密事《ミツゴト》
おはようございます。
残酷描写が少しあります。
お気をつけください。
少しばかり刻は遡る。
安倍晴明は、小さく溜息をついた。鬼の里から戻って以来、なにやらきな臭さを感じる京でいろいろと探っていたのだが、その感覚は間違いでは無かったようだ。今朝になって朝廷に赴くように、と下知がおりた。いつもなら面倒な事は部下に任せるのだが、今回ばかりはそうもいかないらしい。帝直々とあっては、逃げられそうにもなかったからだ。
仕方なく宮廷に顔をだしたが、部屋の両脇には官吏達が大勢座っている。その中に見知った陰陽師の部下を見留めて、そういうことか、と腹の中で笑うしかない。促されるままに場の中心に座ると、御簾の奥から年老いた声が聞こえた。
「晴明や」
名を呼ばれて晴明は僅かばかり頭を下げる。帝に対しては許しがあるまで直答は許されていない。頭を下げたままの晴明にまた声がかかった。
「其方は巷でまことしやかに囁かれておる噂について、何ぞ知りえておるか」
直答を赦す、と言われた晴明は頭をあげて居住まいを正した。はて?、と素知らぬ振りで言葉を紡ぐ。
「巷の噂話とはなんの事でございましょうや」
いつもと変わらぬ飄々とした応えに、知らぬと申すか、と笑いを含んだ声が響く。両脇に座っている官吏達は何も言わず、ただそこに在るだけだ。
「私がそのような噂話に興を持たないことなど、既にご存知でございましょう」
変わらぬ態度で話す晴明に御簾の奥から乾いた笑い声が小さく聞こえた。そうだの、と笑いを含んだ声がする。その笑い声で何かしら掴んでいることを悟る。
「では鬼、なるものについて何ぞ知っておるか?」
それにも、はて?、と晴明は空惚けて見せた。妖の類に属するものでございましょう、と言うと、そうだの、と返される。
「妖の類については、其方、博識であったと思うておるが、知らぬ、と申すか?」
やれやれ、と晴明は心の中で溜息をつく。どうやら知らぬ存ぜぬは通らぬようだ。当たり障りのないことだけ伝えた方が、この場から早々に立ち去れそうだった。
「鬼、とは妖の中において最上級だと聞いたことがございます。耳は空に向かって尖り額に角を有しておるのだとか」
ほう、と言う興を持っているような声が続く。して?、と先を促された。
「…髪の色と同じ鬼火を持ち、その能力は妖にして妖にあらず。鬼神とも呼ばれ神と同列とされております」
「ほう。神、とな?それはどのような妖なのであろうか?」
さて、と晴明も首を傾げて見せた。頭の烏帽子が揺れる。
「会い見えたこともございませぬので、こればかりは」
大袈裟に肩を落として見せると、御簾の奥から笑い声が響く。
「そうか、其方でさえも会うたことがないか。これは困ったの」
何が困っただ、と御簾を見やりながら晴明は軽く舌打ちをしてしまう。部下の陰陽師がこの場にいる時点で良からぬ事を考えているのは分かっている。
「巷の噂では、それはそれは美しいそうだ。どうやら里を持っておるようでの。興が湧かぬか?神のような美しい妖に。珍はそれが欲しゅうてたまらん」
やはりか、と晴明はまた舌打ちするのを止められなかった。強欲な帝のことだ。噂が本当であれ戯言であれそう言い出すのは分かっていた。
ただの噂話だと思っていればよかったものを。
京は終わったな、と思うがそれも良いかと思えた。この愚帝の一族が長く国の主人としているよりも、一度滅んだ方が国や民のためだろう。
「だが、里がどの辺りにあるのかも分かっておらぬ。そこで、だ。陰陽師を使って調べさせるが構わぬの?」
「元より我ら陰陽師は帝のものにございます。よしなにお使い下さい」
返事の代わりに扇子を叩く音がした。それを合図に控えていた陰陽師達が頭を下げた後に部屋を出て行く。その背中をちらりと見やって、無事に戻れればよいがな、と晴明は思う。だが、帝は、楽しみだの、と御簾の奥から嬉々とした声を出している。恐れながら、と晴明は口にした。許す、と言われて溜息が出る。
「神に仇なせば京が滅ぶやもしれませぬ。事を荒立てぬ方が宜しいのではないか、とだけ申し上げておきます」
晴明の言葉に可笑しそうに高らかに笑う声がした。控えていた官吏達も、ぎょっとして御簾を見やる。何が神か、と言う帝の声は笑い声を堪えながらのものだった。
「鬼なるものが妖の神だというのであれば、人の神は珍である。何を恐れることがあろうか。珍の威光を前にすれば、妖の神など従服するであろうて。そうは思わぬか」
笑う帝に官吏達から、仰せのとおりにございます、と次々に声が上がる。
「帝以上に尊き方などおりませぬ」
「たかが妖。京の陰陽師の前には成す術もありますまい」
口々に話し始める官吏達に一瞥を投げて、晴明は、まあいい、と思い直す。忠告はしたのだ。それを聞かずにこの愚帝や官吏共がどうなろうと知ったことではない。居なくなればそれはそれで、晴明も自由を手にすることが出来る。だが、とりあえずは鬼の長殿へ報せておいたほうが良さそうだ。
ここを出たらすぐに式を飛ばそう。
さて、どう動かれるか楽しみだ、と帝を持て囃す喧騒の中で晴明は一人ほくそ笑んだ。
悧羅の元に晴明からの文が届いたのは、この三日後のことだった。
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いつもの夜の酒宴に枉駕がやってきたのは、晴明が悧羅に向けて式を飛ばした四日後の事だ。久方ぶりに会う友に晴明は破顔してしまう。
「これは嬉しい客人だ」
ゆったりと肘掛けに預けていた身体を起こして枉駕を迎える。どうやら無事に式は悧羅の元に届いたようだ。安堵する晴明に、相変わらずのようだな、と枉駕が笑って近づいてくる。そうそう変わりはせぬよ、と盃を差し出すと枉駕は受け取って晴明の横に座った。注がれていた酒を一息に煽っている。
「晴明の文に我らが長は大層面白そうにしておられた」
言いながら枉駕は懐から文を取り出して晴明に差し出す。長からだ、と言われて、これはこれは、と晴明は恐縮してしまう。まさか、長殿直々に返事をしたためてもらえるとは思ってもいなかった。返事があるにせよ、荊軻からか、もしくは直接誰かが伝えにやってくるかとは思っていたのだが。文を開くと優美な文字が流れるようにしたためられている。
まるで長殿のようだな、と思いながら文に目を通した晴明は、これは、とごちた。隣では、面白いだろう?、と枉駕が手酌で酒を呑んでいる。
「…長殿が出られるおつもりか」
呟くように言った晴明に枉駕は笑っている。
「それが一番容易い、と言うておいでだ。一応我も反対したのだが珍しいことに荊軻が乗り気なのだ」
「それはまた」
珍しい、と晴明も驚いた。どちらかと言えば、荊軻が率先して反対するような文の内容なのだ。そうだろう?、と枉駕は笑っている。
「だから面白いと言うのだよ。荊軻の奴ときたらまるで悪戯を考える童のような顔をしていた。あれのそんな顔はなかなか見れるものではない。長が荊軻まで引き込んでおられては、我らにはどうすることもできん」
ふはっと吹き出すように笑っている枉駕はどこか楽しそうだ。だが、悧羅の伴侶が容易くこれを許したとは晴明には思えない。そう尋ねると、枉駕はまた面白そうに笑う。そうだな、と空になった酒瓶を渡されて晴明は、新しいものを、と式に伝える。
「紳様は、見せたくないと言っておいでだな。特に今回ばかりは晴明の時のようにはいかんだろうから、ずっと言っておられる。本音を言えば長を宮の奥に閉じ込めて自分だけが見ていたいのであろうよ」
誰も奪えはせんというのに、と持ってこられた新しい酒瓶を受け取りながら枉駕は言う。気持ちは分かるがな、と晴明が言うと、我もだ、と枉駕は頷いた。
「まあ、そんなわけで面白いことになりそうなのだ。楽しみにしておくといい」
盃に注ぐのも面倒になったのか、酒瓶から直に酒を煽りながら枉駕はまた笑う。
確かにこれが現のこととなるならば面白い、とは晴明も思う。何より又、あの美しい鬼女を見られる事が楽しみでならない。で、と枉駕が尋ねる。
「書かれている事は、晴明になせそうか?」
無論、と晴明は笑って見せた。これが現となれば、まず帝は晴明を呼ぶだろう。陰陽堂の全ての術者も共に来いと言うはずだ。あの愚帝にとれば、自分の命より尊ばれるものなど無いのだから。ならば善と、枉駕は立ち上がった。
「もう行かれるのか?」
晴明はもう少しゆっくりと話したかったが、朝議で長に報せねばならんからな、と枉駕は大きく伸びをしている。そうか、と残念に思う晴明に、そうそう、と思い出したように枉駕が視線を落とした。
「持っていかれるなよ?」
何を、とは聞くまでもなかった。
「今度ばかりは長も御能力を抑えはされぬだろう。実は我らもそれは初めて目にする。どうなるかもわからぬが、後にも先にももう無いやもしれんからな。それを見れるとあって、我も賛同したのだ」
我ながら自分が恐ろしい、と枉駕は苦笑している。こころする、と晴明が頷くと枉駕は笑って地を蹴った。瞬く間に見えなくなった背中を見送って晴明は小さく息をついた。持っていかれるな、とは言われたがどこまで耐えられるのか晴明には分からない。
だが、それでもいいと思い直すして、いつものように日々を過ごした。ふらりふらりと日々を過ごして、夜中の務めを終えそろそろ邸に戻ろうか、という刻になって帝からの再びの下知がきた。動いたか、と腹の中で込み上げる笑いを抑える。時刻を確認すると子の刻から丑の刻に代わろうかという時だった。すぐに待機させている者や邸にいる者、全ての術者を伴って宮廷に入る。
夜中にも関わらず宮廷には全ての官吏が首を揃えていた。晴明達を見留めた官吏達は口々に、助かった、などと言っている。とにかく帝の元へ案内しろ、と言う晴明に慌ただしく官吏達が動き出す。部下達に囲まれるようにして歩く官吏達は、酷く怯えている。まるで自分の身を守るために陰陽師達に隠れているかのようだ。
だから言ったのに、と高らかに笑い出したいのを必死に堪えた。通されたのはいつもの朝廷の場だ。ただ、いつもと違うのはそこに居たのは帝だけでなく、正室や側女、果ては帝が成した子達までいたことだろう。皆一様に青ざめた顔をして震えている。中には泣いているものまでいた。
これは予想外だが、都合の良い方に廻っている。
官吏達を守っていた部下達に、帝と奥方達、御子を守るように告げるとそれぞれが囲むように配置する。もちろん官吏達もどうにかその中に入ろうと必死になっていた。
「おお、晴明、晴明!」
下げられた御簾の奥から乞うような帝の声がした。
「どうなさいました、帝よ?このような刻に下知など、と。この晴明、少しばかり戸惑うてございます」
あくまで心配している風を装う晴明に、煩い!、と帝の怒声が浴びせられる。おやおや、と笑って見せると御簾の下から扇子が出てきた。それじゃ、と示されたのは部屋の真ん中に置かれている二尺ほどの木箱だ。歩を進めて木箱の前に座る。
「これが如何なさいました?」
問う晴明に、良いから開けよ!、とまた怒声がかかる。だが、その声が震えているのを晴明は聞き逃さなかった。では、失礼して、と木箱の蓋を取る。おや、と特に驚いた様子も見せずに晴明は中の物を覗きこんだ。なるほど、とごちて蓋を捨てる。
「帝、これはどこに?」
「珍の枕元にあった。目を覚ました時にあったので、何かと思い開いたのじゃ」
そうですか、と晴明は頷いた。配置されている部下達からは木箱の中身は見えない。晴明様?、と声をかけられて晴明は立ち上がり木箱をひっくり返した。
ごろり、とした音と共に木箱の中身が場に転がる。途端に至る所から悲鳴があがった。転がったものを見た部下達は御子の目を塞ぐように抱きしめている。
転がったものは、四つの首だ。余程の恐怖を与えられたのかその目は一様に見開かれたままで切り落とされている。その顔は、晴明が見送ったあの術者達だった。切り落とされて間もないものもあるようで、断面から血が流れているものもある。
「ですから、申し上げましたのに」
大きく溜息をついて晴明が言うと、帝は何度も名を呼んでくる。
「ど…どうすれば良い?どうすれば良いのだ、晴明!応えよ!晴明!」
「どうすれば、と申されましても…。私は神に対抗できる能力など持っておりませぬよ?」
転がった首を見やりながら晴明が言うと、悲痛な叫びが彼方此方から上がる。それは帝とて例外ではなかった。
「いや!いや、しかし!其方であれば!其方であれば!!」
御簾の中から飛び出すようにして這い出してきた帝が晴明の衣を掴む。その姿は元々老齢でもあったのに、この数刻で一気に老け込んで見えた。膝を立てて縋りつく帝に、落ち着くように宥めていた晴明の耳に、とん、と小さな音が聞こえた。帝、とこれまでよりも柔和に呼ぶと青ざめた顔が晴明を見上げる。それに穏やかに笑う晴明に帝は期待しただろう。一抹の希望をたたえたその顔に、晴明は笑みを深くして告げる。
「…もう、遅いようですよ」
ワクチンを打った部分が痛いです。
下にしては寝れないし、なかなか上にもあがりません。…あげますけどね。
これくらいで自分も周りも守れるならば安い痛みです。
しかし、18禁にしたくなる…。
この先のお話の状態で、小説情報を変更するかもしれません。
ありがとうございました。




