邂逅《カイコウ》
今日の天気は曇りのち雨だそうです。
今日も頑張って書きます。
宣じた通り申の刻に悧羅は里を翔びたった。最後まで紳は、やはり自分も共に行く、と言っていた為、宥めるのに少しばかり苦労した。いつもであれば紳を伴う所だが今回ばかりは、何となく悧羅一人で行く方が良い気がしていた。
ほんとうに何となくであるのだか…。
一昼夜で戻る、と誓ったので渋々ではあるが呑み込んでくれた紳のために、悧羅は全力で空を翔ける。
能力を抑えることもせず、光の速さで進む悧羅の後ろには雲が糸を引いていた。
目指す場所は枉駕が印を付けてくれている。500年側に仕えていた枉駕の残り香を辿ることなど容易いことだった。導かれるように翔け続けて三刻と半。眼下に見えていた海が消え、陸地に入る。と、ざわり、とした感覚が悧羅の身体を奔った。枉駕が言っていたのはこれか、と真っ直ぐに翔ける。
だが枉駕の報せになかったことが一つだけ、悧羅の身には起きている。
響くのだ。
どこからともなく、頭の中に、身体中に纏わりつくかのような、いくつもの声が。
〔_____おかえり____おかえり___おかえり___おかえり___〕
霊峰に辿りつき枉駕の残した印を目指して昇る間にも声は響き続ける。木霊しながら、声は悧羅を包み、枉駕の脇差を見つけた時には、すぐ横から話しかけられているかのようだった。
脇差に手をかけて、すまなんだ、と誰に詫びるでもなくごちると、手をかけたはずの脇差が、ぼろり、と崩れて落ちた。悧羅が来るまで、と堪えてくれていたのだろう。それがナニモノの所業かは分からないが。
さて、と視線を上に向けると報せのとおり厚い雲が垂れ込めている。霊峰はその雲を易々と突き抜けていた。垂れ込める雲に、そっと手を触れると確かに何やら圧迫されるような感じがあった。けれど、拒まれている、という感じではない。むしろ、入ってこい、と言われているようだ。
だが、どうにも悧羅にはわからない。
このまま雲を抜けたとして、そこに何かがある、とは思えないのだ。何処かに入口があるような気がする。何故そう思ったのかは分からない。ナニモノかに誘われたのかもしれないが、悧羅はその場で居住まいを正した。厚い雲に向かって静かに頭を下げる。
「妾は倭の国より参じ申した。鬼の長、悧羅という。誰方かおいでにあらせられるか?」
身を包む声は嬉々として大きくなった。下げた頭の上で、ごうん、と音がして悧羅は頭上を振り仰いだ。
…どうやらお呼びのようらしい…。
くすりと微笑む視線の先に白塗りの堅牢な門扉が姿を現している。扉は大きく開かれ、白い雲が流れ落ちて悧羅を包んだ。空を蹴って中に入ると背後で門扉が閉じられたのが分かった。周囲が暗くなったのは瞬きの間だった。広大な白い空間に悧羅は立っていた。周りを見渡しても果てなど見えず、ただ白さが続く。
…さて、どうするか。
誘われたと思ったが、と悧羅が小さく嘆息すると、何処からともなくするり、と漢服に身を包んだ老婆が現れた。おや、と悧羅が思っていると老婆は静かに頭を下げる。
「お待ち申し上げておりました」
静かな声だった。待っていたとはどういう事か、と思ったが応えは返ってはこないだろう。老婆は頭を上げると、一つ両手を合わせた。ぱん、と音に呼応して老婆の背後に朱色の大きな戸が現れる。手にしていた杖で戸を叩くと両側に静かに開いていく。開いた戸から雲が流れ出てきた。こちらへ、と手招きして中に入る老婆の後に悧羅も続いた。
戸を抜けると、そこには流れる川があった。暗さは変わらないが川には無数の蓮の華が咲いて流れに身を任せるように揺らいでいる。先を行く老婆の後にだけ白い道が出来た。小さく息をついて悧羅も後を歩く。
ほどなくして老婆は足を止め、もう一度両の手を合わせた。悧羅の眼前に現れたのは朱塗の柱で囲まれた亭だ。そこに一人の女がゆったりと座っている。
「戻ったか」
響く声は低かった。おいで、と微笑まれて悧羅は小さく頭を下げてから亭に入る。座るように促されて静かに悧羅は従った。
「なかなかに戻ってこないものだ。ようやく、といったところだな」
悧羅を見ながら女は笑っている。その顔はふっくらとして穏やかだ。顔と同じで身体付きもふっくらとしている。何かしら安堵を与えるものだ、と悧羅は感じていた。
「まずは、おかえり、と言おうか。お前が悧羅だね?」
頷く悧羅を満足そうに女は見ている。あなたは?、と尋ねると手ずから茶器から茶を注いで悧羅に差し出してくれる。
「私は王母だね。下界では、西王母とも太元玉女とも呼ばれている。どちらでも構わないがね」
ほほほ、と笑いながら王母は悧羅をもう一度見た。王母…、と悧羅はごちて目を見開いている。うん、と頷く王母に膝をつこうとして止められた。
「そのような事する必要などないよ。お前も一国の主だろう?対等に話そう」
ですが、と悧羅は言うが王母は首を優しく振るのみだ。仕方なく悧羅はもう一度座っていた場に戻る。誰に誘われたかと思ったが、まさか王母だとは思わなかった。神格に当たる誰かだ、とは思っていたけれど、まさか神仙の、それも女仙の主だとは…。また小さく息をつくしかない悧羅を王母は微笑んで見ながら、良く出来ている、と呟いた。きょとり、とする悧羅を指差して、お前だよ、と笑う。
「蓮の華を降ろす気はまだなかったのだがね。お前の前が余りにも愚か者だったから。私が思うよりも早く蓮の華を降ろすことになってしまったよ」
小さく笑いながら王母は悧羅に茶を勧めた。どうやら悧羅が話すでもなく全てを知っているようだ。茶器を手にしたがなかなか口に運ばない悧羅に、飲んでも何もおこらぬ、と王母はまた笑う。神仙の地で何かを口にしたら現に戻れなくなるのではないか、と危惧していた気持ちまで読まれてしまったようで、悧羅は苦笑しながら茶を啜った。
「…降ろした、と言うことは王母が鬼を地に下した、と言う事かえ?」
一つ息をついて悧羅が聞く。そうだよ、と王母は微笑むばかりだ。何故に?、と尋ねると、お前も言っていただろう?、と自らも茶を啜る。
「人の子はとかく地位に固執する。自分がいかに小さきものかも分からずに、諍いや、他の者を虐げる。お前が言う通り人の子は人の子。妖は妖。そこは変わらないが、人の子が道を大きく違えた時に正道に戻してやるために降ろした」
うん、と頷く悧羅に王母は満足そうだが、初めはそのつもりだったのだがね、と苦笑する。
「どういうわけか勝手をしだしてね。私から遠ざかるように倭の国に行ってしまった。中には戻ろうとしてくれた者もおったけれど、なされぬままだった。果ては自分の能力を過信して人のみならず自らの民までも虐げ始めてしまってはねえ」
可笑しそうに笑う王母は、だから、と悧羅を指さした。
「だからお前を降ろすことにしたんだよ」
「妾を?…何故…?」
首を傾げる悧羅に、ごらん、と王母は川を指さす。そこには変わらず蓮の華が流れ落ちて揺れている。
「蓮は私の化身のようなもの。小さな子ら、と言ってもいいな。それであればなぜ自分たちが鬼としてあるのか、なぜ人の子に関わらねばならないのか。いつまでそこに有ればいいのか、と考えてくれるはずだろう?」
微笑まれて悧羅は嘆息した。確かに悧羅はそういう思いを抱いていた。晴明に問われた時も、忋抖と啝珈を産み落として悧羅が長く御世を続けてくれると噂が立った時も。
5000年などという馬鹿げた噂に呆れたし、1000年もすれば人の子の国に鬼などおらぬほうが良い、とも思った。それは全て王母がそう思っていたから、ということか。
「では、妾は王母の考えの通りに動いていた、ということかえ?」
肩を落とす悧羅に、いや、と王母が首を振る。
「私はそうで有れば良い、と思ってお前を降ろしたにすぎないよ。お前が考えてお前がしてきたことは、私の思いを凌駕してくれている。私の化身とはいえ、お前はお前。私は私だ。人と妖と同じようにな」
そうか、と笑う悧羅の前で王母は、こつり、と卓を指で叩いた。ただの卓であったはずなのに、そこには水面が現れている。水面をもう一度王母が叩くと青々とした草に覆われた場が映った。
「ここが元々お前たちがいた場所だよ。手入れは女仙たちにさせているから、荒れてはいないだろう。戻りたいのであれば戻ればいい」
何も話さずとも王母は悧羅の考えを全て読んでいるようだ。それも蓮の華のせいか、と聞くと王母は笑う。子の事を知るは母には容易い、と。
「お前も四子の母なのだから分かるだろう?」
「…いや。子らは妾の考え及ばぬことをするでな。そう容易うはない」
苦笑する悧羅に、そうか、とまた王母は笑う。卓を叩いていた指を戻して袖口から小さな布袋を取り出して悧羅に差し出した。受け取って中身をら掌にだすと、生まれたての赤子の手のような小さな玉が見えた。これは?、と問う悧羅に、お前だ、と王母は言う。
「お前はいま治めている里ごと移したいのだろう?だが、お前が私の子とはいえ、それを行うにはちと無理がある。私がしてやれば良いのだが、今のお前の里は人の子に深く関わっている。私がそれをすれば、私が人の子に関わりを持つことになってしまうだろう。それは避けたい」
悧羅は静か頷いた。女仙を司る神が人の子の国に直接関わるのは、確かに良くないことだろう。
「お前の伴侶がいかにお前を慈しんでも補えるものでもない。下手を打てば伴侶を失う。お前はそれを望まないだろう?」
「当然至極。あれのおらぬ世になど何の倖があろうか」
だろうな、と王母は笑う。
「お前もお前の伴侶も、ようやっと互いを結びつけたのだから。ならば、それを甘んじて受け取るがいい。里を移す時の僅かばかりの能力になる。お前がそれをするまではじっとしているから、邪魔にはなるまいよ」
ほれ飲め、と笑われて悧羅も苦笑するしかない。悧羅自身だ、と言われれば受け入れざるを得ないし、里を移せても悧羅か紳か、またはどちらもがいなくなっては移した意味も無くなってしまう。礼をいう、と一言だけ述べて、悧羅は玉を飲み込んだ。それを満足そうに見やって王母は頷く。それでいい、と立ち上がって悧羅の横に座った。手を伸ばして悧羅の頬に触れる。
「せっかく子が戻ってくるのに、戻った途端に姿が見えなくては母も哀しいからな」
それから、と王母は悧羅にここまでの道のりや門扉の現し方などを解いて聞かせる。
「繋ぎはできた。あとはいつでもお前の良いときに戻るがいいさ。こちらは整えておく」
「…今しばらくは戻れぬと思うが?」
悧羅の言葉に、王母は、ほほほ、と笑ってみせた。
「下界のしばらくなど、私にとれば瞬きの間のようなものだ。ゆっくりと遊んでくるがいいさ」
高らかな笑い声の中に、一つ手を叩く音が響いた。王母の姿は消え、川も亭もない。眼前に広がるのは厚い雲だ。落ち始めた自分に気づいて、悧羅はおや、とごちて空に立った。
現れるのも唐突なら、消えるのも唐突だ。くすくすと笑って、悧羅は雲に向かって声をかけた。
「母上、礼を言う」
応えはなかったけれど、小さな笑いが聞こえた様に思って悧羅は笑いながらその場を後にした。
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宮の中庭に降り立った悧羅をすぐに抱きとめたのは紳だった。良かった、無事だった、と強く抱きしめられて悧羅は笑ってしまう。どうやら約束の刻よりも遅くついてしまったらしい。紳に尋ねると、二日だよ!、と叱られた。悧羅が思っていたよりも王母と会っていた刻は長かった様だ。
それとも、下界とは刻の進み方が少しばかり違うのかもしれなかった。すまぬ、と笑って紳の背中を叩くとようやく腕から離してくれた。お疲れでございましょう、と磐里が湯を使うように促してくれた。
「遅うなってすまなんだ。子らは?」
尋ねる悧羅に妲己と共に眠っている、と加嬬が教えてくれる。
「旦那様がここからお離れになられませんでしたので、妲己が護ってくれておりました。皆様、妲己に寄りかかっておりますので妲己も出てこれぬようですよ」
そうか、と悧羅は苦笑する。確かにもう月は高く昇ってしまっている。子ども達が起きているのは難しかっただろう。
「さあさあ、お疲れを癒やして下さいまし」
湯殿に行く様に促す二人に、俺がいれる、と紳が言う。そう申されると思うておりましたよ、と笑われながら紳は悧羅の手を引いて湯殿に入った。
「紳、其方眠っておらぬのではないか?」
衣を脱がされながら悧羅は紳の顔を覗きこむ。悧羅よりも疲れた顔を紳はしている。眠れわけがない、と言われて、また悧羅は苦笑した。
「大事ない、と言うたに。ほんに其方は妾に甘い」
くすくすと、笑う悧羅に、いいの、と手を引いてさっさと身を清めると紳は悧羅を抱き上げて湯に浸かった。と、同時に中に入り込まれて悧羅は思わず紳にしがみついた。
「…そんなに逸ざるとも…っ」
動かれて痺れが襲う身体を紳で支えて訴えるが紳は聞く気がないようだ。
「逸るに決まってるでしょ?本当に戻ってきたか確かめないと安心できないんだから。二日も離れるなんて夜伽の時から無かったじゃないか」
「それはそうであろうが…っ」
ならば寝所で、と言う言葉は言葉にならない。駄目と悪戯に笑われて悧羅には抵抗する術がない。
「とにかく心配したんだから。一回分くらいすぐに払ってもらわないとね」
目を潤ませて、乱れた息の中で自分を見る悧羅に、紳は深く深く口付けた。
分散登校。
自主休講。
短縮授業。
部活停止。
子ども達とメンタルが心配になります。
はやく収束するように、自分自身も感染対策を徹底しなければ!
お楽しみいただけましたか?
ありがとうございました。




