じゃなくて、人間がいますよ!?」
ゆっくりと階段を降ってきた彼が、やれやれと肩をすくめながら返答する。
「ほら、いたじゃないか。野良猫の、猫吉くんだよ。昨夜拾いたて、ほやほやだ。」
「ど、どうも。」
なんて言ったら良いか分からず、曖昧に笑った。
すると、青年が慄いた。
「え、どういうこと?まさか、とうとう人間を拾ったんですか!?はっ、もしや、新しいアシスタントが見つからないからって、切羽詰まってついに誘拐を…!?」
どうやらその頭の中では、恐ろしい妄想が繰り広げられているらしい。そこへ、彼が青年の頭を笑顔で一発叩いて訂正した。
「その考察は間違えてるからやめようね。…でも、それは名案だね。この子をアシスタントとして雇おうか。」
「痛っ!えっ、でもまだ子供じゃないですか。」
「ちょうど、行く当てもなさそうだしね。」
二人の間で話が進んでいるようだが、僕はさっぱり話についていけなかった。
「あ、あの、アシスタントって…」
「あ!こんな時間だ!」
突然、話の腰を折って青年が懐から懐中時計を取り出し、時刻を確認する。そして、彼に向かって言った。
「じゃあ、この原稿は貰っていきますが、明日はあっちの原稿を取りに来ますからね!」
「うーん。いい案が浮かばないんだよなぁ。」
「まさか、白紙じゃないでしょうね!?」
青年の目が見開く。その気迫は、さっきの文楽人形よりも怖かった。そして、溜息を一つして言った。
「いいですか、明日の正午までですよ。頼みますね!」
これ、昼にどうぞ!
そう言って紙袋を置いて、慌ただしく出ていった。それはまるで、嵐のようだと思った。
「全く、相変わらず騒々しい男だ。」
彼は呆れたように呟いて、僕に振り返る。
「どれ、少し休憩にしようか。」
紙袋を掲げながら、彼が言った。