器【壱】《ウツワ》【イチ】
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重い瞼を開けることもできずにころりと忋抖は身体を返した。伸ばした腕でそこに居るはずの悧羅に触れようと手を動かしてみるが何にも触れることができない。反対か、と其方にも腕を廻してみたけれどやはり触れることはできなかった。あれ?、と目を擦りながら仕方なく瞼を開けて辺りを見廻してみても悧羅の姿はない。ほんの数刻前まで忋抖の求めに応えて腕に収まってくれていた筈なのに。
やっぱり夢だったのかなあ?
半身を起こして大きく伸びをしながら考えてみるがそれが夢ではないことは忋抖の身体に残った怠さと悧羅の残り香が教えてくれた。
「まあそうだよね、夢なんかじゃないのは嫌ってくらい確かめさせてもらったんだし」
ひとりごちて座り直してから忋抖は頬杖を付く。
さて、どうしたものか?
悧羅が居ないのでは此処が何処かも分からない忋抖に里に戻る術はない。戻ろうにも纏っていた衣も見当たらないし流石に裸で戻る訳にもいかない。そんなことをしてしまえば磐里や加嬬から、いい歳をして!、と叱られてしまうのは目に見えている。とはいえ悧羅が忋抖を置き去りにしていくとは考えられないのだから暫く大人しく待っていればひょっこり戻って来てくれるだろう。本来なら見知らぬ場処にひとり残されて焦らなければならないのだろうが今の忋抖にとれば大した事ではない。そんなことよりも満たされた想いが強すぎて他のことなどどうでも良いとさえ思えてしまう。それ程に救いあげてもらえたのだから。
胸の奥底に沈めていた灼き尽くされるかのような恋情も、もう隠さなくていい。この数刻でこれ程までに癒され充たされるのであれば、これから先悧羅を腕に収める日がいつとは知れなくてもその手に顔に触れられるだけで充分だ。悧羅の目に映るのが例え忋抖でなく心を通わせているのは紳だけだとしても構うことなどない。
もう忋抖は決めたのだから。
紳を愛おしく想っている悧羅をそのまま慈しんでいく、と。
「あんなに父様に嫉妬してたのが嘘みたい」
ほんの数回自分のモノにしただけで忋抖の行くべき方向まで悧羅は変えてくれた。他者をこんなにも愛おしく穏やかに想える日が忋抖に来るなど思えもしなかった。今ならほんの少しだけ500年もの長い間悧羅だけを求め想い続けてきた紳の気持ちも分かるような気がする。
「悧羅じゃなきゃ駄目だってこういうことだったんだ」
きっと今頃、気を揉みながら待っていることだろう。
もしかしたら烈火の如く荒れて隊士達が酷い目にあっているかもしれない。
宮の中でも変わらないかもしれないが宮で荒れて物でも壊そうものならそれこそ磐里と加嬬から雷を落とされる。あの二人に逆らうということは宮で暮らす者たちにとって立つ瀬がなくなるのだ。悶々としているだろう紳の姿を思い描いてひとり笑っていると、瀑布の先から悧羅がするりと入ってきた。
「おや?目が覚めたのか?」
既に衣を纏っているがゆっくりと近付いてくる手には別の衣を携さえている。
「疲れておるだろう?もうしばし休んでおってもよいのだえ?」
頬杖を付いたままの忋抖の前にふわりと座った悧羅は持っていた衣を置いてから忋抖の頬に触れてくる。心配そうな顔を見て忋抖の顔も自然と綻んでしまう。
「ぜーんぜん?出来ればもう少しってお願いしたいとこだよ」
「あれほど交わしたではないか?」
きょとりとする悧羅を引き寄せて頬に口付けると、まだまだ、と忋抖はその身体に擦り寄った。
「だってまだ悧羅余裕があるもん。父様とだったらこうはいかないでしょ?」
少しばかりの意地悪で言ってみたのだが予想に反して悧羅の顔が朱に染まった。
「それは、その…。紳は妾を壊す術を知り尽くしておるもので…。抗うことも出来ぬ故…」
染まった顔を見られまいと両手で隠す姿など忋抖は初めて見た。いつも自分たちの前に立つ悧羅は凛として多彩花でそれでいて気高い姿しか見せてこなかったのに、それが紳のこととなるとまるで娘子のように恥じらっているではないか。
「ちょっとお、そんな可愛い顔しないでくれるかな?」
「そのようなつもりはないのだが…。まさか忋抖にそう言われようとは思わなんだ故」
ますます朱に染まっていく姿は見たくても見れるものではなかっただろう。これは想いを受け入れてもらえた忋抖だからこそ見れる悧羅なのだ。
「はいはい、父様みたいに悧羅を壊せるように精進するって」
「いや!そのようなことではなくてだな?忋抖は忋抖で、その…」
慌てる悧羅が何とか言葉を紡ごうとするのだが忋抖はその姿が可愛いらしくて堪らずに声を上げて笑ってしまう。要は比べられるものではない、と言いたいのだろう。どうにか分かってもらえるようにと焦る姿が可笑しくて腹を抱えて笑い続ける忋抖の頭を悧羅が叩いた。
「揶揄うておるな?」
「違う違う。ごめんって」
少し頬を膨らませて見られて忋抖も笑い過ぎたことを詫びるしかない。
「ほんっと参るよ。ほんとにもうちょっとって言いたいけど悧羅が支度してるってことは刻限ってことでしょ?」
膨れた頬を撫でるとまだ火照ったままの温もりが伝わってきた。目を細めて撫でられている悧羅も小さく頷いている。
「まだかと急かされておる」
誰に、とは聞くまでもない。契りの疵から紳がそう思っていることが伝わってくるのだろう。
「じゃあ急がないといけないねえ。…何発殴られるかなあ」
置かれた衣を手早く纏って立ち上がった忋抖がそのまま手を伸ばすと悧羅がその手をとった。流れるように立ち上がった悧羅が、こちらへ、と忋抖の手を引いて瀑布の外に出ると初めて見る景色に忋抖は息を呑んだ。
どこまでも薄暗い広大な場だがその一角に見上げても果てが見えないほどの上方から轟音とともに流れ落ちる水がある。そこから流れた水は河となって伸びその中で無数の蓮の華が仄かに輝きながら揺蕩っていた。流れ揺蕩う蓮は時折光とともに消え去っていくのも見える。
「そっか…。此処に居たんだね…」
繋がれた手を離して水辺に近寄ると流れていく蓮にそっと触れてみる。触れることが出来たのはほんの一瞬。水の流れに逆らうことなく蓮は同じ処には留まってはくれないようだ。所々で光が昇っていくのを見ていると此処は産まれる場でもあり還る場でもあるのだと解った。
「…ちゃんと還ってこれてるかな?」
流れていく蓮から目を逸らさずに呟いた忋抖に悧羅の優しい声がした。
「迷い子になどなれようはずもなし」
「うん、そうだね。そうだといいな」
よし!、と振り向いた忋抖の耳に、ぱん!、とひとつ手を叩く音が響くと次には見慣れた庭に立たされている。起こったことに驚いている間もなく今度は紳の声が聞こえてきた。
「悧羅!!」
声のした方を見やる前に隣の悧羅が紳に包まれている。遅い!、と言ってはいるがまだ周りは明るいし普段であれば紳も務めに出ている頃合だろう。どちらかといえば忋抖にはどうして紳が此処にいるかの方が不思議でならないことなのだが。
「紳、其方務めはどうしたのだ?」
「そんなの舜啓に押し付けてやった」
「おやまあ、それはせんないこと。舜啓が泣いておるのではないかえ?…どれ妾が向こうて手を貸してみるとしようかの?」
抱きしめられたままぐいぐいと擦り寄られているのに悧羅は動じることもなく紳の背中を優しく摩っている。揶揄うような悧羅とは違って紳は、もう!、と肩を落とした。
「俺だって頑張ってたんだからまずは褒めてよ…。あ、忋抖。赤子は今哀玥たちがみてくれてるから心配いらないからね」
「は?そこ?」
いっかな悧羅から離れようとせずにそれだけを言われて忋抖は拍子抜けしてしまう。
「それが1番大切だろうがよ?」
「うん、まあ、そうなんだけどね?」
擦り寄られすぎてくすぐったいのか、くすくすと笑いだした悧羅に構うことなくより擦り寄る紳の姿に忋抖はますます呆気に取られた。
「いや、その…さ?まずは何発か殴られるって覚悟してたんだけど…」
頰を掻きながら言う忋抖の前で紳が勢いよく悧羅を抱き上げるとそのまま露天の方に走って行こうとする。
「あ、ねえって!父様ってば!!」
「それは後で!!」
「ええ?!」
瞬く間に見えなくなった紳の背中から抱き上げられたままの悧羅の笑い声が響いてくる。どうやら本当に話は後回しのようだ。先延ばしにされた方が怖さが増すことを知らないのだろうか?
「俺生きてられるのかなあ?」
はあ、と大きく嘆息した忋抖は頭を掻きながら宮の中に入ることにしたのだが紳にとれば話など本当に後でいいのだ。足早に露天に駆け込んで悧羅の衣だけを剥ぎ取ると洗い場に座らせてざばざばと湯を掛け続ける。
「紳、しばし待て」
顔にかかった湯を手で拭いながら悧羅が言ってみるが聞く耳を持つ気はないようだ。仕方なく任せていると今度は手拭いで身体を丁寧に何度も何度も洗われてしまう。白すぎる肌が擦られすぎて少し赤くなると胸元に顔を近付けて、よし!、と一人納得している。
「紳は共に入らぬのか?」
濡れそぼってしまった紳に伝えてみたが何も応えが返ってこない。代わりに今度は乾いた手拭いで髪や身体の水気を取り始めたが、ある程度で手拭いを投げ捨てて寝衣で悧羅を包むとまた抱え上げて走り出した。紳?、と腕の中から呼んでみるがいっかな返事はない。小さく嘆息する悧羅を抱いたまま紳は自室に駆け込むとそのまま寝所に滑り込んだ。勢い任せに潜られた御簾が乾いた音を立てているが気にすることなく紳は自分と悧羅の衣を剥いで捨てると強く悧羅を抱きしめた。
「ああああ、もおうっつ!!ほんっとどうにかなりそうだよ!!」
あまりにも強く抱き留められて思わず悧羅も息を止めてしまう。小さく咳こんだ悧羅に紳も、ごめん、と僅かに腕の力を緩めた。
「で?聞きたくはないんだけど何処を触られたの?」
むすりとした声と顔で見られて悧羅はつい笑ってしまう。
「なるほど、そういうことであったのか」
「そういうことですけど、何か?」
小さく笑い続けながら紳の首に悧羅が腕を絡ませるが不機嫌な声は変わらないままだ。
「そうだの、紳が触れてくりゃる処はほぼ…、と言うておこうかの?」
笑う悧羅に、はあ?!、とまた紳が声を荒げた。
「…やっぱり早まっちゃったかなあ…。俺だけのものなんだけどなあ…。…ってことはもしかしてまさかと思うんだけど果てさせられたってこともあったり…とかする?」
それには流石に悧羅は苦笑するしかできない。けれどそれだけで紳は察してくれたようで大きく肩を落としてしまった。
「…嘘でしょお…」
がっくりと項垂れる紳が可笑しくてますます笑う悧羅に紳が、笑い事じゃないんだけど?、と一瞥を投げた。
「そうは申しても妾にそう教え込んだは紳ではないか」
「そうなんだけどね、うん、確かにそうなんだけども!!俺がそうなるようにしてきちゃったんだけど、見られちゃうのは違うっていうか。俺だけが知ってる俺だけの悧羅だったからさあ」
もう!、とまた不機嫌な声を出しながら紳は悧羅の片足を抱えあげて自分の肩に乗せると一気に中に入り込んだ。入り込まれることは分かっていたのに急過ぎて悧羅の笑いも消えてしまう。
「で、他には?」
ぐっと中に押し進みながら紳が尋ねるが悧羅は息を整えることに必死のようだ。
「ねえってば、他にはないの?俺に言わなくちゃならないようなこと!」
ふうっと大きく息を吐いた悧羅が絡ませていた腕を解いて紳の顔を包むとまた小さく笑った。
「壊されてはおらぬよ?」
「…ふうん…」
「おや?不満かえ?妾をあれほどまでに乱すことも壊すことも出来得るのは紳だけだというに」
「それだけじゃあ何か足りてないよね?」
むっつりとした紳を引き寄せて口付けてみるが紳の表情は険しいまま変わることはない。
「そうだの、どうやら言葉が足りておらぬようだ。妾の心は紳だけのもの。壊れる程に肌を重ねておりたいと願うも足りぬと乞うも紳しかおらぬ」
「心移りは?」
「紳がおるのにか?」
きょとりとしながら艶やかに微笑まれて紳もようやく大きく息を吐いた。
「…でも、ほんっと嫌なんだ。分かってはいるんだよ?ちゃんと全部分かってて悧羅にそうしてやってくれってお願いしちゃったの俺だし?」
悧羅の額に自分の額を付けて大きな嘆息と共に紳が言う。
「絶対に後悔することも、こんな気持ちになることも全部分かってたんだけど。それでもすごく嫌で嫌で堪らない」
自分に言い聞かせるように同じ言葉を繰り返す紳の声音が少しずつ震えてくる。それを黙って聞きながら悧羅は震える背中に腕を廻してそっと抱きしめた。
「悧羅が纏っていいのは俺の匂いだけなのに、忋抖の匂い付けて戻ってくるしさ」
そうだな、と悧羅も抱きしめる腕の力を込めた。戻ってくるなり強く擦り寄ったのは悧羅の纏う香りを確かめるためだったのだが、悧羅の匂いの中に自分以外のものが混じっているのが分かって、もしかしたらという淡い期待は脆くも打ち砕かれてしまった。とにかくそれを早く消してしまいたくて露天で幾度となく清めてようやくいつもの悧羅の匂いに戻すことができたのだ。
「俺の悧羅だって、何にも変わってないって分かってる。全部俺が言い出したことで悧羅だって堪えてくれてるって…。分かってるんだけど心が追い付いていかないんだ。…情けないよなあ…」
ふうっと堪え切れずに嗚咽を漏らし始める紳に、そのようなことはない、と悧羅も精一杯の力を込めて抱きしめるしか出来ることがない。紳と契りを交わす時に紳以外とは今後何があろうとも情を交わすことはない、と誓ったのに悧羅は約定を破ってしまった。紳と交わした守り抜かなければならない約定を二度も違えてしまった悧羅には紳にかける言葉もその涙を止める術も思いつかず、只ひたすらに、すまぬ、と詫び続けるしか出来ない。長い刻をそうして過ごしてようやく紳が大きく息を吐いて顔を上げた。
「ごめん、呆れた?」
まだ涙の滲んだ目でぎこちなく微笑まれて悧羅の胸が抉られるように悼みだす。
「呆れるなど…。そのようなことがあるものか」
抱きしめていた腕を解いて浮かぶ涙を拭いてやると紳がその手に顔を擦り寄せた。
「紳は妾のこととなるとほんに涙脆い」
小さく微笑む悧羅の額にまた紳が額を付ける。
「詫びねばならぬのは妾の方であろ?紳との約定を二度も違えてしもうたのだ。紳の方こそ妾に愛想を尽かしたのではないか?」
「そんなことあるわけないでしょ?それだって悧羅が自分で望んで違えたわけじゃないことくらい分かってるよ。だけど悧羅に約束を破らせてしまうのはいつも俺の責ばっかり。だから悔しくて堪らないんだよ」
はあ、とまた大きく嘆息する紳に悧羅は苦笑してしまう。契ったあの日に倖も業も全て分かち合おうと誓ったのに紳は全てをひとりで抱えてしまう。ほんの僅かな苦痛でも悧羅に降りかかることを嫌がってしまうのだから困ったものだ。
「妾こそ紳に呆れることなどあるものか。このように良き逑から離れることなど妾には出来ぬ」
紳の手を取って悧羅が自分の契りの疵と重ねると悧羅の想いも経てきたことも紳の中へと流れ込み始める。今まで知っていたことと知らなくても良いと思っていた忋抖とのことまで全て流れ込んで来て紳の顔が曇った。
「妾の全ては紳のもの故、すまぬが分け合うてくれまいか?」
「…こればっかりは、あんまり知りたくないんだけど…」
流れ込む想いは紳が考えたくなかった事実を容赦無く突きつけてくる。まるで画として目の前で見せられているようで耐えられずに手を離そうとした紳にその時の悧羅の想いが響いてきて動きを止める。これ…、と流れてくる想いを今度は取り溢さないように指を絡ませて強く手を繋ぐと更にその想いは色濃く紳の中に届いた。
「…これより先も紳は妾に触れてくれるのであろうか?」
届く想いに何も言えない紳に悧羅が少し困ったように首を傾げた。堪らずに紳も繋いだ手に力を込め直しながら悧羅に深く口付ける。
「…当たり前だよ…」
契りの疵は偽りを語らない。
そんなことは里の者なら誰だって知っている。
だからこそ今流れ込んでいる想いは悧羅の全てで嘘偽りなどない裸の心そのものだ。
そして、それを知ることが許されているのは紳だけなのだ。
「ならば妾もようやっと案じられるというものよの」
微笑んで見せる顔の奥で悧羅が泣いているように見えて紳はもう一度深く口付ける。
疵から絶え間なく流れ込むのは悧羅が忋抖と過ごした数刻のこと。知りたくもなかったその奥で、ただひたすらに紳を想い紳に詫び続ける悧羅の声が響いてくる。
どうか拒まれることのないように。
どうか赦してまた微笑みかけてくれるように。
どうか愛おしい腕で包んでくれるように。
どうか紳がこれを消し去ってくれるように。
「…ほんっと俺って情けない…」
悧羅がこれほどまでに紳だけを想ってくれているというのに自分で決めたことのひとつも笑って受け入れてやることができないなど恥ずかしくて仕方がなくなってしまう。
「忋抖の心を救うと決めてしもうた以上これから先、紳にはやるせない想いを背負わせてゆくことになろう。それだけは妾にとりて身を割くほどに辛きこと」
「それは俺がお願いしたことでしょ?」
「なれど決めたのは妾じゃ」
困ったように笑われて紳は繋いだ手を握り直した。
「違う。二人で決めたんだ」
「それでも受け入れたのは妾であろ?」
「そうさせたのは俺」
言い合いながら目が合ってつい紳も悧羅も笑ってしまう。
「巡ってるだけじゃないか」
くすくすと笑い合いながら、思い出した、と紳が悧羅の奥に少しだけ進むと甘い声が微かに聞こえてくる。何をだ?、と聞かれて紳は柔らかく微笑んで見せる。
「悧羅と約束したことを、だよ」
伝えながら悧羅を抱き起こして膝の上に乗せるとぐっと押し付ける。他の者では決して触れることのできない処に触れられて悧羅も紳にしがみついた。
「何があっても上書きしてあげるって言ったもんな。耐えてくれた後は全部消してあげるって。悧羅が忘れてしまえるように約束通り壊してあげるよ」
押し込めたままで少し動くと悧羅から一筋の涙が溢れて落ちた。
「…壊れるまで妾に紳をくりゃるのかえ?」
「もちろん」
「この先も紳が堕とし続けてくれると思うておっても良いのか?」
「当然ですけど?むしろ悧羅に触れさせてもらえなかったら俺の気がおかしくなっちゃうよ?」
微笑んで是を示す紳の顔に悧羅が腕を伸ばして包むと強く引き寄せて深く口付けた。
「ならば願うてもよろしいか?何も考えられぬほどに壊して堕として妾に紳だけのものであると刻みつけてはくれまいか?」
唇が触れ合うほどの距離で願う悧羅に喜んで、と応えた後、紳は勢いよく突き上げ始めた。急激に与えられ始めた刺激に悧羅からとめどない甘い喘ぎが溢れてくる。しっとりと汗ばんで濡れる白い肌に紳は一片の隙間も許さずに口付けながら舌を這わせていく。悧羅が感じている忋抖の残滓をすべからく取り去ってしまえるように、いつもよりも丁寧にいつもよりも荒々しくその身体を暴いていく。最奥の悧羅が一番敏感な処に紳が当たると抱きしめていた身体が大きく震えて甘い声も大きくなる。
「ここも触れられた?」
震える悧羅に囁くと喘ぎの中から必死に頭を振ってくれた。そこに常に当たるように腰を廻すと腕の中で悧羅が反り返り始める。
「…っ、速…っ!!…紳…っ!!」
あまりに速く果てさせられそうになる悧羅から名を呼ばれて紳は小さく笑った。
「…忋抖の名前は呼ばなかったんだね」
悧羅が果てる時に名を呼ぶのは昇り詰めるその瞬間に身体が離れてしまわないようにする為だ。押し寄せる官能の波から逃げ出そうとする己を留めて紳が与える全てを受け入れるために呼んでくれる。疵が教えてくれたことの中で悧羅がそれを望んで忋抖の名を呼ばなかったことが泣きたくなる程に嬉しくて求められるままに紳が口付けると待っていたように悧羅が腕の中で跳ね返った。重ねられた唇が離れないように紳も頭を抱き留められて果てている悧羅に息を継ぐことも許してやれなくなる。
「辛くなるよ?」
互いに貪るように口付けを交わしながら攻め立て続ける中で伝えてみるけれど悧羅は紳を強く抱きしめて離そうとしない。ほんの僅かでも触れ合う肌が離れることを拒むようにより強く絡ませた腕に力を込め続けながらより深い処に届くようにと艶かしく腰を動かしてきてはそのまま又果てていく。流石にこのままでは悧羅に負荷がかかり過ぎると重なりあったままでふかりとした布団に倒れこんでから紳が悧羅から出ると、出るな、と慌てたような声と手が紳を引き留めてくる。
「これくらいで壊れないでしょ?」
抱きしめられている腕にますます力が込められたけれど構うことなく紳は細い脚を大きく開かせて中心に舌を這わせていく。いつもであれば言葉だけでも拒もうとする悧羅もこの時ばかりは違った。埋められた紳の頭が離れないように両手で押さえつけ、細い脚は紳の身体に巻きつけている。与えられる刺激で絶え間もないほどに昇り果てていき紳にしがみついていることさえも難かしいはずなのに決して触れる手を離そうとはしない。強く吸い付いて長い指で中を乱暴に掻き乱し幾度昇らせてもそれは変わることがなかった。少しばかり歯を立てると嬲り続けている処から僅かに滲む血を舐めとって紳は甘い声で呼び続けてくれる唇をまた奪う。互いの口内で広がる血の味に二人の身体が限界まで沸った。蕩け始めている悧羅の顔を見ると紳の胸にちくりとまた棘が刺さる。
この顔を見た者が紳以外にもいる。
押し殺したはずの激情が滾った身体の奥底から沸々と湧き上がってきてしまうのを紳には止めることが出来ない。それならば。
「…悧羅、お願いを聞いてくれる?」
入り込もうとした紳が浅い処で一旦止まって聞くと言葉を出す術も失っている悧羅が小さく頷いた。
「全力で俺だけを惑わしてくれない?…俺も悧羅に壊されたい」
少しずつ悧羅の中に進んでいきながら願うと御簾の中だけに紫の結界が揺らいで甘美な香がその中を刹那に充す。悧羅の惑わしの能力は紳や他の一介の鬼神達が使うモノとは次元が違う。民達や他の妖は勿論のこと、果てはヒトの子に至るまで膝を折り心も身体も生命さえその場で差し出すことを厭わなくなる。それこそが至福、と恍惚の間に魂に刻みつけられてしまうから。それ故に普段から悧羅はその能力が溢れてしまわないよう心を律して立っている。護るべき民達の平穏な暮らしを脅やかすことがないよう隙間なく蓋をして。それでも時折ふいに漏れ出してしまうことはあるけれど、その程度であれば紳が収めてやれる。だが今紳が願ったのはその蓋を全て取り払うことだ。
例え惑わしを使ってもそのモノの意志まで奪うことがないように悧羅は出す限りを決めている。そのモノの意思まで失わせて何も考えることすら出来ない木偶に堕としてしまうことなど悧羅は望んでいないのだ。
それを知っている上で願う紳に応えるように甘い魅惑の香が咽せ返るほどに結界の中を満たして滾り切った二人の箍を外すと湧き立ってくる欲を取り繕うこともせずに紳が動き出す。瞬時に大きく跳ねる悧羅を力の限りに抑えつけて飢えた獣の如く欲を吐き出し続けると紳の背に爪が立てられた。動くたびに食いこんだ爪が背に傷を増やしていくけれど痛みなどどうということもない。腕の中で紳に応えるためだけに身体を開き紳にしか引き出せない喘ぎを漏らし続ける細く白い肌に自分のものだという証を刻みつけながら上からも背後からも逃げられないように攻め立てていくと、抑えつけていた場所にはくっきりと紳の手の跡が残った。腹の傷にも両肩や背中に咲き誇る華の上にも跡が残るがそれでもまだ満たされることがない。休む暇も与えずに果てさせ続けた悧羅の手足が冷えて大きく痙攣し始めたけれど、今ばかりはそれを許してやることができそうにない。絡みついていた脚を両腕に引っ掛けて立ち上がり勢いのままに悧羅の身体ごと寝所の壁にぶつかると喘ぎの中に苦悶の声が混じった。気遣うべきだ、と一瞬考えが過ったが息を吸うと魅惑の香が身体中を巡り支配されてしまい、正気も理性さえも消え去ってしまう。
「しっかり掴まって、離さないで」
叩きつけられた衝撃で腕の力が緩む悧羅に伝える間も紳は動きを止めない。声に留められてまた紳に悧羅がしがみついたが、あまりに深い場所まで進まれ突き上げられて目の前が白んでくるのは止められない。今まで最奥だと思っていた処よりも深く紳が届いて悧羅に感じたことのないぞわりとした官能が走り出した。呼応するように手足の痙攣も激しくなり感覚さえも奪われる。
「…っつ!!…あ、な…にか……っ!!」
来る、と訴えたいのだろうが上手く行かない悧羅に、委ねて、とだけ伝えると紳の動きはますます速さを増した。えもいわれぬ感覚の波が強く昇り上がってきて喘ぎの中から悧羅が恐怖を訴えても紳はより深くより強く攻めていく。堪え切れないのか身を捩ってしまうが抱え上げられ自由を奪われている悧羅に逃げられる場所などありようはずもない。ますます突き上げられていくと身体の中のナニカがどんどんと迫り上がって声を上げることもできなくなる。呼吸をすることさえも奪って悧羅を壁に押し付けながら、紳がその名を呼ぶが硬く閉じられた瞼は開かれず紳を捉えることはできないようだ。幾度目かに紳が名を呼んでようやく悧羅が紳を捉える。
「呼んで?」
「…っ!…な…っにか…っ!!」
「呼んでよ?」
「…あ、やあっ…っつ!…なに、か…来、るっっ!!」
「いいから!!俺を呼べ!!!」
迫り来るナニカへの恐れを涙ながらに訴える悧羅に悲痛な声が届いた。あまりに悲痛な声は互いの荒れた息と叩きつける肌の音と甘い悧羅の喘ぎしか無かった寝所に落雷のように轟く。白む意識をどうにか留め置くが悧羅の身体は反り返りナニカも迫る速さを上げている。
「はやく!俺を呼べ!俺を求めろよっ!!」
「…っつ…、し……っん…っ!」
再度叫ばれた願いに悧羅も痺れて冷たくなった指をどうにか動かすが攻める勢いが激しすぎて紳の頬に触れることも難しい。
「…し、ん!…っ紳、紳っ、紳っつ!!」
縋るように名を呼んだ悧羅の髪の中に手を入れて乱暴に上向かせると唇を重ね舌も絡ませて貪り尽くすように口内をも弄ぶ。深く入り込んだ紳が悧羅の子袋の入口に触れた瞬間甘い声が一際大きくなる。
「…や、あっ!!」
重ねた唇の隙間から漏れるくぐもった声にそこに当たるようにだけ紳が動きを変えたが勢いはそのままだ。
「…い、や…あっ!!し、んっつ!…や…ああっ!」
何度も子袋の入口を刺激されてついに悧羅の中のナニカが弾けた。これまで与えられてきた官能を遥かに越えたソレは悧羅の身体を激しく痙攣させる。紳を呑み込んで繋がったままの場所から生温かい水が流れ落ちて紳の脚をつたい落ちていく。だらりと力と意識を手放そうとした悧羅を重ねたままの唇を強く噛んで引き戻すと震えの収まらない腕が紳の胸に当てられた。一度止めていた腰をゆっくりと動かし出すと悧羅が堪らないように首を振るがそれには紳も首を振って汗が彩る首筋に強く噛みついた。
「や、あっ、いま、だ…めえっ!」
波打つ身体の疼きから逃げ出すように悧羅が紳を押し戻そうと踠けば踠くほどに紳の箍など何処かへ投げ捨てられてしまう。深く強く攻め続けて行くと悧羅がまた深い波の中に囚われて大きく跳ねたのと同時に紳も悧羅の中に熱すぎる欲を吐きだした。全て吐き切る前に動き始めようとすると、待て、と悧羅の甘い声がした。
「嫌だ」
「…まっ……てぇっ!」
「嫌だ、待たない」
少し浮いてしまった悧羅を自分に押し付け戻しながら紳は布団に倒れこんだ。悧羅の両腕を片手で拘束して空いた手で細い片脚を持ち上げると一気に突き上げ続ける。倒れこまれた衝撃と奥まで暴かれる官能に抗うことなどできない悧羅からはとめどない喘ぎだけが漏れている。
「拒むな」
喘ぎつづける唇が紅く艶めいて誘われるように口付けながら紳が言う。
「何があっても悧羅だけは俺を拒むな。嫌だも駄目だも聞けないし聞かない!悧羅は俺のなんだから!!」
惑わしに当てられた紳の口から普段であれば決して言葉にすることのない言葉が飛び出した。いつもの紳であれば何があろうとも大きく感情を揺らしてそれを悧羅に強いることなどしない。気持ちを乱すのは悧羅の身に何かが起こってしまった時だけ。これまでは情を交わしている最中に悧羅が嫌だと訴えてもそれが本心から来るものではないと分かっているから笑って自分のものにすることができていた。けれど今は、今だけは悧羅の口から拒む言葉が漏れ出ることを許してやれない。それが例え本心からではないと分かっていても聞きたくはない。既に蕩け切った悧羅にそれが届くと思っているわけでもないが吐き出さずににはいられなかった。何度も意識を手放そうとする悧羅を引き留め続けて自分の欲を幾度浴びせ続けたのかも分からなくなった頃、寝所を覆っていた紫の結界がぱりん、と割れた。その音で紳がはっと目を見開いて音のした方を見やると薄氷のように悧羅が張った結界が剥がれ落ちていくのが見える。いつのまに薄れていたのか魅惑の香もその残滓だけが仄かに漂っている程度だ。
悧羅が張った結界が容易く壊れることなど有り得ない。どれだけ身体が悲鳴を上げても、どれだけ深い眠りについていても本能で悧羅は術を行使している。そうでなければ里を緩やかに護る能力も出入りの門に掛けた術にも常に意識を置かねばならなくなり休む暇もなくなるからだ。
けれど今確かに悧羅の結界は砕けて消えた。どういうことだ?、と腕の中に視線を落としてそこでようやく紳は気付いてしまう。納めている悧羅の息は乱れ切り四肢もだらりと投げ出されているが小さく震えて痙攣し続けている。身体の至るところにくっきりと紳の手や歯型の跡が残り乾いた血も見えた。両の手首には悼ましいまでの赤黒く変色した跡もある。これで意識を手放していないことが不思議でならないほどに蕩け切っている悧羅は譫言のように紳の名を呼び求めていた。
「…ああ、なんだ。叶えてくれてたんだね…」
血の乾いた唇を労わるように指でなぞるとそれにもまた求めるように吸いついてくれる。拒むな、と言ったことは覚えているが、正直その後からの記憶は朧気だ。それでも自分が強いたことの証は悧羅の姿が雄弁に教えてくれる。
「…やりすぎたなあ…」
結界が壊れたのも魅惑の香が薄まったのも制御出来なくしたのは紳だったのだ。壊され続ける中で他のことなど捨て去って紳に応えることしか出来なくなるほどに。しかし、これでは悧羅が休まらない。はあ、と大きく嘆息して紳は微かに動き続ける悧羅の口を深く口付けて塞ぐと再び動き出した。喘ぐ声さえ出せなくなってしまっている悧羅は瞬く間に昇り詰めて果ててしまうけれどすぐに自分で唇を噛んで遠くなる意識を留めた。
「ごめん、やりすぎた。大丈夫だから堕ちていいよ」
悧羅が自分を引き留めないように優しく深く口付けたままもう一度果てさせるのと同時に紳が欲を吐き出すとしなやかな身体が大きく跳ねて、すとん、と意識を手放したのが伝わってくる。汗と涙で濡れたままの顔に頬を擦り寄せて確かめると、もうそこには紳の匂いしかしなかった。ようやく紳も安堵して悧羅を抱きしめたままころりと体勢を変える。身動きひとつしない身体を胸の上に預かると自然と笑みが溢れてしまう。
これはしばらく起きないだろう。
その間に忋抖と話をしなければならないが、一、二発は殴っても良いとも言っていたしそれはそれで有りかもしれない。
けれど、とりあえずは紳も休んでからでも遅くはないだろう。
くすくすと笑いながら目を閉じると紳も胸の上の悧羅の体温に包まれていく。糸が緩やかに解けていくように紳は愛しいものを抱きしめたまま眠りに落ちることにした。
もう、ギリギリラインとは言えないですね。
お楽しみいただけましたか?
読んでいただいてありがとうございました。
次の更新は1週間後くらいになりそうです。