第二十五話
僕達は蕎麦屋で朝食をとった後、先生に連れられるがまま、秋晴れの空の下を歩いた。
ようやく先生が歩みを止めた先は、大きな呉服屋だった。こちらを振り返り、僕の服装を上から下まで遠慮なく眺めて言った。
「その着物はだいぶ痛んでいるようだし、新しい物を用意しよう。」
そうして、そのまま呉服屋へ入ろうとする先生を、僕は慌てて引き止めた。
「ぼっ、僕はこの着物だけで十分です!こんな店で買うだけの持ち合わせもありません!!」
すると、先生が呆れたように言う。
「今後、君には馬車馬の如く働いてもらうよ。その着物じゃ動き難いだろう。何より、君の賃金から天引きさ。心配することはない。」
馬車馬!?賃金!?と僕が後ずさっていると、先生はさっさと店へ入って行ってしまった。
「この子に合う物をいくつか見繕ってほしい。動きやすいように、袴の方がいいだろう。シャツもあるかい?」
呉服屋の女将さんは、一瞬先生に見惚れた後、ただいまお持ちします!と素早く動き出した。
突然現れた上客を、逃す手はないらしい。
あれよあれよと言う間に大量の服が目の前に並べられて、先生と女将さんに次から次へと服をあてがわれる。僕は目が回りそうになりながら、着せ替え人形の気持ちを味わった。
仕上げに、僕の足にきちんと合う草履を頼んでから、先生は勘定に向かった。その際に、住所を書き留め、家まで送ってくれるように頼んでいる。
僕は恐縮しっぱなしで、慣れない場所に視線を右往左往と彷徨わせた。
その時、不意に店内にいた若い女性が目に入った。
彼女は、座敷の隅で着物や帯の手入れをしていた。どうやら店員らしいが、接客はしておらず、その顔色は酷く悪い。具合でも悪いのか…と心配していると、近くにいた御婦人の会話が聞こえてきた。
「ほら、あの子でしょう?婚約者が逮捕されたのって。」
密やかに囁く声に、僕はどきりとした。
「そうそう。あぁ、なんて恐ろしいのかしら。来月には祝言をあげる予定だったんでしょう?」
嫌だわぁ、と御婦人達は尚囁き合っている。
彼女はこの会話が聞こえたのか、唇を噛み締めて震えながら俯いた。
こんな噂話は、あんまりじゃないか。
僕が口を開きかけた時、肩に手を置かれた。
「さぁ、行こうか。」
振り返ると先生がいた。
僕は、彼女が気になりながらも、促されるままに大人しく店内を後にした。
どうして、悪くない人が哀しい思いをするのか。
彼の罪は彼の物であり、あの女性に罪はない。
時として、人の何気ない好奇心や発言は、鋭い刃となることを僕は身をもって知っている。
途方もないやるせなさが、心に渦巻いた。
俯きながら歩いていると、いつの間にか足を止めていた先生の背に思い切りぶつかってしまった。
「わっ!す、すみませ…、」
謝ろうとすると、人差し指を自分の唇にあてた。意味を理解して、押し黙る。
先生の視線は、斜め前へと向けられていた。何かと思いながら視線の先を辿ると、道の端に一人の青年が立っている。書生のような服装に若草色のストールをした彼は、真っ直ぐに呉服屋へと視線を向けている。その手には、一輪の桔梗の花が握られていた。
しばらく青年は熱心に呉服屋を見つめていたが、やがて花をその場に落とし踵を返して行ってしまった。
先生は青年が見えなくなると、先程まで彼が居た所へ行き、桔梗の花を拾い上げた。
「…ふぅん。」
花と呉服屋を交互に眺めた後、僕に告げた。
「猫吉くん。初めてのお使いをしようか。」
そっと耳打ちをされ、花を持たされる。
背中を押されて、僕は一人歩き出した。




