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東王父《トウオウフ》

こんにちは。

更新致します。

雲の瀑布(バクフ)(ツツ)まれて雲の間を抜けると背後(ハイゴ)轟音(ゴウオン)が聞こえた。割れた雲が元に戻ったのだろうとは思えたが、身体を包む雲の力が思ったよりも強くて身動きが取れない。(アラガ)うつもりもないのだが、(アヤカシ)である悧羅(リラ)を、しかも西王母(セイオウボ)化身(ケシン)でもある(ハス)(マネ)き入れるのには如何許(イカバカ)りかの用心も必要なのだろう。とはいえあまり強く(ツカ)まれると(ウロコ)(ハダ)に食い込んで痛みを(ショウ)じるのだが、雲の手にはそのような些末(サマツ)な事などどうでも良いようだ。


長い雲の隙間(スキマ)を抜けると今度はまた長い回廊(カイロウ)が見える。(ハナ)してもらえるのだろうかとも思ったが、雲の手は悧羅を離すことなくそのまま進み続ける。先が見えないほどであった回廊(カイロウ)が少し進むと違う場に(テン)じて、(マジナイ)がかけられていたことを知る。悧羅でさえ宮には同じような(マジナイ)(ホドコ)している。(ガイ)()す者が入り込めないようにするためでもあるし、何より大切な者たちを護るためには(タト)里内(サトナイ)であっても気を抜く事はできないからだ。民達(タミタチ)(ミナ)、悧羅を(コノ)んでくれているわけではない事は分かっている。悧羅だけに降りかかるモノならば良いが宮には磐里(バンリ)加嬬(カジュ)がいつも共に居てくれていた。(モト)は二人を護るために始めた(マジナイ)なのだ。


思い出して、最初は二人を護るだけだったのに随分(ズイブン)と数が増えたものだ、と笑いが出てしまう。雲は依然(イゼン)として力も速さも(ユル)めることはないし何処(ドコ)に連れて行かれているのかも分からない。(ツカ)まれている間に場の景色(ケシキ)(イク)つも変わったが、作りとしては()の国に寄っているように見えた。流れていく景色(ケシキ)の中で一瞬(イッシュン)見える程度であるからはっきりとは分からないが、西王母(セイオウボ)の場とはまた(コト)なる清浄(セイジョウ)さがある。悧羅が(マネ)かれる西王母(セイオウボ)の場など()()()()()()()東屋(アズマヤ)だけなのだが、それでも女神(ニョシン)であるからか(ツツ)まれるような(オダ)やかさに満ちている。


だが、ここは(チガ)う。


どちらかといえば猛々(タケダケ)しい雰囲気(フンイキ)だ。見える建物(タテモノ)や部屋の造りからそう思うのではない。雲に(ツカ)まれ(マネ)きいれられた瞬間(シュンカン)から(ハダ)()るような視線(シセン)を感じている。まるで上から下まで()うように確かめられていた夢の続きのようだった。


どれくらいの間をそうして雲の手に(ツカ)まれていたかは分からない。唐突(トウトツ)に開けた場に出るとまるで投げ出されるかのように雲の手が消えた。かろうじて降り立つ事は出来たが何とも身体が重苦(オモクル)しい。首元まで(ノボ)ってきていた(ウロコ)がじわじわと顔に上がってくるのが分かり不快(フカイ)でしかない。(アタ)りを見廻(ミマワ)すと(モヤ)がかった景色(ケシキ)が広がっている。本当に夢の続きのようだ、とも思うと小さく嘆息(タンソク)が出る。()()()()()()()()()()()()()()()とも同時に思った。悧羅の考えも姚妃(ヨウヒ)の考えも間違(マチガ)ってはいなかったようだが、さて何処(ドコ)に行けば良いものか。


(ナヤ)んでいると(モヤ)の先にほんのりと(アカリ)が見えた。どうやら其処(ソコ)まで来い、という事のようだ。やれやれ、ともう一度嘆息(タンソク)して重い身体を引きずるようにしながら()を進めていく。(ウロコ)(ノボ)っている感覚が不快(フカイ)ではあったけれど、気を抜けば(タオ)()みそうな意識(イシキ)をかろうじて(タモ)っている悧羅には丁度(チョウド)よい刺激(シゲキ)なのかもしれない。本来なら()ければすぐに着く場なのだろうが、もうその能力(チカラ)は出せそうになかった。ゆっくりと()を進めるたびに身体は(ウズ)くし呼吸(コキュウ)も苦しくなる。もしかしたら、あの(アカリ)(モト)辿(タド)り着く頃には全身が(ウロコ)(オオ)われて言葉も出せなくなっているかもしれない。


それでもここまで辿(タド)り着くことは出来たのだ。


もう少しだけ気力を()(シボ)れば(イト)しい者の(ガイナ)が待っている。


ここに着くまで地上を旅しているだけでも二十日を(ヨウ)した。晴明(セイメイ)狐道(キツネミチ)の中では(ジカン)の進み具合(グアイ)判断(ハンダン)できないが、出ると思っていた以前(イゼン)(キョ)の場よりかなり離れた場所まで(ミチ)びかれている。一瞬(イッシュン)であった外の景色(ケシキ)も雲に(オオ)われて()が昇っているのか(シズ)んでいるのかも分からなかった。悧羅が感じている(ジカン)と進み具合が(コト)なることは西王母(セイオウボ)の場に呼ばれるたびに経験(ケイケン)して知ってはいるので、特段(トクダン)どれだけの(ジカン)()ったいようと(オドロ)きはしないが、出来れば大切な者たちと離れてしまうような(ジカン)の流れだけは()けて欲しいところだ。


ゆっくりとそれでも確実に一歩ずつ()を進めて(アカリ)の場が目の前に現れた時には悧羅の左の顔半分は(ウロコ)(オオ)われて目を開けることも出来なくなっていた。そんな姿の悧羅に(オク)する事もなく(アカリ)の前に立っていた二人の男仙(ダンセン)が小さく頭を下げる。


東王父(トウオウフ)様はお成りか?…(ワラワ)は鬼の(オサ)で悧羅と申す」


出した声はつい先程(サキホド)(カエル)()わしたようなはっきりとした声ではない。(カス)れ切り息切れも目立つ中から出来るだけの礼を取って伝えた悧羅に、お待ち申し上げておりました、と二人がもう一度頭を下げて各々(オノオノ)左手に持っていた鈴を()らし始める。広く何もない場に()()()はよく響き(ワタ)っていく。


一度目の鈴の()で二人の背後に大きく堅牢(ケンロウ)(モン)(アラワ)れた。

二度目の鈴の()轟音(ゴウオン)(トモ)に両側に門が開く。

三度目の鈴の()で悧羅は意図(イト)せず中に(マネ)き入れられ、四度目の鈴の()眼前(ガンゼン)に二人の者が現れた。


一人は悧羅も馴染(ナジ)みのある顔、西王母(セイオウボ)。もう一人は初めて(マミ)える顔だ。長い白髪(ハクハツ)は顔の横で一つに(マト)められ、たくわえられた白髭(シロヒゲ)も長い。老齢(ロウレイ)であるのか顔や手には(シワ)が見えるが眼光(ガンコウ)(スルド)()るような視線(シセン)で悧羅を見ている。(マネ)き入れられた時から感じていた視線(シセン)(ヌシ)間違(マチガ)いなさそうだった。(マト)っている衣は真っ白で、(セン)(オサ)()るに相応(フサワ)しいとさえ思わせる。


この者が東王父(トウオウフ)だ、と瞬時(シュンジ)に分かる程、神としての崇高(スウコウ)さと気高(ケダカ)さ、そして時折見える男神(オノコガミ)としての猛々(タケダケ)しさがそこにある。だが頭を下げて礼を取る気にはなれなかった。悧羅を(タメ)すだけであったのだとはしても(モト)東王父(トウオウフ)西王母(セイオウボ)(イサカ)いに巻き込まれたに過ぎない。悧羅が(ハス)の娘として()ろされたのは悧羅の意志ではなく西王母(セイオウボ)の意志だ。其処(ソコ)に巻き込まれ生命(イノチ)(ケズ)り落としながらここまでやってきたのに、二人はただ(ナガ)めているだけだ。もちろん悧羅から話し始める事など何も無く、むしろ()びて欲しいくらいだった。


(クズ)れ落ちそうなほどに身体は疲れ切っていたけれど、ここで(ヒザ)を折ってはならないと強く思う。このような理不尽(リフジン)所業(ショギョウ)(クッ)するなど()えられることではない。ふらつく身体を必死に脚に力を入れて真っ直ぐに立って眼前(ガンゼン)の二人を見つめ返す。しばらくすると上から下まで()めるように見ていた東王父(トウオウフ)から小さな笑みが(コボ)れた。


其方(ソナタ)(ハス)(ムスメ)かの?」


声は低く(シワガ)れているが(アタタ)かくも感じた。そうだ、とだけ悧羅は言う。(イナ)()()()()()()()()()()()()(ウロコ)は右の(ホオ)にまで広がり、もうすぐ視界を全て(ウバ)うだろう。言葉さえだせなくなるのも間近(マヂカ)(セマ)っている。


「よくぞ(マイ)られた」


ゆっくりと大きく(ウナズ)くと立っているだけが精一杯(セイイッパイ)の悧羅の(カタワ)らまで歩み寄ってくる。共に寄ってきた西王母(セイオウボ)(トモ)に悧羅の腕を両側(リョウガワ)から(ササ)えると何もなかった目の前の空間に(ツクエ)椅子(イス)が現れた。


「まずはゆるりと(スワ)られよ」


両側から(ササ)えられながら(スス)められた椅子(イス)腰掛(コシカ)けてはみるが座っていることさえも苦痛でならない。ゆるりと、と言うのであればまずは()()()いて欲しいものだ。残り二つの椅子(イス)東王父(トウオウフ)西王母(セイオウボ)腰掛(コシカ)けると何処(イズコ)からともなく男仙(ダンセン)が現れ茶を()れ始めた。目の前に差し出された茶器を取ろうとするがもう腕にも力が入らないし視界(シカイ)(カス)んで来ている。どんどんと締め付けられるような息苦(イキグル)しさも(アイ)まって身体の痛みがなければ意識(イシキ)手放(テバナ)しているだろう。


「お飲みになられぬか?」


茶器(チャキ)に手を出さない悧羅が警戒(ケイカイ)しているとでも思ったのか、(オダ)やかに東王父(トウオウフ)()うてくる。一目見れば自分の(ホドコ)した(マジナイ)がどれほど悧羅の身体を(ムシバ)んでいるかは分かっているだろうに。少しばかり頭に血が(ノボ)ったが言い返す事も(オロ)かな事に思えた。ただ一つ大きく嘆息(タンソク)すると(トナリ)に座っていた西王母(セイオウボ)が手を貸して茶を飲ませてくれた。たった一口ではあったが(ノド)を通っていく(チャ)が身体に()(ワタ)ると同時に身体の痛みも(イク)らか(ヤワ)らいだようだ。(カス)んでいた視界もはっきりと見え始めてきて(ヒザ)に置いたままの手を動かしてみると何とか動かせた。右の(ホオ)まで(セマ)っていた(ウロコ)もそこで()えるのをやめたように静まり返る。西王母(セイオウボ)の手から茶器(チャキ)を受け取って(ソソ)がれていた茶を飲み干すと()けつくようだった(ノド)も落ち着きを取り戻してくれた。


「声はだせるかの?」


(ツクエ)茶器(チャキ)を置いて大きく息をつく悧羅を(オダ)やかに(ナガ)めながら真正面に(スワ)っている東王父(トウオウフ)(タズ)ねてくる。


「…どうにか出せるようだ…」


声を出して見るとまだ(カス)れて細い声だが話す事は出来そうだった。それでも身体の痛みが全て取り払われたわけではない。苦痛は十分に残っているが()えることには慣れている。声が出せて腕が少し動くようになっただけでも悧羅にとっては十分だ。そうか、と微笑(ホホエ)東王父(トウオウフ)を真っ直ぐに見つめるともう一度大きく(ウナズ)いている。王父(オウフ)、と先を(ウナガ)すような声は西王母(セイオウボ)からだ。悧羅の身体を(アン)じてくれているのだろうが、承知(ショウチ)している、と東王父(トウオウフ)()みを深くした。


(ハス)の娘よ、一つ()いたいのだが(ヨロ)しいかな?」


この状況で何を問いたいのか、と(イブカ)しむ悧羅は残った右目を細めて首を(カシ)げた。だがその()いに(コタ)えなければ話は先に進まないのは分かる。()、とだけ言うと東王父(トウオウフ)がまた(ウナズ)いている。


其方(ソナタ)、神になる気はないか?」


あまりにも大きな問いに悧羅はつい、は?、と声を出してしまった。神にならないか、など何を言われているのかもその目的すらも分からない。


「神になれば悠久(ユウキュウ)(トキ)安寧(アンネイ)に過ごせよう。もちろん(ワシ)男仙(ダンセン)王母(オウボ)女仙(ニョセン)()べておるように、其方(ソナタ)には妖達(アヤカシタチ)()べてもらわねばならないが。どう思われるか?」


馬鹿(バカ)げている、と悧羅は心の中で何かがぷつりと切れるのを感じた。大きく嘆息(タンソク)してから、(イナ)とだけ(コタ)える。神になれだなどと言われて()と言えようはずもないし言いたくもなかった。ほう?、と東王父(トウオウフ)が目を細めながら長い(ヒゲ)()で始めた。良いことばかりの条件(ジョウケン)を悧羅に出したつもりだったのだろう。(イナ)と言われるなど考えてもいなかったような顔だ。


何故(ナニユエ)(コバ)まれる?(アヤカシ)の神として立つのが(オソロ)しゅうあられるか?」


それに悧羅は首を振った。別段(ベツダン)(オソロ)しいとは思わない。それだけの重責(ジュウセキ)(トモナ)わねばならないだろうがそれは今、里を(アズ)かっている事と何ら変わりはないのだから。


「では何故(ナニユエ)に?」


もう一度()われて悧羅は肩を落とした。神ともあろうものがそれすらも分からないのだろうか、と(ナゲ)きたくもある。


「…悠久(ユウキュウ)(トキ)(ワラワ)一人で過ごしたとて何になろうか?(ワラワ)(アヤカシ)王母(オウボ)(ツク)りし(タダ)(アヤカシ)()ぎぬ。(アヤカシ)であるからこそ鬼であるからこそ人の子よりは(ナガ)(セイ)がある。だがそれ以上は望まぬ」


「死することを受け入れる、と(モウ)されるか?」


首を(カシ)げる東王父(トウオウフ)に悧羅は深く(ウナズ)いた。


「申したであろ?(ワラワ)一人(ナガ)らえたとて其処(ソコ)に何の(サイワイ)があろうか?(ワラワ)には生命(イノチ)()きるまで共におろうと(チカ)った者がおる(ユエ)。…あれのおらぬ今生(コンジョウ)になど(サイワイ)は落ちておらぬ。それに、(ワラワ)此処(ココ)()と申せば(ワラワ)(ウバ)った者たちへ()びることさえ(ユル)されぬではないか」


ほう?、と面白(オモシロ)そうに東王父(トウオウフ)は悧羅を見て、それから西王母(セイオウボ)に視線を(ウツ)した。


面白(オモシロ)(ムスメ)()ろしたものだな、王母(オウボ)


神にはならぬそうだ、と笑い出す東王父(トウオウフ)(イサ)めるように西王母(セイオウボ)嘆息(タンソク)している。


()()(ワタクシ)()ろしはしたが(ワタクシ)の考えの(オヨ)ばぬ事をする。今までの子らは(ワタクシ)の思いの(ソト)へは出ることすらなかった。だがこの(ムスメ)(チガ)う。…そうでなければ王父(オウフ)(アン)じておったように人の子の(コトワリ)(アヤカシ)(コトワリ)(クズ)れておったろうが、(ムスメ)(ムスメ)である以上はそのようなことは()こらぬよ」


言うただろう?、と言う王母(オウボ)からもう一度視線を悧羅に(ウツ)した東王父(トウオウフ)は、成程(ナルホド)のう、と目を細めたままだ。


(ハス)(ムスメ)よ。其方(ソナタ)人の子を(ガイ)そうとは思わぬのか?…それだけの能力(チカラ)があれば人の子も(アヤカシ)もすべからく思うままに出来よう?」


何故(ナニユエ)そのような無益(ムエキ)なことをせねばならぬのじゃ?」


本当に(オロ)かな事ばかり聞かれるものだ、と悧羅は辟易(ヘキエキ)としてしまう。


(ワラワ)(アズ)けられた里と民達(タミタチ)(ワラワ)(イト)しき者たちに(ガイ)()せば無情(ムジョウ)なことも(イタ)す。なれど無益(ムエキ)殺生(セッショウ)(コノ)まぬしそのような事をすらば(ミズカ)らに降り掛かるであろう(ゴウ)も知っておる。(コトワリ)の上で生かされておる(ユエ)、流れに(サカ)らうなど思うたこともない」


(コトワリ)、と申されるか」


「そうであろ?神である東王父(トウオウフ)西王母(セイオウボ)、ほかの神()る者たちよりも(ハル)かに手の届かぬ世の(コトワリ)(ワラワ)らを生かしておるのであろ。それに(アラガ)うことなど出来はせぬ。なれど出来ぬからこそ生きておる間はささやかな(サイワイ)を手に懸命(ケンメイ)に過ごすことが出来るのだとは思わぬか?」


当然(トウゼン)の事を言ったまでだったのだが(オドロ)くほどに東王父(トウオウフ)の細めていた目が見開かれた。


「…()()(マコト)王母(オウボ)()ろした(ハス)なのか?」


「だから申しておる。()()()(ワタクシ)の考えの(オヨバ)ぬ事をする、と」


悧羅の(トナリ)満足(マンゾク)そうな笑い声を上げる西王母(セイオウボ)東王父(トウオウフ)は深く(ウナズ)いた。確かにこの(ムスメ)は神と呼ばれる東王父(トウオウフ)西王母(セイオウボ)の考えなど気にも留めていない。神にならぬか、と問うた者は(ホカ)にもいたが(ミナ)歓喜(カンキ)(ナミダ)しながら()と言う者ばかりだった。何の意味がある、などと返された事など無かったし東王父(トウオウフ)がそう問えば必ず温情(オンジョウ)感謝(カンシャ)(ヒザ)()るのだろうと思っていた。


だがこの(ムスメ)は何だ?


ともすれば東王父(トウオウフ)さえも気後(キオク)れさせてしまう程の雰囲気(フンイキ)(マト)って()()()()()。最初に出した仙茶(センチャ)如何許(イカバカ)りか身体は動くだろうがそれでも(ヤイバ)(ツラヌ)かれ続けるような痛みは(トモナ)っているはず。こうして話しているだけでも()(ガタ)い苦痛があるはずなのだ。それなのに微塵(ミジン)も表情に出さず手を借りたのは最初の一口だけ。あとは真っ直ぐに右しか開いていない(マナコ)東王父(トウオウフ)を見ているだけだ。


その上(ワシ)たちでも(オヨ)ばぬ(コトワリ)まで考えておるとは…。


何とも…。


(テノヒラ)の上で動かしていたと思っていたが()()はどうやら東王父(トウオウフ)のものでも西王母(セイオウボ)のものでも無かったのかもしれない。


「…睚眦(ガイシ)…」


小さく呼ぶと東王父(トウオウフ)背後(ハイゴ)からするりと(ケモノ)が姿を現した。夢で見ていた金の(マナコ)だが(リュウ)と呼ぶには小さい体躯(タイク)だ。体躯(タイク)は青い毛に(オオ)われているが首の下に悧羅の身体(カラダ)()えている(ウロコ)と同じモノが見えた。長い尾だけが(リュウ)のように伸びているが、やはり親である(リュウ)にはなれなかったのは見て取れる。ゆっくりと獲物(エモノ)(トラ)えたような目で悧羅を見ると睚眦(ガイシ)と呼ばれた(ケモノ)が近寄ってくる。やれやれ、と小さく息をついてゆっくりと椅子(イス)から立ち上がると悧羅は(ケモノ)の方に向き直りその場に(スワ)った。殺生(セッショウ)(コノ)むとされている(ケモノ)だ。獲物(エモノ)である悧羅をようやく目の前にしてどう出てくるかも分からない。ただ椅子(イス)(スワ)ったままでは(トナリ)西王母(セイオウボ)を血で(ケガ)す事にもなりかねない。


「…其方(ソナタ)が夢の(マナコ)(ヌシ)だの」


眼前(ガンゼン)(セマ)ってにたりと笑う(ケモノ)の口から(ヨダレ)()れて落ちた。だがそこから近づこうとはしない。何やら哀玥(アイゲツ)に似たモノだ、と見ていると笑いが出てしまう。最初に出会った時の哀玥(アイゲツ)も同じように不敵(フテキ)な笑みで悧羅を見ていた事を思い出す。


「右目しか残っておらぬのでな。なかなかに喰らいつくには(ムズ)かしかろうが…。金の(マナコ)(ヌシ)の顔を見れたはよろしかったの」


笑いながら腕を伸ばすと大きく口を開けられる。それに(オク)すことなく(コウベ)に手を乗せるとふわりとした毛並(ケナ)みの感触(カンショク)があった。


やはり哀玥(アイゲツ)を思い出すな。


くすりと笑って(コウベ)()でると大きく開けられていた口がゆっくりと閉じられて立ち上がっていた脚を曲げ始める。おや、と笑う悧羅の前で()でられながら睚眦(ガイシ)と呼ばれる(ケモノ)体躯(タイク)()せた。


()でられたことがなかったのかえ?…ならば其方(ソナタ)(ヨシ)と申すまでこうしておく(ユエ)、満足したならば()らうとよろしかろう。…あまり長くは()たぬだろうが(ユル)してたも」


()せた睚眦(ガイシ)の前で(ヒザ)(タタ)くと(コウベ)を乗せてくる。その姿に東王父(トウオウフ)西王母(セイオウボ)も息を呑んだ。(アラガ)うでもなくただ(イツク)しみの心で接しゆっくりと睚眦(ガイシ)()で続ける悧羅は(オノレ)に降り掛かるものを(オソ)れてもいない。出来ることならすぐにでも()いてやりたいのだが、(マジナイ)をかけたのは東王父(トウオウフ)睚眦(ガイシ)能力(チカラ)を借りただけだ。()けるのは睚眦(ガイシ)だけなのだ。だが悧羅は()いてくれと言うよりも睚眦(ガイシ)の心を()んだ。身体の痛みはあるだろうにゆっくりと()で続ける悧羅を見守ってどれくらいが()っただろうか。悧羅の手が(フル)えだして止まっていたはずの右の(ホオ)(ウロコ)がまた()え始める。それでも手を休める事をしない悧羅を膝の上から(アオ)ぎみて睚眦(ガイシ)はぺろりと悧羅の(ホオ)()めた。(ウロコ)は止まったが右目の半分は(オカ)されてしまった。だがまだ見える。


東王父(トウオウフ)(オレ)にはこの方をこれ以上(ガイ)することはできぬ。お前との制約(セイヤク)破棄(ハキ)するが(カマ)わんだろう?】


低い声がしているがそれでも悧羅は睚眦(ガイシ)を撫でることをやめはしない。満足するまで、と約束したのだから。


「もちろん(カマ)わぬ。こちらから願うところだった。この(ムスメ)は世の(コトワリ)に不可欠な稀有(ケウ)な者。それがよう分かった」


苦しい思いをさせたことを()びられているようだが身体の(ウロコ)はそのままだ。だが睚眦(ガイシ)(マジナイ)が失われたのであればどうすれば良いのかは自然と心に()いた。後は里に(イト)しい者の(カイナ)に飛び込むためにまた来た道を戻るだけだ。だが一つ気になることがあった。睚眦(ガイシ)を撫でながら、王母(オウボ)と声をかけると(ハジ)かれたように椅子から立ち上がる音がする。普段(フダン)(オダ)やかな王母(オウボ)(アワ)てるなど(メズラ)しい、と笑っていると隣に(ヒザ)をついてくれた。


(ワラワ)狐道(キツネミチ)からここに(イザ)なわれておる(ジカン)下界(ゲカイ)ではどれほどじゃ?」


気になるのは(シン)がもう居なくなっているのではないかという不安だ。(カエル)と出会う前までは人の子の国を進んでいたので(ジカン)は分かる。だが狐道(キツネミチ)に入ってからはわからない。もしかすれば想像以上の(ジカン)()っていても可笑(オカ)しくないのだ。


(アン)ずるな。六月(ムツキ)ほどだ。里もお前の大切な者たちも何ら変わらず過ごしておる」


そうか、と笑うとぐらりと視界が()れる。と言うことはほぼ七月(ナナツキ)もの間、里を離れてしまっているということか。しかしまだ(タオ)れてはならない。睚眦(ガイシ)との約束も果たしてはいないし、何よりこれから里に戻らなければならないのだから。生える(ウロコ)が止まってくれただけでも十分(ジュウブン)だ。この身体(カラダ)で年の間に里に辿(タド)りつけるかは心配だが晴明(セイメイ)狐道(キツネミチ)までいければ少しは近づく事が出来るはず。考えながらも睚眦(ガイシ)()で続けていると小さな鳴き声が耳に届いた。どうした?、と見やって微笑(ホホエ)む悧羅には鳴き声さえも哀玥(アイゲツ)のようで愛らしい。


【俺の背に乗るが良い。せめてもの()びと(レイ)()ねて里まで最速で()けてやる】


おや、と苦笑する悧羅に、それが良いと王母(オウボ)も同意した。悧羅の身体はどう見ても一人で里に戻せるものではない。とはいえ王母(オウボ)が手を貸すわけにはいかなかったが、睚眦(ガイシ)が言い出さなければ(コトワリ)()れようとも連れ帰る気ではいた。


王父(オウフ)、よろしかろうな?」


(タズ)ねる西王母(セイオウボ)の声に(カブ)さるように無論(ムロン)だ、と東王父(トウオウフ)の声がする。


()()()(ウシナ)えばそれこそ世の(コトワリ)(クズ)れさる。その元凶(ゲンキョウ)を作ってしまった東王父(トウオウフ)もどうなるか分からないほどに。遠いところで話が行われているような気持ちになるがそれは悧羅の耳がよく聞こえなくなっているからだろう。耳が聞こえる内に、と悧羅は西王母(セイオウボ)を呼ぶ。もう一つ(タノ)み事をしなければならない。


「すまぬが宮に王母(オウボ)から(タマワ)った(ハス)がある。それを()()(ミズウミ)にすべて運ぶように…、(ミナ)に…」


声が出せたのはそこまでだった。だが伝えたいことは言えたようだ。(ヤワ)らかな手が(ホオ)を包んだようにも思ったが(ウロコ)()えているだけでも体力を(ウバ)われていくようだ。また(ミダ)れ始める呼吸を大きく(トトノ)えていると身体がふわりと浮いて(ヤワ)らかな毛並(ケナ)みの上に横たえられる。(ツカ)まる力もない悧羅を長い尾が出来るだけ痛みが無いように(ササ)えてくれているのが伝わってくる。


猶予(ユウヨ)がない。行くぞ】


一言睚眦(ガイシ)は残る二人に言い残して走り出した。痛みで熱を持った身体に当たる風が心地良(ココチヨ)いと思いながらも意識が遠のくのを止められない。


まだ駄目(ダメ)だ。

(モド)るまでは目を開けていなければ…。


必死に自分を()き付ける悧羅の頭の中に直接睚眦(ガイシ)(カタ)りかけた。


(アン)ずるな。(ネム)っていても俺は生命(イノチ)など取らん】


それを(アン)じているわけではない、と(ネン)じると、そうかと笑うような声が(ヒビ)く。ただ悧羅自身の体力が()つかを(アン)じているのだ、と思うとそれも伝わったようだ。


【必ずや間に合わせる。飛び込むが(カマ)わぬな?】


目が覚めて良いものだろう、と思うと小さく笑いが出てしまう。


【それはそうだな。…(マコト)()まなかった…】


()びる声が届いたが(コタ)えることはもう出来そうにない。駄目(ダメ)だ、と思いながらも裏腹(ウラハラ)に悧羅の意識(イシキ)はぷつりと途切(トギ)れてしまった。

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