恋文《コイブミ》
今日はここまでかな?、と思います。
悧羅が民達にあてた文の効果は絶大だった。下知だと思って聞いていた民達は、紳が読み上げるものが悧羅から民達への文である、と悟ると皆自分の愚かさに膝を折った。栄州が心配していた混乱も起きることなく、噂もそれ以上広がることもなく、暖かくなる頃には穏やかに収まりを迎えた。
悧羅と荊軻の企ての方が勝った、ということかもしれないが。
これで安心して務めが出来る、と枉駕も紳もほっと胸を撫でおろした。何せ今まで、どこに行っても噂話に足を止められ、紳に至っては拝む者までいたからだ。拝まれるなど、悧羅と契りを結ぶと慶事が降りて以来の事だ。
あの時は隊士達が隊舎から出るな、と言ったが今回の噂は隊士達も信じていたようで、むしろ外に行ってこいと言われる始末だった。その隊士達も悧羅の文に一瞬は落胆したようだが、すぐに飲み込んでくれた。
「申し訳ありませんでした!」
一斉に頭を下げられた紳は苦笑するしかなかった。わかってくれたならそれでいい、とだけ言う。後は、いつもの務めをこなしてくれ、と頼んだ。
その日も務めの割り振りをし、残った者の中から数名を武官の手伝いに出す。枉駕があるのか無いのかさえ分からない場を探して廻っているからだ。
まだ、良い報せはないが、疲れ果てて戻ってくる枉駕に声をかけると、なんの、まだまだ、と笑っている。
「始めたばかりですよ、そう易々と見つけられるとは思うておりませんのでね。まだまだ上があるようなので、翔けられるところまでは行ってみますよ」
あんまり無理をするな、と言う紳に、体力だけはあります故と豪快に笑ってみせてくれた。
枉駕や数名の一本角の穴を補うには足りないかもしれないが、それ以降数人の隊士達を武官に回すようにしていた。
「じゃあ、今日も頼むよ」
紳の一声で隊士達が散っていく。残った隊士達を伴って鍛錬場に入り、鍛錬をつける。一刻ほどですぐに音をあげるので、仕方ねぇなあ、と言いながら隊士達の頭を大刀の柄で小突く。ここまではいつもと同じだった。
いつもと違ったのは、そこで声がかけられた事だ。
「父上!」
「とと!」
聴き慣れた可愛いらしい声に振り向くと、媟雅、と忋抖、啝珈が走ってくる。その後ろには悧羅と妲己の姿があった。悧羅を見留めた隊士達が一斉に膝をつき始める。走ってくる子ども達を抱き止めて、どうしたの?、と紳は破顔した。これ!、と媟雅が手を出すと、忋抖と啝珈も同じように手を出す。
そこには小さな花が握られていた。
子ども達に追いついた悧羅は隊士達に、楽にせよ、と微笑んでいる。
「すまぬの、紳。これらが其方に見せるときかぬもので…。紳は務めだ、と言うたに負けてしもうた」
申し訳なさそうに言う悧羅に、大丈夫だ、と紳は笑う。
「俺に見せるためにきてくれたのか?」
子ども達に尋ねると、うん!、と満面の笑みが返ってくる。そうか、とそれぞれの頭を撫でて礼をいうと、えへへ、と照れくさそうに笑う。
媟雅は四つを超え、忋抖と啝珈は二つを超えた。まだまだ手はかかるが媟雅が色々と面倒をみたがるので、助かっている。そんな媟雅が、あのね、あのね、ともじもじしながら紳を見る。
「どうしたの?」
言いにくそうにしている媟雅に紳が笑うと、あのね、ともう一度媟雅が言う。
「父上、かっこよかった!」
は?、と首を傾げると、しばらく鍛錬を見ていた、と悧羅が教えてくれた。
「みんなで父上にいくのにね、父上一人でばぁんって!すごいね!せつがもできるかなぁ?」
小さな身体を大きく開いて身振り手振りで話す媟雅の頭をくしゃりと撫でる。
「沢山練習したら出来るよ」
「じゃあ、父上が教えてくれる?」
もう少し大きくなったらね、と紳が言うと、媟雅はわあい、と嬉しそうだ。それを微笑んで見ながら悧羅が帰るように促す。悧羅が手を広げると忋抖と啝珈は腕の中に戻ったが、媟雅は、まだ居たいと言い出した。
「父上は大事なお役目の途中故。それに花を父上の卓に飾るのであろ?そのままでは、萎れてしまうに」
優しく悧羅が言うと、そうだった、と媟雅も思い出したようだ。
「それに、あまり長くおると父上の帰りが遅うなるえ?」
最後の一言は効いたようだった。いやだ!、と媟雅が妲己の背に飛び乗る。
「父上、せつが帰るから早くお帰りしてね」
妲己の背の上から手を振られて紳は笑ってしまう。わかった、と言うと今度は悧羅に啝珈をくれるようにねだっている。
「落とすで無いよ?」
悧羅が媟雅の前に啝珈を座らせると妲己が尾で啝珈を巻き止めた。それを見やって、邪魔してすまなんだ、と言う悧羅の頬に紳は軽く口付ける。
「邪魔どころか元気をもらった。早く帰るよ」
返事の代わりに微笑みを残して、悧羅は妲己と声をかける。妲己が地を蹴り、悧羅も続くように忋抖を抱いて翔けだした。見えなくなった背中に、まるで風のようだ、と笑いが出る。背後から、びっくりしたぁ、という隊士達の声が聞こえて、悪い、と苦笑した。
「いや、いいんですけど。何が一番驚いたかって、長に対する隊長の慈しみぶりですよ」
「あんなの自然に出来ます?…俺、絶対できない!」
それには紳も笑うしか無い。ごく当たり前にいつものように接してしまったようだ。悪い悪い、ともう一度詫びる。
「どうも、悧羅を見ると緩むんだよな。でもな、愛情出し惜しみしたって、お互いにいいことなんかないぞ?せっかくなんだから、どんどん出してけ出してけ」
笑いながら言う紳に、だから相手がいないんですって、と隊士達が文句を言い始める。じゃあ、まず探せ、と笑って紳は大刀を構えた。
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媟雅との約束通りその日の務めを早めに終わらせて、紳は一日の報せを荊軻に届けた。いつもより早い刻の報せに、何かあったのですか?、と荊軻が心配したが、媟雅と約束した、と言うと納得してくれた。
「急に来てくれたからびっくりしたけど、娘に格好良いって言われるのは嬉しいもんだな」
紳が笑って言うと、それはそうですよ、と荊軻も頷く。
「とかく父にとって娘とは特別なものですからね。いえ、倅が可愛いくない、というわけではございませんよ?…なんといいますか、お分かりになるでしょう?」
「逑の小さな頃を垣間見えるからだろ?」
「そう、そうでございますよ。逑にとっては逆のようですがね。まあ、我が子は皆可愛いものですよ」
そうだな、と紳も笑う。特に媟雅は望めないと思っていた紳と悧羅に一番に倖を届けてくれた子だ。特別な思いがある事は否めない。ところで、と報せに目を通し終わった荊軻が紳を見る。
「つかぬことをお伺いますが、お許しくださいね。長の物忌みはお済みですか?」
唐突な問いに、何で?、と紳は訝しんでしまう。他意はございませんよ、と言われても何となく釈然としないが、とりあえず終わったとだけ伝える。では、と荊軻は卓の引き出しを開けた。そこから一つの文を取り出す。
「忙がしすぎて後回しになっておりましたが、長の双子の噂が始まった頃に帝から文が来る、と申しておりましたのを覚えておいでですか?」
ん?、と紳は記憶を辿る。そういえば悧羅に宛てた文が来るが不愉快なので破り捨てている、と言っていたのを思い出す。
「ああ、そういえばあったね。何?まだ来るの?」
苦笑しながら聞く紳に、そうなのですよ、と荊軻はげんなりしたように肩を落とした。
「これがまた毎回毎回|度を越してきておるのですよ。私もしばらく目を通す刻も無かったものですから放置しておりましたが…。もう、この文字を見ただけで焼き捨てたいほどですよ」
「度を越えるって、暴力的ってこと?」
首を傾げる紳に、違いますよ、と荊軻は溜息をついた。
「男として、でございます」
心底侮蔑の色を込めて荊軻が苦虫を噛んだ。なるほど、と紳が言うと、本当にお見せしたくは無いのですが、と手に持った文を差し出す。
「どうしても見たいと仰せでしたので、やむ無くお渡ししますが、宜しいですか?絶対に長とおられる場で見てくださいませ。御子が休まれた後ですよ?それから、絶対に長にお見せにならぬ、と、読まれたらすぐに焼き払うと約束なさってください」
「…そこまで?」
「そこまでです!約束して頂けないのであれば、お渡しできませんよ」
差し出した文を引き下げる荊軻に、わかった、と紳は笑って手を差し出した。諦めたように文を渡しながら、必ずですよ、と荊軻が念を押す。
「宮までの帰り道にちらりと見るなど絶対にしないでくださいませ」
「そんなに言われる方が見たくなるよ」
紳の言葉にもう一度大きな溜息をついて、荊軻は文から手を離した。苦笑しながら懐に文を仕舞う紳に、本当にお願いいたしますよ、と更に念を押す荊軻に、分かったから、と言って紳は部屋を後にする。宮までの道を歩く間に、気にはなったがあれだけ念を押されては見るわけにもいかない。
堪えるだけ堪えて宮に入り自室を目指す。自室の廊下が見えると、父上だ!、と媟雅が走ってきた。足元に飛びついてくる媟雅を抱き上げて、ただいま、と笑うと、おもどりやし、と言う。近頃、悧羅の言葉を真似るようになってきている。
媟雅を抱いて部屋に向かうと入口から忋抖と啝珈もひょっこりと覗いているのが見えた。その姿が可愛くて堪らない。とと、と覗きこんだままで動かない二人の頭を撫でて部屋の中に一緒に入ると、悧羅が座って待っていた。
「戻りやし」
笑って言う悧羅の側に座って、ただいま、と口付ける。せつがも!、とせがまれて小さな頬に口付けると、えへへ、と笑って紳から降りた。
「約束どおり早く戻ったよ?今日はありがとうね」
「いや、妾こそ、前触れもなく訪れて済まなんだ。隊士達に大事はなかったかえ?」
聞かれて紳は苦笑する。
「大事はなかったけど、呆れられた。俺が悧羅を慈しみすぎだってさ」
おやまあ、と悧羅も笑う。まだまだ抑えてたのにね、と紳が言うと、それは互いにであろ?、と言ってくれる。そうだね、と悧羅の頭を撫でる紳の袖を媟雅が引っ張った。
「父上、一緒にお湯にいこう?せつが、まってたんだよ?」
「そうなの?じゃあ行かなくちゃ。忋抖と啝珈は?」
悧羅に尋ねると、棌絲と秌絲が入れてくれた、と返ってきた。悧羅は?、と聞く紳に、まだなのだがな、と悧羅は苦笑している。
「だめ!せつがと父上とはいるの!」
「…というわけでの。昼間の其方を見てから、この調子じゃて。紳の嫁になるというておる」
ころころと笑う悧羅に紳も笑う。これは困った事になった、と媟雅の頭を撫でながら磐里か加嬬に支度を頼んでおいで、と伝える。はあい、と媟雅が走り去ったのをみて、紳は卓の引き出しに荊軻から預かった文を入れた。
「なんじゃ?それは?」
悧羅が聞くが、紳は笑ったままだ。
「二人になったら話すから、絶対見ちゃ駄目だよ?でないと俺が荊軻に、叱られるから」
「何のことがよう、分からぬが…。わかった、見ぬよ」
笑う悧羅から視線を卓に戻すと、昼間子ども達が小さな手に持っていた花が飾られている。それに微笑んでいると、父上ぇ!、と呼ばれてしまった。
「では、第二のお嫁様のお世話をしてきますかね」
立ち上がった紳に悧羅はころころと笑っていた。
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紳が媟雅から離してもらえたのは、腕の中で眠ってしまった後だった。父上、かっこいいの!、と女官達にまで、身振りを交えて話す姿は可愛いかったが、きっと何度も聞かされているのだろう、とも思った。悪いね、と詫びる紳に女官達は皆笑顔だ。
「宜しいではないですか。父上のお姿を誇りに思われたのでしょう?」
そう言われれば嬉しいものだが興奮しすぎの様な気もする、と紳は苦笑するしかなかった。眠った媟雅を妲己に預けて紳は自室に戻る。湯浴みを終えた悧羅も丁度戻ったところの様で加嬬が長い髪を丁寧に櫛削っていた。水差しから水を注いで悧羅に渡すと礼を言われる。それに笑って悧羅の横に座ると加嬬も終わった様で、失礼いたします、と部屋を出て行く。
さて、と紳は引き出しから文を取り出した。
「なんじゃ?それは?」
また悧羅が聞く。帝とやらからの文だ、と教えると、まだ出しておったのか?、と笑っている。そうみたいだね、と言いながら紳は文を開いて目を通す。
始めの方は、とにかく一目会いたいだの、声だけでも聞きたいという、ごく普通の恋文のようなものだったが、読み進める内に荊軻が焼き払えと言った意味が理解できた。まるで、悧羅が自分に惚れているかのような文面の中に、姿を思い浮かべるだけで沸るだの、いつでも支度は出来ているだのが書かれていた。終いには、自分であれば悦ばせることができる、とあり、悧羅を思い浮かべて…など似つかわしくないことまで書いてある。
何というか怒りを通り越して呆れてしまったが、結局不愉快になってしまった。
顔を歪める紳を見て、悧羅が声をかける。
「どれ、妾にも見せてたも?」
覗きこもうとする悧羅に、駄目!、と紳は手で制した。おや?、と首を傾げる悧羅に、絶対駄目!、と紳はその場で鬼火を使って焼き払った。
「…そんなに不愉快になるものだったのかえ?」
小さく笑う悧羅に紳は頷く。荊軻の言った通りだった。
「…今すぐ引き裂きにいきたいね」
「おやまあ、それは穏やかでないのお」
ころころと悧羅は笑っているが、自分のものをこんな風に考えているなどと思うだけで腑が煮えくり返る。
「ちょっと、本当に引き裂きにいこうかな」
ぶすっと頬杖をつく紳に悧羅は笑っている。笑い事じゃないよ、と紳は言うが悧羅には見せていないので分かるわけはないだろう。
「ほんとにあの老害が」
くそ、と呟く紳の手に悧羅が触れた。
「世迷言を申しておる痴れ者など気にするでない」
「いや、でもね?本当に気色悪いんだって」
肩を落とす紳に悧羅はますます笑みを深くする。それよりも、と空いた手で紳の頬に触れた。
「ようやっと、媟雅から妾に戻ってきたのじゃ。少しは妾に構うてはくれまいか?」
そのまま深く口付けられて、紳は頭の中が痺れるのが分かった。
「…そうだった」
唇を離されて紳が悧羅を抱き上げる。
「一番大事なお嫁さんを蔑ろにするところだった」
「…で、あろ?」
笑う悧羅を寝所に横たえながら、でも、と紳は悧羅に口付ける。
「惑わすのはやめてもらっていい?もう保てる状態じゃないよ?」
悧羅の中に入り込みながら言う紳に、そのようだ、と悧羅の甘い声がした。
何だか蒸し暑いです。
近々雨でも降るのでしょうか?
お楽しみいただけましたでしょうか?
ありがとうございました。




