追憶【捌】《ツイオク【ハチ】》
華の印を示した途端、鬼たちの態度が一変したのは言うまでもない。先程まで高圧的だった老齢の男までが、ころりと態度を変え猫撫で声を出してくる。すぐに、湯殿を、食餌をという声を遮って、悧羅は国庫に案内しろと伝えた。それには、鬼たちの顔色が一気に変わり、どうにか話を逸らそうとする。見られたくない事があるのは明白だった。とにかく、案内をと言う悧羅の背後で妲己が威嚇し、ようやく国庫に案内された。
宮の中の巨大な蔵に案内されて、悧羅は都に降り立って幾度目かの呆然を味わった。
なんだこれ…。
目の前の蔵には、ぎっしりと食糧が詰め込まれている。その蔵の横にも同じ大きさの蔵があり、こちらには贅を極めたであろう金銀と、夥しい数の衣があった。案内した先程の老齢の男も、妲己によって壊された部屋から出てきた官吏達もみな口をつぐみ悧羅の後ろで一様に伏しているだけだ。
「これは、どういうことですか?」
尋ねるが誰も応えない。伏している鬼たちの纏っている衣にも贅がこらされ、だれも痩せ細ってなどいない。要するに、長が蓄え尽くした食糧や財宝、果ては衣に至るまで、この場にいる官吏達が私用していたという事なのだろう。呆れて言葉も出ない。とにかく、と、伏して震えている官吏たちに声をかける。
「あなた方のお邸には、まだ動ける方がおられると言う事で良いでしょうか」
震える背中を見ていると、どこからか、か細く、はい、と応えがあった。どれくらいの数だ、と尋ねると今度は別の方から、邸につき20、30程度は、と男の声がする。では、と悧羅は切り出した。
「皆さま、すぐに邸に戻り動ける方を連れてきてください。それと、ここから持っていったものは全て返上するように。違えるような事があれば…。分かってくださいますね」
穏やかな物言いとは裏腹の冷たい声で言われて、官吏たちはますます震え上がった。直ちに、と口々に応えて場を辞していく。全ての官吏達がいなくなった事を確かめて、悧羅は妲己に、宮の中にいる鬼を全て中庭に集めるように伝えると、御意、と妲己が走り去る。そのまま悧羅は先程、妲己が壊した部屋へと向かう。瓦礫の山と化したその部屋の中から、帳簿と思われる文書を拾い出しては縁側に出す。とりあえずのものを持って、自分も縁側に座り文書を広げ始めた。それにもまた、呆れ返るしかない。どこまでが正確に記されているのかさえも分からないほど、悧羅が手にした文書だけでも疑うしかないような事柄だらけなのだ。これらの殆どが官吏たちの懐に入っているのだろう。
ふと、右を見ると案内してくれた男が力なく項垂れている。大丈夫ですか、と声をかけると、はい、と返答があった。すぐに、申し訳ございません、と詫びられる。
「長であらせられたのですね。礼も取れず御無礼をお許しください」
弱々しく言葉を紡ぐ男に、気にしないでほしい、と伝える。座っているのが辛いなら、横になってくれても構わない、と言うがそれには頑なに首を振った。それなら、出来るだけ楽にしていて、と言い、また、文書に目を落とした。
一刻程、文書に目を通していただろうか。主、と妲己から声が掛かった。視線を上げると中庭に宮の中にいたのであろう鬼たちが集められている。ぱっと見ただけで100は超えていた。その場所とは別に、丁寧に横たえられた鬼たちの姿が見える。どう見ても事切れており、その数は息のある者の数を超えているのは明らかだった。妲己は、悧羅の意思を汲み生きている者と事切れた者を分けてこの場に連れてきてくれたのだ。
「ありがとう、妲己」
手招いて側に呼ぶと巨大だった体躯をいつもの大きさに戻しながら妲己が擦り寄ってくる。大変だったね、と労いながら背を撫でる。
“とんでもございません。主こそ、お疲れではございませぬか”
気遣われて、悧羅は妲己の体躯に顔を埋めて、思ってたよりも大変そうだよ、と嘆くいてしまう。妲己がいてくれて良かった、と抱きつくと柔らかな尾が背を包んだ。
“我は決してお側を離れませぬよ。ご案じなさいますな”
うん、と悧羅が頷いていると、恐れながら、と声がかかった。縁側に座らせている男からだ。
「独り言と聞き流して頂いてもよろしゅうございましょうか」
官吏たちが居ない間に、何か話しておきたい事があるのだろう。どうぞ、と促すと、男は大きく溜め息をついた。
「今の宮内は腐敗しております。先代の暴挙に隠れて官吏達は私腹を肥やし、与えられた勤めすら遂行しておりません」
そうでしょうね、と悧羅も同意する。官吏たちの姿をみれば一目瞭然だった。
「長の権利も冒涜し、まるで自分たちが宮内の長なのだ、という振る舞いです」
うん、と悧羅は頷く。
「民や隊士達は毎日のように死んでいくのに、自分たちはこの大きな門に守られた宮内で日夜、宴のような騒ぎぶりです。長を探す名目を立てながら、のらりくらりとし、いかにも探しているのだという体裁を保つために、都の民から虐げはじめました」
悧羅は黙ってその言葉に耳を傾けた。
「よもや、それが真なる長を招くことになるなど考えてもいなかったと思います」
要するに逃げ出す者が出ると言いたいのだろう。
「大丈夫です。逃しませんし、この状況を払拭しなければならないのも分かりました。…逃げようとしても、妲己はすでに臭いを覚えていますから、無理な話ですよ」
穏やかに悧羅が説いて聞かせると、感謝いたします、と震える声がした。悧羅が男に名前を聞く。自分の命も尽きそうなときに、里のことを考えられる男なのだと思ったから。荊軻と、申します、とだけ応え男はまた押し黙った。どうやら、眠ったようだった。
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官吏達が邸の鬼を連れて戻ってきたのは、陽が高くなってからだった。全ての官吏達が揃ってから、私したものは別室に納めるように指示したが、一部屋では入りきらない。結局広い広間のような座敷という座敷を殆ど使ってしまった。ほとほと呆れ果てて一瞥を投げると、官吏たちは小さくなって平伏してしまう。
「あなた方はこれから里に降りて、息絶えておられる方々を丁重に街の一画に集めてください。辺境の里も同様に」
承りまして、震えながら応えて官吏達は散っていく。次に、中庭にでると、官吏たちの邸から連れてこられた鬼たちが平伏していた。まだ動けますか、と尋ねると、一斉に、はい、と返答があった。それでは、と悧羅は鬼たちに伝える。半分は国庫の食糧を使い炊き出し、まず中庭の隊士達に食べさせる事。隊士達の分が終わったら、里に降りて息のあるもの皆に暖かい食餌を配ること。
もう半分の鬼たちは、国庫と、官吏達から返上された衣から温かいものを選んで民達に配って廻り、戸が閉まっている邸も全て開け放ち、最低限寒さを凌げるように整える。これらを伝えて悧羅は一同を見やる。
「よろしくお願いいたします」
悧羅の言葉に更に深く平伏し与えられた務めを遂行するために一同は動き出した。
朝の蒸し暑さが嘘のような雷雨です。
子どもの嵐も去りました。今日はスライム作りでしたが、結局筆者が全部したようなものです…。




