表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大正妖怪デモクラシー  作者: 一色明
第一章 邂逅
12/90

第十二話

「お腹にね、彼の稚児がいたの。」


 河川敷に静かな声が響く。

 道行く人もおらず、僕と彼女の二人きりだった。


 いつの間にか、眩しいくらいの夕日は山の向こうの影に隠れ始め、あたりは夕闇に染まろうとしている。


 彼女は大事そうに自分のお腹に手を当てて言った。


「あの日、彼にこの河川敷に呼ばれたの。きっと、祝言の話だと思ったわ。彼に、稚児のことも教えてあげようと思って、楽しみに会いにいったのよ。…でも違ったの。」

「…え?」

「やっぱり、この結婚は無かったことにして欲しいと、そう言われたわ。」

「そんなっ!」


 僕は、驚いて声をあげた。

 彼女は、苦しそうに顔を歪ませる。


「働きにでていた先の呉服屋の娘との縁談話が持ち上がって、断れないと言われたわ。嫌だと言ったら、自分の店を持つチャンスだから分かって欲しいと頼み込まれたの。…でも、私は許せなかった。」


 そして、自分の左手の薬指を右手でさすった。


「彼、私に言ったの。指輪を返してくれないかって。無理矢理、指から外されそうになって揉み合いになったわ。私、嫌だったの。どうしてもこれだけは渡したくなくて…。揉み合っているうちに、指輪は河川敷のどこかへ投げ出されてしまった。拾いに行こうとした彼の足に縋って、引き留めたの。私のこと、愛していなかったの?って。そうしたら彼ね、私の髪を掴んで、そのまま川の水へ私の顔を押し付けたのよ。」


 ヒュッと息をのむ音は、彼女と僕、どちらのものだったのか。


「そして、私は死んだの。」


 夕日は、その姿を消した。

 辺りは完全に夕闇にのまれて、水面は輝きを失いどこまでも仄暗く姿を変えた。僕の足は、その場に縫い付けられたかのように、動けない。


 目の前には、もう先程までの優しい目をしてお茶目に微笑む彼女は、いなかった。そこにいるのは、哀しみと怨念に飲み込まれた女だった。



 女の唇が艶かしく紡いだ。

「ねぇ、貴方は優しいでしょう?だから、私と一緒に来て欲しいの。」

 ゆっくりとその歩みが、僕に迫る。



 動け!逃げるんだ!



 そう強く思うのに、頭の片隅でもう一人の僕は、諦めて呆れて僕自身を嘲笑っていた。

 


 どうせ逃げられない!諦めろ!

 お前は、もう、ひとりぼっちだ!!



 そうだ。僕は一人だ。

 僕を、守ってくれようとしていたじいちゃんは、もういない。



 彼女の冷たい指先が、僕の頬に触れる。



「ねぇ、いいでしょう?」



 そう声が聞こえた瞬間、その指先と同じ冷たさの川の中へ、僕の体は引き摺り込まれた。


 冷たい水が、耳や口に一気に流れ込む。


 でも、僕は息苦しさよりも、胸が苦しかった。

 冷たい水からは、彼女の怒り憎しみと同じくらい哀しみの気持ちが、僕の心へ流れ込んでくる。どんなに辛かったことか。苦しかったことか。

 僕の心も、壊れそうだった。



 そして、僕の頭の中で誰かが言った。


『どうせ、お前は普通には暮らせない。』


 それもまた、女の声だった。



 あぁ、また僕はやってしまったんだな。


 どうせ僕は、僕は、僕はー…



 僕の体は、川の深くへゆっくりと沈んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ