第十話
「モフモフで、フワフワで、温かったから!…だ、そうです。」
以上です、と僕はお茶を一口啜った。
「君は、何の話をしていたんだったかい?」
先生は夕餉を食べ終えたようで、箸を置いて言った。
「だから、犬神様ですよ!『どうして犬神様だって分かったの?』って訊いたら、珠ちゃんがそう言ったんですってば。」
「モフモフで…?フワフワ…。」
「温かったそうですよ!」
先生は黙り込んだまま、頭を抑えてお茶を飲んだ。
「祠には行ったかい?」
「はい。…でも僕が行った時には、あそこには何もいませんでした。」
「だろうねぇ。」
ご苦労様、と一言言うと、先生は立ち上がった。
黙ったまま食器を流しへ運び、さっさとこの部屋から出て行こうとしている。
「先生!」
僕は、慌てて呼び止めた。振り返らない背中に、湧き上がる疑問をぶつける。
「先生も、珠ちゃんを嘘つきだと思いますか?」
そう口にした途端"嘘"という言葉に胸が苦しくなり、僕は先生の答えを聞くのが怖くなった。
『うそつきっていわない?』
頭に、いつかの幼い声が響いく。
ギュッと目を瞑ると、思いの外近くで声が聞こえた。
「思わないよ。」
ゆっくりと目を開けると、目の前で僕を見下ろしている優しい瞳と目が合った。
「子供は、ただ自分に正直なだけさ。その言葉をどう捉えるかは、受け取る大人次第だ。」
まるで言い聞かせるように、先生は言った。
「嘘つきじゃないよ。」
その言葉を聞いた時、僕はどうしようもなく泣きたくなった。
珠ちゃんの話をしていた筈なのに、なぜか僕が救われたような気持ちになったのだ。
僕も先生も、それ以上は何も言わなかった。
沈黙の中、先生の手が微かに動いた時だった。
その沈黙は、突然破られる。
チリリ…チリリリン…
来客を告げる風鈴の音が響き渡った。
先生は、すぐに踵を返す。
僕もついて行こうとするが、止められてしまう。
「君は、いつものように部屋の奥にいなさい。決して、その眼鏡は外す事のないように。」
「今日は、僕も行きたいです!」
「だめだ。まだ自分の身を守る術も知らない者を、連れては行けないよ。」
「ぼ、僕だってっ…!」
そう叫んだ時には、もう目の前に先生はいなかった。
僕は、いつもこうだった。
あの河川敷以降、風鈴を揺らす来客は度々訪れるが、僕は会わせてもらえない。
「僕だって…………。」
この先に続く筈の言葉は、一体何だろうか。




