第五話
蕎麦屋の蕎麦は、とても美味しかった。
お腹ぎ空きすぎて、あまりにも勢い良く食べてしまった自分を少し恥じたが、彼は気にしていないようだった。
僕は、最後の一口を咀嚼しながら向かいを見やる。
彼は、食べる所作まで美しく、ただそこに座って食事しているだけなのに絵になる人だな。と思った。
結局、本当に蕎麦まで食べさせてくれて、優しい人なのかそうでないのか全く分からない。
うんうんと考えつつ、お互い蕎麦湯を飲んでいる時だった。
「おい、聞いたかい?昨日河川敷で、飛び降りがあったらしいぞ!」
不意に、近くの席から聞こえた言葉に、僕はぎくりと体を揺らした。
男が二人、新聞を広げながら話している。
「あぁ、橋から飛び降りたってやつだろう?」
「子供だったって言うじゃないか。可哀想になぁ。まだ、見つかってないんだろ?」
「夕べで捜索は打ち切りにしたらしい。何でも、…だったって言うじゃないか。」
男が、声をひそめて言った。
「そのまま、死ねた方が楽だろう。」
「違いねぇなぁ。」
僕は、咄嗟に左手首に巻かれていたタグバンドを、着物の袖を引っ張って隠した。
「親父さん。お勘定を。」
彼は、あんな男達の会話なんてまるで興味がないようだった。先程の会話も耳に入っていないのか、さっさと支払いを済ませている。
良かった…。
僕は、胸を撫で下ろした。
結局何も話せないまま、僕達は蕎麦屋をでてしまった。彼の隣を歩きながら、意を決して声をかけた。
「あのっ、ご馳走様でした。その…、先程言っていた恩返しとは、僕は何をしたら良いのでしょうか?」
すると、少し思案してから僕を見る。
「何、簡単さ。その身体できっちり返してもらおうか。」
そう言って、彼は綺麗な笑顔で笑った。