安らう【参】《ヤスラウ【サン】》
おはようございます。
悧羅が媟雅と忋抖、啝珈を連れて紳の務める姿を見に連れて行ったのは、子ども達と秘事をして決めた五日後だった。鍛錬場に向かう前に、揚げ饅頭屋に寄ると、女主人は、おやおや、と笑って出てきてくれた。おばちゃあん!、と媟雅が走り寄って女主人の腕の中に収まる。
「姫様、少しばかり大きくなられたね」
「うん。早くおばちゃんとお饅頭作りたいから、たくさんご飯食べてるよ」
小さい頃から幾度となくせがまれて、媟雅と共に訪れている饅頭屋の女主人は媟雅にとっては、近しい叔母のようになっていた。そうかいそうかい、と媟雅の頭を撫でながら、今日はどうされたんだい?、と悧羅に笑って聞いてくる。
「子どもらにせがまれての。紳の務めの姿を見たいようでな。鍛錬場に連れて行こうとしておった」
「それは紳さんが喜んじまいますねえ。喜びすぎて力が入りすぎなきゃいいけど」
隊士達が可哀想だ、と豪快に笑う女主人に悧羅も笑う。
「邪魔にならぬよう隠れてみる算段なのだがの。いつか見には来るとは知っておるに、鍛錬が厳しゅうなっておると思うての。皆に饅頭でも持ってゆくか、と」
「そりゃ光栄すぎだ。隊士達も食せませんて」
笑いながら女主人は媟雅と共に店に入り、紙袋を三袋抱えて戻ってきた。媟雅が妲己の背に乗ると、抱えていた紙袋を一つ渡す。ぼくも、わたしも、と妲己の背に乗ったままだった忋抖と啝珈にも一袋ずつ渡して、おとしなさるな、とそれぞれの頬を撫でてくれる。
悧羅が代金を渡すと、ありがたく、と受け取った。
「さっき紳さんもここを通ってったから、いい塩梅だと思いますよ」
女主人が言うと、母様はやく!、と啝珈がせかす。
「よいか?父様に見つからぬよう静かに行くのだえ?」
悧羅が唇に指を当てて子ども達に言うと、うん!、と良い返事が返ってくる。女主人に礼を言って、妲己と声をかけると妲己が翔けだす。また来る、と言い残して悧羅も地を蹴った。手を振る女主人に振り向いて手を振りかえしながら妲己と共に翔ける。
「父様どんなかなぁ?」
楽しみすぎるのだろう。妲己の背の上でくすくすと笑う子ども達を見て、これではすぐに見つかってしまうだろう、と悧羅は苦笑する。鍛錬場の真上に来ると紳と隊士達の姿が見えた。もう一度子ども達に向かって唇に指を当てると、大きく頷きながら悪戯な笑みを満面に浮かべている。
鍛錬場の隅にある、隊士達の休息の場が陰と壁もあり隠れるには丁度よいようだ。上から見下ろすと紳の背後でもあり、悧羅と妲己の速さであれば降りても気付かれないだろう。勇ましい隊士達の声に混じって紳の笑うような声も聞こえてくる。
妲己に場所を示すと、静かに頷いて瞬く間に場に静かに降り立った。続いて悧羅も降り立つと、子ども達がにこにこしながら妲己から静かに降りる。皆で、しいっと言いながら壁から少しだけ顔を出して見始めた。
大刀を自分の手足のように舞わせながら、向かってくる隊士達を薙ぎ払う紳の後ろ姿に子ども達の目が次々に輝いて行く。時折、どうした!、こんなもんか?、と笑いを含んだ紳の声も聞こえてきて、すっごおい、と忋抖が感嘆の声を漏らしている。
「…父様…お宮にいる時とちがうね」
「うん。かっこいい。…すごいね、父様一人なのにみんなばたばたしてるみたいだよ」
忋抖と啝珈は物心つく前に見たので覚えていないのだろう。はじめて見る紳の勇姿に目が離せないようだ。
「父様くらい強くなくちゃ、母様を守れないんだよね?」
忋抖が振り向いて悧羅を見る。すこしばかり苦笑して悧羅は忋抖の頭を撫でた。
「父様は母様の為に強うなってくれたのじゃ。忋抖も守りたい者が出来れば強うなれる。父様の背中を見ておれば間違うことなどあるまいよ」
うん、と頷いて忋抖はまた紳の後ろ姿を見つめ始める。嬉々とした表情の中に尊敬の眼差しが輝くのをみて、連れてきてよかった、と悧羅は思った。宮での紳は悧羅にとっては最高の伴侶であり子ども達にとれば、優しい父だ。自分たちの父がどれほどの努力を積み重ねて今の地位にいるのかなど知る由もなかった。
「父様はとても頑張られたのだよ?最初からあのように強くあられたわけではないに。たくさん練習してたくさん失敗したからこそ父様は強いのじゃ」
皆も頑張らねばの、と言う悧羅に紳を見つめる視線はそのままに子ども達が大きく頷くが、媟雅だけが、母様はいいなあ、と呟いた。
「母様の何を羨んでおるのじゃ?」
「だって、あんなにかっこいい父様のお嫁さんでしょ?せつがも父様みたいな鬼がいいもん」
そうか、と悧羅が微笑むと、啝珈も!、と声が上がる。
「啝珈も父様みたいな鬼がいい!」
「父様のような者は、なかなかにおらぬと思うが里は広い。其方たちを大事に思うてくれる者がきっとおるでな。見つけたら父様と母様にも教えてたも。…父様は淋しゅうて泣いてしまうかも知れぬがな」
悧羅が言うと妲己が隣で笑いをこらえている。
“彼奴ならばありえますな。嫁になど出さぬ、と言うてくるでしょう”
媟雅が産まれた時は妲己もそうだったではないか、と悧羅が苦笑すると、くっくっ、と妲己も笑っている。
“我が認める者でなければ、姫君方も若君方も逑などもてますまいよ”
「で、あろうの」
笑い合う二人の前で隠れながら紳の姿を見ている子ども達は、小さな声で、すごいねぇ、と言い合っている。でもさ、と忋抖が悧羅に振り向く。
「母様の方が強いって父様いってたよ?ほんと?」
「さて、どうであろうな」
はぐらかしてはみたが忋抖は妲己に、どうなの?、と聞いている。その頭を尾で撫でながら妲己は、母君には誰も勝てませぬよ、と柔らかに教えた。
「妲己も?」
“もちろん我もでございます。母君がおられるからこその里なのですから”
すごいなぁ、と忋抖は悧羅を仰ぎみる。困ったように悧羅が笑うと寄ってきて悧羅の手を握ってきた。小さな手を握り返すと、えへへ、と嬉しそうに笑っている。おやおや、と微笑んでいると繋いだ手はそのままに、また紳の勇姿を見始めた。誇らしいのでしょう、と妲己も目を細めている。
“これは主に稽古をせがまれるかもしれませんな”
微笑む妲己に、堪忍してたも、と悧羅は肩を落とす。ただでさえ、近頃は宮に出入りする舜啓に稽古をせがまれる。まずは、妲己に習え、とどうにか間を持たせていた。十二になり学舎にも通っているのだから、今はそれで十分だ、と言うのに、それでは媟雅を守れない、と舜啓は言う。どうやら、嫁にする話はまだ続いているようだった。
当の媟雅が、父様くらい強くなくちゃだめだ、と言ったのも大きかったようだが…。
“主の前に我がお相手せねば”
楽しみです、と言う妲己に舜啓も頼む、と悧羅が言うと、お任せを、と笑いを含んだ声が返ってきた。空いた手で妲己を撫でやりながらまた二人で笑っていると、休憩でいいぞ、と笑う紳の声がした。一斉に子ども達が悧羅を見る。よいよ、と悧羅か頷くと破顔して壁から走り出た。
「父様あ!」
嬉々として走って行く幼子たちの後を追うように悧羅と妲己も歩き出すが、妲己の背中には饅頭の入った袋が置かれたままだ。
“お忘れになられておられる”
笑う妲己の背から紙袋を取ろうとすると、大丈夫だ、と尾で巻き止めている。
“落とせば我のもの故。何であれば彼奴にぶつけても面白いやもしれませぬ”
また、そのようなことを、と呆れる悧羅と共に妲己も歩く。子ども達はすでに紳の腕の中に収まって、かっこいい!、と叫んでいた。飛びつかれたのだろう。紳は尻餅をついて子ども達にしがみつかれている。悧羅に気づいた隊士達が膝をつこうとするのを手で制して、気にするなと声をかけた。息の上がってしまっている隊士達は、悧羅の言葉で座り込んだら倒れ込んだりと様々だ。
余程鍛えられたようだ、と苦笑していると紳も悧羅を視界に入れたようだ。悧羅、と笑って立ち上がると倒された時についた砂埃を払った。
「いつ来るかいつ来るかって思ってたけど、忘れそうになった頃にくるんだもんな」
「その方が面白かろうて、と思うての。子ども達と秘事をしておった。…すまぬの」
子ども達に足にしがみつかれてなかなか身動きが取れない紳に苦笑して悧羅が言うと、いいや、と紳も笑っている。かっこ良かった!、と興奮してしがみつく子ども達の好きなようにさせながら近づいた悧羅の額に口付けた。
「かなり驚いたようでの。宮での紳とは異なる故。目を離せなんだようだ」
そうなの?、と紳は嬉しそうだ。
「じゃあ、少しは見直したかな?」
しがみつく子ども達の頭を撫でながら紳が聞くと、皆が揃って、父様すごい!、と破顔している。
「ぼく、父様と同じの使えるようになりたい」
せがむ忋抖の頭を撫でながら、もう少ししたら教えてやる、と言う紳に、約束だよ?、と忋抖が小さな指を出した。
「ずるぅい、せつがも!」
「わかも!」
小さな指が三本になって指を絡ませることが出来なくなった紳は三人の手を包んで、約束だ、と頷いてみせた。やったあ!、と抱きつかれて体勢を崩しそうになる紳を見ながら、悧羅も妲己も笑ってしまう。
「父様かっこ良かったから、今日もみんなでねようよ!」
「いいね!今日は父様の近くの虫拳しよう」
子ども達が相談を始めて紳は、え?、と苦笑している。
「今日は父様、悧羅と寝るつもりなんだけど?」
「だめぇ!母様もいっつも父様ひとりじめしてるもん」
「…昨日は俺が悧羅を独り占めしてるって怒ったじゃないか」
笑う紳に、いいの!、と子ども達の中では今夜も皆で眠る事が決まってしまったようだ。えぇ?、と肩を落とす紳にも気づかず子ども達は、そうだ!、と妲己の上の紙袋をそれぞれ手に持って紳に渡している。
「おみやげだよ」
渡された紙袋からは甘い匂いがして、紳は悧羅を見る。
「子どもらが見に来るとは知っておったであろ?その時まで隊士達の鍛錬が厳しゅうなっておるだろうと思うての。隊士らとの茶菓子にしてたもれ」
「…ばれた?」
「ばれるとも」
声を上げて笑う悧羅に隊士達はぎょっとした。こんなに感情を表に出す悧羅を見たのは隊士達は初めてだったし、その姿があまりにも艶やかだったからだ。その姿に見惚れる者が出だして、紳は慌てて悧羅を隊士達の視界から隠した。駄目だって!、と悧羅に囁くと、おや、と悧羅も笑いを収めた。
「出ちゃうから!」
「おや、すまぬ」
小さく笑う悧羅に紳も肩を落としながら口付けた。堪えられなくなったのは紳も同じだ。
「どうやら今日まで我慢しなきゃならないみたいなんだから、煽んないでってば」
「煽っておるつもりはないのだがのう。まあ、妾も耐えねばならぬようであるし?戻るとするか」
「だから、そういうとこだって!」
もう!、と言う紳に笑って口付けて悧羅は子ども達に戻ると伝える。これ以上は悧羅が紳の邪魔をしてしまいそうだ。はあい、と良い返事と共に子ども達は妲己の背に登り始める。だが、悧羅の所作にはもう妖艶さが見え隠れしていた。
やばいな、これ。
苦笑する紳の頬に触れて、邪魔をした、と悧羅と妲己が翔けていく。鎮めてよ!、と叫ぶと手だけを上げて去って行く背中に紳は嘆息するしかない。
絶対最後のはわざとだ、と肩を落としながら隊士達を見ると、ええ?、と惚けている。
「悪い、しっかりしてくれるか?」
苦笑する紳の前で隊士達は頭を振ったり、顔を叩いたりしている。それを見ていると、長って、とどこからか声が上がった。
「…なんかお変わりになりました?」
いや?、と紳は惚けてみせたが、隊士達は何かしら感づいたようだ。なんか、やばいかも、言い始める者まで出だして紳は苦笑するしかない。それは紳も同じ事だ。
だがとりあえずは隊士達の目を覚まさせる為に、もう一度厳しく鍛錬する必要がありそうだった。
帰ったら覚えてろよ、と心の中で悧羅に言いながら紳は大刀の柄で隊士達の頭を小突いて回った。
日常回が続きますが、お付き合い下さいませ。
ありがとうございました。




