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暑い日が続いていますね。
そんな中のオリンピック❗️アスリートの頑張りに勇気を貰えます。
英州は、ひとしきり思いを伝えるとすっきりしたのか、次の夜伽の相手を見つけないと、などと言っている。
今しがた、暫しゆるりと待てと言ったばかりなのに。
呆れてしまうが、目の前で真剣に悩んでいる栄州をみていると、笑えてしまうから不思議なものだ。小さく笑っている悧羅を見咎めて、なにか?と怪訝そうに眉をひそめている。それに、なんでもない、と手を振ってみせるが栄州の顔は不満気なままだ。
「まあ、その様に急かずともよかろう?」
「また、そんな悠長なことを」
栄州が溜め息混じりに小言を始めようとした時、失礼いたします、と声がした。声がする方に2人も視線を向けると、先ほどとは違う女官が伏して控えていた。何じゃ、と問う悧羅に女官が顔を上げる。
「咲耶さま、お越しにございます」
そうか、と悧羅が応える間もなく、戸の陰から桜色の揺蕩う髪を持つ鬼女が現れた。額には真珠色の1本角がある。咲耶は笑顔で室内に足を踏み入れようとして、思いとどまった。悧羅だけかと思って来てみれば、栄州がいたからだ。
また、面倒なおじさまが…、とは思えど口に出すわけにはいかない。栄州は、悧羅にとっては相談役も務めている。里で暮らす者にとっては、上官にあたるからだ。恭しく伏して礼をとる。
「長におかれましては、ご健勝でなによりでございます。月の診察に参じました。栄州さま、久しくお目にかかれず御無礼を致しておりましたが、お変わりございませんか?」
伏したままの咲耶に、悧羅は大義じゃの、と労い、栄州は、心遣いいたみいる、とだけ述べる。
「月の診療であれば、我は場を離れまするよ。長への良き相手も探さねばなりませぬしね」
悧羅に対し礼を取り、立ち上がると、咲耶の側を通り抜ける時には、頼む、と言い残して去っていった。
足音が聞こえなくなってから、咲耶はようやく顔を上げる。女官がさがると、途端に、ああ、だるっ、と砕けた口調になり顔を綻ばせながら悧羅の元まで小走りに寄ってきた。
「何なの、おじい。どうせ、また、物忌みがとか夜伽の相手を、とか言いにきたんでしょ。諦め悪いわぁ」
「まあ、そう言うな。栄州も妾のことを思いやっての事だ。実際、相談役として世話にもなっているし。厚意も無下にはできん」
咲耶の言葉に苦笑して、一応は栄州のことも庇っておく。
「お人好しは治らないもんなのね、あんたも」
屈託なく話しかける咲耶の姿は、側から見れば打首にされかねないところだ。けれど、悧羅は気にした様子ではない。咲耶とは、歳も近く幼い頃から同じ学舎ですごしていた。1本角自体も少なく、鬼女ともなれば尚更で、学舎での扱いは、まあ酷いものであった。そんな環境もあってか、自然と交流を深め、何でも言い合える仲になっている。幼き頃から隠していた華の印のことも、咲耶にだけは話していた。内密にして欲しいという悧羅の願いは破られる事なく、先代が身罷られ、印の持ち主を探す里を挙げての大捜索になっても咲耶は口を割らなかった。
しかし、先代を失い土地まで荒廃した当時の里の民には、名乗り出るのを待つなどという余裕をみせることは出来なかった。
一軒一軒を巡り、その場で衣を脱がせるという暴挙に出たのだ。男鬼ならまだ、どうにかなったが、鬼女まで同様のことが行われていると知った時に、悧羅は覚悟を決めて自ら申しでると咲耶に伝えた。
「ふうん、あんたがそれでいいならいいけど。長になったからって、私は変わんないわよ。あんたはあんたなんだから」
長になると言うことは、今まで里で築きあげた関係も崩れるということだ。立ってしまえば、全てのものが伏して控え、許しを与えるまで視線をあわせることはない。ましてや、屈託なく話せる者もいなくなると思っていた悧羅に咲耶の言葉は予想外であり、救われた。
「まあ、一応は?人目のあるところでは敬ってるふりくらいはしてあげるわよ」
見た目に反して豪快に笑う。咲耶が友としていてくれることが嬉しかった。
しばらく思い出に浸っていると、ところでさ、と咲耶が切り出す。
「東西周辺は特に目立った動きはないよ。南も、この間の妖騒ぎをあんたが沈めたから、感謝こそすれ、敵対の意思はないみたい。むしろ、必要であれば精気も差し出しますって勢い」
そうか、と咲耶の言葉に悧羅は頷いた。報せをしながらも咲耶の手は止まることはなく、必要な診療を手際良くこなしている。
この里は、山を切り開いて作った。人の国のほぼ真ん中に位置していたため、鬼神の里となったことで、人の国も4つにわけられることになった。一つ一つの国の大きさはさほどでもないが、一応それぞれに主がたっている。人の国を4つに分断したことで、必然的に死角が出来る。念のために、里全体を結界で覆ってはいるが、異変を感知出来るのは術を行使した悧羅だけで、そこから指示を出したのでは、例え人相手であろうとも負傷者が出るかも知れなかった。
悪意を持って侵入するとも限らないし、侵入されてしまった後で騒ぎになっても後々面倒なのだ。
それらを考えて、街の四方に悧羅が信を置いている者の邸を周囲を見渡すように置いていた。
咲耶の邸はその中の南を監視している。
「ただね、北が何となくきな臭いっていう話。実際は報せを待たなくちゃならないけど、なんとなあく気にはしといたほうがいいかも」
それにも悧羅は頷く。
北か。主の名はなんだったか。あまり人の国に干渉しないため、人の名前など、すぐに忘れてしまう。
なにより、寿命が短すぎるので頻繁に変わったとの趣旨の文書が送られてくる。これが、計4つともなれば、名前など覚えておけるはずもない。
「荒泉新條頼政。人の国でもあまり良い噂は聞かないし、なんか色々画策しては失敗してるって話よ」
悧羅が北の主の名前を思い出せないことに気づいたのだろう。咲耶が助け舟をだした。
ああ、そういえばそんな名前だった気がする。
なんにせよ、人の国で上手くいかないからと鬼の国に手を出そうものならどうなるのか、少し考えればわかることだろうに。それも見えていないのだとしたら、大したことはない。単なる小物だ。
「わかった。北に監視の目を多く割いてみることとする」
小物であれど、里の民に害為されることがあってはならない。
悧羅の言葉に、そうしといて、と咲耶が頷いた。そのまま、横になるように指示される。
言われるがまま横になると、咲耶の掌が下腹部に触れた。
「やっぱり物忌みの時期は疵が浮かんでくるね。痛みはない?」
「大事ない。時折引き攣る程度であるし、物忌みの時には肌は出さぬでな。物忌みが終われば、またゆらりと落ち着こう」
咲耶の掌の下には、夥しい数の刺し疵がある。今は、もちろん乾いているし、新しい出血などもない。
ただ、この疵を見るたびに咲耶は悔しく思う。
何故もっと早くに気づいてやれなかったのか。
何故、あんな状況で懇願せねばならないほどに悧羅が追い詰められなければならなかったのか。
自分が立ち入る問題でないことは、重々承知している。それでも、何もできない自分が悔しかった。
その思いを打ち消すように、咲耶はいつも通りに振る舞う。
「ちょっと肌が乾燥してるみたい。水分と栄養、ちゃんととるように。あんたは、ただでさえ食が細いんだから。妲己にも心配かけちゃうよ」
咲耶の横で、行儀良く待っていた妲己も、思わず頷いている。
“ぜひ、もっと言って差し上げてくれ”
2人に責められて、悧羅は、わかった、と応えるしかなかった。
ありがとうございました。
更新が立て続けになってますが、構成を忘れないうちにサクサク描いていきます。