第十五話
僕達は、その足で近くの河原に来ていた。
「大丈夫…?」
僕がそう尋ねると、珠代ちゃんは小さく頷く。
信介くんがそっと花を差し出すと、珠代ちゃんは、ありがとう…。と顔を綻ばせた。
そうして、小さく深呼吸をしてから、静かに話し始める。
「実は…、もうすぐ引っ越すかも知れないの。」
突然の話に、僕は驚いて彼女を見る。
信介くんは、何も言わずに珠代ちゃんの言葉の続きを待っていた。珠代ちゃんは着物の袖を握り締めながら、迷う様に言葉を紡いだ。
「うちね、新しくできた百貨店さんから誘われて、品物をおろしていたのよ。でも、そちらの売り上げの方が良いみたいなの。先日、正式に百貨店の方へ店を移さないかって、打診がきたらしくて…。」
その話を聞きながら、珠代ちゃんの家を思い出す。
昨日みた段ボールに荷造りされていた品物は、きっとそういうことだったのだろう。
「会長さんは、納得してくれたの。でも、奥さんが許してくれなくて…。ずっと、あの調子なのよ。」
そう言うと、珠代ちゃんの瞳から涙が溢れた。
信介くんは、小さな手で、珠代ちゃんの背中を黙ってさすっている。
珠代ちゃんは、掌で顔を覆って泣きながら、震える声で言った。
「私、この商店街が好き…。ここの皆大好きよ。でも……、でも………。」
それ以上は、言葉にならなかった。
僕達は、それ以上何も言わずに、ただ珠代ちゃんが泣き止むまで傍にいた。
しばらくして、珠代ちゃんは落ち着いた。
もう日が暮れ始め、遠くで鴉が鳴いている。
暗くなる前に珠代ちゃんを家まで送った後、僕は信介くんを剣道場まで送る為、二人で歩いていた。
黙ったまま歩く信介くんの伸びた陰は、どこか寂しそうに見えた。
何か言ってあげなくちゃ…。
そう思うが、いくら考えても小さな背中にかける言葉が見つからなかった。
「珠代ちゃん…、引っ越してもまた会えるよ。」
ようやく僕の口から出た言葉は、そんなものだった。
信介くんが立ち止まって振り返る。気がつくと、そこはもう剣道場の門だった。
「ここまでで。ありがとうございました。」
「………うん。」
僕を見上げて、信介くんが笑った。
「ねこきちさんがきをおとさないでください。ぼくは、はなればなれになったって、たまよさんがげんきでいてくれたら、それだけでよいのです。」
そう言った彼の瞳は、もう迷子ではなかった。
「信介くんは…、大人みたいだね。」
苦笑いをしながら思わず零れた呟きに、信介くんは目を見開いた。
「僕より、ずっと大人だよ。」
えらいね…。と言うと、彼は僕を見上げたまま、真っ直ぐに見つめてきた。
「ぼくのなかに…。」
「えっ?」
不意に聞こえた小さな呟きが聞き取れずに、僕は少し屈んだ。小さな背丈に目線を合わせると、その瞳はどこまでも僕を見つめ返した。唇が、そっと開く。
「ぼくのなかに、おとなのおとこのひとがいる…なんていったら、あなたはしんじてくれますか?」
その顔は、夕日に照らされて紅く染まっていた。




