無二《ムニ》
更新します。
宮に戻った紳たちの姿に啝咖と玳絃は唖然と口を開けてしまった。髪や隊服は乱れ、忋抖のものなど紐や袖が引き千切られてしまっている。怪我だけはしていないようだからそこは一安心しても良いだろう。が、それよりも首を傾げてしまうのは、部屋に入るなり座り込んだのは皆同じなのに、悧羅を引き寄せて膝に乗せたのが舜啓だからだ。よほど大変だったようだから、暫くすれば落ち着くかと思っていたが、夕餉や湯が終わっても悧羅を見つけると膝に乗せてしまう。
「え…っと、ちょっと待って?何がどうすればそういうことになるの?」
流石に不思議に思って尋ねた玳絃の前でも、舜啓の膝に座らされ、しっかりと身体に腕まで廻されて身動きが取れない悧羅の膝には、飛びつくように皓滓と灶絃が抱きついて頭を預けてしまう。そういえば戻ってきた時も珍らしく紳が悧羅を抱えあげていなかった。
「…取られたんだよ」
あー、と頭を掻きながらぶすっと呟く紳に、加嬬が茶を差し出してくれる。
「今までずーっと我慢してきたんだと。悧羅を膝に乗せたり抱き上げたりってそういうことは、俺しか出来ないって思ってたんだってさ」
「え?そうじゃなかったの?昨日まで、父様だけの特権だと思ってたけど。ねえ?」
「うん。忋の兄様は別にしなきゃだけど、それは変わらないって思ってたんだけど?え?もしかして?」
啝咖と一緒になって首を傾げていた玳絃が、ぱあっと顔を輝かせた。
「そのまさかだよ。忋抖が加わったから我慢するのも止めるんだって。あー、俺の悧羅が…」
「うっわあ!」
頭を抱える紳を他所目に、歓喜の声を上げて玳絃まで悧羅の前に駆け寄って手を取った。
「そうだよね。忋の兄様に許されてることが俺たちに許されないなんて無かったんだよ!うっわ、気付いたの誰?最高じゃないか!」
取った手に口付けてしまう玳絃に、ああ!、と紳と忋抖が揃って叫ぶ。
「ちょ!玳絃!そういうのは駄目!」
「えー?子が母にするのの何が駄目なのさ?」
揶揄いながら頰に口付けられている悧羅も、おや、と笑ってしまっている。
「じゃあ俺たちもいいってことじゃないか」
「何だ、もう我慢しなくていいの?」
互いに手を合わせて走りよる瑞雨と憂玘まで加わって、あーあ、とますます項垂れてしまう紳を、忋抖がぱしりと叩いて気を取り戻させようとするが、なかなかに上手くいかない。
「悧羅も笑ってないの!ほら、父様もしっかりして!本当にちゃんと線引きしないと、こいつら堰を飛び越えちゃうって!」
「いやもう無理だろ。お前に任せるからどうにかしといて。加嬬、珩冥は?癒しが無い」
「父様!!」
早々に考えることを放棄した紳を忋抖が諌めるが聞きはしない。珩冥は妲己と寝ている、と伝えられてますます肩を落としているばかりだ。
「そうだ!姉様、加嬬、啝咖!こんなので良いの?」
「え?だって母様って特別だし。むしろ私もしたい」
「いいなあ。私もぎゅってしたい」
「そうでございますねえ。長であれば致し方ないかと。どちらかといえば、よく堪えておられたものと思いますよ。さすがは私の皓滓様です」
紳を頼りにするのを止めて3人に助けを求めたが、どうやら無駄だったらしい。ふふっと媟雅と加嬬、啝咖に微笑まれて、ほらね?、と舜啓、皓滓と灶絃が胸を張る。
「あーもう、悧羅戻ってきて。父様が砂になっちゃうって」
「ん?砂にはなんないぞ?どうにかなるだろうし」
「父様、そういうことじゃない」
はあ、と頭を抱えた忋抖の横で、呑気に茶を啜る紳に一瞥を投げるが何処吹く風だ。
「悧羅にそういうことできるのは俺だけだって、そう思っててくれてた方がまあ良かったんだけど、仕方ない」
「仕方ないじゃないって。どうするんだよ、止められなくなるよ?」
苦笑しながら嘆息する姿に呆れてしまう。加嬬が差し出してくれた茶を、礼を言って受け取ってから啜り始めると紳は肩を竦めて見せた。
「頃合いだったってことなんだろ。だって悧羅なんだぞ?側にいたら触れたくなるのは分かるだろ。心配しなくったって俺やお前だけが許されてるところまでは踏み込まないって」
「普通のいい歳した子は、母親を膝に乗せたり頰に口付けたりしないもんなんだよ」
「母様なのよ?」
見つめる先で子どもたちの好きにさせている悧羅に嘆息してしまう忋抖と笑う紳の間に、よいしょと啝咖が座る。へえ、と忋抖の右耳に埋められた飾りを目にすると手を伸ばして検め始めた。
「普通の母と比べちゃいけないの。あの姿で800超えてるとか信じられないもの。私より若く見られるんだから」
啝咖が触れるたびに銀糸が揺れて、忋抖の首筋に花弁の玉が当たる。
「まあねえ」
「私だって自慢したいもの。私はいつでも母様に好きに触れられるんだぞーって」
忋抖の飾りから紳の飾りに手を移して啝咖が、ね?、と紳の腕に自分のを絡ませた。
「父様だってこうだから自慢したり甘えたりしたかったんだけど、抑えちゃってたんだよね。別に甘えたって父様も母様も困ったりはしなかったんだろうけど」
「え?なに啝咖?甘えたいの?抱っこしてやろうか?」
腕に擦り寄られた紳が幼子にするように啝咖を抱え上げると、きゃあ!、と嬉しそうな声を立てた啝咖が紳の膝に収められた。
「なーんだよ啝咖あ。父様に甘えたいならいつだって良かったんだぞ?」
「あはは、擽ったいって!だって甘えたくても父様が母様から離れることがなかったんじゃない」
「それは、ごめん」
ぐりぐりと啝咖の背中に擦り寄る紳に包まれた啝咖が、本当に幼子のようで忋抖も苦笑してしまう。
「これからたくさん甘えさせてくれたら許してあげるよ。たまには一緒に過ごしたり共寝してくれたりする?」
きゃはは、と笑い続ける啝咖に頭を押し付けていた紳が、その言葉でぴたりと止まった。そのまま啝咖を抱きしめて、悧羅の名を叫びながら急いで見やっている。
「どうしよう!可愛い娘から、とんでもなく可愛いお願いされた」
ふるふると喜びで身体を震わせながら顔を綻ばせた紳に、おやまあ、と悧羅も微笑んでいる。
「それはよろしゅうあった。しかと堪能せねばなるまいよ」
「うん、そっちもね。啝咖、お許しが出たから何時でも何処でもどれだけでもいいぞ?」
にこにこと御機嫌な紳に、はあい、と良い返事をした啝咖は、ね?、と笑いながら忋抖を見た。何に対して同意を求められているか分からない忋抖は苦笑を深めるしか無い。
「だからこういうことだと思うのよ。私たちって何気に我慢してきたじゃない?長と近衛隊隊長の子ってのは勿論だけど、忙しい2人の手を煩わせないようにって子どもなのに無理してたところもあったでしょ」
「まあそれはね、確かにあった」
紳と悧羅の子であるということを煩わしく思わなかった事が無い、と言えばそれは偽りになる。長や近衛隊隊長という大役を2人が担っていなければ、と里の友とその親との関わりを見て羨望を抱いたこともあった。
甘えたい盛りの子どもであったのに両親に挟まれて眠った記憶は少ないし、何の目的もなく手を繋いで共に里を巡ったことなど無いに等しい。
強請れば当たり前のように受け入れてくれていたが、本当はいつでもそうしたかった。
本当は淋しかったのに、それを言えなかったし言ってはならないと思ってきた。煩わせてはならない、と自分の心を抑えつけていたのは2人の子であれば皆同じだろう。
「甘えたいのに煩わせちゃ駄目だって考えて、周りの視線を気にしすぎて迷惑かけちゃ駄目だって余計に自分たちを抑えつけてさ。私たちの父様と母様は凄く格好良くて綺麗なんだぞって自慢することも嫌味になるんじゃないかって怖がってたしね」
「実際、聞く奴が聞いたら嫌味にしか聞こえないってのはあるしなあ」
「そうそう。甘えたーい、自慢したーいってのよ。何も悪いことなんかじゃないのに、特にあんたや私はね?」
未だに紳に擽らている啝咖に、とん、と胸を叩かれて忋抖も肩を竦めてしまう。紳や悧羅に似ている、というだけで乗し掛けられた期待は他の姉弟妹よりも大きかった。むしろ出来て当然だと周りが思っていたことも知っているし、小耳に挟んでしまったこともある。それは能力だけでなく外見にまで及び、それ目的で情や恋仲の相手になって欲しいとまで願われた。
どんなに似ていても別物だ、と叫びたくなったことは1度や2度ではない。
かといって似ていることが嬉しくなかったわけでもない。
ただ、忋抖も啝咖も自分自身を見て欲しかっただけだ。
忋抖が似ている、という現実を本当の意味で受け入れられたのはほんの数十年前からでしかない。
「今は良かったって思えてるけどな」
「うん、それは私も同じなんだけど。だからね、小さい頃に甘えたり自慢出来なかった分を、今、皆取り戻したいんだって思うのよ。忋抖は忋抖のままで良いって言ってくれる2人だから思う存分やっていいって、あんたが教えちゃったのよ」
ほら、と示された先では悧羅を膝に乗せたいと虫拳が始まっているようだ。ころころと笑っている悧羅が、母であり1番年嵩があるはずなのに、どうしたことか1番歳下に見えてくる。とはいえただの画として見たならば、絶世の美女が眉目秀麗な男たちを侍らせているようにも見えて笑えてきてしまう。
「うーん、画としてはあんまり良くないわねえ。子どもにはあんまり見せたく無い。樂采は?」
「あいつはもう慣れてるよ」
啝咖も同じようなことを考えたのか苦笑している。そこはやはり双子だからなのだろうか?いい歳をした男たちが悧羅に纏わりついているのに、樂釆は飄々として哀玥に身体を預けている。
「母様って話し方とかあんなんだから余計に落ち着いて見えるのかな?んー、でも若い。ねえ、父様、母様って幾つくらいで身体停まってるの?」
少し見上げるように聞いた啝咖を膝に置いたまま、ゆらゆらと揺れながら聞かれた紳が悧羅を見やった。
「前に言ってたのは28くらいとか?でも、ちょっと若返ってんだよね。最初に逢った時よりは上だと思うけど感覚的には25、6ってとこじゃないか?」
少し考えながら答えた紳に忋抖も啝咖もぎょっとしてしまった。30前後で成熟する者が多い里で28で停まったということも早めであり驚きだが、若返っていると感じていたことも勘違いなどではなかったからだ。
「え?何それ、私より若い。もしかしてまだそれ進んでる?」
「若返りか?いや、ないよ。ただ、そこが本当の悧羅の全盛期だったんだろ。そこまで巻き戻されたって感じ」
「父様が居なかったから?」
手を叩いて言う啝咖の言葉に紳は苦笑した。紳が側に居れなかった500年、悧羅は精気を獲っていない。その分、本来の能力が本当の意味で華開くことはなく、生命を削ることでどうにか立ってくれていた。身体の成熟が本来の完成から遅れたのも、そのせいだと思われても仕方ないだろう。紳が傍に居ることさえできていれば、あそこまでの無理をさせずに済んだはずだ。
「じゃあ父様は?」
若返っているのは悧羅だけではない。紳にも感じていたことだから当たり前の疑問だったのだが、聞かれた紳はきょとりとしている。
「俺?んー、周りからはそう言われるんだけど、あんまり分かんないんだよ。そんなに変わった感じしないし」
「いやいや、変わってるって。え?じゃあ幾つで停まってたんだよ?」
手を振りながら否を示す忋抖と啝咖に、紳が頭を捻った。
「32、3くらいだったかな?でも、その頃って本当に必死だったから気付いた時には停まってたんだよ。だからあんまり確かじゃない」
「ええっと、じゃあ単純に悧羅と同じくらい遡ってるとして…、29!?」
「いやだ、同い年!?」
ひいっと頭を抱えた忋抖と啝咖に紳が笑い出した。そうはいっても800年生きてきているし、鬼や妖にとって歳など大きな問題でも無い。ただの年月の積み重ねだ。同じような身体の成熟度であれ、経てきた経験の重さはどうしても違ってくる。
「悧羅が若くて綺麗なんだから、まあいいだろ。愛でる刻も沢山あるってことだしね」
「何言ってんの。悧羅は老いたって充分魅力的だよ」
「はいはい。2人の母様への惚気は充分よー」
紳の胸に頭を預けながら啝咖が不毛な争いを止めると、くすくすと笑う。忋抖がそうであると気付いたのは血族の中では多分、啝咖が早かった。忋抖自身が自覚する前からそうではないかと気になっていたし、本人がそうだと思っていなくても態度や視線に無意識の内に紛れ込んだ想いはそうそう隠せるものでもない。腹の中から一緒だったからなのか啝咖と忋抖の間だけの繋がりのようなモノもある。
忋抖の心が沈めば啝咖も痛む。
啝咖が泣けば忋抖も揺れる。
主に負の想いで繋がりあってしまうから、本当の意味で忋抖が救い上げられたのを1番喜んでいるのは啝咖だろうし、紳と悧羅に感謝してもしきれないのも啝咖だろう。
本当にどうすればこんな風になれるのか、成り代われるなら1度くらい頭の中を覗いてみたいものだ。
「ねえ、父様ついでだからもう1個きいていい?」
「何でもいいぞ。可愛い娘のお願いなら、父様が何でも答えましょう」
ぎゅうっと抱きしめられて啝咖が声をあげて笑いだす。
「母様って前からあんなに落ち着いてたの?私もあんな風になれるかな?」
質問が2つになってしまったが考え始める紳は気にもしていないようだ。啝咖が知りたいことなら答えると言った言葉に嘘は無いらしい。
「いや?最初に逢った時は啝咖みたいだったよ。姿形は変わらなくても800年は生きてきてるし、そうならなきゃいけなかったからで、なりたくてなったわけじゃないさ。でも、長いことああしてたから、今はあっちの方が楽みたいだし、無理して戻さなくても良いって言ってる」
「え、なに?そんなに大変だったの?」
目を見開く啝咖の頭を、そりゃあね、と紳が撫でる。話として聞かせていても見てきたわけではないのだから、啝咖が思い描けるのも、それまでだ。学舎や師たちから悧羅の足跡と功績を教えられても、紳のように見てきたわけではないし、ましてや血を混ぜたわけでもない。知り得ることなど、ただの結果でしかないのだ。
「支えてくれる者がいないとそうなるさ。ひとりで立ち続けるって決めさせちゃってたから。誰にも弱いところを見せられないのは、自分の首を自分で締めてるようなもんだからね。そうさせちゃってたのは俺だけど」
実際のところ紳だって知らなかったのだ。手を離してしまったことに後悔するばかりで、その後に悧羅がどんな渦に巻き込まれているのかなど見えていなかった。
側に行けて姿が見えるようになっても、何に耐え、何を諦め、何を1番切望しているのかさえ見えていなかった。
血を混ぜることを許された、あの瞬間まで。
あの時流れ込んだ悧羅の想いと経てきたすべての表情を、紳は生涯忘れることはないだろう。
苦笑を深める紳の膝の上で、うーん、と啝咖が頭を捻った。
「父様は自分の責だってばっかり言うけど、私はそうは思わないけどね」
自嘲する紳の左手を啝咖が取って自分の前に持ってくる。うん?、と苦笑する紳の契りの疵をなぞりながら、ねえ?、と忋抖にも同意を求めた。
「だってそれが無かったら私は私として生まれてなかったかもじゃない?忋抖とも双子じゃなかったかもしれないし、もしかしたら父様の子でも無かったかもしれないでしょ?」
「お前と双子じゃなかったら俺は何だったんだろうねえ?父様と悧羅の子じゃない自分なんて考えられないよな」
「そうなのよ。父様はぜーんぶ自分が悪いって思ってるみたいだけど、母様だって自分で考えて自分でやったんだから、そんなに自分を責めることないのよね。でなきゃ私が私であることも、忋抖が忋抖としていれることだってなかったんだもの」
くるりと紳の契りの疵を啝咖が忋抖に向けると、ぴんっと指で弾かれた。
「そうしたらこれも俺のモノだったかもよ?父様の方こそ、ちょっと荷を降ろしてもいいんじゃない?俺もいるんだから、これから先は一緒に支えられるしね」
ふふっと笑う忋抖に紳も苦笑してしまう。
「生意気だって言いたいけど、それもそうか。お前がいるもんな」
「何だったら全部任せてもらってもいいよ?あ、悧羅だけね。あとはまだまだ父様がいないと始まんないから」
「それは良いトコ取りっていうんだよ。荊軻に叱られる役割も貰ってくれてとんとんだ」
「それはごめんなさい」
両手を挙げて降参を示した忋抖と、それを揶揄う紳に啝咖が、くすくすと笑いだした。
「母様の頭の中が分かるなら1日くらい成り代わりたいって思ったけど、やめといたほうが良さそうね。父様と忋抖の2人なんて、受け入れきれずに潰れて壊れそう」
あはは、と笑う啝咖に紳と忋抖が顔を見合わせた。啝咖の言うことには、多分そういった意味も含まれているのが知れて、苦笑するしかない。
「啝咖は啝咖のまんまで充分だよ。何にも変わらなくったって良い、自慢の子だからね」
「お前が悧羅と代わったって父様も俺もすぐ気付くからね?それにそういった刻まで一緒にする気は毛頭ない」
「え?そうなの?愉しそうなのに」
きょとりとしながら首を傾げる啝咖を抱きしめながら、紳がにやにやと笑い始めた。どうやら悪戯心に火が点いてしまったらしい。やばい、と助けを求めて悧羅を見たが相変わらず男子たちに囲まれている。変わったのは皓滓の膝に乗っている、ということくらいだ。
あー、駄目だ。
揶揄われる先しか見えなくなって忋抖が頭を抱える間も、紳と啝咖は話を進めている。とりあえず諦めて勝手に話して、勝手に終わってくれるのを黙って待つしか無い。
「絶対愉しいと思うんだけどなあ。父様も嫌なの?」
「嫌ってことはないよ?でも、悧羅は1人しかいないから無理させちゃうかな」
「え?でも日に何度もより良いんじゃない?例えば昼間が忋抖で夜が父様とか、そっちのほうが無理しそう」
真面目な顔をして何の話をしているのやら、と忋抖は嘆息してしまう。放っておいて先に寝てしまおうかとも思う。
「だってよ、忋抖?」
「俺を巻き込まないで」
話を振られるが手を振って去なす。
別にそういう愉しみ方があっても良いとは思うが、忋抖はそうしたいとは思わない。
というか自分の手以外で堕とされる姿など見たいとも思わないし、それが悧羅であれば尚更だ。
もしも、万が一、仮にそうなったとしたら、きっと忋抖は悧羅を壊してしまう。
これまでだって紳への遠慮と悧羅への負担を思えば、あまり無理をさせられなかったのに。
けれど忋抖が悧羅のものだと知らしめられたことで、もう遠慮も配慮もしなくて良くなった。
本当は今、この時でさえ舜啓たちから取り上げて腕に収めたいのを堪えているというのに、この2人は。
「もう、忋抖。せっかくなんだし愉しんだ者勝ちよ?」
「だよねえ。あ!じゃあ悧羅が望めば良いの?聞いてみる?」
「絶対やめて!悧羅まで巻き込まない!」
本当に悧羅を呼ぼうとする紳を、忋抖は呆れながら止めた。話を聞けば悧羅が一緒になって揶揄うのは目に見えている。それで是などと言おうものなら、本当にそうなってしまう。
「本当に硬いんだから。あ、もしかして忋抖、どっちかを受け入れてる時に、もう1人はどうするの、なんて考えてる?」
「は?いやそういうことじゃなくて」
きょとりとしたままの啝咖が宥めるように忋抖の肩を叩くと、それまで調子に乗っていた紳が、ん?、と眉を上げた。
「大丈夫、大丈夫。こっちがあるでしょ?」
「うん!?」
にこっと笑って自分の口に指を当てた啝咖に、紳がむせこんでしまった。もともと情を交わすことに対して奔放なのが啝咖だ。どうせ交わすなら愉しめ、というのを弟妹たちにも教えていたのも啝咖だ。こういう性格だと分かっているのだから、一緒になって話を盛り上げれば、とんでもない火種を落とされることなど分かっていただろうに。
なにが悲しくて双子の妹の閨事情まで聞かされなくてはならないのか。
大きく嘆息して紳を見ると、頭を抱えてしまっている。そういうこと自体を責める気はないのだろうが、つい口に出してしまうところだけはどうにかしたいのだろう。
「父様、しっかり娘に教えてやらないと。特に灶絃っていう、ぶっ飛んだ唯一持っちゃってるんだから。あれと合わさると、とんでもないことになるよ?」
「えー…、忋抖手伝ってくれない?俺だけじゃ話にならない気がする」
「嫌だ。一緒になって揶揄うからでしょ?」
べっと舌を出して忋抖が立ち上がると、皓滓の膝の上から悧羅を引き取って子どものように抱き上げる。
「あーもう!兄様!」
悧羅を取られてしがみつこうとする弟たちを足で払うと、不満の声が上がったが放っておく。
「俺、明日休むから。父様は、しーっかりと啝咖に教え直しといて。あ、灶絃。啝咖は今日、父様と共寝するらしいから樂采のこと頼んだ」
「え?ちょっと忋抖!まだ今日どっちって決めてない!」
「煩い。調子に乗った罰だよ」
あはは、と笑いながら部屋を出ると悧羅まで声を上げて笑い出した。どうせ聞こえていただろうに悧羅も面白がって止めもしなかったことくらい、聞かなくても分かる。
「ほんに啝咖ばかりは、妾にも読めぬことを申すもの」
「父様も父様だよ。一緒になって俺を揶揄うから、こうなるの」
さっさと道を辿って自室に入ると寝所まで一直線に進んで、整えられた寝所に座りながら御簾を降ろす。誰であろうとこの先の悧羅の姿を見せるわけにはいかない。
「だいたい悧羅だってそういう嗜好はないでしょ?」
よいしょ、と悧羅を膝に乗せると、くすくすと笑いながら身を起こして忋抖の右耳に顔を近付けた。
「そうさの、紳と忋抖が物足りぬと申さば考えねばなるまいが」
「じゃあ、大丈夫。むしろやっと遠慮なく壊していい許しをもらえたのに、飽きるとかない」
寝間着をずらして胸に吸い付くと、飾りを手に取ろうとした悧羅の身体が震えてしまう。ちりり、と小さな音を立てて光る飾りが、仄暗い寝所の中で揺らめき始めた。
「おや、遠慮などと。手を抜いておったように聞こえてしまうではないか」
「それはそうでしょ?借りてたんだから、本当の意味で思い通りになんてできるはずがない」
小さく嘆息して白い肌に歯を立てると赤く跡が残る。
本当は今までも肌を合わせる度に、忋抖のモノだと刻みつけたかった。
滑らかで陶器のような肌のすべてに、跡を残したかった。
悧羅が忋抖との一時を、ほんの一瞬でも思い出してくれるように。
跡を見て忋抖を欲しいと願ってくれるように。
悧羅を腕に収める毎に、忋抖の中に湧く獣じみた醜く浅ましい考えなど悧羅は知らないだろう。
舌や唇を這わせていくと甘い声が少しずつ聞こえてくる。自分の手が悧羅を堕とし始めていると思える、唯一の刻だ。
「この表情と声は俺のなんだから、たとえ父様でも見せてやれないね」
ぽすりと悧羅を寝所に押し倒すと、するりと首に腕が廻された。引き寄せられるように口付けると廻されている腕に力が入る。
「ではもう手は抜かぬのかえ?」
「手加減しなくてよくなったもん」
悧羅の身体の彼方此方に跡を残して行くと、おやまあ、と揶揄うような声がした。そこまで変わりはしないと思っているのだろうが、甘い。
「そんな余裕見せてていいのかな?」
深く口付けながら悧羅の脚の中心に指を這わせると、びくりと身体を震わせて重ねた唇からくぐもった声がした。手が動き始めると反射的に脚を閉じようとするが、片脚は忋抖が身体で押さえつけているから無理だろう。
「ごめんね?我慢しなくて良くなったから、意地悪するよ」
口付けは解かずに片手で腕の中に留めおく。動きを封じて脚の間だけの刺激を速くすると、悧羅のしがみつきも強くなる。絡ませていた舌がくぐもった声とともに1度外れると、腕の中で悧羅がびくりと跳ねた。
「あれ?まだ外なのに」
外れた舌を絡め取って、より逃げられないように引き寄せながら悧羅の中に指を入れてかき混ぜ始めると、堪え切れない甘い声がくぐもったまま忋抖の耳に届く。これまで何回も聴いてきた声なのに、どういうわけか今日は一段と甘く聞こえてくる。
「や…っ、忋っ、とっ」
「んー、嫌じゃないでしょ?」
息を継ぐように口付けから逃げようとするのを引き戻して、都度手の動きを変えると悧羅は難なく果ててしまう。立て続けに何度も果てさせると、いつのまにか押し戻すように胸に当てられた手が小さく震えてくる。口付けを解くと、果て続けたことと息も上手く継げなかったことで、荒れた呼吸を繰り返している悧羅が見えた。潤んだ目と、紅く染まり始めた肌と、漏れる吐息全てが愛おしくて堪らない。
「忋、抖」
震える声で名を呼ばれるだけでぞくりとしてしまう。
「まだまだ。意地悪するって言ったよね?」
啄むように口付けながら手を動かすと、ふるふると頭を振って見せる。
「…やっ…、ちが、うっ」
「…こっちじゃないの?」
ぐるりと悧羅の中で手を廻すと、甘い声とともに身体を仰反らせたが果てる寸前で忋抖の動きが止まる。
「分かった、こっちかな?」
するり、と悧羅の身体から手を離した忋抖が脚の間に顔を埋めた。違う、と止めようとした悧羅の声が喘ぎに変わってしまう。先程、寸前で止められたところにぬまりとした感覚が這うと背中を痺れが走った。強い刺激を与えられているわけでもないのに、ゆっくりと舐め上げられ、吸い付き、時にナカに入られては果てることを止められなくなる。せめて休ませてくれ、と願うと一旦そこから離れてはくれるが、ほんの一時だ。足先からなぞるように忋抖の舌と唇が這うように上がってきては、また同じように嬲られる。
果てすぎて目の前が白んでくると、身体の何処かで爪や歯が立てられて戻される。焦らされすぎて、もどかしくて名を呼んでも口付けが返ってくるばかりで、また嬲られる。名を呼ぶだけでは応えてもらえないのは分かったけれど、願おうにも顔も見えない。果て過ぎて力も入らず、与えられる刺激で震わされながら、どうにか半身を起こす間にも何度も果てさせられてしまう。ようやく腕を伸ばして忋抖の顔に触れられた時には、与えられる刺激は強くなりすぎていた。
「忋抖、入…、って?」
喘ぎの中から掠れるように出された声に、悧羅に与えられる刺激が止む。視線を上げた忋抖に、紅く火照った肢体が見えた。
身を捩ってどうにか半身を起こしたものの、すぐに崩れて落ちそうな姿。
目は蕩け、吐き出される吐息の熱で唇まで潤ませた悧羅に名を呼ばれて、忋抖は大きく嘆息するしかない。
「…悧羅、それは勝てないよ?」
あまりに艶かしい姿に口付けながら押し倒す。
このまま、勢いのままに貫いて壊れるまで突き上げて、声が枯れるまで甘く鳴かせたい。
嫌だと訴えられても、待てと願われても、ひたすらに攻めて甘い声で名を呼ばせたい。
果てても意識を手放しても引き戻して、求めて縋りつかせたい。
湧き立つ衝動を必死に押し殺す。
「忋抖が入ってくれなんだ」
少しばかり頰を膨らませる悧羅に忋抖も笑えてくるが、堪えられないのは忋抖だって同じだ。入るために当てがうと待ちきれないように身を捩ってくる。
「意地悪するって言ったでしょ?もう待てないの?」
「そう申しておるに。たんと待たされたえ?」
しなやかにするりと首に廻された腕も、忋抖を迎え入れるために開かれ立てられた膝も、冷たくなって小さく震え続けている。悧羅の全てで忋抖を欲しいと訴えてくれているかのようだ。
「でも入ったら出れないよ?悧羅が壊れるまでやめない。良いのかな?」
「忋抖が壊したいと望む女が他におらぬのならば」
ふふっと微笑まれて忋抖はもう一度大きく嘆息する。
そうだ、こういう女だったのだ。
忋抖がどれほどの欲を出しても、意地悪な姿を見せても、情けなく涙ばかり流しても悧羅はそれでいいと言ってくれる。
それなのに時折見せる独占という名の檻で容易く忋抖を絡め取って離さない。離れられるなら離れてみろ、とでも言うように容易く堕とされる。堕とされた先にあるのは這い上がることなど出来ない沼なのに、悧羅に沈められるなら、倖でしかない。
「悧羅以外に俺がそんなこと望むと思う?」
「ならば壊してもらわねば。忋抖の手で、忋抖のすべてでの。妾に全部くりゃるのであろ?」
艶やかな微笑みに見つめられて、忋抖はがっくりと項垂れてしまった。少しだけ中に押し入ると悧羅が息を呑んでいる。
「いらないって言われても、もう離れてやれないもんね。俺は全部あげたけど、悧羅は他に何くれるの?」
ゆっくりと進むが、いつもよりも中が狭い。うねり、絡みつき、絞り上げられて、尋ねながらも、きっつ、と呻いてしまった忋抖は、息を呑みながら出された言葉に動きを止めた。
「すべ、て」
「は?」
奥まで入ってしまうと果てさせてしまうのが分かって、ぴたりと止まった忋抖を不満そうに悧羅が見上げている。
「なに言ってんの。これ以上は貰えるものなんかないって。それこそ全部とか無理でしょ?」
するっと頰を撫でてやると、悧羅が目を細めた。尋ねたものの、さすがにこれ以上何か貰えるなどとは忋抖も思ってはいない。これ以上の欲をかいてはならないのも分かっているし、本当にもう充分なのだ。
「なれど忋抖のすべてを貰い受けるとなれば、妾も相応しきものを差し出さねばなるまいよ?」
「血の誓約も華の印も、揃いの飾りも民達からの祝も、貰えるものは全部もらったよ。悧羅と今こうしていられる認めだってもうもらってる。心だって半分くらいは俺のものでしょ?ほら、もうないじゃない」
指折り数えて見せると、片手では足りなくなっていることに忋抖も驚いてしまった。叶うことなどないと思っていた願いは叶えられ、今では身に余るくらいになっている。10年前では決して考えられなかったことだし、考えてはならないとまで思っていたのに。
「そうさのう、あとわずかばかり妾が差出さば、忋抖も紳と同じほどには持てようて」
「だからもう出せるものないでしょ?無いもの考えるより、俺が貰えないもの数えた方が速い」
もう!、と肩を落としながら頬に口付けると、びくりと身体を震わせている。それでも手を伸ばして顔を包んでくれる悧羅は、首を傾げて微笑んでいた。
「おや、ならば何を持たぬか言うてみい」
「えー、いまあ?」
出来れば今は全部忘れて悧羅に溺れたいのに、頬を擽ってくれる忋抖の愛しい女は、それを許してはくれないらしい。
「心の瘧は無きものにしておかねば、妾を壊しとうても壊し切れまいよ」
まるでいつかのあの時のように、悧羅が忋抖の頬を擽り続ける。
「ほれ、この際じゃ。言うてみればよろしかろう。忋抖が望むのは何ぞ?忋抖が心から欲っするのはどのような在り方じゃ?」
揶揄うように出された言葉に忋抖は苦笑してしまう。
あの時と同じ言葉。
あの時と同じ状況。
あの時望んだモノだって叶うはずがなかったのに叶えてくれた。
忋抖が今呑み込んでいることを伝えても、きっと悧羅は笑って受け入れてくれるだろう。
「我慢するなって言われたんだったなあ」
ぽつりと呟くと、ふふっと悧羅が笑っている。
「あの時より随分と欲張りになったんだけど、良いのかな?」
「思うておるだけでは叶わぬものもあろう。言うてみらば何ぞ出来ることもあるやもしれぬ」
ほれほれ、と促されてしまって、ますます苦笑してしまう。
「んー、じゃあ心?」
「もう差し出しておるな」
「じゃあ精気の交換?」
「受け流してはおらなんだが?」
「父様と同じ道を貰えたら、俺からも受け入れてくれる?」
「道が欲しゅうあるのか?ならば王母に言わねば。道がなくとも忋抖が譲ってくりゃるなら拒むことなどありはせぬ」
思いついたことを次々に言ってみるが、悧羅は当たり前のように応えてくれる。精気だけは紳からしか受け取らないと決めていたはずなのに、それさえも忋抖のために捨てるなど、紳と忋抖に優劣などつけない、と言ってくれているに等しいことだ。
「えー、じゃあ子どもとか?」
「それは天に任するとしよう。授かりもの故」
くすくすと笑う顔に忋抖が、するりと悧羅の下腹に手を伸ばす。滑らかな陶器のような肌であるのに、そこだけは引き攣れてざらりとした感触が伝わってくる。
そういえばこの疵痕も、今日まで幾度も肌を重ねたのに触れることも見ることも無かった。いつの間にか隠されてもいなかったことに、ははっと笑えてしまう忋抖の頬を悧羅が、とんとんと指で叩いた。本当に欲しいモノを言え、とでも言いたげな動きの中で右手の手首の消えない疵が見えた。
忋抖が本当の意味で欲しいもの。
手に入らないと分かっているから、貰えたもので充分だと言い聞かせなければならないモノ。
どんなに悧羅が受け入れてくれても、変えられない唯一のモノ。
こればかりは、どうしても変えられない。
そんなことは分かっているのに。
それでも『言え』と言われているような気がしてしまう。
もう偽るな。
もう堪えるな。
もう隠すな。
すべて吐き出して曝け出してしまえ、と。
「…契りたかったなあ…」
ようやく出した忋抖の本音に悧羅の指が一瞬だけ動きを止めたが、すぐにまた動いて今度は唇をなぞり始める。
「…ようやっと言うてくれた」
ほうっと小さく嘆息する悧羅に、忋抖は苦笑してしまう。
言ったところでどうにかなるようなものではない。
だから敢えて言わなかっただけだ。
言っても困らせるだけだったから、言えなかったという方が正しいかもしれない。
「契りは、ちと難儀じゃのう」
「難しいじゃなくて、無理なの。分かってるって」
「なれど忋抖とは血の縛りも結んでおるに、大した違いはないのだが」
「だから、大丈夫だって。分かってるから」
ふむ、と考え始める悧羅に忋抖は肩を竦めて額を付けた。これ以上問答を続けると、とんでもないことを言い出しそうだ。
「もう充分だから、あんまり考えないでよ。それより壊させて?」
くすくすと笑いながら口付けると、ふふっと悧羅が笑って忋抖の唇に爪を立てた。ぴりっとした痛みに首を傾げていると、悧羅自身も指に爪を立てている。
「えっ?何してんの!?」
じわりと滲む血を眺めてしまうが、口に含んでは傷が重なってしまう。慌てて癒そうとした忋抖の手を悧羅が阻む。
「契りと縛りの異なりなど小さきもの。契りは互いの諾の上で血を混ぜる」
「え?まあそうだね」
「誓約の縛りは、どちらか一方の血で結ぶ」
「え?ああ、そうなの?そういえば俺だけだったね」
確かに縛りを強く望んだ方だけに傷を付け、吸いこまれた血の代わりに印が貰えた。
「ふたつ、互いのすべてが流れこまぬこと」
何を言わんとするのかがわからなくて、きょとりとしてしまう忋抖を悧羅がくすくすと笑ってみている。
「妾の経てきたことなど忋抖は知りとうないと思うておったが。もしや知らぬが故に心苦しゅうなるかえ?」
「ん?」
ますます首を傾げる忋抖に悧羅は微笑みを深くする。
「契りを捨ててやりましょう、とは言えぬが許してたも。紳は妾の唯一故」
「そんなの知ってる」
「なれど忋抖は、妾の無二。ならば妾のすべてを知っておらねばなるまいよ」
「ん??」
きょとりとし続ける忋抖の傷に悧羅が血を付けると、知らない記憶が身体を駆け抜けた。濁流の波に呑まれるように忋抖の身体を巡ったそれは、あまりにも重い。思わず、うわっと頭を振って追い出したくなるほどの画の量に倒れ込むと、悧羅が腕を伸ばして包んでくれた。
「ほれ、これで同じであろ?」
ぎゅうっと抱きしめられた忋抖の身体が、小さく震えているのは自分でも分かる。息を継ぐことも苦しくなるほどの思いを、大きく息を吐いて少しずつ落とし込む。ぽんぽんと背中を叩く悧羅が、その細い身体に抱えてきたものは、忋抖の想像を遙かに凌いでいた。
とてつもなく大きく、とてつもなく苦しい。
その根底にある紳への想いと渇望。
長としての重圧、生命を背負う覚悟。
そして、忋抖への想いと願い。
「…これ、俺に預けて良かったの?」
まだ震え続ける腕で悧羅の細い身体を抱きしめると、すりっと擦り寄ってきた。
「紳と共に支えてくりゃるのであろ?」
「…聞いてたんだ?」
ふうっと息を吐くと、聞こえただけだ、と悧羅が笑う。
「唯一の紳が知っておることを、無二の忋抖が知らぬなど可笑しなこと。すべてあげましょう、と言うたは偽りではないに」
「貰いすぎだよ。返せるものが見つからない」
こんな形で悧羅の800年を貰えるとは思っていなかった。貰ってはならないと思いこんでいた。どんなに色々なことを叶えられても『契り』と『唯一』だけは変えられないと分かっていたのに、悧羅は本当に容易く手を伸ばしてくれる。
流れ込んだ思いの中の忋抖は、子としての刻から、ひとりの男として姿を変えていた。
悧羅の中で本当に『無二』だと位置付けられていた。
忋抖を受け入れると決めた刻から。
救いあげると紳と決めた刻から。
忋抖が本当に悧羅の傍にいることを決めれた日まで。
ずっと忋抖の心の棘を抜く刻を待ってくれていた。
これほどのものを貰い受けて、安息の場まで貰えて、何を返せば良いのかが本当に分からない。
「返すなど。妾はもう忋抖のすべてを貰うてしもうておる」
「安すぎだって。吊り合いがとれない」
顔を上げて悧羅を見ると、おや?、と笑われてしまう。
「里の女子衆に手籠にされかかるような男じゃて。そのような男を2人も傍に置くるなど釣りを払わねばなるまいよ」
くすくすと笑い続ける唇を啄むと、ますます悧羅が笑う。
「じゃあ悧羅が欲しいって思ったものがあったら言って。全力で叶えてあげる」
伝えながら深く口付けてぐっと押し進むと、悧羅の身体がびくりと震える。
本当に何もかもがあの時と同じで笑えてきてしまう。違うのは忋抖の立ち位置だけだ。抱きしめていた腕を緩めて突き上げ始めると、唐突に与えられ始めた快楽に悧羅から甘い声が飛び出してくる。あれだけ焦らした上、中に入ったままで止まっていたのだ。話している中でも忋抖自身も締め付けられ続けて、ともすれば呼吸するごとに持っていかれてしまいそうだった。攻め続けると先程の寒気や震えなど無かったもののように、互いの肌が熱を持つ。荒れる息遣いも、しっとりと汗ばんで火照った身体も、喘ぎを漏らす唇も、この瞬間の悧羅だけはすべて忋抖のものだ。
攻める速さはそのままに忋抖が悧羅の子袋を捉えると、甘い声がより甘くなる。仰反ってくる身体を肩を抑えて留めると、背中に廻されていた腕が滑り落ちようとした。
「悧羅、離しちゃ駄目」
固く閉じられた瞼に口付けると背中に爪が立つ。こつりと子袋の入口を捉えるたびに息を呑んで身を捩る姿がいじらしくて、そこだけに当たるように動きを変える。途端に大きくなる喘ぎと跳ねようとする細い身体を片脚を掴んで戻す。
「…っ!やあ…っ!っか…、…かいっ…!忋抖っ!」
反り返る身体を必死にしがみついて、離れないように抗う悧羅から名を呼ばれる。開けられた瞼の奥で潤んだ瞳から涙が溢れた。ますます攻め立てると何度も名を呼ばれる。
その意味を忋抖は視て知っている。
「…いいの?」
それは紳だけに許されていること。
「…も、うっ!む、りっ!…かい、とっ、忋抖っつ!」
「…本当にいいの?」
荒れた息の中から尋ねると、勢いよく顔を掴まれて引き寄せられた。半身を浮かせて深く口付けた悧羅が、待っていたように激しく跳ねて果てると、締め付けられて忋抖も欲を吐き出してしまう。くぐもった声と離されようとする唇を追いかけて塞ぎながら、起こされた半身を引き寄せて更に奥に入って掻き乱していく。
悧羅が果てるときに名を呼んで口付けをせがむのは紳だけのはずなのに。
紳が与えるすべてのものを取り溢すことがないように、縋って求めていたのに。
それまで忋抖に許すなど。
「…どれだけ倖にしてくれる気だよ…」
腕の中で喘ぎ蕩けた姿が滲んでしまう。
「あっ!…まっ…ってっ!…今っ、ま、だっ!」
「待たない、待てるわけない。待っては駄目」
より深く入った忋抖の刺激と、欲の熱で続けて果てている悧羅が間を空けずに昇りつめて果てていく。ぐりっと悧羅の最奥より深く入り込むと、身体が強張ったのが伝わった。
「うん、ここだね?」
座った膝に悧羅を落とし込んで抑えつけながら、上に逃げるのを阻んで、そこだけを攻めて突き上げると子袋が降りてきたのがわかる。
「あっ!…やっ、だあっ!…そこ、っ!んあっっ!」
ちかちかと白んでくる視界の中で、白銀の髪が揺れていた。灰色の眼は悧羅の目を捉えて離さないだけでなく、ひたすらに突き上げられて声を出すことも息を継ぐことも許してもらえない。開かれた脚を忋抖の身体に絡み付けると、ますます奥に忋抖が触れて、悧羅の奥からナニカが迫りあがってくる。一度だけ紳との間で感じたそのナニカは、あの時よりも勢いを増して悧羅の身体と意識を奪おうと触手を伸ばしてくるようだ。
「やあっ、だぁっ!忋抖っ!ナニ…っか、ナニか、っがっ…!!」
「うん、来るね。大丈夫、怖がらなくていい」
「…んあっ!やっ、だあ!…い、やっ!…来る、のっ!来ちゃ…うっ!!」
迫りくる快楽で何も考えられなくなる悧羅の首筋に、忋抖の舌と唇が這う。強く吸い付いて紅い跡を付けていると、また名を呼ばれた。冷たくなってきている悧羅の手足がより強く忋抖を絡め取る。
「あ…っ!…か、っいとっ!やあっ!…や、あだあっ!忋抖!」
白む意識を名を呼ぶことで手放さないようにでもしているのだろうか。それでも、この刹那、この瞬間に名を呼ばれることが忋抖に倖を与えてくれる。
まるでこの世に忋抖と悧羅の2人しかいないような、そんな恍惚感に、ますます滾ってしまう。
「…おねっが…っ!…忋抖っ!」
「もっと、たくさん呼んで」
「…も…っ!…か、いとっ!忋抖っ!… 忋抖っ、忋抖ぉっ!」
「うん」
上に跳ねそうになる悧羅を強く抱きしめて、深く口付けて舌を絡ませると、悧羅の身体がこれまでで1番強く、1番激しく跳ねる。痙攣する悧羅の忋抖を深く呑み込んで繋がった処から、生温かい水が流れた。忋抖の下腹をそれが伝って、悧羅の手足がだらりと投げ出されても動きが止むことはない。悧羅が意識を手放そうとするのを唇を噛んで捕まえる。追い討ちをかける動きに悧羅からの喘ぎも大きくなっていく。逃げようとするたびに追いかけて口付けて、何度も名を呼んでもらいながら果てさせ続けて、ようやく忋抖が2度目の欲を吐き出すと熱すぎる熱に悧羅の意識が、また白む。
倒れこまされると、まだ受け入れている最中に動き出されて容易く昇らされる。布団を掴んでしまうと解かれて、手を絡ませて縫いつけられては逃げ場など何処にも無い。
「手加減しないって言ったでしょ?まだまだ」
荒れた息で耳元で囁くように告げられて、かかる熱い吐息でさえも悧羅の身体を撫であげる。絡め取られた手に力を込めると、離れてしまわないようにより強く繋がれた。
「かい、とぉ…っ、こわっ…し、てえ…っ」
翻弄されながらも訴えたそれには、貪るような口付けが返された。
「最初からそのつもり。堕ちようとしても許さないから、ちゃんと全部受け取ってよ?しっかり壊されて」
ふはっと笑ったような忋抖の声は聞こえたけれど、姿は滲んでしまって見ることができない。それでも、揺れる飾りの光と忋抖の芳りが確かにそこにいると伝えてくれる。ひたすらに降り注ぐ忋抖の想いを受け止め続け、悧羅が声も出せなくなるまで交わされた情は、2人が同時に果ててそのまま眠りにつくまで一才の休息も許されることはなかった。
紳が忋抖と悧羅の姿を見れたのは、その3日後。
務めを終えていつものように中庭に降り立った紳に、縁側に居た子どもたちが揃って、しいっと指を立てた。
その意味など聞かなくても分かる。
見えた景色に紳も、ふはっと笑ってしまう。
紳を待っていただろう忋抖は哀玥に身体を預けて寝ているし、その膝には悧羅の頭が置かれている。妲己に包まれた悧羅からも穏やかな寝息が聞こえてくる。
これまで何があっても座って紳の戻りを待っていた悧羅からは考えられないことだ。
けれど。
「安らげる場処が増えたかな。…良かったね、悧羅」
ふふっと笑いながら悧羅の頬を撫でると忋抖の手の中で、飾りが光っている。忋抖の耳には付いているし、紳も外したりはしていない。となれば悧羅の分だろう。
「父様と一緒につけるんだって兄様言ってたよ?」
飾りを目に留めたのが分かったのか、皓滓が小さく教えてくれる。
「まーた、妙な遠慮してたのか?」
苦笑してしまう紳に、皆も肩を竦めている。
「忋抖だからね」
「できれば皆で一緒にっても言ってたよ」
「っていうか、俺らも欲しいって。ああ、そういう意味で、じゃないからね」
くすくすと笑う子どもたちに、頼んでみれば?、と紳も笑ってしまう。
さしずめの問題は今夜返してもらえるか、だ。
3日振りに見れた悧羅の寝顔に、自然と顔も綻ぶ。頬を撫で続けていると、ふいに妲己から名を呼ばれた。ん?、と視線を向けると深々と頭を下げている。
“ヌシが我が主の伴侶となってくれたこと、心から礼を言う”
「ええ?何、どうしたのさ?」
目を丸くする紳に妲己が、くっくっと笑う。
“ヌシがおらねば主のこのようなお顔を見ることなど、もう無かったであろうよ。惜しむらくは1度くらいは噛み砕いてやりとうあったがな”
「…死ぬんですけど…」
“だからだ。もう許してやるから、ヌシも荷を降ろせ。降ろした分は我が預かろう”
ふわり、と尾が頭に置かれて顔を隠されるが、目の前が滲んできた今は丁度良い。
“もう充分悔いたろう?なれど主をまた泣かすようなことがあれば、しかと噛み砕いてやるから案じておけ”
「…しないし…。だから死んじゃうんだって」
隠してくれていても、震える声音はどこまで誤魔化せただろう。どん、と背中に抱きつかれて廻された腕が樂抖のものだと分かるが今は振り向けそうにない。廻された小さな手に手を重ねると、妲己の尾が何本も頭に乗せられる。
『旦那様、小生からも心からの感謝を。主を苦しめんとして造られた小生を受け入れてくださったばかりか、大事な若君まで救いあげてくださるなど。旦那様の宝を共にお護りさせていただける、これほどの誉はございませぬ』
するりと伸びてきた蛇の尾が伝う涙を拭ってくれた。
『旦那様が主の伴侶であられ、忋抖若君の御父君であられたことを、天に感謝を申し上げねば』
「…俺のほうこそ、だよ。忋抖を護ってくれてありがとう、哀玥」
はあ、と大きく息を吐くと樂采が強くしがみついてくる。ぽんぽん、と手を叩くが離れない温もりに、ますます涙が溢れてきてしまう。
“ほんにヌシは変わらぬな。声をあげよ、吐きだせ、堪ゆるな。ヌシが若君に伝えたことなど、その昔のヌシに言わねばならぬことだ。あの頃のように我にしがみつかぬのか?”
「…うっさい」
くっくっと笑い続ける妲己の尾を掴むと、ごしごしと顔を擦られた。
“ヌシの罪などとうに泡となって消えておるわ。罰とて十分償うた。ヌシが悔やんでも悔やみきれぬ500年など、ヌシが戻ったときに、すでに埋められておる”
「それは言いすぎ」
尾を掴む手に力を込めてしまうが妲己は、ふふん、と鼻を鳴らした。
“ヌシが我の主にくれた倖は、もう主の手の中に収まりきれておらぬ。それが見えておらぬはずもなかろうに。足りぬと言うならヌシはさらに欲張れ。他でもない、我がヌシを見張り続けてやろうて”
「ありがたいような、怖いような、だよ」
“ヌシを引き倒せるモノなど我の他におるまい?しかと任されてやるから、案じておけ。倖になれぬなど口にしたときは、がぶりと喰らわせてやる”
「だから死ぬからね?結局、噛みたいだけじゃないか」
大きく嘆息すると、するすると尾が離れていく。頭を搔いてしまった紳の頬に、代わりにするりと手が伸びてきた。ばっと顔を上げた紳の前に悧羅が座って頬に触れてくれているのが見える。
「お戻りやし」
艶やかに微笑まれて広げられた腕に飛び込むと、張り付いていた樂采ごと包まれる。
「ただいま」
擦り寄るとさらりとした悧羅の髪が流れ落ちて紳の身体を擽っていく。ふふっと笑う悧羅の髪が紳を隠した。
「妲己に許された」
「おや、それはよろしゅうあった」
「まだ倖になれって叱られた」
「おやおや、妲己の申すことならば逆らえぬの」
だよねえ、と嘆息する紳にくすくすと悧羅の笑い声が振ってきた。
「これ以上、どうやって倖になれっていうんだか」
「なんの。紳が傍におってくりゃるなら、妾が倖にすればよいであろ。容易いこと」
当たり前のように出された言葉に紳も悧羅に廻した腕に力を込めてしまう。
「還る場処なんて悧羅しかない」
「ならばすぐにでも倖にせねばなるまいて」
ふふっと笑いを含んだ声が紳の耳に近付いた。ちりり、と揃いの飾りが揺れるほどに唇が近付けられると、耳を噛まれた。ん?、と首を傾げた時は遅かった。
「…おかえりなさい、紳…」
小さく囁かれた吐息混じりのそれは、紳以外に聞こえてはいなかっただろう。ばっと顔を上げた紳の顔が、あっという間に朱に染まると、その場にへたり込んだ。
「い、い、い、いまっ!今っ!?」
狼狽して顔を朱に染める紳に、子どもたちがきょとりとしたが、次にはにんまりと悪戯に笑いながら、わらわらと紳を取り囲み始めた。
「あれー?父様、どうしたのー?」
「うわっ!真っ赤じゃん?珍しい!」
「え?こんな紳初めて見た!悧羅、何言ったの?」
「あーもう!煩い!やめろって!触んな!」
顔を隠そうとする紳の手を掴んで覗く子どもたちに紳が抗うが、彼方此方から伸びる手が多すぎて払いきれない。あはは、と声を上げて笑う悧羅に、もう!、と紳が頰を膨らませてみたが、残った声音の余韻が凄まじい。
「これは、まだ駄目だからね!他には絶対に駄目っ!!」
「えー?俺も?」
背伸びをしながら悧羅の横に座った忋抖も、朱に染まった紳を見てにやにやと笑っている。
「500年早いっ!!悧羅、ぜーったい駄目だよ!?」
紳の必死の嘆願をどこまできいてくれるかは分からない。声を上げて笑い続ける悧羅を見やりながら、子どもたちの手を払った紳が妲己に飛びつくと、背中にしがみついたままだった樂采から、うわっ!、と声が上がった。
“ざまはないな。なれど倖などまだあると分かったろう?”
「破壊力が強すぎる」
くっくっと笑う妲己の尾に包まれて紳はぼやくしか無い。
けれど、妲己の言う通り、まだまだ倖は掴めそうだ。
「あー…、もう。ほんとに敵わない…」
妲己に隠れたままで、ちらりと悧羅を見やると目が合った。
「見てろよ!知らないからな!?」
まだ朱に染まったままの耳を、子どもたちに引っ張られながら伝えた言葉に、悧羅はころころと笑っていた。
お楽しみいただけましたか?
読んでいただいてありがとうございます。