平穏【伍】《ヒラオ【ゴ】》
おはようございます。
今日も暑くなりそうです。
産まれた子達は男児が忋抖、女児が啝珈と名付けられた。媟雅が産まれた時よりも小さい二人だったが、心配無用、と妓姣が言ってくれた。
「お一人でお二人産み落とされるのですから、少しばかりは小そうても至極当然。何より、媟雅姫の時よりも元気に泣いておる。健やかに育たれようて」
よう、耐えられましたな、と手を取ってくれた妓姣に悧羅は涙が出た。本当に母のようだ。はらはらと涙を流しながら礼を言う悧羅に妓姣は、ほほほ、と笑っている。
「このような婆には何よりの褒美。長様の御子を三人も取り上げることができたのですから」
悧羅の横に寝かされた忋抖と啝珈の頬を撫でながら、妓姣は目を細めた。ほんに素晴らしい、と笑っている。もしも、と悧羅は言う。
「…もしも、また産み落とせることがあったなら、妓姣に頼っても良いだろうか…?」
おやまあ、と妓姣はますます笑みを深くしながら悧羅の涙を拭いてくれる。
「この婆に、そのような褒美を下さるか。婆でよければお受けしましょう」
妓姣の言葉に頷くと、さあさあ、と悧羅に休むように勧めてくれる。お疲れでございましょう、と悧羅の額を撫でてくれた。
「しばらくお身体をお労りなさいまし。御子たちは大事ない。頼りになる女官殿達もおるし、棌絲と秌絲もおりますれば。しばらくは婆も長様のお身体を診に参りますでの」
うん、と頷く悧羅に妓姣は微笑む。旦那様、と紳に妓姣は向き直った。
「今度ばかりは長様のお疲れが強い。ようと厭うて差し上げられよ」
わかった、と紳が頷くと満足そうに妓姣は礼を取って去っていく。少しばかりの淋しさが残る悧羅の頬を紳が撫でてくれた。母みたいだな、と紳も言う。うん、と悧羅が頷くと、また来るって言ってたから、と安心させる様に穏やかに笑ってくれた。
「何よりお疲れさん。ありがとうね、悧羅」
触れた頬から精気を送り込みながら、紳は改めて礼を言う。なんの、と悧羅が笑った。
「小さき紳を産めたのじゃ。これ以上の誉はない」
「それを言うなら小さい悧羅も産んだじゃないか」
そうだの、と笑って悧羅は横に眠る忋抖と啝珈を見る。本当に二人によく似ていた。
忋抖の髪は白銀。目を開けた時に見えたのは紳と同じ灰色の瞳だ。啝珈は悧羅の髪の色より薄い紫の髪で、眼も悧羅と同じだった。二人とも額に小さな黒曜石の一本角がある。幼い頃の二人がそうであっただろう、という姿だ。
「ほんに、可愛らしい」
呟く悧羅に、当然、と紳が笑っていると、媟雅を背に乗せた妲己と水差しを持った磐里と加嬬が入ってくる。
「長、少しばかりお休みくださいませ」
水差しを置きながら磐里が言ってくれる。だが、まだ荊軻達が来ていない、と言うと加嬬が小さく笑った。
「荊軻殿達であらせられれば棌絲と秌絲が追い返してしまいました」
追い返した?、と紳が驚いている。はい、と加嬬は可笑しそうに笑う。
「産み落とされてお疲れなのだから、しばらくお休みになられてからでも良いでしょう、と。栄州殿は、何を言うと怒っておいででしたが、どれ程疲れるか一人でも産み落とされてから申されよ、と言うて。磐里がおるかと思いました」
堪えきれずに笑い出す加嬬に磐里が苦笑している。
「…どうにも気の強いところがございまして…。お恥ずかしゅうございます。誰に似たのやら…」
肩を落とす磐里に悧羅も紳も笑ってしまう。あの重鎮達を黙させるとは、さすが磐里の娘子達だ。笑いながら妲己の背から紳が媟雅を抱き上げる。忋抖と啝珈の側に座ると、媟雅はじっと二人を見ている。
「媟雅、姉様になったんだよ?大切にしてね?」
姉様、と言われても何のことか分からなかっただろうが、教えるように紳は媟雅に語りかけた。二人をじっと見ていた媟雅が紳の膝から降り二人に近づく。初めて見るものにきょとり、としながら手を伸ばして啝珈の小さな手に触れると、啝珈が媟雅の小さな手を握った。驚いたのか手を引いたが目を丸くして、わあ、と言う媟雅に悧羅は目を細めた。
「悧羅が産んでくれたんだよ。ありがとうは?」
「かか?」
そう、と紳が笑って頷くと媟雅が悧羅の近くまで歩いてくる。枕元に座ると、小さな手で悧羅の頭を撫でた。
「かか、ああた」
その姿に、まあまあ、と磐里と加嬬が破顔する。
“なんと、お優しい!、さすがは我がお育てしておるだけはある!”
胸を張る妲己に紳は苦笑したが、確かに媟雅は妲己が育てているようなものだ。頭を撫でられて、くすくすと笑っている悧羅は本当に倖そうだ。自然と紳も笑顔になる。そうだ、と紳は思い出して磐里と加嬬に声をかけた。
「まだ抱いて無かったでしょ?棌絲と秌絲は妓姣の手伝いで抱いたけど。二人に抱いてもらわなくちゃ始まらないな」
まあ!、と二人がまた破顔する。宜しいのですか?、と聞かれて悧羅も、もちろんだ、と応えた。
「其方達がおってくれておるから、妾は子を産めたのじゃ。しっかと抱いてやってたも」
微笑んで言う悧羅に二人は涙ぐんでしまう。溢れそうになる涙を必死に堪えて、磐里と加嬬はそれぞれ忋抖と啝珈を抱き上げた。小さな身体を抱くと媟雅の時とは違う思いが溢れだす。
500年前の哀れで痛ましかった悧羅が浮かぶ。二人ともこんな日が来るとは思っていなかった。媟雅だけで十分だ、と思っていたのに更に二人。磐里と加嬬がこうであれば良いのに、と思い続けていた日々はもう悧羅の手の中だ。
腕の中の子を抱き締めて、どちらからともなく、旦那様と呼んだ。うん?、と紳が応える。ありがとうございます、と咽ひ泣きながら二人が言う。
「何で俺?お礼言うなら悧羅にでしょ?」
首を傾げる紳に、いいえ、と加嬬が首を振る。
「…旦那様が長を倖にしてくださいました…。それだけでなく私共にまで倖をこうして下さった。…本当にありがとうございます…」
泣く二人に紳は、いや、と首を振る。
「俺は悧羅に赦されないことをしたから。それは消えないよ?二人が悧羅を支えてくれてたから、俺もまた悧羅の側に居れるようになったんだ。倖をもらってるのは俺のほうだよ」
500年ありがとう、と紳は二人に頭を下げる。勿体のうございます、と言う二人の言葉は涙に消えた。腕に抱えた子を抱き締めながら磐里と加嬬は童のように泣き崩れた。
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荊軻、枉駕、栄州が悧羅に会うことを棌絲と秌絲に許されたのは七日後の事だ。いつもの朝議の刻に宮に訪れた三人に、宜しいでしょう、と頷いて悧羅の部屋へ案内する。
「このような事慣例にない!」
歩きながらぶつぶつと小言を言う栄州を棌絲が一瞥を投げて黙らせる。これは逆らわない方が身のためだ、と荊軻と枉駕は心に留めることにした。七日振りに目通りした悧羅はまだ、床の中にいた。どうにか起き上がってはいるが、疲労が残っているのだろう。紳にもたれかかるように身を起こしている。
棌絲と秌絲が会うことを許さなかったわけが三人にもようやく分かった。
「遅うなってすまなんだ」
三人を見るとすぐに侘びる悧羅に、とんでもございません、と荊軻が首を振る。すぐに、三人が伏して礼を取る。まずは、と荊軻が口を開いた。
「長ならびに紳様、若君、姫君の無事のご誕生、慎んでお慶びを申し上げます」
ありがとう、と紳が応える。その声で三人は顔をあげた。悧羅の床の横には小さな赤子が二人並んでいた。悧羅が、棌絲、秌絲、と声をかけると入り口に座していた二人が動き、それぞれに赤子を抱き上げる。そのまま荊軻達の前に連れてきてくれた。眠っていたところを抱き上げられて身じろぎする小さな赤子たちに三人の目が自然に綻ぶ。
「男児が忋抖、女児が啝珈っていう。忋抖の方が兄ちゃんだ」
紳が言うと、うんうん、と三人は一様に頷いた。しかし驚くほどに紳と悧羅に似ている。二人がそのまま小さくなったようだ。そう言うと、媟雅は混じったけどね、と紳が笑っている。
「それにしても、麗しゅうございますな。媟雅姫の時も思いましたが、これはまた…。大きゅうなられるのが楽しみでございますの」
栄州が目を細めてそれぞれの小さな手に触れている。それまで、元気でおらねば、とごちる栄州に悧羅は笑う。
「其方は何があっても死なぬであろうよ?ほんに、爺やの顔になっておるに」
「我にとっては孫も同じですのでな。媟雅姫に爺と呼ばれておりますれば」
そうだの、と悧羅も笑った。してお身体のほうは?、と荊軻が尋ねると、見ての通りじゃ、と悧羅が苦笑する。
「女官達がおってくれるで、どうにか、といったところかの」
「…少しお痩せになられたか?」
枉駕が言うと、そうやもしれぬ、と悧羅は紳に身体を預けた。
「何分二人なのでな。全て獲られてしまう。皆が色々と準備してくれるで、食はとっておるのだが間に合わぬようじゃ」
「ではまずはお身体をお厭いくださいませんと。紳様も長の床上げまではお側におられたいでしょう?」
枉駕が尋ねると紳も、そうなんだけどね、と少しばかり肩を落とした。
「棌絲と秌絲が許してくれないんだよ。自分達がいるから大丈夫だって。磐里も加嬬も妲己もいるから手は余るくらいだって怒るんだ」
苦笑しながら紳が言い、三人の視線が自分達に向けられたが棌絲と秌絲はどこ吹く風のようにしている。
「旦那様には大切なお務めがございましょう。私共だけでなく妓姣さまも折を見ては来てくださるのです。大事ございません」
淡々と言う棌絲に三人は呆気に取られてしまう。ね?、と紳はますます苦笑している。
「そういう訳で明日からは務めに戻るよ。何かあれば妲己が走ってきてくれるだろうから。それでもあんまり気になる時は顔だけ見に来ることにする」
「日に何度も、では困りますよ旦那様?きちんとお務めなさいまし」
秌絲に言われて、紳もはい、と言うしかなく、それを聞いている悧羅も笑っている。
「磐里の子である故、妾たちも敵わぬ。じゃが、この二人に加えて磐里や加嬬もおってくれる。そろそろ咲耶も顔を出すであろうからの。しばらくは朝議もままならぬかもしれぬが許してたも」
「そのような些事などお気になさらずともよろしゅうございます。何某かあればすぐにお報せいたしますから」
荊軻が言うと、頼む、と悧羅が言い小さく息をついた。身を起こしているのが辛いのだろう。紳が支えるのを見やって秌絲がすぐに動く。子を寝せると悧羅の身体を支えてゆっくりと床に横たえた。
「では長様にはお休みいただきますので、どうぞお引き取りくださいまし」
棌絲にぴしゃりと言われて、もう三人は苦笑するしかない。礼を取って悧羅の自室を後にする。廊下を歩いていると、誰からともなく笑いが起きた。自分達に臆しもせず話し、栄州を一瞥で黙らせる女官など聞いたこともない。
「とんでもない者を見つけ出してきたものだ」
笑いながら言う栄州に、本当に、と枉駕が同意する。
「だが、あれなら任せられよう。御子が大きくなるまで、と言わずそのままおって欲しいものだ」
声を上げて笑いながら三人は宮を後にした。何より大切な務めが待っている。手を抜こうものなら自分達も叱られてしまいそうだった。
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宮を辞してすぐに荊軻は慶事を報せる文を二つしたため枉駕に託した。それを持って枉駕は自分の治める武官隊士達と紳の治める近衛隊士達に民に報せてくるように命じた。
隊士達はみな破顔して命を受け、各里を翔け廻った。
『里長悧羅と近衛隊隊長紳の間に第二子、第三子誕生。第二子若君、名を忋抖、第三子姫君、名を啝珈』
その報せに民は歓喜した。
懐妊した報せは降りていたがまさか双子とは。
何という吉事だ、と喜ぶ民に里に来ていた晴明が訝しむような顔をした。人の国では双子は凶事とされているからだ。そういうと、民は笑う。
「我ら鬼にはなかなか双子は産まれないんだ。一人でもかなりの精気を持っていかれるからね。双子が産まれた治世は片手で余るくらいだ」
へえ、と言う晴明に民は続ける。
「双子を産み落とせるのはその長と伴侶が類稀なる能力を持っておられるってことなんだよ」
「まあ、あのお二人ならそれはわかるが…。それでなぜ吉事なんだ?」
聞く晴明に民は大きく笑った。
「双子が産まれた治世は長く穏やかに続く。災も厄もなく、だ。片手で余るくらいの数だが往々にして5000年は軽く超えるね」
「5000年を軽く?」
驚く晴明に、民はまた笑った。ただでさえ鬼の定命は1000年を軽く超えると聞いている。その五倍を一人の長が支え続けるというのだろうか。
「だから吉事だって言っただろう?双子を長が持たれた時に里の安泰は約束されたんだよ。それもこれも、長様だけでなく旦那様のお陰もあるね。やはり、あのお二人は天が定めた夫婦になるべきお二人だったんだよ」
なるほどね、とごちる晴明に、なんともめでたい!、と民はまた大きく笑った。
飼い猫がおやつをくれと、見つめてきます。
大きくなる種類の仔なのですが、ちょっと食べすぎな気もします。
どうでもいいですね(笑)
お楽しみいただけましたか?
ありがとうございました。




