第十五話
それからしばらくして、じいちゃんは、僕が叔母さんにぶたれていることを知った。
「早く畑から帰ってみれば、これは一体どういうことだ。」
台所で、俺の髪を掴んで頬をぶっていた叔母さんは、突然現れたじいちゃんに動揺しながらも言った。
「お父さん!もうこの子を追い出しましょうよ。毎日、気味が悪いったらありゃしない!!」
「お前は、あの子の忘れ形見に、いつもこんな仕打ちをしていたのか。」
「…っ、だ、だって!この子の目!いつも何かを目で追っているの。絶対に普通じゃないわ!」
じいちゃんは、首にかけていた手拭いを、床に叩きつけて言った。
「それが、子供を殴っていい理由になるものか!」
僕は、この時初めてじいちゃんの大きな声を聞いて驚いた。じいちゃんは、叔母さんから僕を引き寄せると、抱きしめながら言った。
「出て行け!この子は大切なうちの子だ!お前は頭を冷やした方がいい。」
台所に、叔母さんの金切り声が響く。
「…っ!この子を追い出さなかったこと、いつか絶対に後悔するわよ!」
叔母さんは、顔を真っ赤にして怒鳴った後、僕達に背を向けて足早に出て行った。
それから叔母さんは、じいちゃんが死ぬまでこの家に来ることはなかった。
「…ごめんな。早く気づいてやれなくて…。」
じいちゃんは、優しく僕の頭を撫でながら言った。
「ぼく、この家にいてもいいの?」
僕は、ずっと思っていたことを尋ねた。するとじいちゃんは、僕を強く抱きしめた。
「もちろんだ。お前は、もううちの子だ。」
この時、僕はやっと安心できた。両親が死んだ夜から張り詰めていたものが暖かく解けていくような気持ちがした。そして、僕はじいちゃんが大好きになった。
じいちゃんは、本が好きだった。
だから、僕も自然と本が好きになった。
じいちゃんの部屋には、手作りの本棚が置いてあって、古い本から新しい本までたくさん詰まっている。じいちゃんは、生活にあまりお金をかけないが、本だけは特別だった。部屋は、いつも本のインクと古紙の香りがして、僕はこの部屋に居ると心が落ち着いた。
お互い学校も畑仕事もない日は、二人で縁側に並んで本を読むのが習慣になっていた。僕は学校で習った文字を夢中になって目で追いながら、時々分からない漢字や言葉の意味は、じいちゃんに訊きながらのんびり過ごす。
「じいちゃん、この漢字なんて読むの?」
「どれ…。あぁ、これは黎明だよ。」
「れいめい?」
「夜明けの空のことさ。」
「じゃあ、この兄妹は病気に打ち勝って、夜明けを迎えられたってことなのか!」
僕は、意味を理解して興奮した。
「神宮寺先生の本か。それは一作目だな。」
「じいちゃんがよく読んでたから、僕も読んでみたんだ!すごく、幸せなお話だったよ!」
「そうだな。でも、お前にはまだ難しかっただろう。」
「そんな事ないよ!僕だって、もうすっかり先生のファンさ!」
僕が胸を張って笑っていうと、いつもは寡黙なじいちゃんもとても楽しそうに笑った。
僕は、そんな時間がたまらなく大好きだった。
気がつけば、僕がじいちゃんの家に来てから、十年の月日が過ぎていた。
僕は、この家にもすっかり馴れて、家事も一通りこなせるようになった。全て、じいちゃんが教えてくれた。
食事は、じいちゃんの畑で採れた季節の野菜を一緒に料理して、食卓を囲む。贅沢な嗜好品なんかがなくても、じいちゃんとの二人暮らしは、幸せに満たされていた。
どこまでも、暖かで穏やかな時間が流れていた。
あの頃の僕は、いつまでも、こんな幸せが続くと信じていたんだ。
幸せが奪われるのは一瞬だと、知っていたはずなのにー…。




