第二十六話
僕は花を握りしめたまま、もう一度呉服屋の暖簾を潜った。
先程の女将さんが不思議そうな顔でこちらを見たが、その横を通り過ぎて真っ直ぐに奥の座敷へ行く。
「あ…っ、あの!」
僕がそう声をかけると、顔色の悪い女性が振り返った。紅もひかれていない唇が、戸惑いがちに開く。
「私…ですか?いかが致しましたか?」
僕はそのまま女性に近づいて、目の前に桔梗の花を差し出した。突然のことに、女性は目を丸くする。
「これを!貴方に!!」
思わず、花を持つ掌に力が入る。
女性にこんなものを渡すのは初めての事で、僕は些かの羞恥心と緊張で声が裏返った。
「…私に?」
僕が頷くと、女性はおずおずと手を出して受け取ってくれた。
「懐かしい花…。どうもありがとう。」
そう言って微笑んだ後、愛おしそうに花を見つめている。
「あの、僕からではないんです。」
そう言うと、彼女はこちらを見上げた。
僕の言葉に、首を傾げて彼女は見つめてくる。頭の中で、先生に耳打ちされた言葉を思い出しながら紡いだ。
「"若草色のスカーフの方からの贈り物です。"」
女性は驚いたように目を見開いた。
花を持つ指先は震えている。
「そんな…、本当に、彼からなの?」
「先程まで、店の外にいらしたんです。でも、もう行かれてしまったので僕が代わりに…。」
花を見つめていた彼女の瞳から涙が溢れた。
「"まだ今から追いかければ間に合います。通りに出た所を真っ直ぐに進んでいかれました。"」
僕がそう言い終えるや否や、彼女はおもむろに立ち上がった。
「ありがとう!」
そう言い残して、店の外へと駆け出していった。
その後ろ姿を見つめていると、女将さんが声をかけてきた。
「そこの貴方…。」
僕は振り返り、慌てて謝った。
「ごめんなさい!お仕事中の彼女へ、勝手なことをしてしまいました。」
すると、女将さんがゆっくりと首を振る。
「ありがとうね…。あの花は、きっとあの子の幼馴染の彼が持ってきてくれたんだろう。全く、あの子の為にと思って親が勝手に勧めた縁談が、とんでもないことになってしまってね。皮肉なもんさ…。」
その声は穏やかだが、震えが隠せずにいた。
僕は何も言えず、お辞儀を一つしてから店を後にした。
少し歩いた先に、先生が待っていた。
「言われた通りに話しましたよ。女将さんが言っていました。きっと、幼馴染の彼だって。」
僕の言葉を聞いて、先生はさも当然というような顔をして、満足そうに頷く。
「これから、彼女にもきちんと春が来るさ。」
「…?次の季節は、冬ですよ?」
首を傾げると、そのまま首の後ろを掴まれた。
ひゃっと声をあげる僕を無視して先生が言った。
「馬鹿だね…。比喩だよ、比喩。」
ひゆ?と聞き返そうとした僕の言葉に、先生の質問が重なる。
「君は、桔梗の花言葉を知っているかい?」
突然の質問に頭を捻ったが、答えは見つからない。
僕が首を振ると、先生は彼女達が行ったであろう道の先を見ながら言った。
「"変わらぬ愛"だよ。」
その言葉を聞いて、僕も道の先を見やる。
願わくば、彼女に幸福が訪れますようにー…。
そう願わずには、いられなかった。




