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這う【伍】《ハウ【ゴ】》

遅くなりました。

更新致します。

西王母(セイオウボ)から(アタ)えられた漆黒(シッコク)(コロモ)(マト)って支度(シタク)を終えた悧羅(リラ)(ミナ)に伝えた通り半刻(ハンコク)(ノチ)(ミヤ)を後にした。どうにか付いていく方法は無いのかと、最後(サイゴ)まで(シン)妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)愚考(グコウ)していた。


「やめておいた方が良い。それで母様(カアサマ)に良くないことが起こるかもしれないから」


姚妃(ヨウヒ)(サト)されたが血が混ざってるなら、と退()かない紳が可笑(オカ)しかった。


「確かに父様(トウサマ)母様(カアサマ)(チギ)りで血を混ぜてるけどそれでも個々(ココ)で違うでしょ?私たちは半分は母様(カアサマ)から出来てるから(ユル)された部分があるんだと思う。それに心配なのは父様(トウサマ)だけじゃないからね?」


「それはそうだけど…。何かあったら…」


「だからそれも(フク)められてるんだって思うの。母様(カアサマ)に何かあったら里だけでなく(アヤカシ)(コトワリ)(クズ)れかねないんだから。何かあれば(キズ)(ツナ)がるでしょ?」


母様(カアサマ)大事(ダイジ)なら見守って、とまで末子(マツゴ)に言われて少しばかりしゅんと肩を落とした紳に、必ず戻ると言い置いて悧羅は()け出した。(アン)ずるな、と口付けたい気持ちもあったが後髪(ウシロガミ)を引かれる気持ちになるし、何より戻って来てからの方が良い様な気がして手を振るだけにした。宮を出る時には見送る者たちに心配をかけたくなかったので何事もないようにいつも()ける(ハヤ)さで出たのだが長くは()たなかった。場を出る門を開けて瀑布(バクフ)と共に現世(ウツシヨ)に出ると(スデ)に息が切れている。


…こうまで身体が弱っているとはな…。


(ツカ)れやすく息も(ミダ)れることはあっていたからもしや、とは思っていたが考えていた以上に身体は(ムシバ)まれていたようだ。だがまだ空を()ける事は出来る。これまでのような(ハヤ)さは出せず、すぐに疲弊(ヒヘイ)して呼吸が苦しくなるので足を止めることもしばしばだったが、それでも前に進むために歩きながらでも()を進めるしかなかった。行手(ユクテ)(マミ)える妖達(アヤカシタチ)も通り過ぎたり、遠目(トオメ)から(ナガ)められることはあったが、まだ悧羅に手を出そうとはしなかった。それは悧羅の能力(チカラ)というよりは、悧羅に(キザ)まれている(ウロコ)からの異質(イシツ)(ネン)を感じ取ったからだろう。そうでなければここまで弱った悧羅を(オソ)わないなど考えられない。


ある意味では護られている、ということなのだろうな…。


重い身体を動かすことだけに意識(イシキ)を集めてひたすらに()けると歩くを繰り返す。()が高い内に出来るだけ()を進め、()(シズ)む前には休める様な場所を見つけて夜を超える。そうしている時も夢は見るし、目が()めるたびに(ウロコ)も増えて行った。いつもの能力(チカラ)が出せていたならば一日半も()ければ着く()の国の地が見え始めたのは宮を出て十日(トオカ)が過ぎていた。


()の国に入ったからとはいえ姚妃(ヨウヒ)の調べ上げてくれた場はまだ遠い先だ。悧羅達が人の子の世に(キョ)(カマ)えていた場よりも遠いのは見せてくれた巻物(マキモノ)(シル)されていた(シルシ)の場所から分かってはいる。大国(タイコク)(クラ)べれば場は小さいけれどそれでも縦断(ジュウダン)するとなればかなりの距離(キョリ)がある。その上(シルシ)がついていた場は海を超えなければならないようだった。まだ長い旅になりそうだ、と苦笑せざるを()ない。それでも進むしかない。


()の国に入ってからも()けられるときには()け、無理がありそうならば一歩でも前に進む様に歩き続ける。夜になれば樹々に身体を預けて休み()が昇り出すと共に目を覚ましてまた進む。()れていく()の中でかつて()とした(ミヤコ)活気(カッキ)(アフ)れている様子を眼下(ガンカ)に見ながら、良いように廻ったようだとも安堵(アンド)する。今日のところはこの(アタ)りで休んだ方が良さそうだ、と何処(ドコ)か休める場を(サガ)そうとしてふと思い出した。そういえば晴明(セイメイ)妖達(アヤカシタチ)夜毎(ヨゴト)(ウタゲ)を開いていた(ヤシキ)があった。()の友が黄泉(ヨミ)(ワタ)ったのは100年ほど前になるが、もしかしたらまだ(ヤシキ)は残っているかもしれない。活気(カッキ)(アフ)れた(ミヤコ)から離れた、閑散(カンサン)とした場所にあったはずの晴明(セイメイ)(ヤシキ)を目指して進む方向を変える。晴明(セイメイ)縁者(エンジャ)がいるかもしれなかったが妖達(アヤカシタチ)のための場だと言っていたし、子も入れてはいなかったと(オボ)えている。もしも(ダレ)かが居たならばまた別の場を(サガ)せば良い。


その程度(テイド)の気持ちで向かったのだが着いたその場は(ムカシ)、紳と(タズ)ねた時と何ら変わってはいなかった。人の子の気配(ケハイ)はせず妖達(アヤカシタチ)酒盛(サカモ)りをする笑い声だけが響いてくる。(ヤシキ)(アルジ)も居ないのによく(タモ)てているものだと思いもしたが今は有難(アリガタ)い。すとん、と庭に降りた悧羅に酒盛(サカモ)りをしていた妖達(アヤカシタチ)の声がやんだ。楽しんでいたところに突然(トツゼン)鬼が()りたのだから(オドロ)かないモノはいないだろう。


「すまぬ、(サワ)がせるつもりはない(ユエ)。しばし休ませてたも」


(ドウ)じさせないように出来るだけ(オダ)やかに声をかけるが、小さな妖達(アヤカシタチ)(カク)れ始めてしまう。悧羅とそれに()いているモノに(オビ)えでもするように呆然(ボウゼン)とされて、これでは妖達(アヤカシタチ)の気が休まらないと(キビス)を返そうとした時だった。


「おやおや、これは久方(ヒサカタ)ぶりのお客様ではござらんか」


(ヤシキ)の中から縁側(エンガワ)にひょっこりと顔を出したのは()()(カエル)だった。知った顔に悧羅も安堵(アンド)して大きく息をついてしまう。()ねるように悧羅の(ソバ)に寄りながら(カエル)が、(ガイ)()す方ではない、と(カク)れている妖達(アヤカシタチ)に声をかけている。ずんぐりとした体躯(タイク)が目の前で止まって、ふぉっふぉっと笑いながら目を細めた。


「…これはまた難儀(ナンギ)なされておるようだ」


蛙爺(カエルジイ)は変わらぬの。息災(ソクサイ)で何よりじゃ」


腰を落として視線を(カエル)(ソロ)えると、長生きだけが取柄(トリエ)でしてな、とまた笑っている。悧羅を見ながら大きく二度三度(ウナズ)くと何も聞かずに、こちらへ、と先に立って歩き出した。(カエル)()ねる後ろ姿に付いていくと縁側(エンガワ)から(ヤシキ)の中に通された。


「外は酒盛(サカモ)りで(サワ)がしゅうございますからな。ここでござればゆるりと休まれようて」


二つほど部屋を抜けた先の戸を開けながら(カエル)が笑った。戸の奥ではこれまた二匹の(カエル)布団(フトン)()いてくれている。枕元(マクラモト)にはきちんと(タタ)まれた寝間着(ネマギ)まで置いてあるのを見て、まるで悧羅が来ることが分かったいたようだ、と小さく笑ってしまう。知っておったのか?、と(タズ)ねてみたが(カエル)は目を細めて笑うだけだ。


晴明(セイメイ)がここを(ジイ)に残してくれましてのでな。長様(オササマ)気配(ケハイ)は感じておったので立ち寄っていただけるだろうと期待(キタイ)はしておりましたのじゃ。ほんにお変わりのない美しさであられる」


悧羅に()いているモノの気配(ケハイ)も感じているだろうに(オク)さない(カエル)態度(タイド)に悧羅も張り詰めていた糸が(ヤワ)らぐのを感じて、その場に座り込んでしまった。大きく息をつくと、ほんに有難(アリガタ)いと(カエル)に頭を下げる。おやおや、と笑いを(フク)んだ(カエル)の手が悧羅の手を(ツツ)んだ。


()れさせていただくなど烏滸(オコ)がましいがお許し下され。(ジイ)こそ晴明(セイメイ)世話(セワ)になった(オン)がありますれば。(ハラ)はすいておられぬか?湯も使えるようにしておる。お()し物はこのモノ達に(アズ)けられよ。出立(シュッタツ)までには(トトノ)えさせる」


「そこまで世話(セワ)をかけるわけにはゆかぬ。寝床(ネドコ)支度(シタク)してもろうただけでも有難(アリガタ)いのじゃ」


遠慮(エンリョ)する悧羅に(カエル)はまた笑う。


(ジイ)孫子(マゴコ)でございますから。いつも長様(オササマ)の話を聞かせておったのですが信じてもらえず難儀(ナンギ)しておった。嘘吐(ウソツ)き呼ばわりまでされ申してな。長様(オササマ)がおいでくださった(ユエ)(ジイ)面目(メンモク)(ツブ)れずに済み申した」


のう?、と振り向かれた二匹の(カエル)も目を輝かせて()ねるように悧羅の(ソバ)に寄ってくる。


「…(オソロ)しゅうはないかえ?無理はせずともよい」


ただでさえ鬼であり、その上ナニモノかに()かれているのだ。(カエル)旧知(キュウチ)の仲であるし、長い歳月(トシツキ)を生きてきているからこそ(オク)することをしないでいてくれるが、まだ若い二匹の(カエル)には刺激が強すぎるだろう。だが返ってきたのは、全然、という笑顔だけだ。


爺様(ジイサマ)はいつも話してくれていたのです。でも見たことないし爺様(ジイサマ)の作り話だって思ってたから。お会いできて嬉しいです」


水掻(ミズカ)きのある両の手を合わせながら喜んでいる(カエル)たちはどうやら女子(オナゴ)のようだ。


長様(オササマ)のお世話を(イタ)すのに男子(オノコ)はつけられますまい?旦那様(ダンナサマ)(ツブ)されてしまいますでな」


「確かに…、そうやもしれぬな」


くすりと笑った悧羅は宮を出てから笑っていなかったことにも気付いてしまう。それほどに心も身体も(ツカ)れてしまっていた。ここでこうして迎え入れてもらえなければ、目的の場まで辿(タド)りつけなかったかもしれなかった。悧羅を見ながら目を輝かせている二匹の(カエル)に湯を見てくるように蛙爺(カエルジイ)が伝えると、はあい、と楽しそうに部屋から出て行く。出て行った(カエル)達が戸を閉めるのを見やってから、さて、と蛙爺(カエルジイ)が悧羅の手を離した。


「なんとも難儀(ナンギ)なさっておるの。そのお身体では先に進むのも(ツラ)かろうに」


首元にちらりと見える(ウロコ)に目をやりながら言う蛙爺(カエルジイ)に悧羅は少しだけ笑って見せた。里を出てからも(ウロコ)は増え続け今では首元と両の腕まで広がっている。かろうじて(コロモ)(カク)せているが、ちらりと見えてしまうのはもう(カク)しようがなかった。(ウロコ)が増えるたびに身体の気怠(ケダル)さは増して行っていたし締め付けられるような息苦しさも増している。全力で()けられる(ジカン)も一日を通して一刻(イッコク)()てば良い方だ。


「…それでも行かねばならぬ(ユエ)。行く途中(トチュウ)()ち果てたならば(ワラワ)はそれまでのモノであったというだけじゃ」


「ですが長様(オササマ)の目指される場はまだ遠い。…手を貸せればとも思いまするが、()()()()()長様(オササマ)にご迷惑がかかりそうですの」


「そう思うてくりゃるだけで有難(アリガタ)いことじゃ」


手を伸ばして(カエル)の手を(ツツ)みながら悧羅は微笑(ホホエ)んだ。蛙爺(カエルジイ)物言(モノイ)いから何か知っているのだろうがそれを言うことも悧羅のためにはならないということだ。


「…旦那様(ダンナサマ)も身を切られる思いをなさっておいででしょうな。長様(オササマ)をお一人で出されるなど…」


そうだな、と冷たい手を(タタ)きながら悧羅も嘆息(タンソク)する。(チギ)りを()わした後こんなにも長い間紳と離れていることなどなかった。(コイ)しく思うのは紳だけではなく悧羅も同じだ。


「あれのためにも(ワラワ)(アラガ)わねばならぬでな。必ず(モド)ると(チコ)うたほどに。…まだこのような事で黄泉(ヨミ)(ワタ)るわけにはゆかぬのだ」


それでも(ワズ)かに(クスブ)る不安は感じているけれど打ち消すかのようにそう悧羅は(コタ)えた。やっと100年を超えたのだから、と苦笑する悧羅にふぉっふぉっ、と(カエル)(ジイ)も笑ってみせた。


爺様(ジイサマ)、よいようだったよお」


湯加減(ユカゲン)を見に行ってくれていた(カエル)達が戻ってくると、さあさあと(ウナガ)される。


「まずはゆるりと湯にでも()かられよ。今宵(コヨイ)は何も(アン)じられずお休みになられませ。何かあれば、孫子(マゴコ)に伝えていただければよいのでな」


目を細めた蛙爺(カエルジイ)に礼を言って先立って()ねていく二匹の(カエル)の後を付いていくと湯殿(ユドノ)に案内された。脱いだ(コロモ)(メズラ)しそうに(ナガ)めている(カエル)たちに、小さな笑いが()れる。


「…(コロモ)(メズラ)しゅうあるのかえ?」


まるで幼子(オサナゴ)のような二匹に笑いかけると、うん、と(ウナズ)いている。自分たちも着ておるではないか、と笑う悧羅に、(チガ)うよ?、と悧羅の(コロモ)(カブ)って遊び始めた。


「こんなに上等(ジョウトウ)なのを見たことがないの。さらさらしてるし、私たちのとは全然違う」


言われて成程(ナルホド)、と悧羅は笑った。確かに華美(カビ)ではないが悧羅の(マト)(コロモ)はすべからく(キヌ)で織られている。(カエル)たちが身につけているのは粗末(ソマツ)(ヌノ)で織られた簡素(カンソ)な物だ。歳の頃はよく分からないが(コロモ)(キョウ)を持つ頃なのだろう。礼の代わりに()()(ワタ)したくもあったけれど王母(オウボ)(タマワ)ったものでもあるし、何より一枚しかない。二匹いる(カエル)たちが取り合ってしまう事は想像できた。


「ではこうせぬか?(ワラワ)が無事に(コト)を終え、里に(モド)ることが出来たならば今宵(コヨイ)の礼に(コロモ)(オク)らせてくれまいか?」


悧羅の(コロモ)を脱いだら(カブ)ったりしていた二匹が(ハジ)かれたように悧羅を見た。その姿が愛らしくて笑みを深くする悧羅に、いいの?、と声を張り上げて飛び上がった。


「もちろんだ。…なれどしばし(ジカン)がかかる(ユエ)、どのような物がよいのか考えておいてたも。…もしも(ワラワ)(コト)()せず()ちたとしても(レイ)だけは何としても届けさせる」


飛び上がっていた(カエル)たちがその言葉に跳ねるのをやめてしまう。どうした?、と(タズ)ねると、長様(オササマ)が持ってきて?、と首を(カシ)げて見上げてきた。


「私たちどんなのが良いか考えておくから。出来たら長様(オササマ)が持って来て?」


「そうしたら頑張(ガンバ)れるよね?約束するんだから守らなきゃって爺様(ジイサマ)いつもいってるから」


丸い目を(サラ)に丸くしていう背丈(セタケ)二尺(ニシャク)ほどしかない(カエル)の娘達に言われて悧羅は、はっとする。どうやら自分が()ち果てるのも(イタ)し方ない、と心の何処(ドコ)かで思ってしまっていたようだ。身体は思うように動かず(ダレ)(タヨ)れるわけでもなく、いつも(アタタ)かく(ツツ)んでくれていた(カイナ)まで置き去りにして、必ず(モド)ると言ったのに。ここまでの道中(ドウチュウ)でその思いを忘れていたわけではなかったけれど、ふとした言葉の中に不安が出てしまった。


__________(ナサ)けなや…。


100年前までは孤独(コドク)であることが当たり前だった。妲己(ダッキ)は共にいてくれたけれど、それでも女子(オナゴ)としての(サイワイ)(アキラ)めていた悧羅には目に(ウツ)るすべてのものが色褪(イロア)せて見えていた。心を()てつかせて感情などというものは捨てて。そうしなければ生きている事さえも苦痛でならなかったのに。


たった100年、(イト)しいと言ってくれる者の(カイナ)(イダ)かれ大切な者たちを(サズ)かっただけで見える景色(ケシキ)はがらりと変わったのだ。


その者たちにも(チカ)ったではないか。


必ずや(アラゴ)うてみせましょう、と。

必ずや(モド)ってきてみせましょう、と。


500年間()(シノ)んできた苦渋(クジュウ)辛酸(シンサン)を思えば、待ってくれている者たちがいるのだから恵まれている。


そうだ、恵まれすぎている。


だからこそ弱さが出てしまった。


護る者がいる(カギ)り何よりも(ダレ)よりも強く気高(ケダカ)く立っていなければならなかったのに…。


長様(オササマ)?、と(モク)してしまった悧羅を(アン)じるように小さな手が二つ悧羅の両の手を取ってくれた。冷たい手の感触(カンショク)なのに伝わってくる思いが温かい。その場にしゃがみ込んで蛙達(カエルタチ)と目を合わせると、分かったと悧羅は微笑(ホホエ)んだ。


「そうだの、約束は守らねばならぬ。蛙爺(カエルジイ)の申す通りじゃ。其方(ソナタ)達への礼は必ずや(ワラワ)が届けにこよう。…ようと考えて楽しみにしておくのだえ?」


「約束だよ?」


(ニギ)られた手に力が()められて悧羅はもう一度大きく(ウナズ)いて笑いかけた。やった!、とまた()ね廻りながら、じゃあ早くお湯に入って、と()かされてしまう。


「分かった分かった」


苦笑しながら立ち上がると、上がったらお部屋に戻って休んでね、と二匹が湯殿(ユドノ)から出て行く。戸が閉められても()ねる足音と共に、どんなのにする?、と(コロモ)の事を考えているのか楽しそうな声が聞こえていた。()み上げてくる笑いを(コラ)えながら久方(ヒサカタ)ぶりの湯を使わせてもらう。随分(ズイブン)(ヨゴ)れていたようで湯を()びるたびに泥水(ドロミズ)のような湯が流れた。どうにか身体を清める事が出来て湯に()かると大きな嘆息(タンソク)が出てしまった。


本当に助かった…。


幾度(イクド)嘆息(タンソク)しながら()()()()()()()()()()()()()()()、と思うとぞっと背中を悪寒(オカン)が走った。ただ、思い出して来ただけのつもりだった。()ちていても屋根(ヤネ)があり夜露(ヨツユ)(シノ)げればそれで良いと思ってきたのに、こうも(イタ)れり()くせりと世話を焼いてもらえるなど助けられた、としか思うよりない。これで蛙爺(カエルジイ)達に何某(ナニガシ)かが起こりはしないか、とも思うが蛙爺(カエルジイ)態度(タイド)からしてその可能性(カノウセイ)は低いように思える。


肩まで湯に()かりながら両の手を湯から出して見るともうそこに悧羅の白い手は無い。見えなくなるほどの(ウロコ)(オオ)いつくされているが手としての役割を()たせるだけ良いと考える(ホカ)ない。動かせばそれなりに痛みも感じるがまだ動かせる。足がまだ無事なのが(サイワイ)だった。足が動かなければ先に進むことも出来ない。この場に辿(タド)りつくまで里を出てから二十日(ハツカ)(ヨウ)してしまっている。このままの速さで進めば東王父(トウオウフ)の場へ着く頃には身体中が(ウロコ)()()くされてしまう。無理をしてでも()けたいが、()ける体力が(ワズ)かにしか悧羅に残っていないのだ。


間に合わせなければならないのに思うようにならない身体がもどかしい。これも又、(タメ)されているということか。


大きく息をついてから湯から上がると支度(シタク)されていた寝間着(ネマギ)(ソデ)を通す。(キヨ)らかに洗われているそれは悧羅が持っているどんな(コロモ)よりも肌触(ハダザワ)りが良かった。(ドロ)(ホコリ)にまみれ夜露(ヨツユ)で身体に張り付いた(ケガ)れが如何(イカ)に身体を重くしていたかが分かる。(キヨ)らかに(トトノ)えられている物が宮では当たり前だったけれど、それも磐里(バンリ)加嬬(カジュ)が居てくれるからこそ悧羅に与えられていたものなのだ。戻ったら礼を言わねばならないな、と思いながら(スス)められていた部屋に戻ると枕元(マクラモト)水差(ミズサ)しまで置いてあった。外ではまた妖達(アヤカシタチ)(ウタゲ)が始まったようで遠いけれど(ニギ)やかな声が聞こえてくる。それさえも心地良(ココチヨ)いと感じながら布団(フトン)に横になると久方(ヒサカタ)振りに味わう(ヤワ)らかな肌触(ハダザワ)りにほうっと安堵(アンド)してしまった。目を閉じるとすとん、と糸が切れたように悧羅の意識が深く眠りに(シズ)んでいくのが分かった。



鳥の鳴く声で目を覚ました悧羅は夢を見なかった事に如何許(イカバカ)りかの不安を(オボ)えた。もしかしたら見たのかも知れないが()()に気づかないほど深く寝入ってしまっていたのだろうか?外の(ウタゲ)(ニギ)やかしさも消えて静まり返った(ヤシキ)に他の(アヤカシ)気配(ケハイ)はない。()()()()残っている気配(ケハイ)があるが、夜明けと共に他の者たちはそれぞれの場に戻ったのだろうか?


まさか…、という思いが()ぎって(アタ)りを見廻すと寝床(ネドコ)の横にきちんと(タタ)まれた悧羅の(コロモ)が置いてある。急いで()()えて布団(フトン)寝間着(ネマギ)片付(カタヅ)けてから気配(ケハイ)(ヌシ)の元へと足を進めた。二つ部屋を出ると縁側(エンガワ)と中庭が見える。そこにずんぐりとした(カエル)が座って煙管(キセル)を吹かしているのが見えて悧羅はようやくほうっと息をついた。まだ早い(ジカン)なのか()(ノボ)り切ってはいないようで周りは(シラ)んでいる。ゆっくりと(カエル)に近づきながら声をかけると、お目覚めになられたか、と振り向きながら目を細めてくれた。


「ほんに世話(セワ)になってしもうた。…(ミナ)の姿が見えぬが戻ったのかえ?」


(アヤカシ)(ウタゲ)は朝になれば終わるものでございますからな。酒に(オボ)れてよたよたと帰って行きましたわい。また今宵(コヨイ)も同じことの繰り返しじゃ」


ふぉっふぉっ、と笑う(カエル)孫子(マゴコ)達は?と(タズ)ねると、それも帰ったという。


「今頃はぐっすり眠っておるでしょう。何やら長様(オササマ)と約束してもろうた、と(ウレ)しそうにはしゃいでおりましたがの」


「そうか…。礼を申したかったのだが…。(ジイ)から伝えてくりゃるかえ?必ずや約束は()たすと(ワラワ)が申しておった、と」


長様(オササマ)に約束させるなどほんに身の(ホド)を知らぬ子らで申し訳ございませんな」


肩を揺らしながら笑う(カエル)縁側(エンガワ)煙管(キセル)(タタ)きつけて灰を出すと、よいしょと立ち上がった。数歩跳ねた草むらを煙管(キセル)()き分けると人の道ではない道が見えた。


晴明(セイメイ)がよう使(ツコ)うておりました狐道(キツネミチ)でございます。勝手に長様(オササマ)方が住んでおられた場にまで(ツナ)げておりました(ユエ)、ここを通って行かれるとよろしかろう。人の子の国を(ワタ)るよりは…」


早く着くだろう、という言葉は(カエル)も出さなかった。悧羅が何処(ドコ)に向かおうとしているのか分かってはいるがそれを知った上で言葉に出せばきっと何かしらの(バツ)(クダ)る。一晩(ヒトバン)考えて晴明(セイメイ)が作っていた道を示すくらいなら手を貸した事にはならないだろう、と思い付いたのだ。付いて来ていた悧羅が、(ジイ)、と(アン)じたが(カエル)は笑うばかりだ。


「長生きだけが得意(トクイ)とするところと申し上げましたでな。色々と知恵(チエ)(ハタラ)きますのじゃ。特に(ウラ)をかくのは長生きする上で何より大事な事でございますからな」


さあ、と(ウナガ)されて悧羅はふわりと(カエル)を包んだ。


「ほんに助かった。この礼は必ずや」


抱きしめる(カエル)の短い手が悧羅の背中を(タタ)く。


「このような褒美(ホウビ)をもろうてしもうては(ジイ)生命(イノチ)が終わっても()いはありませんなあ」


旦那様(ダンナサマ)(ツブ)されてしまう、と笑う(カエル)から身体を離して悧羅も微笑んだ。


「必ずやまた会いにくる。(ジイ)害為(ガイナ)すことあらば…」


大事(ダイジ)ござらん。(アン)じられずとも(ジイ)はまだまだ死なぬようじゃ。長様(オササマ)もどうかお気をつけて」


うん、と(ウナズ)きながら(カエル)の手を強く(ニギ)ってもう一度礼を言うと悧羅は(スス)められた道に入った。数歩進んで後ろを向いたがもう(カエル)の姿は見えない。晴明(セイメイ)が使っていた狐道(キツネミチ)とは言われたが、まるで獣道(ケモノミチ)のようで(トトノ)えられた道ではない。ただ真っ直ぐに伸びる道だけが悧羅の前にあり通って来たはずの道は消えている。


これではどれくらいの(ジカン)()っているかも分からぬな。


思い出してみれば確かに人の子の国に(キョ)(カマ)えていた頃、晴明(セイメイ)(ミヤコ)と里を容易(タヤス)く行き来していた。用が出来たと言っては戻り、その夜には里にいる。懇意(コンイ)にしている(アヤカシ)能力(チカラ)を借りていたのだろうと思っていたが、どうやらこの道で行き来していたようだ。晴明(セイメイ)らしいとも思えるが死して(ナオ)この道が使えることの方が(オドロ)いてしまう。それだけ稀有(ケウ)な者だったのだ。亡くした事を()しいとも思えるがそれも又人であるからこそだ。悧羅が()()を乗り越えればまた永い(セイ)が待っている。


生きて戻れたならば生まれ変わりを待つのも一興(イッキョウ)だな。


(ダレ)も居ない場を進みながら小さく笑っていると遠く先の方で光がちらつき始めた。どうやら出口も近いらしい。本当に人の子にしておくには()しかったものだ、と苦笑しながら光に向かってほんの少し()けだしてみた。まだ(ワズ)かな(ジカン)であれば()けられる身体も昨日よりは重く感じてしまう。()()える時に気づいたが(ウロコ)急激(キュウゲキ)に増え、脚を(オオ)()くしていた。背中にも痛みを感じるのできっと(ウロコ)()えているのだろう。無事なのは顔だけになってしまった。一刻(イッコク)も速く辿(タド)りつかなければ(カエル)娘子(ムスメゴ)達との約束も、紳との約束も()たせなくなる。里があった場に通じているのであれば、そこから()けられるだけ()ければ今日の内にはどうにか近くまで行くことができるかもしれなかった。目の前に(セマ)った光を抜けると(キュウ)に足場を失って身体が()ち始めてしまった。は?、と思いながらも身体を正してそこにに(トド)まる。見廻してみると辺りは空が広がり悧羅たちが(キョ)(カマ)えていた場ではない。


眼下(ガンカ)を見下ろすが(ウス)い雲に(オオ)われて何も見えない。随分(ズイブン)と高い場所に出てしまったのか?、と(イブカ)しんでいるとふいに頭上(ズジョウ)(カゲ)った。()(アオ)ぐと分厚(ブアツ)い雲が悧羅の上にあり真ん中から割れるように両側に開いた。瀑布(バクフ)のような白い雲が悧羅を(ツカ)むと中に引き込まれていく。


どうやら(マネ)かれたようだった。

久しぶりのカエルです。

良いとこ持っていくなぁ…。


さて、どうなりますやら?


お楽しみいただけましたか?

ありがとうございました。

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