第十八話
おたまさんは、"町人"であった。
そして、私は"武士"であった。
江戸時代は、身分に対する線引きがとても厳しく、武士と町人は結婚が認められていなかった。
けれど、私は初めて出会った時から、彼女のことを好ましいと思っていた。
彼女は、私より五つ年下だった。
母を早くに亡くし、病気がちな父の薬代を稼ぐために奉公にでる彼女。仕事ばかりの生活のせいで、あかぎれひび割れた手。つぎはぎだらけの着物。しかし、そんな事を全く気にする素振りも見せない不思議な子。
いつも太陽の様に、どんな時も明るく笑っていた。
そんなおたまさんを私が愛するまでに、時間はかからなかった。
逢いにゆく時は、いつも花を贈った。
彼女は、とても嬉しそうに微笑みながら受け取ってくれた。けれど、決まってこういうのだ。
「戯れはおやめ下さい。私は、ただの町娘です。」
その瞳は、いつも哀しそうに揺らいでいた。
私は、自分が武士として生まれたことも、奉行人としての責務も誇りに思っていた。けれど、彼女を知れば知るほど、身分の差が煩わしく思えて仕方がなかった。
転機が訪れたのは、突然であった。
彼女の父親が亡くなったのだ。ついに、彼女はこの世で天涯孤独になってしまった。
小さな葬儀に赴くと、彼女は言った。
「どうか、どうか…。私を愛しておられるなら、もう会いに来ないでくださいな。」
震える手を、私は握ってやることが出来なかった。
次に逢い赴いた時、彼女は怒った。
「なぜ、来られるのですか?」
その答えの代わりに、私は彼女に櫛を贈った。
櫛の意味を正しく理解した彼女の瞳からは、涙が零れ落ちる。
「…っ!しかし!」
その言葉を、私は遮った。
「我が家と親しくしている武家の一つが、君を養子にしたいと言っている。」
突然告げられた言葉に、彼女は驚きを隠せない様子だった。私は、構わずに続けた。
「そうすれば、貴女は武家の娘だ!何を臆することがあろうか…。私には、貴女しかいない!」
「どうして…、そこまで……。」
彼女の瞳は、涙を溜めて揺らいでいた。
「貴女を、心から愛しているのです。」
そう伝えると、彼女は私の胸に飛び込んできた。
震える手が、そっと己の腰に回される。涙で掠れた声が、しっかりと言葉を紡いだ。
「私も….、私も愛しています。不束者ではございますが、どうか貴方のお嫁さんにして下さい。」
そう言った小さい体を、私は強く抱きしめた。
「必ず!必ず、貴女を幸せにします!」
嬉しさのあまり、町中に響き渡るのではないかという程の大きな声を出してしまった。そんな私の様子を、彼女は声をあげて笑った。
それは、私の好きな、太陽の様な笑顔だった。
彼女は、翌日に勤め先の商家に報告をして、仕事を辞めると言った。私もそれに同意する。
「早く、信さんの奥さんになりたいわ。」
そう可愛らしく告げる彼女と手を振り合って別れたのが、私が見た最後の姿であった。
次の日。突然、彼女は消えた。




