第二十話
『もしも、僕が普通の子供だったらー…?』
そう考えなかった日は、一日たりとない。
もしも、そうだったなら。
『もっと、叔母さんと仲良くできた?』
『皆から、気持ち悪いって言われなかった?』
『まだ、あの家でじいちゃんと暮らせていた?』
もしも、もしも、もしもー…
思考すればする程、体は暗闇へ沈んでいく。
もしも、赦されるならば。
『僕は、叔母さんと仲良くなりたかった。』
『友達をたくさん作りたかった。』
『ずっと、じいちゃんと暮らしたかった。』
ぼんやりと見える月明かりに向かって手を伸ばす。
『僕が、死んだ人が見えなければ。』
『僕が、死んだ人と話をしなければ。』
『僕が、普通のふりをすれば。』
そうすれば、嫌われない?
皆と同じように普通に暮らせる?
誰か、僕を愛してくれる?
伸ばした手は、何も掴めない。
暗い水の中へ、沈んでいく。
「猫吉くん。」
聞こえる筈のない声に、呼ばれた気がした。
行くなと言われたのに、押し切ったのは自分。
あぁ…、だから先生は駄目だと言ったのかな。
酸素が回らない頭でぼんやりと考えた。
僕は、普通になろうとしたのに、また失敗してしまったんだ。ゆっくりと、瞼を閉じる。
「ごめんなさい。」
その呟きは、泡になって水に溶けた。
「猫吉くん。起きなさい。」
その声は、はっきりと頭に響いた。
目を開けると、目の前に美しい顔があった。
次の瞬間、強い力で腕を引かれる。
そのままの勢いで、水面が近づいた。
ザバン!!
水飛沫をあげながら顔がでて、ようやく酸素を吸うことができた。冷たい空気が勢いよく肺に入り、苦しくなって咳き込む。
先生は、そんな様子に構いもせずに、黙ったまま僕を力任せに引っ張って泳いだ。体が、川岸に引きずり出される。水の冷たさに、体の感覚はとうになかった。
「…せ、んせぃ?」
蹲ったまま飲んだ水を吐き出して、何とか顔だけあげて呼びかけると、思い切り頬をつねられた。
「….この大馬鹿従業員が。」
冷え切った頬が、鈍く熱をもつ。
先生はつねった指先を上に滑らせた。ほんの一瞬、クシャリと頭を撫でられたような気がした。
遅くなって悪かった。
そう小さく聞こえた気がしたが、その横顔は鋭く一点を見つめていた。
「うちの新人が、随分世話になったようだね。」
河川敷に、先生の声が静かに響く。
視線の先を辿ると、離れたところに女がいた。その姿は、黒く悍ましい気迫を放っていた。暗闇に、爛々とした目が光って見える。
「どうして私の幸せの邪魔をするの!」
悲鳴のような叫びが聞こえた。
「私は!私は!ただ、幸せになりたかっただけなのに!!」
先生が立ち上がり、ゆっくりと片手を掲げる。
月明かりが反射して、その指先が輝いた。
「君が探しているのは、これだろう?」
その手には、真珠の指輪が握られていた。




