見巡る《ミメグル》
晴明との見初めを終えて、自室に戻った悧羅に待っていたのは、紳の機嫌を直すことだった。最後の問いで逑はいるか、と晴明に問われた時は一笑に伏したが、それみたことか、と言う紳は不貞腐れたままで座っている。紳、と幾度か呼んでみるが、だから心配したのに、としか返ってこない。
なかなかの難題が残ってしまった。
苦笑しながら悧羅は、すまぬ、と繰り返すしかない。この場に媟雅がいてくれれば多少なりとも紳の機嫌も良くなったのかもしれないが、間の悪いことに晴明と話している間に昼餉を終え、ひとしきり遊んだ後に妲己に包まれて眠ってしまっていた。頼みの綱の媟雅もいないとなれば、根気強く話しかけるしかない。
さて、どうするかの……。
昔の様に話しかければまだ容易いのだろうが、気を抜くと今までの話し方に戻ってしまう。
「その内戻ると期待してるから、無理しなくていい」
気負って昔のように話していたわけではないのだが、紳には悧羅が気を抜けていない、と思えた様だ。確かに500年使い続けてきた言葉を戻すのには少しばかり気を張っていたのは否めない。
「同じくらい刻をかけるから、楽な方でいい」
そう頭を撫でられて安堵したのも事実だったので、素直に甘えることにしていたのだが…。
紳、ともう一度呼ぶが返事はない。その背中だけで不満をぶつけられているようだ。やれやれ、と悧羅は小さく嘆息した。
「…すまなんだ、と言うておるに。妾が甘かった。なれど、気移りなどはしておらぬよ?」
「……そんなんされてたら、俺、泣いてるよ」
ようやく返事があったが、声音は不機嫌なままだ。紳としては晴明に会う前から、そうなるような気がする、と強く言っていたのに皆が笑い飛ばしていたことも不服なのだろう。
「紳の心配を無下にしたのは悪いと思うておるに。…そろそろ妾を見てはもらえぬか?」
頼んでみるが紳は動かない。またひとつ嘆息して、悧羅は紳の前まで歩いて座った。もう一度、紳と呼んで手を握る。
「妾の愛しきものは其方一人じゃ。そう拗ねてくれるな」
だって、とようやく紳が悧羅を見て、視線を合わせる事が出来た。童のような紳を見ると自然と笑みが溢れる。
「悧羅ってば、本当にわかってないんだもん」
拗ねたままの紳が言う。何をじゃ?、と悧羅が聞くと紳は大きく嘆息した。
「自分がどれくらい人を惑わすかってことをだよ」
妾が?、と悧羅が首を傾げると、ほら、そういうとこ、と嗜められてしまう。悧羅としては普通にしているつもりなのだから、そう言われても良く理解ができない。きょとり、としたままの悧羅に紳が、あのね、と諭し始めた。
「悧羅は長なわけだよ。長ってのは、そこにいるだけでその場の皆の気持ちを持ってっちゃうの。とくに悧羅は儚くて消え入りそうな雰囲気だから、余計にそれが顕著なんだよ。俺は悧羅の逑だけど、それでも時々全部持ってかれてもいいって思う時がある」
おや、と悧羅はまた首を傾げる。ほらまた、と紳が嗜めた。
「悧羅はそういうつもりがなくてもね、皆見惚れちゃうんだよ。長が里一美しいって言われるけど、悧羅は可愛さまで持ってるから、そんなの目にしたら男なんて一瞬で落ちちゃうだろう」
「…それは、紳の欲目ではないかえ?」
つい苦笑してしまいながら悧羅が言うと、いいや、と紳は首を振る。
「500年前だってそうだった。能力を抑えてたのに、悧羅をちらちら見る奴ばっかりだったんだよ?だから、俺も焦ったって言ったでしょう?」
そういえば、そんなことを言っていたような気もする。あの湖で紳と初めて会った時に。
「でも長として立って能力を抑えなくなったら、その分また美しさに磨きがかかってるんだよ」
「…その様なこと、考えたこともなかったな」
だから問題なの、と紳は言う。
「知らないところでそういう風になっちゃってるんだから、自覚がないでしょ?これで可愛い悧羅まで見せた日には、男も女も務めどころじゃなくなるんだって。里の連中は悧羅は俺のだって知ってるから歯止めが効いてるけど、人の子はそうはいかないんだよ。今日の晴明が良い例だろ?」
「…まあ、そうであるのかもしれぬが…」
「だから自覚してって言ってるんだよ。悧羅が本気で人の子を惑わそうと思ったら、簡単にできちゃうんだから」
そういうものか、と悧羅はごちた。目の前の紳は、そういうものなの、とまた嘆息している。余り考えたこともなかったが、紳が言うのならそうなのだろう、と悧羅は自分に言い聞かせた。
だが、可愛いとは…。
嬉しいことを言ってくれるものだ。美しいだの艶やかなどと言われることはあるが、可愛いらしいと言うのは紳が初めてかもしれない。可愛いらしいか、と呟いて小さく笑う悧羅に紳は頷いている。
「その様なこと、紳しか言うてくれぬであろうな」
だから、と紳も悧羅の握った手を握り返す。
「見せちゃ駄目なんだって。俺にだけ見せてって言ったでしょ?誰にも見せない悧羅を俺だけに見せてって、お願いしたじゃないか」
「…では、良いのでは無いか?紳しか知らぬ妾がおるのであろ?それは間違いなく妾が紳のものである、ということだ」
笑みを深くする悧羅に、これだから、と紳も諦めたようだ。返事の代わりに悧羅を抱き寄せる。
「とりあえず、晴明とか他の男と会う時は俺も同席するからね。見張ってないとどうなるか心配だ」
それで紳が安堵してくれるなら安いものだ、と悧羅は思う。頼むとしようかの、と笑う悧羅の額に紳は軽く口付ける。
「とりあえずは、心配させられた分を返してもらおうかな」
どうにか機嫌を直してくれたようだが、紳はふわり、と悧羅を抱き上げて自分の膝に乗せる。今からか?、と笑う悧羅に紳も笑っている。
「嫌だ、は聞かないよ?」
笑う紳はそのまま悧羅に深く口付けた。
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里の中を自由に散策してよい、と悧羅から許された晴明は連日のように里の中に入った。里の鬼達がどう思うか、陰陽師である自分を恐れて近寄ってもくれないのではないか、と危惧していたのだがどうやらそれは無用な心配だったようだ。
晴明と見初めを終えた悧羅が下知を下していたことも大きかったが、何より民達はその一人一人が晴明を凌ぐ能力を有しているからだ。彼らにとれば、晴明など迷い込んだ、ただの人の子と変わらないのだろう。別段特別扱いをするでもなく、鬼達から話しかけてくれる。
それは日を追うごとに多くなり、晴明が道を歩いていると、寄っていくかい?、と邸に招いてくれる者までいた。童達も晴明を見かけると、式を出してくれ、とせがむ。最初に怖がらせない様と思い式で鳥や蝶などを出してやったのが気にいっているようだった。
しかし、これは見事だ。
里を見て廻る晴明は感嘆してしまう。里は美しく整えられ、人の里からだけでなく山からも水を引き、独自の水路を確立している。畑や道もきちんと手入れが行き届いていた。民達はそれぞれに務めをこなし、日々が穏やかに過ぎていく。誰一人、長の不満を言うものもおらず、心の底から悧羅を尊んでいるのが見てとれた。
帝とは大きな違いだな。
同じ国を治める主人であろうに、その為人でここまで差がでるものか、と苦笑するよりない。悧羅は神に準ずる妖であるから、一介の人の子の主人と比べてはならないのかもしれないが。
そういえば先代は愚帝であった、と悧羅は言っていた。どういった鬼だったのだろう、と立ち寄った店で茶を啜りながら聞いてみた。店の主人は人でいえば五十程度に見えたが、見かけだけなのは分かっている。
「ああ、先の長様ねえ…」
思い出す様に考え込みながら、おまけだ、と晴明の前に団子を置いてくれた。
「何というか、老いを受け入れられない方だったね。自分の能力が老いて弱くなるのが耐えられなかったんだろうよ。精気を狩ればまた能力は戻ると信じておられた。お陰で当時あった里の周りは人の子がいなくなっちまったよ」
「それは難儀しただろうな」
晴明が言うと、そうだね、と主人は笑っている。
「狩りに行くのにもお一人で行かれてたわけじゃない。何万って民が犠牲になったね。それでもやめはしなさらんだった。当時の里は人の子の土地から色々貰い受けてたからね。いなくなったことで里も壊れた」
無茶苦茶だ、と主人は声を上げて笑っている。自らも苦渋を舐めただろうに、こんなに笑えるものなのか、と晴明は驚いてしまう。
「申し訳ないが身罷われたときには心底安心したよ。それは、皆同じじゃないのかな」
「では、その後、当代の長殿に引き継がれたのか。長殿は先代の娘子なのか?」
聞く晴明に主人は、いいや、と首を振った。面白いものでね、と話を続けてくれる。
「世襲はないんだよ」
は?、と晴明は目を見開く。京では世襲が当然とされている。帝の子は次の帝となることが生まれた時から約束されたようなものだ。そう言う晴明に、そうらしいね、と主人は頷いた。
「だけど、ここでは違う。全く世襲がなかったわけでも無いが、長の寿命が近くなると、数十年のうちに一人だけ華の印を刻まれた子が生まれる。何処に、いつっていうのは分かってないけれど、その子が次の長になる」
「それは誰が決めてるんだ?」
訝しむ晴明に主人は、さてねぇ、と笑った。
「言うなれば天だろうよ。それが何かと聞かれたら分からないけどね」
そうか、と晴明はごちた。天というものがあるのであれば、鬼を神として地に降り立たせることもできるだろう。だが、それを受け入れるのはなかなかに難しい。けれど、里の鬼達は何ら疑ってはいない。世の理として受け入れている。人の世もこうであればよいものを、と晴明は少しばかり唇をかんだ。
「であれば、今の長殿になられて里の民は幸福なのだな」
そうだね、と主人は笑っている。
「長様は『民あらずんば長にあらず』と言うて下さる。俺たちにとっちゃ『長あらずんば民にあらず』だけど。でも、大変な思いもされてきたと思うよ?」
「そうだな。壊れた国を立て直すなど、想像もつかん」
「それもだけどね、長様は立たれた時に契りを結んではおられなかった。となれば、優秀な鬼を一人でも多く残すために数多くの夜伽を行わなくちゃならない。俺たち男なら美女と情を交わせるなんて願っても無いことだろうが、長様は女子だ。苦しかったと思うよ?500年、子は授からなかったからね」
そうか、と晴明は頷いた。帝にも数人の側女がいる。その目的は主人の言ったことと同じだ。確かに男であれば耐えられるだろうが、女の身でそれを背負うのは苦しかっただろう。
「でも紳様が、それを解いて下さった。紳様が夜伽の任に就かれてから、長様は少しばかり肩の荷を降ろされたように思うよ。500年、宮から出てこられることも少なかったのに紳様に手を引かれて里に降りては民と話されるようにもなった。笑われるなどなかったのに、紳様が御名を呼ばれると微笑まれる。その時に思ったね。ようやく天が長様に安らぎを与えて下さったって。あんなに柔らかい雰囲気になられたのは紳様のお陰だよ。誰から見ても似合いのお二人だ」
「そのようだ。身の程知らずにも長殿に逑はおられるのか、と尋ねてしまったが。紳殿に一蹴されたしな」
晴明が言うと主人は声を上げて笑う。そりゃ身の程知らずだ、と。
「気持ちはわかるがね。あのお二人には誰も入り込めやしないよ。潔く諦めな」
笑い飛ばされて晴明は出された団子を食べながら、そうしておく、と苦笑するしかない。民達は晴明が何処で何を聞こうと、この時の主人の様に隠さずに話してくれた。物見遊山気分で日々を過ごし、夜には結界の外に設けてくれた一時的な晴明の邸に戻る。夜になるといつものように何処からともなく妖たちがやってきて酒宴が始まる。
どうやら妖たちには晴明が何処にいるのかわかるようだ。変わらない景色だが、今までと異なるのは度々、荊軻や枉駕が酒を持ってやってくることだろうか。共に妖たちを眺めながら、如何ですか?、と荊軻に尋ねられた。とても興味深い、と晴明は笑う。
知れば知るほどに、また分からない事が出てきていつまでも興が削がれることがなかった。
「それは良うございました」
荊軻も頷いて晴明を見ている。そんな荊軻に、長殿もご苦労なさったのだな、と晴明は呟いた。そうですね、と荊軻も同意する。
「長たる者には華の印が刻まれて生まれ落ちる、と聞いた。誰が決めたかもわからないのに、ここの民達は当たり前のように受け入れている。それが当たり前だと疑うことすらしていない。だが長殿の背負われたものは大きかっただろうな」
荊軻は何も言わない。ただ、黙って晴明を見ている。酒を煽って晴明は空を仰ぎ見た。
本当に天というものがあるのかもしれない。
「いつかは、あの長殿も定命を迎えて、天に帰られるのだろうな。あの美しさが見れなくなるのは、少しばかり淋しいものだ」
呟くように言った晴明に、荊軻が笑って、大丈夫だ、と言う。
「晴明殿より先に逝かれることはないでしょう。それに今は紳様がおられます。そう易々と老いることなどないですよ。…あと1000年程は叱らせ続けて頂きませんと、私もお役御免になってしまいますからね」
1000年か、と晴明も笑う。鬼達にすれば人の子の一生など瞬きの間のことだろう。その頃にはまた、自分は世に生を受けているだろうか?
できることなら、と晴明はあるかないかも分からない天に祈った。
出来ることなら次は自分も妖にしてもらいたい、と。
お楽しみいただけましたか?
ありがとうございました。




