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器【弍】《ウツワ》【ニ】

更新します。

小さな赤子(アカゴ)(カカ)えて湯殿(ユドノ)から出て来た忋抖(カイト)中庭(ナカニワ)(メン)する廊下(ロウカ)でふと(アシ)を止めた。(ミヤ)()らす者たちの部屋は悧羅(リラ)(マジナイ)によってきちんと個別(コベツ)に分けられているから(ミナ)(ツド)(トコロ)以外で会うことは少ない。もちろんそれぞれに()()は出来るが成人(セイジン)してからは特に自室(ジシツ)(ダレ)か来ることなど(ホトン)ど無いと言ってもいい。世話(セワ)をしてくれている磐里(バンリ)加嬬(カジュ)以外で自室を(オトナ)う者など無かったのに忋抖(カイト)の部屋の前の縁側(エンガワ)(シン)腰掛(コシカ)けて、しかも(カタワ)らには(ゼン)()()くすほどの酒瓶(サカビン)を置いて上機嫌(ジョウキゲン)(サケ)(アオ)っているのだから(オドロ)かないわけがない。(シン)姿(スガタ)を見るのは忋抖(カイト)悧羅(リラ)と共に(モド)って来た日以来(イライ)だ。()()()、と言いながら脱兎(ダット)(ゴト)悧羅(リラ)とともに(コモ)ってしまっていたから数えれば五日振(イツカブ)りだ。その間に(ツト)めにでも出ていようと思っていたのだが、それは磐里(バンリ)加嬬(カジュ)に止められた。


旦那様(ダンナサマ)よりしばらくはお休みになられますように、と(モウ)しつかっておりますよ。まずは小若君(ショウワカギミ)のことをなさるように、とのことでございます」


「しばらくって…どれくらい?」


「さあ?それは旦那様(ダンナサマ)にしかお分かりにはならないかと。どれくらいで()りるかと(アン)じられて(ワラ)ってもおられましたよ」


突然(トツゼン)赤子(アカゴ)()いて(モド)った(シン)(ミナ)に、忋抖(カイト)の子だ、としか伝えていないようなのだが忋抖(カイト)が帰ってきても(ダレ)()()以上を聞こうとはしてこない。磐里(バンリ)加嬬(カジュ)普段(フダン)から詮索(センサク)するようなことを(コノ)性格(セイカク)ではないし、妲己(ダッキ)たちは(スベ)てを知っているからこそ何も言わないでいてくれている。それは分かるのだが、(ミヤ)()らす舜啓(シュンケイ)たちや(ホカ)姉弟妹(シテイマイ)たちに(クワ)えて重鎮達(ジュウチンタチ)でさえも何も聞かないのだ。それなのに取り合うようにして姉弟妹達(シテイマイタチ)赤子(アカゴ)面倒(メンドウ)を見たがるのはどうにも()に落ちない。何でだろう?、と首を(カシ)げてしまった忋抖(カイト)にそっと教えてくれたのは哀玥(アイゲツ)だった。


『落ち着いた頃に旦那様(ダンナサマ)からお話になられる、と』


「なるほどね」


確かに(シン)が決めてそう伝えたのであれば疑問(ギモン)に思いはしても(ダレ)も口には出さないだろう。だが、()()()()()()というのは()たして(ミヤ)の中のことなのか、それとも紳自身(シンジシン)のことであるのか。


後者(コウシャ)だな、とひとり納得(ナットク)していたのだが待てど()らせど姿(スガタ)を見せなかった。それなのにひょっこりと(アラ)われて待っていたかのように()していられたのでは忋抖(カイト)も声の()けようがない。どうしたものか、と()れたままの(カミ)手拭(テヌグ)いで()きながら立ち()くしていると気付いた(シン)(アキ)れたように手招(テマネ)きしてくれた。


「何してんだよ?」


「いや、いきなり父様(トウサマ)が見えたから。あのさ父様(トウサマ)(オレ)…」


「いいからとりあえずこっち来いって」


立ち尽くしたまま言葉(コトバ)()まらせた忋抖(カイト)苦笑(クショウ)しながら(シン)は自分の(トナリ)を叩いた。その姿があまりにも()()()()()()()()()ことに一抹(イチマツ)不安(フアン)を感じながらも忋抖(カイト)(シン)(トナリ)まで歩いて行く。近付(チカヅ)いた途端(トタン)(ナグ)られるのではないかと内心(ナイシン)覚悟(カクゴ)していたのだが(スワ)った忋抖(カイト)(ウデ)から赤子(アカゴ)を引き取って()れた手付(テツ)きであやし始める(シン)にますます忋抖(カイト)唖然(アゼン)とするしかない。


「ほんっとに忋抖(カイト)そっくりだなあ、お前。…ん?、ていうことは(オレ)にも()てるってことかなあ」


赤子(アカゴ)の小さな(ホオ)をくすぐるように指で()でながら(ウレ)しそうに(ワラ)っている(シン)から、名前は?、と聞かれた忋抖(カイト)が、まだと(コタ)えると(アキ)れたような目で(タシナ)められた。


「はあ?お前何やってんの?」


「いや、それはちゃんと(カンガ)えがあるんだよ。それよりもとりあえず(ナグ)んなくていいの?」


「…馬鹿(バカ)なの?お前?」


(アワ)てて言う忋抖(カイト)心底(シンソコ)(アキ)れたとでもいうように大きく嘆息(タンソク)して(シン)妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)()んでいる。するりと(アラ)われた二人に赤子(アカゴ)(タク)しながら(シバラ)くの(アイダ)()()の近くに(ダレ)近付(チカヅ)かないようにと(タノ)んでいる。背に乗せた赤子(アカゴ)器用(キヨウ)妲己(ダッキ)が尾で()き留めて姿を消すと続けて哀玥(アイゲツ)もするりと(ヤミ)()けていく。


二人きりで(ノコ)された忋抖(カイト)も何か話さないといけないとは思うのだが何と言葉(コトバ)を出せば良いのかが分からない。何を口にしても忋抖(カイト)(シン)傷付(キズツ)けてしまったことは変わらないのだ。(タト)()()()(シン)(ユル)していると(オシ)えられていても、それをそのまま受け入れてはならないとも思う。忋抖(カイト)(メン)と向かって(シン)に心の(ウチ)(サラ)け出したわけでも、(ココロ)から()びて(ユル)しを()うたわけでもないのだから。


(ウナガ)されるままに(トナリ)(スワ)ってしまったがまずは頭を()げて()びることから始めなければならなかったのではないだろうか?


ぐるぐると考えを(メグ)らせ続ける忋抖(カイト)(ウデ)に、ぽん、と何かが()れて(イソ)いで()り向くと(シン)(サカズキ)を差し出しているのが見えた。は?、とまた呆気(アッケ)に取られる忋抖(カイト)勝手(カッテ)(サカズキ)を持たせると(シン)(サケ)(ソソ)ぎ始めている。


「…いやいや、待ってよ父様(トウサマ)(サケ)()みながら出来る話じゃないよ?」


「なんで?」


(アセ)った忋抖(カイト)(ウッタ)えてみるが(シン)苦笑(クショウ)しながら(カタ)(スク)めているばかりだ。


「なんでって…、(オレ)…」


悧羅(リラ)のことが、と続けたいのに(サキ)の言葉が続かない。()わりに(シン)への()びを伝えようとするのだがそれさえも口にすることが(ムズカ)しくて止まってしまう忋抖(カイト)の頭を(シン)はぽんぽんと()でた。


「まあとりあえず()め。言いにくいことなんて(ダレ)にでもあるんだから、たまには(サケ)(チカラ)()りたって良いんよ」


ふはっと(ワラ)いながら頭をくしゃりと()ぜられて忋抖(カイト)無性(ムショウ)に泣きたくなるのを必死(ヒッシ)(コラ)えた。(シン)の方が心穏(ココロオダ)やかではないだろうに忋抖(カイト)の心が(コワ)れてしまわないように(オモンバカ)ってくれるているのが(モウ)(ワケ)なくてどうしようもなくなってくる。


「何なら酒瓶(サカビン)ごといっとくか?」


今にも泣き出してしまいそうな忋抖(カイト)にますます笑いながら(シン)(サカズキ)酒瓶(サカビン)に置き()えて、ほら、と(ウナガ)してくる。(アキラ)めたように忋抖(カイト)(サケ)一気(イッキ)(アオ)って大きな嘆息(タンソク)()いてから(シン)を見ると満足(マンゾク)そうに笑いながら自分もまた(サケ)(アオ)り出した。


「…ねえ、父様(トウサマ)…。()母様(カアサマ)は?」


新しい酒瓶(サカビン)(ワタ)してくる(シン)()(ケッ)して(タズ)ねてみたのだがつい名を()ぼうとしてしまう。言い直したが(シン)には聞こえてしまっていたようでまた苦笑(クショウ)を深めていた。


「名前で()べば?悧羅(リラ)()()()()()()()言ってくれたんだろ?」


「…それは、そうなんだけど…。流石(サスガ)父様(トウサマ)(ユル)し無くできないよ。それに父様(トウサマ)の前でもそんなに気を()いてたら何処(ドコ)かでしくじって(ダレ)かに勘付(カンヅ)かれるかもしれないでしょ?…(オレ)は何言われたって良いけど、それで父様(トウサマ)母様(カアサマ)迷惑(メイワク)かけたくないし」


(シン)が引いてしまった(サカズキ)を取って(ソソ)ぎながら(カタ)を落とす忋抖(カイト)(シン)がまた(アキ)れたような顔をしてくる。


(ダレ)迷惑(メイワク)()かるって?」


「いやだから父様(トウサマ)母様(カアサマ)にだよ」


(サカズキ)(ニギ)る手につい(チカラ)()めてしまって(キシ)む音がした。下を向いてしまう忋抖(カイト)の頭にまた(シン)の手が置かれる。


「そりゃ間違(マチガ)いだな。忋抖(カイト)(ダレ)(オモ)おうが忋抖(カイト)の自由だしそれが(モト)(オレ)悧羅(リラ)迷惑(メイワク)なんて()かるわけないだろ?」


(ヤサ)しく頭を()でられて(オダ)やかな声音(コワネ)(サト)すようにいわれては(ナミダ)(アフ)れてくるのを(コラ)えられる(ハズ)もなかった。それでも(アフ)れた(ナミダ)(コボ)れてしまわないように(クチビル)を強く()んだ忋抖(カイト)(シン)(イタワ)るように()でてくれる。


「でも、こんなのおかしくない?(オレ)のせいで父様(トウサマ)母様(カアサマ)が変な目でみられるんじゃないかな?」


「そんなの(ワラ)い飛ばしてればいいんだよ。それくらいで()らぐような(シン)(キヅ)いてきたつもりもないし、お前が何したって(マモ)ってやれるくらいの自信(ジシン)覚悟(カクゴ)(オレ)らはとうの前から持ってるよ」


頭を()でていた手で忋抖(カイト)(ヒタイ)を軽く(ハタ)いて(シン)は笑う。


大体(ダイタイ)お前は考えすぎなんだよ。もう少し自分の心に正直(ショウジキ)になってもいいんじゃないの?」


そう言われても今回ばかりは忋抖(カイト)は自分を(ギョ)し切れなかった。()(トド)まれる機会(キカイ)はどれだけでもあったのに結局(ケッキョク)自分の(ヨク)()けて(ダレ)よりも尊敬(ソンケイ)する(シン)最悪(サイアク)(カタチ)裏切(ウラギ)ってしまったのだ。軽蔑(ケイベツ)されても親子(オヤコ)(エニシ)()たれても仕方(シカタ)がないとさえ思っているのにどうして(シン)()()()()()にこれほどまでの(ヤサ)しい言葉を掛けてくれるのだろう。


「…いつから気付(キヅ)いてたの?」


持っていた(サケ)(アオ)って(ナミダ)(コボ)れてしまわないように空を見上げて(タズ)ねると、ずっと前から、と(シン)(サケ)(アオ)る。


「ずっとって…」


「そうだなあ、お前が最初(サイショ)闘技(トウギ)に出た(コロ)にはもう気付いてたかな?」


(シン)(コタ)えに忋抖(カイト)は、は?、と(オドロ)いてしまった。忋抖(カイト)悧羅(リラ)に対して恋情(レンジョウ)(イダ)いていると自覚(ジカク)したのはそれよりももっと(アト)のことだ。確かに言われればそう見えていたのかもしれないが当時(トウジ)忋抖(カイト)の想いはどちらかといえば羨望(センボウ)憧憬(ドウケイ)に近かった。本当に()()だと自覚(ジカク)したのは東王父(トウオウフ)(ケン)片付(カタヅ)いてようやく(オダ)やかに過ごせるようになってからのことだ。そう言ってみるが(シン)はくすくすと笑っている。


「だってお前幼子(オサナゴ)の時から悧羅(リラ)(マモ)るって言ってたんだぞ?闘技(トウギ)で負けた後から(オレ)が見てない所でもお前が精進(ショウジン)してたのも知ってるし、そんなの()()()()()()()()()ってだけで続けられるもんでもないだろ?」


「…あの(コロ)は本当に母様(カアサマ)(マモ)れるようになりたかっただけなんだけど?」


納得(ナットク)が行かなくて首を(カシ)げる忋抖(カイト)を見て(シン)は笑いを深めた。


「だあからあ、()()悧羅(リラ)だったからなんだって。じゃあ考えてみろよ?もしも悧羅(リラ)じゃない(ホカ)(オンナ)相手(アイテ)だとして、()()()()()()強くなりたいと(ネガ)ったか?」


()われて忋抖(カイト)(シバラ)く考えを(メグ)らせる。(シン)悧羅(リラ)の子であるという民達(タミタチ)の大きな期待(キタイ)(コタ)えたいと思っていた。近衛隊隊長(コノエタイタイチョウ)である(シン)(オサ)である悧羅(リラ)の子である以上過剰(カジョウ)過ぎるくらいの期待(キタイ)重圧(ジュウアツ)を感じていたのは(イナ)めないが、それは当然(トウゼン)のことだと信じて(ウタガ)わなかった。()まれた時から(カタ)()()けられたものが(タト)忋抖(カイト)(ノゾ)んだものではなかったとしても()()民達(タミタチ)納得(ナットク)させなければならなかった。けれど(タシ)かに(マモ)りたいと想う相手(アイテ)悧羅(リラ)ではなかったとしたら忋抖(カイト)()()()()自分を(キタ)えあげようとしただろうか?(ツト)めの後も休みの日も(シン)妲己(ダッキ)鍛錬(タンレン)()い、それ以外の(トキ)でさえ()()()しんで強くなりたいと(ネガ)ったのは(ホカ)(ダレ)かでも()たして同じだったのだろうか?


(チガ)う、とそう思った。

(ホカ)(ダレ)かでも()()()()()()()()()()ここまで貪欲(ドンヨク)に強くなることを(ノゾ)みはしなかった。

(シン)の言う通り悧羅(リラ)であるからこそ、だ。


「…思わなかったね…」


「だろ?」


忋抖(カイト)(コタ)えに満足(マンゾク)そうに(シン)(ウナズ)いて()いた(サカズキ)(サケ)(ソソ)いでくれた。


大体(ダイタイ)なあ、(ホカ)でもない悧羅(リラ)なんだぞ?本当に悧羅(リラ)()れてしまったらもう全部駄目(ダメ)になるんだよ。(アコガ)れとか(イダ)(ヤツ)は多いけど其処(ソコ)で終われるんだったら悧羅(リラ)って女をちゃんと見てない(アカシ)一緒(イッショ)だ。何処(ドコ)(サガ)せば()わりになれるような(オンナ)が居ると思う?」


「…まあ、()(ハズ)がないよね…」


「そうだろう?そんなの赤子(アカゴ)にだって分かる」


()たり前だとでも言うように(ムネ)()った(シン)忋抖(カイト)(カタ)(スク)めてしまう。確かに羨望(センボウ)憧憬(ドウケイ)で終わらせられていたなら()()()()(ナヤ)むことも()がれることも無かった。(オトウト)たちのように悧羅(リラ)(シタ)う心はあっても(ハハ)なのだからと自分に言い聞かせて気付(キヅ)こうとしなければ手に入れられない(ムナ)しさを感じることすらなかっただろう。


それでも気付(キヅ)かずにいられたならばとは不思議(フシギ)なことにどうしても思えない。


自分の(オモ)いに(フタ)をし(ツヅ)けて知らぬ()りを通し(ホカ)の女と(チギ)っていたとしてもきっと長くは続かなかった。それで良ければこれまで(ジョウ)()わした(モノ)たちの中から選んでいたと思う。どんなに魅力的(ミリョクテキ)だと(マワ)りから(ウラヤ)ましがられる鬼女(キジョ)を当てがわれても、ほんの一時(ヒトトキ)悧羅(リラ)(カイナ)(オサ)められると言われた方が忋抖(カイト)にとっては価値(カチ)があるものだったし、ずっと()()()()()()()()()()()()切望(セツボウ)し続けて来たのだから。


「でもさ、父様(トウサマ)()()で良いの?…その…、(オレ)がこのまま母様(カアサマ)(オモ)ってても()えられるの?」


思わぬ形で忋抖(カイト)の願いは(カナ)えられたけれど(スデ)(ツレアイ)として悧羅(リラ)無二(ムニ)(チギ)りを()わしている(シン)納得(ナットク)しているとは到底(トウテイ)思えない。忋抖(カイト)悧羅(リラ)(オモ)い続けるとなれば、またいつか自分のものだけにしたいと願う(トキ)(カナラ)ず来る。一度であれば目を(ツム)ることも出来るだろうが、これから(サキ)の長い(セイ)を思えば()()()()()渇望(カツボウ)する日が来ることなど明らかなのに(シン)は今回のように(ワズ)かな(ジカン)とはいえ悧羅(リラ)の手を(ハナ)して忋抖(カイト)(アズ)ける事ができるのだろうか?そう思って(タズ)ねた忋抖(カイト)(シン)は大きく嘆息(タンソク)して(サカズキ)を置いた。


「…良い(ワケ)あるかよ、馬鹿野郎(バカヤロウ)…」


憮然(ブゼン)として頬杖(ホオヅエ)を着いた(シン)の顔から()みが消えている。


「だよね…。だったらやっぱり(オレ)()()()()()()が良い。でないとまた父様(トウサマ)傷付(キズツ)けることになるだろうから」


元々(モトモト)(ユル)されない想いだ。だからこそずっと(フタ)をして見ない()りをしていた。悧羅(リラ)を想うことが(シン)を苦しめることに(ツナ)がることなど分かっていたし、本当に(シン)傷付(キズツ)けるつもりなどなかった。何より忋抖(カイト)悧羅(リラ)を想うことと同じように(シン)のように()りたいと願ってきたのだ。父としても一人の男鬼(ダンキ)としても(アコガ)目指(メザ)すべき目標(モクヒョウ)としても(タツト)んでいる。一度だけとはいえ忋抖(カイト)の願いは(カナ)えられたのだ。

それだけで有難(アリガタ)い。

そう思っているのに(シン)はまた大きく嘆息(タンソク)している。


「…ほんっとうにお前って馬鹿(バカ)なの?今(オレ)は言ったよね?簡単(カンタン)(アキラ)められるわけがないって」


「そうだけど、父様(トウサマ)のことだって大事(ダイジ)なんだよ!(オレ)()()()()でいれば父様(トウサマ)をまた傷付(キズツ)けるでしょ?そんなの(イヤ)に決まってるじゃないか!だったら(モト)(モド)る方を選ぶよ!」


決死(ケッシ)覚悟(カクゴ)で伝えた言葉は、お前ねえ、という三度ミタビの大きな嘆息(タンソク)にかき消された。


「何?お前が悧羅(リラ)(オモ)う気持ちってその程度(テイド)なの?」


「そうじゃなくて!」


「一回(サラ)けだしたのにまた何にもなかったように仕舞(シマ)えてしまう程度(テイド)のもんなの?」


「だから、そうじゃなくて!!」


「だからも何もないんだよ?お前が言ってるのは()()()()()()だって分かって言ってる?」


(チガ)うと言い続ける忋抖(カイト)(ヒタイ)(シン)が指で()ついてくる。


「いいか?よおく聞けよ?(オレ)以外の男が悧羅(リラ)()れるのを(オレ)(ユル)せると思ってる?そんなこと考えてるって思うだけでそいつを()()いてやりたくなるくらい(ハラワタ)()えくり(カエ)るんだよ。お前じゃなかったらそんなこと考えた(ヤツ)今頃(イマゴロ)全部(コロ)してるよ?忋抖(カイト)()()()()()()()()()()()(ホカ)でもない忋抖(カイト)だから(オレ)()()んでんの!」


言葉と共に(ヒタイ)(ツツ)く力も少しばかり強まってつい忋抖(カイト)も、痛いって!、と(ナゲ)いてしまった。(ツツ)くのを()めた(シン)が、ほんとにもう、とまた頬杖(ホオヅエ)を着くのを見ながら忋抖(カイト)(ヒタイ)(サス)る。じんわりと()みてくるような(イタ)みを感じるということはきっと赤くなってしまっているのだろう。


「…お前は本当に(オレ)にそっくりだよ。()た目も中身(ナカミ)もね」


え?、と痛む(ヒタイ)(サス)りながら忋抖(カイト)(シン)を見た。


「お前見てるとさあ(イヤ)でも思い出すんだよ。最悪(サイアク)の形で悧羅(リラ)傷付(キズツ)けてそれでもどうにか(ソバ)(マモ)りたくて、血反吐(チヘド)()くまで(キタ)えてたこととか、夜伽(ヨトギ)の相手に選ばれたは良いけど()れたらまた悧羅(リラ)をどうしようもないくらい傷付(キズツ)けるって分かってたのに我慢(ガマン)出来なくて褒美(ホウビ)()(ワケ)にしてでも一度で良いから受け入れて()しいって願ったこととかさ」


話す(シン)何処(ドコ)(サミ)しげな眼差(マナザ)しで池に()れている(ハス)を見ている。もう(ナツカ)しむ(ホド)に遠くなった日のことだけれど(ケッ)して(ワス)れてはならない(シン)(アヤマ)ちはいつでも心に残っている。


「分かるんだ、(オレ)だって(ムク)われなくても一度でも良いから(ウデ)の中に(オサ)められた思い出さえあれば、その(サキ)一生(イッショウ)その思い出だけで生きていけるって思ってたから。今お前が()()()()()()()()()()(イヤ)になるくらいに分かるんだよ」


「…それは聞いたことなかった。そんなことあったんだ、っていうかそんな大切なこと(オレ)に話していいの?」


(シン)悧羅(リラ)が一度(ツナ)いだ(エニシ)()ったことやその時に何があったのかは聞かせてもらっていたから知っている。けれど(シン)(カタ)っているのは聞かされたことのない話だ。


「いいよ?これ話さないとお前ちゃんと向き合わないと思うしね。悧羅(リラ)(ハラ)(キズ)は前に見せてもらったんだろ?()()()()()()()()いてしまったのは(オレ)だし、その上精気(セイキ)も取らずに早く命が終わるようにって願わせてたのも(オレ)だ。精気(セイキ)を500年の間決して()らずにいたって知ったのは本当にたまたま。悧羅(リラ)が命を(ケズ)って里を(ササ)えてくれてたのに(オレ)は何も知らなかったし、知らなかったからこそ一度で良いって思えてた。悧羅(リラ)が一日でも早く自分の生命(イノチ)が終わってくれるのを(イノ)りながら過ごしてるなんて知らなかったから一度だけでも(カナ)えてもらえたなら、その(アト)も遠くからでも悧羅(リラ)を見続けて想い続けることだけは出来るって思ってたんだよなあ」


夜伽(ヨトギ)(ニン)()げられた時に色んな口実(コウジツ)を付けて(コトワ)ることは出来たのに(シン)には()()が出来なかった。(シン)(ソバ)にいることも(シン)の姿を見ることさえも苦痛(クツウ)を感じさせているのは痛いほどに分かっていたのに目の前に悧羅(リラ)が居て目を合わせてくれただけで一度だけ、と願ってしまった。()()()舜啓(シュンケイ)(カドワ)かされていなければ、舜啓(シュンケイ)(カバ)って(ウデ)を落とすことがなかったならば(シン)はそのまま何も知らずにいたことだろう。願いを(カナ)えてもらいひとり満足(マンゾク)して日々(ヒビ)を過ごしながらある日突然(トツゼン)姿(スガタ)が見えなくなって消えてしまった悧羅(リラ)(オモ)って(ナゲ)き苦しんでいたと思う。いや、もしかしたら悧羅(リラ)()なくなってしまった事に()え切れず自棄(ヤケ)になって自分(ジブン)自分(ジブン)生命(イノチ)()っていたに(チガ)いない。どうして()()()()()()()()()()()()()()()()永遠(トワ)に知らされないままで。


「だからお前の気持ちは(イヤ)になるくらい分かるんだよ。()()()()()()()()()()()()って言ってんの」


「いや、でもさ」


「いやも、でも、もないの!」


(アワ)てる忋抖(カイト)(ヒタイ)をまた(シン)(ツツ)き出す。


勘違(カンチガ)いするなよ?(ユズ)るって言ってる(ワケ)じゃないぞ?悧羅リラ(スベ)ては(オレ)のものなんだからな?だけど本当にどうしようもないって時は一瞬(イッシュン)だけ(オレ)()ない時に(カギ)って()してやるってだけだ。だけど()()はお前だからだぞ、忋抖(カイト)!?」


(ツツ)かれ続ける(ヒタイ)の痛みがどんどん()してくるけれど、なんで?、としか言えない忋抖(カイト)(ツツ)くのを()めた(シン)()わりに指で(ヒタイ)(ハジ)いてきた。


「何度も言わせるなよ。忋抖(カイト)だからだって言ってるだろ?」


(コタ)えになってないよ?」


()()がる忋抖(カイト)(シン)は、仕方ないなあ、と苦笑(クショウ)しながら(カタ)(スク)めて見せている。


悧羅(リラ)は良い女だろ?」


「は?そんなこと分かってるよ?」


分かりきったことを言われて忋抖(カイト)は首を(カシ)げてしまう。


(オレ)は700年、お前は300年。それだけの年月(トシツキ)をたった一人だけを(オモ)い続けるなんて生半可(ナマハンカ)な気持ちで出来ることじゃない。(ホカ)でもない悧羅(リラ)だから(オレ)たちにそうさせるんだ。お前も(オレ)悧羅(リラ)じゃなきゃ駄目(ダメ)なんだよ。(カワ)き切った()えを(イヤ)してくれるのは悧羅(リラ)ただひとりだけ。()()を身をもって()ってるのは俺以外(オレイガイ)ではお前だけだ。だから忋抖(カイト)()()()()()()()()()()()()()よ」


年季(ネンキ)(チガ)()ぎるし、そんなに(アマ)やかすと(オレ)調子(チョウシ)に乗るって思わないの?」


「思わないね」


はっきりと言い切った(シン)は置いていた(サケ)をまた飲み始めた。ほら、と(ワタ)された(サカズキ)忋抖(カイト)も受け取る。


「言っただろ?お前は(オレ)とそっくりだって。そんなお前が悧羅(リラ)(イヤ)がる事なんてするはずない。まあ、年季(ネンキ)(チガ)いは仕方(シカタ)ないけどね」


「でも絶対(ゼッタイ)また()()()()()って思うよ?」


「そうしたらまた上書(ウワガ)きするさ。()()みたいにね」


(サケ)(アオ)り続ける(シン)はくすくすと(ワラ)ってもいる。そういえば悧羅(リラ)はどうしているのかと(タズ)ねたのに答えはもらえていなかった。


「ねえ、父様(トウサマ)。もう一度聞くけど母様(カアサマ)は?」


(コワ)した」


笑い続けながら(シン)は置いてある酒をどんどん(カラ)にしていく。


「ちょっとやり過ぎちゃったから(シバラ)くは起きてこれないと思うぞ?今もぐっすりだし」


悪戯(イタズラ)を考えている時の(ワラベ)のような顔をされて忋抖(カイト)嘆息(タンソク)するしかない。(シン)が姿を見せる前に里や出入りの(モン)に掛けられていた悧羅(リラ)(マジナイ)薄氷(ハクヒョウ)のように消えた。消えた気配(ケハイ)を感じたのは宮にいた忋抖(カイト)舜啓(シュンケイ)、それに重鎮達(ジュウチンタチ)だけ。何事(ナニゴト)か、と()け付けてきた重鎮達(ジュウチンタチ)悧羅(リラ)に何かあったのではないかと(アセ)ったようだが、(シン)(コモ)っていると聞かされて安堵(アンド)したように去っていったのだ。里はともかく出入りの(モン)の周囲だけは警戒(ケイカイ)しておくべきだ、と笑いながら。とはいえ本当に(シン)の手によるものだとは忋抖(カイト)は思ってはいなかった。これまでどれだけ二人が寝所(シンジョ)(コモ)ろうとも当たり前のように()()にあった(マモ)りが消えてなくなるなどただ事ではない、と見廻(ミマワ)りに出ようとしたけれど姉弟妹達(シテイマイタチ)が代わってくれた。赤子(アカゴ)(マモ)るようにと言いつけられてではあったけれど、それもまた忋抖(カイト)のことを思っての事だったのだろう。


「そんなに無理させたの?」


(アキ)れてしまった忋抖(カイト)(シン)は笑いを深めるばかりだ。


「そりゃそうでしょ?まあ確かに今回はやりすぎたかなってちょっとだけ反省(ハンセイ)してるけどやっちゃったものは仕方(シカタ)ない。それに悧羅(リラ)(コワ)せるのも()とせるのも(オレ)だけだしね。役得役得(ヤクトクヤクトク)


「そりゃそうだろうけどさあ、それ(オレ)に言うの?」


得意気(トクイゲ)に言う(シン)にますます(アキ)れてしまって忋抖(カイト)も酒を飲み始めるしかない。


「それもそう…なのか?まあ良いじゃない。だけどなあ悧羅(リラ)が寝てるのに(オレ)(ソバ)を離れられるってのも()()ない事なんだぞ?()()()()()()ちてても絶対(ゼッタイ)(ハナ)してくれないんだから」


「だあからさあ!()()言う必要ある!?」


揶揄(カラカ)われているのは分かるが聞いてもいないことまで話し始める(シン)から忋抖(カイト)は酒を取り上げた。ここまで話す(シン)顔色(カオイロ)が変わっていなくても流石(サスガ)()みすぎだろう。(ゲン)(シン)(マワ)りには(カラ)になった酒瓶(サカビン)が数十本と転がっている。これ以上()ませてしまっては(アト)の事が(コワ)くなってしまう。聞かせるつもりはなかったと言い出しでもしたら(シン)勝手(カッテ)に話したのだと言っても信じずに忋抖(カイト)()められるのは目に見えている。もう!、と酒を自分の方にまとめながら姿(スガタ)の見えない哀玥(アイゲツ)に水を持ってくるように忋抖(カイト)(タノ)むとそう待たずに背に乗せて持って来てくれた。


父様(トウサマ)、ちょっとこれ飲んで!」


水を支度(シタク)する間、(シン)に抱きつかれて良いようにされている哀玥(アイゲツ)もくすくすと笑いながら好きなようにさせている。


哀玥(アイゲツ)ぅ、忋抖(カイト)(ツメ)たいんだよお。(オレ)(サケ)を取り上げちゃうんだ」


()み過ぎなんだってば!ほら、とにかく水飲んで!」


「酒が良いのに…」


哀玥(アイゲツ)に抱きついたままの(シン)にどうにか水を(ワタ)したがなかなか飲んではくれない。いいから!、と(ウナガ)すと渋々(シブシブ)ながらもどうにか飲み始める(シン)身体(カラダ)(アズ)けられて哀玥(アイゲツ)も動けなくなってしまっている。


父様(トウサマ)哀玥(アイゲツ)が動けなくなってるよ?居心地(イゴコチ)(ワル)そうだし(ハナ)してやってよ」


(シン)に周りを見張(ミハ)っておくように言われていたのに()り掛かられたままでは姿を消すことも出来ない哀玥(アイゲツ)に代わって忋抖(カイト)が言ってみるが、(シン)にますます身体(カラダ)を預けられて哀玥(アイゲツ)体躯(カラダ)()せた。


「そんな上機嫌(ジョウキゲン)になれるような話なんてしてないでしょ?何してるんだよ、もう」


飲み()した湯呑(ユノ)みをぶらぶらと()らしている(シン)から湯呑(ユノ)みを取り上げて水差(ミズサ)しごと持たせると忋抖(カイト)は、ごめんね?、と哀玥(アイゲツ)()でた。なんの、と目を(ホソ)めた哀玥(アイゲツ)何処(ドコ)(ウレ)しそうにも見える。


「ばあか、上機嫌(ジョウキゲン)になるに決まってるだろ?これまでの(オレ)苦労(クロウ)を本当に分かってくれる(ヤツ)がようやく素直(スナオ)になれたんだぞ?やっぱりお前は(オレ)自慢(ジマン)の子だったな」


ふふっと笑いながら(シン)哀玥(アイゲツ)から起き上がったが言われた言葉に忋抖(カイト)は目を丸くしてしまった。あれ?、と哀玥(アイゲツ)を見るとこちらもまた可笑(オカ)しそうに笑っている。


小生(ショウセイ)(モウ)し上げたとおりでございましたでしょう?』


「そうみたいだね」


笑い続けている(シン)を見ていると忋抖(カイト)も自然と(ワラ)えてきてしまう。先程(サキホド)まで(シン)に対してどう()びたらいいのかと(ナヤ)んでいたことさえも小さなことだったかのように思わせてくれる。そんな(シン)(スゴ)いと思うし(シン)の子であることを本当に(ホコ)りに感じた。


「でも父様(トウサマ)?そんなに余裕(ヨユウ)を見せてたら()()()()()()(オレ)(ウバ)っちゃうかもしれないよ?」


「ああ、無理無理(ムリムリ)。それはないね」


揶揄(カラカ)いを()めて言う忋抖(カイト)(シン)はますます笑って手を()って見せた。


「分からないじゃない?もうちょっと待てば(オレ)より父様(トウサマ)の方が先に(テン)(カエ)るでしょ?そうしたら母様(カアサマ)(オレ)(モラ)ってもいいよね?」


「お前、縁起(エンギ)でもない事言い出だすなあ。だけどそれでも無理(ムリ)だって言っとくよ」


「どうして?分からないでしょ?ねえ、哀玥(アイゲツ)?」


()でられて心地良(ココチヨ)さそうな哀玥(アイゲツ)味方(ミカタ)をしてもらおうと思ったのだが(シン)余裕(ヨユウ)()みは(クズ)れない。


哀玥(アイゲツ)味方(ミカタ)になってもらおうったって()()()()()()無理(ムリ)だぞ?哀玥(アイゲツ)が一番分かってるんだから」


なあ?、と(シン)に見られるのと、何のこと?、と忋抖(カイト)()いかけられるのが(カブ)さって哀玥(アイゲツ)は小さく笑ってしまう。


小生(ショウセイ)からは何とも。旦那様(ダンナサマ)()()()()(メイ)じられるのであれば(イタ)しますが』


「そりゃそうだねえ。でもここまで来て(カク)すっていうのも忋抖(カイト)不誠実(フセイジツ)だと思うんだよなあ」


「だから何のこと言ってるのか分かんないんだって!二人でばっかり納得(ナットク)してないで教えてよ」


(マッタ)く話の見えない忋抖(カイト)(シビ)れを切らす姿が面白(オモシロ)いのか(シン)哀玥(アイゲツ)は目を合わせて(ワラ)い合っているばかりだ。(シバラ)揶揄(カラカ)われた忋抖(カイト)が、もう!、と(ホオ)(フク)らませるとますます二人は笑い出してしまう。まあまあ、と幼子(オサナゴ)にするように頭を()でられて忋抖(カイト)(シン)(ニラ)むと笑いながら左手を前に出してきた。その手首にはくっきりとした悧羅(リラ)との(チギ)りの(キズ)がある。


母様(カアサマ)(チギ)ってることなんて知ってるけど?」


(チガ)(チガ)う。()()()じゃないよ、ちょっと見てろ」


不貞腐(フテクサ)れて言う忋抖(カイト)が言われるままに見ていると(チギ)りの(キズ)のほんの少し上に小さな(ハス)(ハナ)()かび上がってきた。見覚(ミオボ)えのある()()哀玥(アイゲツ)の左眼の下にあるものと同じものだった。(ハス)()わずもがな悧羅(リラ)象徴(ショウチョウ)であり悧羅(リラ)そのものでもある。だが数日前(スウジツマエ)忋抖(カイト)(ジカ)()(イツク)しんだものと同じ(ハナ)何故(ナゼ)(シン)にもあるのかがどういうことなのかが分からない。哀玥(アイゲツ)悧羅(リラ)眷属(ケンゾク)なのだから分かるのだが、何故(ナゼ)という気持ちばかりが大きくなる。


「何これ!?」


(オドロ)いて目の前の手を(ツカ)んだ忋抖(カイト)(コラ)え切れずに(シン)が大笑いし始めた。


「え?なんで?どういうことなの?」


(シン)の手を引き寄せてまじまじと見る忋抖(カイト)の頭を乗せたままの手でもう一度()でて(シン)は笑いを(オサ)めた。


「これが理由(リユウ)(オレ)悧羅(リラ)はほんとに一つなんだよ。悧羅(リラ)が死なない(カギ)(オレ)は死なないし死ねない。生きるも死ぬのも全部一緒(イッショ)。だから無理(ムリ)なんだよ」


「いや何かもう色々と聞きたいことが多くなってきたんだけど。もう少し分かりやすく教えてもらえない?父様(トウサマ)()()だっていうなら哀玥(アイゲツ)は?哀玥(アイゲツ)母様(カアサマ)が居なくなったら消えるってことになるの?」


()かんだ(ハス)から目を離せずに聞く忋抖(カイト)哀玥(アイゲツ)()り寄った。


御案(ゴアン)()されずとも小生(ショウセイ)は消えたりなど(イタ)しませぬよ。旦那様(ダンナサマ)御言葉(オコトバ)()りておりませぬ。若君(ワカギミ)揶揄(カラコ)うて(タノシ)んでおられるのですよ。旦那様(ダンナサマ)あまり若君(ワカギミ)(アソ)びなさいますな』


(ヘビ)()でぱしりと(タタ)からながら哀玥(アイゲツ)(タシナ)められてしまっては(シン)苦笑(クショウ)するしかない。


哀玥(アイゲツ)忋抖(カイト)に甘いんだよなあ。(オレ)味方(ミカタ)何処(ドコ)に居るんだよ?」


(カタ)(スク)めた(シン)をまた、旦那様(ダンナサマ)、と哀玥(アイゲツ)(タシナ)めると、分かったってば、と今度は(カタ)を落として忋抖(カイト)を呼ぶ。


「これは道なんだよ」


「道?」


忋抖(カイト)がきょとりとして(シン)を見るが手は(ツカ)まれたままだ。


「そう、ただの道。王母様(オウボサマ)()(ハス)から精気(セイキ)を分けてもらうための道ってだけだ。だからさっき言ったことは半分は本当で半分は(イツワ)りになるかな?」


「どこまでが本当なのさ?」


「うーん、(オレ)にとっては全部本当のことなんだけどさあ。それじゃあまた哀玥(アイゲツ)(オコ)られるだろうからなあ。とりあえず絶対なのは悧羅(リラ)が死ぬまでは死ねないってところかな?」


(シン)の答えに忋抖(カイト)はほんの少しほっと安堵(アンド)した。(シン)が言うことが本当なら(シン)悧羅(リラ)哀玥(アイゲツ)もそれぞれに別の()ということだ。悧羅(リラ)天寿(テンジュ)(マット)うしても二人を(トモナ)うことはないのだろう。


「それでも(オレ)悧羅(リラ)が居なくなったらすぐに(アト)()うけどね。そうしないと何処(ドコ)に行っちゃったかすぐに分からなくなるからさ」


「それは知ってるし今更(イマサラ)なんで言わなくても良いんだけど、なんで()()父様(トウサマ)にあるのかが分かんない」


「お前(ツメ)たくないか?もう少し(イヤ)がれよ」


あっさりと(シン)悧羅(リラ)()うと言ったことを流されて嘆息(タンソク)する(シン)だが忋抖(カイト)はずっと()()()()と聞かされ続けていたのだから特に(オドロ)くことでもない。むしろ悧羅(リラ)が居なくなってしまった()(シン)が一人で()り続けると言い出すことの方が可笑(オカ)しなことだ。


姚妃(ヨウヒ)身籠(ミゴモ)ってくれた時、悧羅(リラ)は本当に(アブ)なかったろ?(オレ)悧羅(リラ)(ソバ)を離れるわけにはいかなくて、ちょっとだけ生命(イノチ)(ケズ)ってたら王母様(オウボサマ)見抜(ミヌ)かれちゃってさ。(サズ)けてもらえた。これがあれば精気(セイキ)()りにいかずに()むからね」


ああ、と忋抖(カイト)もその時の事に思いを()せた。

()()()悧羅(リラ)の姿は今でも鮮明(センメイ)(オボ)えている。真っ白な顔をして(スワ)ることも(シン)(ササ)えてもらわなければできなかった。もちろん起き上がることも歩くことなどももっての(ホカ)で、(シン)片時(カタトキ)(ソバ)を離れず悧羅(リラ)(ハラ)(ソダ)姚妃(ヨウヒ)のために精気(セイキ)を送り続けていた。確かにいつ精気(セイキ)()りに行っているのだろうかとは思っていたし、(シン)がかなりの無理(ムリ)をしているのは見ている(ダレ)もが気付(キヅ)いてもいた。何度か自分たちが()ているからと(スス)めたけれど(カタク)なに(シン)(ウナズ)かなかったのだ。離れている(アイダ)悧羅(リラ)に何かあっては取り返しがつかないと首を(タテ)()ることはなく、(マワ)りで見ている忋抖(カイト)たちはいつか(シン)(タオ)れてしまうのではないかと気を()んだものだ。それが()()()(サカイ)に二人とも少しずつ体調(タイチョウ)上向(ウワム)いたのは見ていて不思議(フシギ)に思ったけれど聞いても二人とも(ガン)として口を()らなかった。どうにか自分たちに姚妃(ヨウヒ)という可愛(カワイ)(イモウト)()かせてくれた時は心の(ソコ)から安堵(アンド)したがどうして、という疑念(ギネン)は少なからず残った。だが()()()()()()()()()()()()()理解(リカイ)は出来る。


「これを()()けられる時に王母様(オウボサマ)に聞かれたんだよ。この(サキ)一生(イッショウ)悧羅(リラ)(ソバ)で終える覚悟(カクゴ)は変わっていないのかって。そんなの聞くまでもないことなのにさ。悧羅(リラ)(シバラ)く泣いてそれから(オコ)ってたよ。(オレ)はモノじゃないってね」


「それはそうだろうねえ。母様(カアサマ)のことだから父様(トウサマ)を本当の意味(イミ)(シバ)るのが(クル)しかったんでしょ」


(ハス)が少しずつ(ウス)くなって見えなくなるのを見つめながら忋抖(カイト)(シン)の手を(ハナ)した。


「よく分かってるじゃないか。(オレ)はこれ以上ないくらい(シアワ)せだと思ってるけど悧羅(リラ)は自分の(ゴウ)(オレ)たちを()()むことをとにかく(イヤ)がるからさ。悧羅(リラ)(シバ)られていられるっていうのがどれだけの(シアワ)せな事なのかってどんなに教えてもなかなか()()んじゃくれないんだから、本当に悧羅(リラ)(オレ)(コマ)らせるのが上手(ウマ)いんだよね。お前だって()()()()だろ?」


「そうだね、母様(カアサマ)にずっと(シバ)ってもらえることが出来て、それでずっと(ソバ)に居られるんなら()()()()()(シアワ)せなんてないかな」


「そうだろ?やっぱりお前は分かってくれてる。悧羅(リラ)()()()()()でやることはできないけど、そんな忋抖(カイト)だから(オレ)はお前を(ミト)めて(ユル)すんだよ。だからちゃんと名前(ナマエ)()んでやれよ?でないと悧羅(リラ)(カナ)しむからな」


うん、と(ウナズ)いたもののやはり(ホカ)の者の前では(ハバカ)られる。(ユル)してくれている(モノ)たちの前だけにしよう、と忋抖(カイト)が決心していると見透(ミス)かしたように(シン)苦笑(クショウ)してまた頭を()でてくる。


(ダレ)の前でも、だからな?()(カタ)を変えたくらいでどうこう言う(ヤツ)なんて何処(ドコ)にもいないぞ?もしそんな(ヤツ)がいたら(オレ)(ダマ)らせてやるから」


心配(シンパイ)するな、と笑われて忋抖(カイト)から()れたのは感嘆(カンタン)嘆息(タンソク)だった。


本当に(スゴ)い、と素直(スナオ)にそう思う。

(ウツワ)(チガ)うし大き過ぎる。

この背中に追いつく(タメ)にはまだまだ長い(ジカン)が必要だろう。


「でも、父様(トウサマ)と二人の時は母様(カアサマ)って()んでも良いかな?遠慮(エンリョ)とかじゃなくて(オレ)がそうしたい」


「別にいいけど、なんで?」


「二人の子だっていうのは(オレ)(ホコ)りだからだよ。…それに父様(トウサマ)といる時くらいはまだ甘えててもいいでしょ?」


「300()えといてまだ甘えるのかよ?」


仕方(シカタ)ない(ヤツ)だなあ、と笑われて()き混ぜられる頭に触れている(シン)の手が忋抖(カイト)には(タマ)らなく温かく感じられて笑えてきてしまう。それと同時に一つ大切(タイセツ)なことを思い出した。


「あのさ父様(トウサマ)に一つお(ネガ)いがあるんだけど」


「…なんだよ?()()()してやれないぞ?」


悧羅(リラ)をまた()してほしいと(ネガ)われると思ったのか(シン)忋抖(カイト)の頭を()()ぜるのをやめて胸の前で手を()っている。それに、(チガ)うよ、と笑って忋抖(カイト)妲己(ダッキ)()ぶと背に赤子(アカゴ)を乗せたままするりと(アラワ)れてくれる。妲己(ダッキ)(レイ)を伝えながら赤子(アカゴ)を受け取るとそのまま(シン)(ワタ)す。


「名前、父様(トウサマ)に付けて()しいんだ」


受け取った赤子(アカゴ)()(ナオ)しながら、はあ?、と(シン)(オドロ)いた顔で忋抖(カイト)を見た。


「お前そんな大切(タイセツ)な事勝手(カッテ)に決めるなよ。子の名付(ナヅ)けって(スゴ)大事(ダイジ)な事なんだぞ?」


憂玘(ウイキ)は付けたじゃないか」


「あれはたまたま悧羅(リラ)と話してたら舜啓(シュンケイ)媟雅(セツガ)が気に入ったってだけなんだよ。それにお前さあ…」


その(アト)言葉(コトバ)(ツム)ぐのが(ハバカ)られたのか嘆息(タンソク)した(シン)に、だからだよ?、と忋抖(カイト)は笑う。


(シン)が言いたいことは分かっている。


悧羅(リラ)(オモ)い続けると決めた忋抖(カイト)にはこの(サキ)(アラ)たに子を(サズ)かることは出来ない。悧羅(リラ)(ジョウ)()わしても身籠(ミゴモ)らせることが出来るのは(シン)だけであるし、忋抖(カイト)ももう(ホカ)鬼女(キジョ)(ジョウ)()わすことを(ヨシ)としないからだ。忋抖(カイト)の子は()()赤子(アカゴ)最初(サイショ)最後(サイゴ)藍琳(リンリー)(オノレ)()()えに残し(マモ)ってくれと(タノ)んだ()()()だけだ。


(オレ)にとって(スゴ)大事(ダイジ)な子だから父様(トウサマ)(タノ)みたいんだ。父様(トウサマ)(オレ)の一番の(アコガ)れなんだからね」


(タノ)める?、と笑う忋抖(カイト)(シン)一瞬(イッシュン)目を丸くしたけれど、すぐにいつもの笑顔(エガオ)を見せると赤子(アカゴ)の小さな(ホオ)()で始めた。


「お前の父様(トウサマ)仕方(シカタ)のない(ヤツ)だなあ?じいちゃんに名付(ナヅ)(オヤ)になれなんて言い出してるぞ?」


くすくすと笑いながら赤子(アカゴ)をあやしている(シン)を見ていると満更(マンザラ)でも無さそうで忋抖(カイト)は知られないように(ムネ)()()ろした。悧羅(リラ)と共に(モド)って来た(アト)から(ヒソ)かに決めていた。名付(ナヅ)けは(シン)にしてもらいたい、と。けれど忋抖(カイト)より歳若(トシワカ)く見られる(シン)が自分のことを爺様(ジイサマ)()ぶことには(イササ)()に落ちず面白(オモシロ)いところでもあるのだが、それは悧羅(リラ)も同じく若々(ワカワカ)しいままであることと(カカ)わりのあることなのかもしれない。赤子(アカゴ)(タワム)れる(シン)(シバラ)(ナガ)めていると哀玥(アイゲツ)()(ハタ)かれた。


『きっと良い名を(サズ)けてくださいましょう』


うん、と二人で(ワラ)い合いながら待っているといつのまにか赤子(アカゴ)も目を開けていたようで(シン)に抱かれながら手を動かしている。まるで早く()をくれ、とでも言うように小さな手を(シン)()ばす赤子(アカゴ)(アソ)びながら、決めた、と(シン)が笑った。


樂采(ガクト)、ってどうだ?」


樂采(ガクト)?」


「うん。忋抖(カイト)はこれまでずっと色んな事で(ナヤ)んできただろ?でもこの子がお前に悧羅(リラ)(オモ)う事の大切(タイセツ)さと覚悟(カクゴ)を教えてくれた。これからは(カカ)え切れないほどの(タノ)しさもくれる。もちろん消えてしまった()()ヒトの子の事を(ワス)れちゃいけないけど、あのヒトの子だって忋抖(カイト)とこの子の(シアワ)せを(ネガ)ってくれてた(ハズ)だ。だから樂采(ガクト)


どうだ?、と聞かれた忋抖(カイト)(ハジ)けんばかりの笑顔(エガオ)になる。忋抖(カイト)のことだけでなく藍琳(リンリー)のことまで(オモンバカ)ってくれた。いつも通りの表情(ヒョウジョウ)(ウラ)でこの短い(ジカン)の中、沢山(タクサン)の名の候補(コウホ)とその意味を考えてくれたのが伝わる。(イナ)やなど出よう(ハズ)もなかった。


「やっぱり父様(トウサマ)(タノ)んで良かった。すごく良い名前だよ」


微笑(ホホエ)忋抖(カイト)の前で妲己(ダッキ)(シン)の頭を()(タタ)いている。


“ヌシは名付(ナヅ)けの(サイ)だけはある”


「ちょっと妲己(ダッキ)(ホカ)()()が無いみたいに言わないでよ?」


(ワレ)には思いつかんな”


(ヒド)くない?何百年の付き合いなんだよ?」


くっくっと笑いながら言う妲己(ダッキ)(ナゲ)(シン)から樂采(ガクト)を引き取ったが忋抖(カイト)は笑いが込み上げてくるのを(コラ)えきれないが、とりあえずは、と(シン)に礼を言う。


「ありがとう父様(トウサマ)大切(タイセツ)()ばせてもらうよ」


樂采(ガクト)を抱く(ウデ)に力を()めながら頭を()げた忋抖(カイト)に返ってきたのは(ヤサ)しく置かれた手の(ヌク)もりだけだった。

お楽しみいただけましたか?

読んでいただいてありがとうございます。

また1週間くらいで更新出来ると思います。

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