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大正妖怪デモクラシー  作者: 一色明
第二章 輪廻
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第三十話

 次の日の早朝。

 ぼくは、おたまより早く目が覚めた。久しぶりにおたまの元気な姿が見れたことで、とても気分が良い。


 ぼくは、散歩に出かけることにした。



 外は、朝日が眩しく、空気は澄んでいた。



 昨日のおたまは、とても幸せそうだった。

 良かった…。そう、心から思う。


 おたまがまた笑顔になれて、本当に嬉しかった。


 


 人間の巣が集まった所から少し離れた道を歩いていると、前から一人の男がやってきた。


「この辺りに子犬がいるって聞いていたが、やっと見つけたぞ。…こっちへ、おいで。」


 どうやら、ぼくを呼んでいるみたいだ。

 少し警戒していると、男は干し肉を見せてきた。


「ほら、こちらへおいで。餌をあげよう。」


 この辺りの人間は、おたまのように餌をくれたら頭を撫でてくれる。この男も、とても優しそうに微笑んでいた。ぼくは、安心して近づいた。


 男の手から、干し肉をもらう。

 しかし、それは塩辛く美味しくなかった。


 それを口から吐き出そうとした時だった。


 バサッ!!


 男が懐から麻袋を取り出したかと思うと、勢いよくぼくの頭から袋を被せた。突然、目の前が真っ暗になり、何も見えなくなる。


『なにするの!?やめて!こわいよ!!』


 いくら吠えても、暴れても、男の力に敵わない。

 その内に、急激な眠気に襲われた。


「ちっ、暴れやがって!ようやく薬が効いてきたか。」


 男の声が、遠くで聞こえる。

 そのまま、ぼくは意識を手放した。







 

 聞き慣れた声が聞こえた気がした。


 しかし、それは男の声に遮られる。


「どうしてこんな朝早くからお前がここにいるんだ。」

「ご、ご報告したいことがありまして。旦那様はお忙しいので、朝なら話せるかと思ったのです。…でも、これは、一体どういうことですか!?」


 瞼をあげると、ここは薄暗い巣の中だった。

 見上げると、先程の男とおたまがいた。


「野良犬をどうしようが、お前には関係ないだろうが!さっさとこの蔵から出ていけ!!」


 男が、すごい剣幕で怒鳴りつける。人間の怒鳴り声を久しぶりに聞いて、ぼくは怖くなった。


 しかし、おたまも大きな声を出した。


「いっ!いやです!その子は、私の家族なんです。どうか、お願いします。その子を、返してください!」


 おたまはそう言いながら、地面に手をつき、深く頭を下げた。しかし、男がその頭を足で踏みつける。


「嫌なこった!なかなか犬がみつからなくて苦労して手に入れたんだ。こいつには、犬神になってもらわなきゃいけないのさ。」

「い、犬神…?旦那様、なにを言って…。」

「そうだ!お前は供物にしてやろう!!」


 そう言うと、男はおたまの髪を掴んで引きずった。


 ぼくは、急いでおたまの所へ行こうとした。


 しかし、なぜか体が動かない。

 慌てて手と足を動かそうとするが、重く冷たい何かに阻まれて、どこも動かすことができなかった。


『やめろ!おたまにひどいことするな!!』


 そう大きく吠えようとすると、地面の土が口に入る。

 思うように声も出し辛く、ぼくは唸った。


 男は振り返り、ぼくを見ながら高らかに笑う。


「あっはっはっは!なんと、憐れな姿よ。首から下を埋められて身動きも取れまい。…しかし、神になる為の儀式なんだ!悪く思わないでくれよ!!」


 そう言って、男はおたまをどこかへ連れていってしまった。巣の入り口は、固く閉ざされる。



 ぼくは力の限り叫んだ。



『おたま!おたま!おたま!おたま!おたま!…』



 けれど、おたまからの返事はなかった。



 ぼくはひとり、冷たい地面に埋まった体を動かすこともできずに、昼か夜かも分からない暗い巣の中に取り残された。


 ずっと吠え、ぼくの喉は枯れ果てた。

 喉が乾き痛んだが、水は飲めない。

 酷い空腹に襲われたが、餌はない。

 それでも、舌を伸ばし、地面の砂利を舐め飲んだ。


 そのうちに、ぼくの目に蠅がたかった。

 虫達が近寄り、振り払うこともできないぼくの顔を、好き放題に伝い歩く。

 土の中に埋まった体は猛烈に痒くなり、時にジクジクと痛み出し、ぼくに苦痛を与えた。


 次第に、体の感覚は消えていった。

 視界は霞み出し、景色が見えにくくなる。

 しばらくすると、自分から動かなくなった母さんや兄弟と同じ臭いがし始めた。



 この時、ぼくは思った。




 あぁ、これが『死』というものかー…。




 そう、悟り始めた時だった。



 大きな音がした。微かな光が目の前に差し込む。


「そろそろ頃合いだろう。」


 それは、あの男の声だった。


 ドサリッ!!!


 少し離れた先に、何かが置かれた。



「ほぅら…、"餌"だぞ。」


 

 "餌"という言葉を聞いて、ぼくは最後の力を振り絞る。

 首を力の限り動かしていると、男が近づいてきた。


「そんなに慌てるな。今、切り離してやるから…なっ!」


 言葉と共に首に衝撃が走った瞬間、ぼくの体は突然軽くなった。



 勢いのままに、離れた先の餌に飛びつく。



 大きく噛み付くと、久しぶりの肉の感覚と、口の中に水分が染み渡った。


『美味しい!美味しい!美味しい!美味しい!』


 歓喜に震えながら喰っていると、男が大声で笑いながら言った。



「あははは!そんなに"おたま"は美味しいか!!」



 もっと喰え!もっと喰え!



 男が狂ったように叫んでいる。



『おたま?』



 ぼくは、霞む目を精一杯に凝らして餌を見た。


 それは、何かのハラワタだった。

 そのまま視線を上に向けると、そこにはおたまがいた。


 柱に縛られた彼女は、痩せこけ、口から血を吹き出している。



『お…、たま?』



 ぼくがそう呟くと、おたまの血に染まった唇が動いた。



「…たす…て、あげられ…くて、ごめんねぇ…。」



 おたまの掌が、ぼくの頭をそっと撫でた。

 しかし、それは一瞬のことだった。


 その手は、つぎの瞬間には、力なく地面に落ちる。



『おたま!おたまぁあああ!!』



 もう、その呼びかけに応える声は聞こえない。



 おたまの姿を見たのを最後に、僕の意識も暗い底へと遠のいた。








 ごめんなさい…。





 ごめんなさい……。





 ごめんなさい…………。





 おたま、たべてごめんなさい………………。





 ぼくは、今日も常闇で息をひそめている。



 

 ぼくは、供物なんていらない。





 もう、何も食べなくていい。




 ただ、おたまに謝りたいんだ。





「大丈夫だよ。」





 突然、常闇の中に、優しい声が響いた。



 顔を上げると、目の前には人間の少年がいた。

 彼が、もう一度ゆっくりと言葉を紡ぐ。



「もう、大丈夫だよ。」



 少年は、こちらへ手を差し出した。



 幼い顔立ちの中にある透き通るような紫色の瞳は、優しくぼくを包み込むようだった。



 でも、ぼくはその手をとれなかった。



『だめだよ。ぼくは、おたまに酷いことをしたんだ。絶対に、許してもらえない。』



 すると、少年は、ぼくの頭を撫でた。

 


「大丈夫。僕が、一緒に謝ってあげるよ。」



 その手は、どこまでも優しく、気持ちよかった。



『本当に?』



 そう尋ねると、彼は言った。




「本当だよ。だから、一緒に帰ろう。明るい世界へ。」




 ぼくは、立ち上がる。

 少年は、ぼくを強く抱き締めてくれた。




 人間は、どこまでも残酷だ。 



 でも、人間は、こんなにも温かい。



 忘れていた温もりに包まれて、ぼくの胸が温かくなった。



 

 次の瞬間、眩しい光が僕達を包み込んだー………。


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