第十七話
雨は、ますます強くなる一方だった。
僕は、先生にも告げずに店を飛び出した。
抱える風呂敷がどうにか濡れない様に、傘を片手に雨を凌ぐ。精一杯の早足で、できる限り目的の場所へと急いだ。
ようやく辿り着くと、その大きな門を潜り戸を叩く。
「ごめんください!」
大きな声で叫ぶと、戸が開けられた。
大柄な男性が、その凛々しい眉を顰めて、訝しげにこちらを見やる。
「どなたでしょうか?」
その問いに僕が答える前に、男性の後ろから声がした。
「ねこきちさん!」
幼い顔は驚いたように目を丸くして、父親の後ろから、こちらを覗き込んでいる。
僕は、息切れする体を深呼吸して落ち着かせる。そうして、彼を見ながら言った。
「信介くんにお話があって参りました。少しだけ、よろしいでしょうか?」
父親は信介くんを振り返り、二人で顔を見合わせた。
信介くんが何か告げると、父親は頷き、僕が戸を潜れる様に体をずらしてくれた。
そうして、彼が僕を見上げる。
「どうぞ、おはいりになってください。」
そう言われて、僕は家の中へ足を踏み入れた。
通されたのは、広い座敷だった。
信介くんは父親の同席を断った。母親と思われる人がお茶を運んでくれると、僕達は二人きりになった。
向かい合い、僕は口を開いた。
「こんな雨の日に、急に伺ってごめんね。どうしても、いても立ってもいられなくて…。」
信介くんが首を振る。
「いいえ。ぼくもおあいしたいとおもっておりました。せんじつ、キミョウなはなしをしてしまったので…。」
彼は、困った様に微笑んだ。
「きっと、やさしいあなたのことですから、なやませてしまいましたね。どうぞ、おわすれください。」
そう言うと僕に向い、軽く頭を下げる。
「そんなことない!」
僕の大きな声が座敷に響く。
信介くんは、驚いた様に顔を上げた。
「今日は、大切な話があってきたんだ。信介くん…、見てほしいものがあるんだ。」
そう言うと、風呂敷を目の前に出した。
信介くんは、戸惑いながらそれに視線を向ける。
僕は、そっと風呂敷の結び目を解いていった。
解けた風呂敷を捲る。
そこには、文楽人形のガブがあった。
「これは、江戸時代に作られた文楽人形のガブっていうんだ。訳あって、僕がお世話になっている骨董品店に保管されていたんだけど…。信介くん。今から語る話は、突拍子もない御伽噺に聞こえるだろうけど、どうか最後まで聞いて欲しい。」
信介くんは、ガブの優しげな顔から、一時も目を離さずに頷く。僕は、息を深く吸いこむ。そうして、慎重に言葉を選びながら語り始めた。
「この文楽人形には、かつて妖が取り憑いていた。それを祓い、現代まで大切に保管されてきた。そして、この文楽人形には、モデルとして実在する女性がいたんだ。その女性は、当時行方不明とされていた。」
僕は、ガブの艶やかな黒髪から櫛を引き抜いて、信介くんに手渡した。
「記録に残されていたんだ。この櫛は、そのモデルの女性が使っていた本物。そして、この文楽人形に取り憑いていたのは、その櫛を贈った婚約者の男性。」
櫛を持つ、彼の手は震えていた。
「櫛の…、裏を見て。」
僕の言葉に、信介くんがゆっくりと櫛を裏返した。
剥げかけた櫛の端に、小さく掘られた言葉があった。
『おたまへ』
「櫛の持ち主は、当時商家へ奉公に出ていたおたまさん。そして、送り主は、当時町奉行所で働いていた信さん。…貴方では、ありませんか?」
信介くんの目が、見開かれる。
その瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。




