第十九話
それから、僕は病室で監視されるような生活を送った。少しでも、おかしいと思われる発言や行動をすると、すぐに注射を打たれて眠らされた。
食事をとり、頭の包帯を取り替えられ、何もない病室で、ただ眠らされる。
けれど、繰り返されるだけの規則的な日々も、七日目になる頃、終わりを告げた。
頭の包帯も取れて、縫われていた額の傷も糸を抜かれた日、医師から説明された。
「君の転院が決まったよ。明日、向こうの職員の方が迎えに来てくれる。君は、ちょっと色々なことがあって心が疲れているんだ。転院先は、とても良い病院だよ。ゆっくり過ごすといい。」
もう傷も治ったのに、どうしてー…。
そう言いたかったが、口答えをしてまた注射をされるかもしれないと思うと怖くなり、何も言えなかった。
診察室を後にして、病院の廊下を歩く。
「ねぇ、あの子供が転院するって話…。聞いた?」
曲がり角の向こうから聞こえた声に、胸の鼓動が嫌な音を立てて騒つく。思わず、歩みを止めた。
「聞いた聞いた。都内の脳病院に転院するんだってね。」
どうやら、看護師達が僕の噂話をしているらしい。聞きたくもない筈なのに、僕は息を潜めた。
「知ってる?あの病院、部屋も窓も全て厳重に施錠されて自由に出歩けもしないって。一度入ったら、もう出られないって噂だよ。」
「やだ!まだ、若いのに可哀想に…。」
「でもあれじゃあね…、仕方ないよ。どうせ、普通には暮らせない。」
「そうだろうねぇ。」
そうして、話は違う話題へと移り変わる。
僕は動けないまま、遠ざかっていく声をただ聞いていた。
どうせ、普通には暮らせない…。
その言葉は、僕の頭にずっと響いていた。
そして、次の日の朝を迎えた。
出された朝食を食べ終えた後、入院着からあの日着ていた着物に着替える。僕にこれといった手荷物はなく、椅子に座り、窓の外を眺めながら迎えを待った。
しばらくして、大人の男達が部屋へ入ってきた。白衣を纏い、一人の手には鞄が握られていた。
「お迎えに来ましたよ。私達と一緒に行きましょう。」
穏やかに告げられた。
皆が揃って、僕に柔らかく微笑みかけている。
でも、その表情も、声も、全てが作り物のように見えて、僕にはとても恐ろしかった。
笑顔のまま、左手を出すように促される。従うと、彼らは表情一つ変えずに、僕の手首に数字が書かれているタグバンドを固く巻いた。
男達に肩を掴まれ、椅子から立たされる。
「さぁ、行きますよ。」
そこに、僕の意思は関係なかった。
嫌だー…。
行きたくないー…。
そう言いたいのに、声が震えて出せない。
とうとう、用意された車の前まで来てしまい、僕はたまらなくなって俯いた。その時、不意に自分の着物の裾の染みが目に入り、歩みを止めた。
着物は、看護師さんが洗濯してくれた筈なのに、裾に茶色い染みがこびり付いていた。それが、あの日の土汚れだと理解した途端、否応なくあの雨と雷鳴を思い出した。
「…じいちゃん。」
先程までが嘘のように、その言葉は発せられた。
その瞬間、自分の指先にようやく血が通ったような気がした。
突然動かなくなった僕に、男達が痺れを切らす。
「ほら!早く乗りなさい!」
そう言いながら強く背中を押される。けれど、僕は肩に置かれていた手を思い切り振り払った。
「いっ、いやだ!!」
心の底から、抵抗した。
「僕は、僕はおかしくなんかない!僕は普通だ!」
手足を出来る限り暴れさせる。
「おい!鎮静剤だ!!」
男が持っていた鞄から、注射器が取り出す。
僕は、数人がかりで地面に全身を押し付けられた。
腕を捲られる。
「やめて!離して!!」
頭を地面に抑えられてもなお叫ぶと、口には土の味が広がった。
でも、叫ばずにはいられなかった。
「おじさんが殺したんだ!!!」
腕に鋭い痛みが走る。
途端に、頭が霞がかり、僕は動きを止めた。
「…効いたか?」
伺うような男の声がして、体を抑える手が離れた時だった。
僕は、身を翻して立ち上がり走り出した。
後ろから怒号が飛ぶ。
走るうちに着物ははだけ、草履が脱げた。
足の裏は小石を踏んで、血が噴き出した。
でも、そんなものはどうでも良かった。
ただ、ひたすらに走った。
「誰か、助けて…!」
強く、そう願いながら。




