玄冬《ゲントウ》
遅くなりましたが更新します。
寒さは日を追うごとに増していた。悧羅の宮も真っ白な雪が降り積り、毎日のように隊士達が屋根の雪下ろしをしてくれている。中庭で水にそよぐ蓮の華も、今回ばかりは池が凍ってしまい動く事ができないでいた。宮から見える里もどこまでも白い雪化粧を纏っている。
民の暮らしを脅かさねば良いのだが、と悧羅は思う。冬に入る前に各里の蔵の蓄えを調べさせたが、とりあえずは十分に足りるようだ、と聞いている。だが、用心しておく必要はあるだろう。寒い時期には病も流行る。皆に渡した大蛇の妙薬も、まだ持ってはいるだろうがそれでも拗らせる者がいるかもしれなかった。
暖かい時期であれば、そんな心配も無用なのだが、寒いこの時期は毎回悩ましくなってしまう。
小さく嘆息すると、はいた息は瞬く間に白く凍った。出来れば部屋の中に入りたいのだが、媟雅がそれをさせてくれない。齢一つを迎えた媟雅は、初めて見る雪が面白いようで悧羅に抱かれたまま縁側から離れようとしない。時折自分に降ってくる雪を珍しそうに小さな手で摘んでは、溶けていく様を何度も見ている。その都度、不思議そうな顔で見られては部屋の中に入るのも憚られるというものだろう。
近頃の媟雅は歩くのも上手くなり、紳や悧羅の言葉によく反応するようになった。簡単な事であれば意思表示もできる。紳譲りの白銀の髪も大分伸びてきた。日々変わって行く媟雅からは、なかなか目が離せないが、健やかに育ってくれれば良い。自分の上衣で媟雅を包んで、寒さを凌げてやろうとするが媟雅は邪魔に思う様で、何度も取り払われてしまう。
外に出たがるので磐里と加嬬が沢山の衣を着せてくれていたのだが、歩き辛かったようで結局部屋にいるような姿になってしまった。その上、悧羅に包まれるのも拒むのであれば、もう好きにさせるしかない。童にとれば、雪で遊べることの方が嬉しくて寒さなど忘れてしまうのであろう。
幾度となく溶けた雪を摘んで差し出している媟雅の頭を撫でていると、長と加嬬の声がする。お寒うございましょう、と暖かい茶の入った湯呑みを手渡してくれた。ありがたく受け取って口にすると、冷えた身体が芯から温まっていく。少しばかり冷まして媟雅にも当てがうが、拒まれた。雪と戯れれる邪魔をするなということか、と悧羅は苦笑した。
「姫君もお寒うございましょうに。火鉢をお持ちしましょうか?」
媟雅の手が赤くなっていることに気付いた加嬬が心配そうに言う。よい、と悧羅は笑って断った。火鉢が側にある事で媟雅が触っては大変だ。部屋の中でさえ触らないように、全てのものを高い所においている。目新しいものにはすぐに飛びつくので、危ういものをおいそれと置けないのだ。
「色々な物に興をとられるでな。寒うても雪に興を持たれておったほうがよいであろ」
笑う悧羅に、そうでございますか、と加嬬が頷いた。
「では、私が長と代わりましょう。長もあまり御身体をお冷やしにならぬ方がよろしゅうございます。病にでも罹ってしまわれては旦那様が心配されますよ」
「それは媟雅でも同じことであろうよ。…いや、寧ろ媟雅が病を患う方が慌てるやもしれぬな」
苦笑する悧羅に、そうでございますね、と加嬬も笑っている。ですが、と加嬬は立ち上がって悧羅の膝の上から媟雅を抱き上げた。
「本当にしばらくお部屋でお休みくださいまし。姫君は私がお預かりしたしますから」
抱き上げられた媟雅は加嬬を見ると、にっこりと笑っている。加嬬にも摘んだ雪を見せているが、加嬬にとっては冷えて赤くなった媟雅の手の方が気になって仕方ないようだ。こんなに冷たくなさって、と小さな手を包んでいる。それでは、加嬬が冷えてしまう、と悧羅は言うが、いいえ、と制された。
「私は今とても暑いくらいなのです。宮の前の雪を片付けて参りましたから」
「それでは、余計に冷えるではないか」
雪を片付けるのは重労働だ。長として立つ前は悧羅も行っていたから、その過酷さは分かる。片付けている時は暑くても、その後汗が引けばより一層寒さが襲ってくる。そう言っても加嬬は退かない。
「妲己もそろそろ飽きて戻ってきてくれるでしょうから、ご心配には及びません」
「妲己の姿が見えぬと思うておったら…。邪魔をしたのではないか?」
暑さには弱い妲己は寒い時期には、はしゃぐように雪に潜る。見ている方が冷えてくるが、妲己自身は丁度よい塩梅だ、といつも言っていた。雪を片付けた側から潜って散らかすので、悧羅が行っていた時も何度叱ったか分からない程だ。それにも加嬬は、大丈夫ですよ、と笑っている。
「散らかされるのは分かっておりますので、あえて妲己に向かって雪をかけておりますから。埋まっていれば、散らかされませんので」
なるほど、と悧羅は笑った。さすがに500年共に暮らせば、妲己の扱いも慣れたものなのだろう。
「ですから、ご安心なさってくださいまし。このご様子では、まだ荊軻殿から預かられた文などにも、お目を通してはおられないのでしょう?」
「よくわかっておるの」
驚いて悧羅が言うと、それはそうでございますよ、と加嬬は座って媟雅を膝に乗せた。
「長がどれくらいの刻をここで姫君とお過ごしになっておられるとお思いですか?私が雪の片付けに向かう前からですのよ。朝議の後からずっと姫君と戯れておいでなのですから、少しばかりお役目をなさって下さいまし」
呆れているのか叱るように加嬬は言う。そんなに経っていたとは思わなかった、と悧羅が言うが加嬬は首を横に振る。
「ですからお身体を冷やしすぎる、と申しておるのです。少しばかりの休息と思われてお部屋にお戻り下さい」
否は言えないようだ、と悧羅はまた苦笑する。では、少しばかり甘えるとしようかの、と立ち上がった。そうなさって下さいまし、と後押しされて悧羅は一度媟雅を撫でてから自室に戻る。火鉢が炊いてあるようで部屋の中は仄かに暖かい。無意識のうちに、ほうっと息をついてしまう。やはり加嬬の言う通り少しばかり疲れていたようだ。
ほんの少しだけ戸を開けたままにして、卓に向かう。引き出しの中から朝議の際に荊軻から渡された文の束を出して目を通した。里の今の状態や今後必要と思われる備え、整えが必要な道や水路の報せなどが殆どだが、二つだけが違う。
一つは北の国の平賀永之介からの物。国の建て直しに対する温情に感謝する、といういつも通りの文面に加えて、また陰陽師らしき者を目にする事がある、他の国々でも見掛けられているようなので用心するように、と記されている。
もう一つは安倍晴明からの物だ。結界の外に滞在していた晴明は、京の務めを捨て置き過ぎると怪しまれる、と折を見ては京へ戻ったり里に戻ったりを繰り返していた。だが、どうにも京がきな臭い、と言い雪が降り始めた頃から京から出ることをやめている。晴明としては里に移り住みたいようだが、まずは今の立場があるでしょう、と荊軻に諭されていた。
その晴明が滞在していた時は、荊軻や枉駕と共に永之介の国にも話を見聞きに行っていたので、見知りはあるはずだ。晴明の指示なら永之介に文の一つでもあるはずだろう。けれど永之介の文にはそう書かれてはいなかった。
なるほどの、と晴明の文を読んで悧羅は薄く笑う。
やはり何処の国でも痴れ者というのはいるのだな。
半ば呆れたような溜息をついて、悧羅は文を置いた。
さて、どうするか。
考えていると部屋の外から妲己の足音と、磐里の声がする。
「これ、妲己!お待ちなさい!」
少しばかり開けておいた戸から真っ白な雪まみれの妲己が走っていく姿と、それを手拭いを持って追いかける磐里の姿が見えた。妲己が走った後の廊下には雪が散って、水に変わって行くのが部屋の中からでも分かる。そのまま媟雅の元に行ったのだろう。姫君、と止めるような加嬬の声も聞こえた。雪に興を持っていた媟雅だ。それが大好きな妲己と共にあるのであれば、きっと飛びついたのだろう。焦るような二人の女官の声の中に、妲己と媟雅の声が笑いと共に混じっている。
姿を見ることは出来ないが、目を輝かせて妲己に飛びついた媟雅が浮かんで微笑ましくなってしまう。妲己もまだ背に籠は乗せていなかったけれど、暖かくなる頃には籠を乗せ媟雅を入れて中庭で遊ぶのだろう。
晴明からの文にもう一度目を通して悧羅は筆を手にした。手早く返事を認めて晴明からの文とともに懐の中にしまうと立ち上がって部屋の外にでる。媟雅を見ると思い描いていた通りの光景がそこにあった。雪だらけの妲己に歓喜の声を上げて媟雅が飛びついている。近づいても悧羅に気づかない程だ。申し訳ありません、と磐里が侘びるが、それに笑って、よい、と伝えた。
これは悧羅が居たとしても止めるのは難しかっただろう。
「姫君は、お食事の前にお着替えですわね。雪が溶けたら妲己も拭かないと」
困ったような磐里に笑いながら、荊軻の元へ行ってくる、と悧羅が伝える。遅くなりそうか、と聞かれて、いや、と首を振った。
「すぐに戻れるであろ。その間、媟雅を頼まれてくりゃるか?」
お任せくださいまし、と磐里が頭を下げる。もう一度媟雅を見て笑いながら荊軻の所へと歩を進めた。荊軻が務めを行う場は宮の一角に設けていた。何事かあればすぐに悧羅に報せが出来るようにだが、こうして悧羅が赴くこともあるので余り遠いと都合も悪いからだ。一度宮を出て庭を歩くと踏みしめた場所から雪の音がする。加嬬が整えてくれていたお陰だろう。歩きやすかったけれど、所々に積まれた雪があった。
妲己を埋めた場だな、と崩れた雪山を幾つも見ながら荊軻の務めの場についた。荊軻、と声をかけると返事の後に戸が開けられた。温かな部屋の空気が冷えた身体を撫でて心地がよい。だが、部屋に居たのは荊軻だけでは無かったようだ。戸が開いた途端、手を引かれる。柔らかな笑顔の紳が悧羅の手を引いたのだ。
「こんなに寒いのに外に出ちゃだめだろう?どうしたの?」
掴んだ手が冷えていることを心配しながら紳は笑っている。悧羅としては、紳が居たことの方が驚きだ。
「何故、其方がおるのじゃ」
「丁度、報せを持ってきてたんだよ」
笑う悧羅に紳が応えながら暖かい火鉢の側に手を引いていく。一番暖かい場所に悧羅を連れていくと、自分が飲んでいたであろう茶を差し出した。湯呑みを受け取る悧羅に、どうなさいました?、と荊軻が尋ねる。面白いものが来た、と悧羅は懐から晴明の文を取り出して荊軻に渡す。
「これは、今朝式が届けたものですか?」
「そのようじゃて。荊軻に渡された文と共にあったでの」
文に目を通している荊軻の横から覗きこむようにして紳も読んでいる。渡された茶に口をつけていると、これは、と苦笑するような荊軻の声がした。面白いであろ?、と悧羅も苦笑する。どうなさいますか?、と聞かれて悧羅は笑った。
「…時には先手を取るのも一興かと思うてな。橋渡しは晴明がおるに」
ですがまずは、という荊軻に悧羅は笑った。
「内情を探ってから、と言うのであろ?そう言うと思うておったに。ほれ」
もう一つの文を悧羅は荊軻に渡す。先程したためた物だ。中を改めて荊軻も、成程と笑う。
「確かに時には先手を打つのも宜しいかもしれませんね」
悪戯を画策する童のように言う荊軻に、そうであろ、と悧羅も言う。小さく笑っていると、でもさ、と紳の声がした。
「…これ、悧羅が出るの?」
「それが一番早いであろ?何ぞあるかえ?」
飲み終わった湯呑みを卓に置いていると紳が悧羅の側に戻ってきた。危なくないの?、と紳が悧羅の頬に触れる。大事ない、と言うが紳の顔は不満そうだ。
「妾だけで、とは思うておらぬよ?紳も共に行ってくれるであろ?」
頬に当てられた手に顔を擦り寄せて悧羅が言うと、そりゃ行くけどさ、と紳も肩を落とす。それに微笑んで悧羅は続ける。
「紳が言うたであろ?人の子を堕とすは妾にとっては容易い、と。試してみるのも一興じゃて」
「まあ、そうだけど…。見せたくないんだよなぁ、これ」
紳が荊軻に向かって言うが荊軻もまた笑っている。
「紳様のご心配は分かりますが、これは長に出ていかねば収まらぬでしょう。それに、それが一番容易いと言われる長の言葉も尤もですよ」
「仕方ないかぁ…、でも、見せたくないんだよなぁ、本当に」
溜息をつく紳を笑って見やって、悧羅は荊軻に向き直った。
「永之介の国でもそれらしき者を見かけておるらしい。永之介の文によればほかの国にも顔出ししておるとのことだ。まずは、それからだの」
「承知いたしました。隊士達に命じておきます。それを京に届けてから、でございますね?」
悧羅の意図を明確に受け取って、荊軻が頭を下げた。頼む、と言うと、御意のままに、と返ってくる。頷く悧羅の横で紳だけが、やっぱり見せたくない、とぼやいていた。
筆者、本日、新型コロナワクチン1回目でした。
すでに打った腕が痛いですが、自分のためですもんね。ですが痛いので今日の更新はここまでにしようと思います。明日、3話くらい進められれば、と目標は高く持ってます。
全国で感染拡大しているみたいです。
皆様も十分ご注意ください。
ありがとうございました。




