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大正妖怪デモクラシー  作者: 一色明
第二章 輪廻
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第三十七話


 その後も、結局先生は『妖怪デモクラシー』で特集を組む予定だった犬神様騒動の続編は執筆しなかった。



 左近時さんは大層お冠であったが、神宮寺皐月の新作原稿を出すと、コロッと態度を変えた。

「いやぁ〜!最近の先生は筆が乗ってますね!」

 原稿片手にホクホク顔で小躍りする長身の男を、僕と先生は呆れた目で眺めた。

「ほら、用は済んだだろう?帰った帰った。」

 先生に冷たく遇らわれ、左近時さんは泣く泣く座敷から立ち上がる。

 僕も、一階の店先まで彼を見送る為に立ち上がった。



「今回も、素敵な話だったね。」



 その言葉に顔をあげると、彼は嬉しそうに原稿の入った茶封筒を見つめていた。

「夫婦だった二人がまた今世で再開したところは、俺、泣けちゃったなぁ。」

 そう言ってはにかむ彼に、僕は何となく尋ねた。


「左近時さんは、輪廻を信じますか?」


 僕の質問に、一瞬虚をつかれたようにその瞳は見開かれた後、ゆっくりと優しく細められた。

 彼は僕から視線を外すと、店のドアへ手をかける。



「あると、いいなぁ……。」



 そう静かに呟いた彼の表情は、その背中に隠れて見えなかった。

 だが、此方を振り向いたのは爽やかな笑顔だった。

 元気良く「またね!」と言うと、彼は軽やかにドアベルを鳴らして去っていった。






 その背中を見送った後、僕は久しぶりに掃除用の割烹着に袖を通した。怪我をしていたこともあり、暫くは掃除等の体を動かす家事は休んでいたのだ。


 「よし!お店のお掃除、頑張るぞっ!!」


 意気揚々と、三角巾を取り出そうとポケットに手を入れると、何かが指先に触れてカサリと音を立てた。

 何かと思い、それを取り出す。


 

 手の中にあったのは、人型の形代だった。



「あっ!!!」



 僕は、すっかりと忘れ去られていた宿題を、唐突に思い出した。うっかりしていた自分を心の中で失火しつつ、このままじゃいけないと慌てて考える。


「僕もできるように、ならなきゃ………。」


 頭の中に、先生の美しい朱雀が蘇った。

 しかし、思い出せば出すほどに、あんなものを自分は出せる気がしなかった。


 やはり、どう考えても自分には出来そうもなく、僕はげんなりしてしまう。

「僕じゃ……、無理だよなぁ………。」

 反対のポケットから三角巾を取り出して頭にしっかりと結ぶと、一つ深呼吸した。


 そして、その形代を床へと投げる。

 思い切り息を吸い、大きな声で呪文を唱えた。




「入式神見幻夢!」




 形代は、ひらひらと舞ってゆく。

 やがて、そのままカウンター前の広い通路に呆気なく落ちた。店内は、しんと静まり返る。

「………なぁんてね。」

 少し格好つけてみたが、やけに響いた自分の声に羞恥心が湧き上がった。

「はぁ、やだやだ。さっさと掃除しちゃお………。」

 そう呟き、急いで形代を拾おうとした時だった。



 突如、形代から風が舞い上がった。



 その突風は店中に吹き荒れ、窓硝子やドアを音を立てて大きく揺らしてゆく。


 僕は、あまりの風の強さに目を瞑った。




 次の瞬間。




 チリリ……!チリリリン…………!




 風鈴の音が、大きく鳴り響く。

 瞳を開くと、僕の目の前には艶やかな黒があった。




「………なんで?」




 

 僕の問いかけに応えるかのように、美しい紫色の瞳が開かれる。




 そこにいたのは、犬神だった。




 犬神は、ゆっくりと此方へ近づいて来る。


 僕は、腰が抜けてその場に座り込んだ。

 突然のことに、声も出せない。犬神は、僕の顔の目の前まで辿り着くと、大きな体で此方を見下ろす。


 そして、その口を大きく開いた。


 真っ白な牙が、鋭く覗く。

 僕は恐怖のあまりもう一度強く目を閉じた。

「やっ、やめて………っ!」

 震える声で、そう叫んだ時だった。



 ベロンッ!



 厚みのある湿った何かが、僕の顔を舐め上げた。

「ひゃあっ!」

 慌てて目を開くと、赤い舌がひっきりなしに僕の顔を舐めてゆく。くすぐったくて身じろぎした。

「や、やめて。ちょ、…ん、まって………っ。」

 尚も舐め続ける犬神に、僕は強く言った。



「もぅっ!やめてったら!」

 


 顔を上げると、キョトンとした丸い瞳と目が合う。


 犬神はまるで『何が駄目だったの?』と言わんばかりに、不思議そうに首を傾げた。そして、僕の表情を見るなり、しょんぼりと項垂れる。


 いや、不思議なのは僕なんですけど……。


 そう言いたかったが、僕が言葉を発する前に、犬神は何かに気がついたように勢い良く顔を上げた。



 ボンッ!



 まさに、そんな音だった。

 突然視界を覆った白い煙に驚くが、その煙が引くと、さらに驚かされた。

「えっ……!えぇ?…………わっ!!!」

 目の前にいた筈の犬神が音と共に消えたかと思うと、なんと足元に黒い子犬がいたのだ。 

『これでいいだろう?』

 そのキラキラとした瞳が言っていた。


「いや、僕が戸惑ったのは、サイズの問題じゃないんだけど………?」


 思わず、そんな呟きが零れる。けれど、犬神は僕の様子なんて気にも留めていない。

 足を伝ってよじ登ってきたかと思うと、僕の肩に乗って落ち着いてしまった。

 


「おやおや。これはまた厄介なのに好かれたねぇ。」



 その声に振り返ると、先生がすっかりと呆れた顔をしながら腕を組んで佇んでいた。


「せ、せんせぇ……、これは、一体?」

 僕が混乱しながら尋ねると、彼は言った。

「何言ってるんだい?君がさっき呼び出したじゃないか。」

 その言葉に、僕の頭はさらに混乱する。

「ちっ!違います!僕が呼び出そうとしたのは、犬神じゃなくて、式神で………っ!」

「だから、来ただろう?式神として、犬神が。」

「…………………………は?」


  まるで言葉遊びのような台詞が、全く理解できない。

 肝心の混乱を招いた犬神は、僕の肩でうたた寝を始めていた。


「いやぁ〜。それにしても厄介だ。」


 先生は、全然厄介そうではない口調で言った。

「まさか、君が犬神を使役するとはねぇ。」

「しえき?」

 僕は、壊れた機械のように片言で聞き返した。


「術者が己の力で生み出した式神ならば、操るのはいとも容易い。だが、服従させたものを使役するとなると話は別だ。力の均等を保つのが難しい。術者の能力が弱かったり、不安定になった場合………。」


「ば、場合?」


 ゴクリも生唾を飲み込んで、言葉の続きを待つ。

 先生は、ニッコリと笑って言った。


「簡単さ。とって喰われる。」


 僕は、絶望した。それに追い討ちをかけるように、優しい声は饒舌に紡がれてゆく。


「特に犬神は、惨い生まれ方をしたが故に、その攻撃性は非常に高く従順になることはないと言われている。そして、なんと憑いた人間を祟り殺すらしい!」


「いっ!いやぁあああーっ!!!」


 絶叫が、店内に響いた。

 しかし、僕の叫びも虚しく先生は告げた。



「何はともあれ、式神召喚おめでとう。せいぜい、噛み殺されないように気をつけることだ。」



 彼は、ぽんぽんっと式神が乗っていない方の肩を叩くと、涼しい顔で去っていった。遠くで「今夜は赤飯かな〜?」なんて、鼻歌でも歌いそうな声が聞こえる。



 絶対!楽しんでるだろう!!



 半泣きになりながら、僕は自分の肩を見た。


 そこには、すやすやと眠る子犬がいる。

 穏やかな顔は、あの蔵で見た顔とはまるで違った。

 その表情を眺めていると、次第にあんなに怖がった自分が馬鹿馬鹿しくなってしまった。



「まぁ……、いいか。」



 そう呟き、小さな頭を一撫でする。

 柔らかい毛並みが指先を擽り、思わず笑みが溢れた。



「僕のところに来てくれて、ありがとう。これからよろしくね……、クロ。」



 先程までの騒々しさなんて嘘のように、骨董品店には穏やかな空気が流れた。



 時間の流れと共に、季節は移り変わる。

 変わらないものもあれば、変わるものもある。




 寒さに凍える日々は、もう終わりだ。




 暖かな春は、きっと、すぐそこ。



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