第二十七話
秋の空は、日暮れが早い。
空の色は赤みが増し、沈んでゆく太陽の反対側には、薄らと月が浮かんでいた。
もうじき、逢魔が時が訪れる。
隣を歩く先生に、あの…と声をかけた。
「今日は、ありがとうございました。僕の服ももちろんですが、何よりあの女性の役に立てた様で良かったです。」
そう言うと、先生は黙ったままこちらを軽く一瞥しただけだった。僕は、その横顔をちらりと盗み見る。
こうして並ぶと、随分と身長が違うなぁ…。
羨ましい…と、先生の背の高さに感心しつつも、僕は人とぶつからない様に歩くのに必死だった。
空が陰ってゆくのに反して、道行く人はどんどんと増えて、賑やかになっていく。
どうにも、僕はこの時間帯が少し苦手だった。
今日の夕飯はどうしようかと頭を悩ませながら、また人にぶつかってしまい、小さく謝る。
このまま家へ向かっていると思われた歩みは、一軒の店の前で止まった。
「ここが今日の本来の目的だよ。」
先生はそう言って、先に暖簾を潜って行ってしまう。僕は、何の店かを確認してする余裕もなく、その背を追った。
店内はこじんまりとしていて、カウンターの奥に、店主と思われるお爺さんの後ろ姿が見えた。
「親父さん。頼んでいた直しは終わってるかい?」
先生が声をかけると、職人の様な頑固そうな顔が振り返った。
「あぁ…、あんたか。出来てるよ。」
そう言ながら、戸棚から盆を取り出す。そして、先生の後ろにいた僕に気がつくと、こう言った。
「おや、この子のかい?丁度いい。一度付けてみてくれ。」
そう言って、こちらに盆を差し出す。
その上に乗っていたのは、一つの眼鏡だった。
先生に視線で促され、おずおずとその眼鏡を手に取り、自分の顔に掛けてみた。硝子越しには、かける前と同じ景色が広がっている。
じいちゃんが本を読む時に使っていた眼鏡は、たしか景色が歪んで見えたような…。
戸惑いながら先生を振り返ると、彼は僕の顔を見ながら言った。
「まだ、少し緩そうだ。鼻上の金具をもう少し締められるかい?」
はいよ、と親父さんは返事をして、僕の顔から眼鏡をそっと外す。指先で器用に金具を調整しながら、訝しげに尋ねてきた。
「ただの硝子眼鏡なんて物が、今の流行りなのかい?」
その質問に、先生は軽く首を振った。
「どうだろうね。だが、風流だろう?」
そう言って微笑む。そうかねぇ、と親父さんは言いつつ、眼鏡の仕上げを終えたようだ。
先生が眼鏡を受け取り、僕の顔へ掛けた。そうして、今度は納得した様に頷くと、勘定を頼んだ。
僕は、カウンターに置かれていた鏡をそっと覗き込んでみた。簡素な丸眼鏡が、僕の顔の真ん中に収まっている。掛け慣れない眼鏡に珍しさを感じていると、先生に声をかけられた。
「ほら、もう行くよ。」
そう促され、親父さんにお礼を伝えると、先生の後から出入り口へ向かった。
暖簾を潜る間際に、先生が小さな声で囁く。
「外の景色を、よく見てごらん。」
どういうことだろうかと思いながら、暖簾を潜った。
外へ出ると、恐る恐る顔を上げてみる。
目の前の町は、すっかり茜色に染まっていた。
僕は、見えた景色に息をするのも忘れてしまった。




