談笑《ダンショウ》
1日空いてしまいました。思い出話が多いですが
楽しんでいただけると嬉しいです。
診療が終わった悧羅と咲耶は、なんということもない話に華を咲かせていた。悧羅には宮での生活以外、特に話題はなかったが、咲耶の話は面白く聞いていて飽きなかった。時々、そういえば、と昔話をすることもある。話しては笑い、そんなこともあったと思い出に浸る。悧羅を長としてでなく、旧知の友として会話してくれる咲耶の優しさに、心が温まるのを感じる。
話は尽きず、咲耶の家族の話に及及ぶ。
「今はさ、結構邸にいる事も多いのよ、うちの旦那。まあ、それだけ平穏って事だけどさ、務めはあると思うのよね?でも、邸にいるとだらけ切っちゃって。邪魔なのよねぇ」
ほとほと困ったとでも言うように、咲耶は眉をひそめてみせる。豪胆で、お世辞にも口が良いとは言えないが、咲耶は契りを結ぶ相手を見つけていた。10年ほど前に、わたし契るから、と突然の報せを受けた時は驚いた。しばらく間を置いて、何の冗談だ、と言う悧羅に、冗談でいうか!と咲耶は憤慨した。だが、悧羅の目から見て、咲耶は契りを結んで落ち着く性分だとは思っていなかったのだ。幼い頃から咲耶を知っている者からすれば、見た目は良く、医師としての信頼も厚い咲耶が務めを捨てるとは考え難かったし、冷えて雪の降る季節の流行病で里の民が次々に倒れており、当時の咲耶は多忙を極めていた。しかも、見た目は良くとも口の悪い女と契りを結ぶなど、どれだけ物好きな男だろうと興も沸いたが、なかなか信じられなかった。
「…取り敢えずは祝いの言葉を伝えてもいいのか?」
「あんた、失礼にもほどがあるわよ。まだ信じて無いでしょ。ははぁん、さては、わたしが脅して契りを結ばせようとしてるとか考えてる?」
そこまでは考えていなかったが、と悧羅が笑うと、まだ疑ってる、と咲耶は憤慨した。
「じゃあ、会ってもらおうじゃないの。そしたら嫌でも信じるでしょ」
「いや、信じる信じないではなくてだな。何というか実感が湧かぬのだ」
「だから会わせるって言ってんじゃん」
「ふむ、それは構わぬが宮に来るのか?」
悧羅の素朴な疑問に、呆けてんの、と咲耶が呆れたように声をあげた。
「どこの阿呆が、一鬼神の契りごときで長に会いに行くのよ。あんたがうちに来なさいよ」
咲耶の言うことはもっともだ。里の管理を取り仕切る重鎮であれば、話は別だが咲耶はあくまでも一介の鬼神にすぎない。御殿医としての立場はあるが、改めて契りの報せを宮で行う必要はなかった。
「それは構わぬが、いつ行けば良いのだ?」
問い返すと、今夜こい、と言う。
あまりにも早すぎないか、相手にも負担をかけるのでは無いかと言うが、咲耶は聞く耳を持たない。
「別にいいじゃない。相手には私が上手く伝えとくから。お茶くらいだすわよ?あんただって、どうせ暇してるんでしょ」
暇…。たしかにこれといって急ぎの用もないし、誰かと会う約束もない。刻はあるが、それにしても暇であろうとは咲耶らしい。思わず苦笑いを浮かべると、何よ?、と咎めるように咲耶は悧羅を一瞥する。
「とりあえず、*戌の刻くらいにきてちょうだい」
承知したと言うが、何やら納得のいかない顔をして咲耶は宮を後にした。
______________________
取り決め通り、悧羅は戌の刻に咲耶の邸に降り立った。戸を2つ叩くと、遅い!と言いながら咲耶が現れた。遅れてはいないはずだが、と苦笑しながらも咲耶に続くように邸の中に入る。長くはない廊下を通って、座敷に通じる戸を咲耶は開けた。やっと来たよ、と中にいる者に言っている。待つ、ということが苦手な咲耶であるので、取り決めの刻を決めたは良いが、その後退屈していたのだろう。それに笑っているのは低い男の声だ。どうやら冗談ではなかったらしい。
物好きな者いたものだ。
1人自嘲して苦笑していると、戸から咲耶が顔をだす。
「早く入んなさいよ」
急かされて、止めていた足を動かし座敷に入る。
「すまぬ、待たせてしまったか」
座敷に入りながら声をかけると、いえ、と穏やかな声がした。座っていたのは青い長髪の男鬼だった。茶を飲もうとしていたのか、湯呑みを持ったまま入り口に視線を向けた男は、みるみる内に青ざめた。半ば呆然とする男を見やりながら、悧羅は首を傾げる。
なんじゃ、一体。
不思議に思っていると、男は持っていた湯呑みを落とし、勢いよく伏して控えた。何やってんのよ!、と床にこぼされた茶に対して小言をいう咲耶の声も耳に入っていないようだ。
「も、申し訳ございませぬ!まさか長とは存知ませず御無礼を致しました!」
その姿に悧羅は呆気に取られた。ちらり、と咲耶を見るとぶつぶつ言いながらこぼされた茶を拭き取っている。
「…咲耶…、其方、誰と会うか伝えておらなんだのか?」
「は?何でそんなことわざわざ言わなきゃなんないのよ。会えば分かるでしょ」
それはそうだろうが…。
咲耶らしいと、言ってしまえばそれまでだ。
悧羅は呆れて肩を落とし、目の前で小さく震える男鬼を見た。男は、一介の友としての鬼女がくると思っていたのだろう。なんとも不憫でならない。1つ息をはいてから、顔をあげよ、と伝える。
恐る恐る顔をあげたが、男の表情は引き攣ったままだ。小刻みに震えてさえいる。
さもありなん、と言うべきか…。
小さく息を吐いて、悧羅は男の前に座した。青ざめているが、よく見れば秀麗な顔立ちをしている。髪と同じ色の瞳にも、どこか柔和さを感じさせる。やや大柄ではあるが、恐らく武官に属しているのだろう。鍛錬を欠かしていない様子が体躯から見て取れた。額には真珠色の1本角が輝いている。
「すまぬ、胆を冷やさせてしまったな。できれば、わずかばかり力を抜いてはもらえぬか」
詫びを込めて言うと、男の肩から力が抜けた。知らなかったとはいえ、長に対し無礼ともいえる態度で迎えたのだ。咎められるとでも思っていたのだろう。
「咲耶が何も知らせておらなんだようだ。あれとは、旧知の仲なのだが少しばかり配慮が足りぬところがある」
意地悪く咲耶を見ると、何よ、と返してきた。拭き終わった手拭いを座卓の上に置いて、咲耶も悧羅の横に座る。
「良ければ、名を尋ねてもよろしいか?」
はい、と男は頷き、白詠と名乗った。
「武官隊護衛部隊第三小隊をまとめております。お顔を拝謁でき光栄に存じます」
「そうか。里の民のため、身を呈してくれておること礼を言う」
微笑みながら礼を述べると、有り難きお言葉です、と白詠は頭を下げた。そのやりとりを見ながら、咲耶が、堅苦しい、とややを入れる。
「まあ、いいわ。これで納得したでしょ?私、白詠と契るから。白詠、あんたもそんなんじゃこれから耐えられないよ?ちょくちょく悧羅は来るんだからね」
屈託なく悧羅の名前を呼び捨てにする咲耶を白詠が、おい、と嗜める。それに、良いのだ、と悧羅は笑った。
「先だって申したとおり、咲耶とは旧知の仲じゃ。これには、妾に礼を取らずとも良いと言うてある。邸への行き来もある故、白詠も余り気負わずにいてくれるとありがたい」
「いえ、ですが…」
戸惑う白詠に、焦らずともよい、とまた笑う。
「悧羅とは姉妹みたいなもんだから。ちょこちょこ来るし、来てもらわないと困るの。息抜きだって必要でしょ?うちにいる時くらいしか、気を抜けないんだから。だから、慣れなさいよ。でないと、呼べなくなっちゃう」
「と、言うわけだ。受け入れてもらえるかえ?」
小さく笑い続ける悧羅に、白詠は、善処いたします、と答えるのが精一杯だった。
*戌の刻は、今で言うと19時から21時です。
本文中は犬の刻初めに悧羅が来たということにしています。