第四話
「にゅうしきしんけんげんむ…。にゅうしきしんけんげんむ…。にゅうしきしきけんげんむ…、ん?」
この日は、骨董品の埃取りをしていた。
割烹着を着てハタキを振るいながら、先生から教わった舌を噛みそうな呪文を唱える練習をする。
「何か違うな。にゅうしき…、」
「何が、違うの?」
「ひゃあっ!」
突然、後ろから声をかけられて、ハタキとたった今手にしていた文楽人形を取り落としてしまった。
ガシャンッ
ガブと呼ばれる女性の首が、床に転がる。
それを見て、今度は背後にいた人物が悲鳴を上げた。
「うわぁっ!!」
振り返ると、床にしゃがみ込む左近時さんがいた。
「左近時さん!驚かさないで下さいよ!」
「それはこっちの台詞だよっ!」
少し長い前髪から、潤んだ瞳が覗いている。
その姿は、まるで怯えた兎のようで、僕は怒る気も湧かなくなってしまった。
「…すみません。大丈夫ですか?」
謝りながら手を差し出すと、左近時さんは自分の手の代わりに、紙袋を突き出した。
「あぁ、驚いた!こちらこそ、ごめんよ。考え事の邪魔をしてしまったみたいだね。お詫びに受け取って?」
僕が袋を受け取ると、左近時さんは立ち上がる。
スーツについた埃を手で払うその横顔は、もういつもの彼に戻っていた。
「今日は、カステラだよ。」
「わぁっ!いつもありがとうございます!」
袋からは、甘い良い香りがした。
「良い香りですね!左近時さん、お時間はありますか?良かったら、一緒にお茶しませんか?」
僕がそう誘えば、彼の瞳が輝いた。
「えっ!いいの?嬉しいなぁ。猫吉くんの淹れてくれるお茶、美味しくて大好きなんだよ。」
屈託なく笑う彼の褒め言葉に照れつつ、僕は忘れないうちにガブを拾う。見ると、髪についていた櫛がとれてしまっていた。
ごめんなさい…、と心の中で謝る。
後で丁寧に直そう!と思いつつ、とりあえず一旦カウンターに置いておくことにした。
「僕、先生にも声をかけてきますね!」
そう言って、二階にいる先生に声をかけに行く。左近時さんは、先にダイニングテーブルで待っていると言って、慣れた様子で靴を脱いで家に上がっていった。
僕は二階に登り、先生の部屋を覗き込む。
部屋の奥で、机に向かう後ろ姿が見えた。
「先生、お茶にしませんか?」
すると、先生は振り向かずに片手を挙げる。
これは、区切りがついたら行くという合図だ。
僕は、それ以上は仕事の邪魔にならないように、黙って一階へ降りた。
台所に入ると、左近時さんが皐月さんの写真に手を合わせている所だった。
僕に気がつくと、振り返って微笑む。
「先生、ちゃんと仕事してた?」
「してましたよ。区切りがついたら来るそうです。先に頂いていましょうか!」
「うんうん、食べちゃお!」
僕がお茶を淹れている間に、左近時さんがカステラを皿に取り分けてくれる。四つ並べて、一つは皐月さんの所へ置いてくれた。
「左近時さんはお客様なんですから、どうぞ座って下さい。あとは、僕がやりますよ。」
そう声をかけると、彼は破顔した。
「いやぁ〜、本当に猫吉くんがこの家に来てくれてよかったよ。気が利くし、家事は出来るし、あの神宮寺先生にも耐えられるんだからっ!」
しみじみと言いながら、席に着く。
僕は、もうすっかり耳にタコができてしまったこの台詞に、苦笑いしながらお茶を置いた。
「そんなことないですよ。」
そう言いながら、僕も向かい側に座る。
それでも彼の饒舌な先生語りは止まらなかった。
「そんなことあるんだって。何度、俺がアシスタント探しに苦労したことか…。蕎麦屋に小金を落としまくりだからね!だいたい、先生はね…。」
不意に、左近時さんの後ろに影ができた。
「私が、何だって?」
いつの間にか来ていた先生の声が、部屋に響き渡った。左近時さんの肩に手を置きながら、その顔は綺麗に微笑んでいる。
「いやぁ、あのですね…。ははっ。」
引き攣る左近時さんを憐れに思いつつ、僕は一口お茶を啜った。うん、上手に淹れられてる!
「全く、君達は目を離すと碌な話をしないね。」
先生は溜息を一つしてから、左近時さんの隣に座った。四人がけのダイニングテーブルなので、こうして三人でお茶を飲むことは常々である。
僕は、"君達"と言われたのは心外だが、左近時さんが可哀想なので大人しく共犯になることにした。
「すみませんでした。先生も、どうぞ!」
怒りを鎮めるべく、お茶を勧める。
猫舌な先生のために、もう既にお茶は淹れてあった。
お茶を一口啜った彼の目が、ゆっくりと細められたので、一先ず安心した。
そうして、三人で美味しいカステラを食べて満足していると、先生が唐突に言った。
「ところで、左近時くん。今日は何の用だい?」
腕を組みながら、先生が至極嫌そうに問うた。
僕も、まさか締め切りではなかったよな…と、頭の中で先生の原稿のスケジュールを振り返る。
左近時さんは、よくぞ聞いてくれました!と言わんばかりに、机に体を乗り出した。
「先月特集した、犬神様って覚えてますよね?」
僕は、その名前を聞いた途端、幼女に声をかけたせいで、警察官に追われた嫌な記憶が蘇る。
思わず頬を引き攣らせた僕の様子には気づかずに、左近時さんは興奮したように言った。
「また、出たんですよ!犬神様!しかも、ついに三人目の被害者が出たそうなんです!」
今月も特集組みますよ!と、そう息巻く彼を尻目に、僕は先生と顔を見合わせた。
初めてレビューを書いて頂きました。
とても嬉しいものですね。ありがとうございます!
評価やブックマークも少しずつ増えていて嬉しいです。
ありがとうございます!
拙い文章ですが、今後もお付き合い頂けたら幸いです。




