第三話
「先生、僕も戦えるようになりたいです。」
そう先生に申し出たのは、冬初のある夜だった。
意思を込めた筈の声は、緊張に震えて空気に消える。
二階の窓枠に腰掛けながら煙管を蒸す先生は、夜空を眺めたまま僕に尋ねた。
「何故?」
感情の乗らない声に、座敷に正座している自分の膝を見つめながら言った。
「強くなりたいからです。」
そう答えると、ふっと息が吐き出された。
風に揺らぐ甘い煙の香りに、飲み込まれそうになる。
「それは、"復讐"をするため?」
その言葉に顔を上げると、先生が真っ直ぐとこちらを見ていた。行灯に照らされた先生の瞳は赫く、僕を射抜く。
"復讐"と聞いた途端、頭の中に雨音が響き渡った。
その向こうで、手招きをする、あの人がいる。
「僕は…、許せない。」
残像を振り払い、握りしめた掌には爪が食い込んだ。
「先生のような力があれば、あの人をー…!」
「やめなさい。」
容赦なく言い放たれた言葉に、思わず目の前が怒りで赤く染まった。
「どうしてっ!」
声を荒げる僕に、先生は静かに言った。
「憎しみは、人を惑わせる。君が憎悪の感情に支配されているうちは、何も教える事はできない。」
「支配なんて、されていません!」
「そうかな。力を得たとして、走馬灯にでてきたあの男と対峙したら、君は冷静でいられるかい?」
「………っ!」
二言目が紡げずに、押し黙る。
先生は、そんな僕に構わずに言葉を続けた。
「人成らざるものは、本来、物理的に私達を死に至らしめることはない。彼らには"実態"がないからね。…だからこそ。人の心を惑わせて操り、死へと誘う。」
カラン…
煙管を盆に転がす音が響き渡った。
「けれど、あの男は落雷を操った。普通の死霊には、そんな芸当は出来まい。それが、どういうことか分かるかい?」
僕は、首を横に振る。
先生が、ふっと笑って言った。
「そもそもね、君は初めてあの男に出会った日からあの時まで、ずっと肥え太らされていたのさ。その魂が食べ頃になるまで、息を潜めて…。ずっとね。」
先生が窓枠から腰を上げて、こちらへゆっくりと近づいた。瞼を伏せ、僕の首元に顔を寄せる。
「ほら…、まだあの男の香りが残っている。」
マーキングだよ、と先生は揶揄うように呟いた。
「ようやく食べ頃になった君が、彼の前へ出てごらん。その憎悪を操られて、まんまと喰われるのがオチさ。」
僕は、何も言えなかった。
悔しさと悲しさで、目の前が歪む。
黙り込んだ僕のせいで、部屋の空気が張り詰める。
我儘を言ったことを謝って早く部屋を出て行くべきだと分かるのに、僕の口も体も動かない。どうしても、動きたくなかった。
たとえ、喰われたとしても…。
僕は、教えを請うことを諦められない。
夜は、ますます深まるばかりだ。
夜空の月は、随分と高い所まで昇ったようで、部屋の中まで明るく照らし始めていた。
ただ、沈黙だけが部屋を支配する。
しかし、やがてその沈黙は、先生の大きな溜息と共に掻き消された。
「そうか。君は、頑固だったね。」
顔を上げられない僕の前に、穏やかな声が響く。
次の瞬間、
「入式神見幻夢」
先生がそう唱えると、ふっと何かに息を吹きかける音がした。
途端に、頭上に熱を帯びた風が舞い上がる。
僕はその熱気に誘われるがまま顔を上げた。
そして、目の前の光景に、息をするのも忘れて魅入ってしまった。
目の前にいたのは、大きな紅い鳥だった。
艶やかな深紅の羽根を身に纏い、顔には黄金色の瞳が輝いている。
その鳥は、大きな羽根を広げながら優雅に天井を旋回すると、先生の傍へ舞い降りた。
「朱雀だよ。」
先生が、教えてくれた。
「…すざく?」
「私の式神だ。」
先生はそう言うと、朱雀の頭を一撫でしてから指を鳴らした。パチン!と軽快な音と共に、その巨大な鳥は突然消える。後には、ハラハラと舞い落ちる人型の和紙だけが残されていた。
驚きのあまり声も出せない僕に、先生が言った。
「さて、猫吉くん。君に宿題を出そうか。」
その手には、先程と同じ人型の和紙があった。
「これは形代と呼ばれる、式神を生み出す為に用いる代物だ。まぁ、慣れればこれじゃなくても出来るようになるが…、初心者はこれが良いだろう。」
そう言うや否や、その紙を無理矢理握らされる。
戸惑う僕に、先生はにっこり笑った。
「この形代に、自分の式神を宿してみなさい。自分の力を制御し、思うがままに体現するんだ。まずは、これくらいできるようなりなさい。そうすれば、いずれ戦う知恵も授けよう。」
どうだい、簡単だろう?
そう語った先生の微笑みは、悪魔のようだった。
こうして僕は、永遠に終わりそうもない宿題を、今もずっと抱えている。




