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這う【肆】《ハウ【シ】》

遅くなりました。

長くなってしまいましたが更新します。

初めてとも言える(シン)からの(シカ)りを受けた媟雅(セツガ)はその(ノチ)しばらくの間は(フサ)()んでいたが(オノレ)形振(ナリフ)りを考えるには良い(ジカン)だったようだ。よくよく見てみれば舜啓(シュンケイ)はどんな媟雅(セツガ)であっても受け入れてくれていたし、(ハラ)の子を(イタワ)る前には必ず媟雅(セツガ)を先に(イタワ)っていた。当たり前のように享受(キョウジュ)されていた精気(セイキ)媟雅(セツガ)寝入(ネイ)った後、夜も()けてからほぼ毎夜(マイヨ)のように()りに行ってくれていた事にも気づかなかった。夜中に出て(モド)ってくるのは明け方近くにもなる。ほんの(ワズ)かしかない(ネム)りを取ると、また何事も無かったかのように媟雅(セツガ)精気(セイキ)を分けてから近衛(コノエ)(ツト)めに向かう。


「今までもこうだったの?」


夜更(ヨフ)けに戻ってきた舜啓(シュンケイ)を待っていた媟雅(セツガ)に寝ているものだとばかり思っていた舜啓(シュンケイ)(オドロ)いたようだったが、たった一言、気にしなくて良いとだけ伝えてくれた。


何よりも負担(フタン)をかけていたのは瑞雨(ズイウ)だったようで媟雅(セツガ)が宮に居ても(ソバ)に寄ろうとはせず悧羅(リラ)の部屋で姚妃(ヨウヒ)妲己(ダッキ)と過ごす。媟雅(セツガ)が居るのだから一緒(イッショ)にいようと声をかけても首を振られた。


「…かあさま、おこるもん…」


(オサナ)い顔に笑顔も見えず、かといって強引(ゴウイン)に引き寄せるわけにもいかず舜啓(シュンケイ)(モド)ってくると待ちかねていたように甘えだす姿に、それほどまでの()を通していたのか、と()やむしかなかった。これでは確かに啝珈(ワカ)の言う通りいつ離縁(リエン)を言い出されても媟雅(セツガ)は受け入れるしか出来なかっただろう。


悧羅の自室の前の縁側(エンガワ)で中で遊ぶ瑞雨(ズイウ)を見ながら、寄ってくれた時には(アタタ)かく抱き止めて過ごし、(ヒザ)に乗ってくれるようになったのは産月(ウミヅキ)(ムカ)えていた。本当に悪いことばかりしてしまっていた、と(ツブヤ)いた媟雅(セツガ)に悧羅は小さく微笑(ホホエ)んだ。


「そう思うのであらば(オノレ)()り方を変えてゆけばよい。(シン)とて其方(ソナタ)を大事に思うておるからこそ(キビ)しく(サト)したのだから。…まずは舜啓(シュンケイ)()びることじゃ。媟雅(セツガ)がこれから先も舜啓(シュンケイ)(トモ)にありたいと願うのならばな」


「それは私は思ってるけど…。舜啓(シュンケイ)はどうなんだろうなぁ…。(イヤ)な姿ばっかり見せちゃったから」


嘆息(タンソク)する媟雅(セツガ)に、ころころと鈴を転がすような笑いが届いた。あれは大事(ダイジ)無かろうよ、と言う言葉に背中を押されてその()(モド)って来た舜啓(シュンケイ)媟雅(セツガ)は涙ながらに()びた。


これまでのこと、それからこれからのこと。


泣きじゃくる媟雅(セツガ)を笑いながら舜啓(シュンケイ)は抱きしめてくれていた。


(チギ)る前からどんな媟雅(セツガ)でも受け入れるって決めてたんだから、気にしなくていいよ?(ハラ)に子がいるんだからそんなに泣くと子が心配するだろ?」


「だけど瑞雨(ズイウ)にまで可哀想(カワイソウ)な事をしてた…。母親として駄目(ダメ)だよ」


抱きしめられた背中が優しく(タタ)かれて、それが分かったなら良いじゃないか、と言ってくれる。


「まだ(オサナ)いと思ってても瑞雨(ズイウ)(カシコ)いからね。色々気付いちゃう。ゆっくり取り戻していけば良いよ」


「私に出来るかなあ…」


媟雅(セツガ)だけが頑張(ガンバ)るわけじゃないから。俺と一緒にやっていけば良いんだよ。一人で背負(セオ)いこみ過ぎるなって紳にも言われたでしょ?」


(ワラベ)をあやすように頭を()でられて腕の中で大きく幾度(イクド)媟雅(セツガ)(ウナズ)くしか出来なかった。(ナイガシ)ろにして良いはずの相手では無かったのに、本当に自分は(オロ)かだという思いしかなかった。あれほど切望(セツボウ)して(モド)ったはずの腕のの中なのに、手に入れた事で安心し過ぎてしまっていた。その結果がこうなってしまった事に()やむしかできないが、それでも舜啓(シュンケイ)媟雅(セツガ)が良いと言ってくれる。それがどんなに有難(アリガタ)(サイワイ)な事であるかを(チギ)って五年()って気づく事になるなど(オソ)すぎるではないか。


「まだまだ先は長いんだから。とにかく一人で頑張(ガンバ)ろうとするところから少しずつ変えて(タヨ)ってくれると(ウレ)しいかな」


うん、と(ウナズ)いた媟雅(セツガ)が子を産み落としたのはそれから十日(トオカ)の後の事だった。また痛みに()えて、さあ子の顔を見れるという時に外に出ようとした舜啓(シュンケイ)媟雅(セツガ)が呼び止めて紳と悧羅のように子を産んだ。それで分かった事はこれ以上の(サイワイ)などは無かったのだ、ということだ。一人で産みの苦しみに耐える事が女子(オナゴ)としての媟雅(セツガ)の役割だと思っていたけれど、舜啓(シュンケイ)と共に産み落とせた生命(イノチ)は二人で共に生きてゆくのだ、という(チカ)いを(アラ)たにしてくれた。心にも身体にも余裕(ヨユウ)が出来たからなのか、それとも新しい子を産み落とせたからなのか(トコ)に付いている媟雅(セツガ)に少しずつ瑞雨(ズイウ)も近づいてくれるようになり、床上(トコア)げの(コロ)には新しく生まれた子と瑞雨(ズイウ)舜啓(シュンケイ)と共に同じ部屋で休めるようになれた。


産まれた子は男児(ダンジ)であった。瑞雨(ズイウ)舜啓(シュンケイ)によく似ていたけれど、その子は媟雅(セツガ)に良く似ていた。白銀(ハクギン)の髪に黒曜石(コクヨウセキ)の一本角。憂玘(ウイキ)と名付けたその子には、媟雅(セツガ)のこれまでの行いを忘れてはならぬ、という思いを込めた。それは紳と悧羅の助言(ジョゲン)もあったのだが、良い名だとすとんと胸に落ちたのだ。


「紳と悧羅に名付けてもらえるなんて(シアワセ)な子になるよ」


無邪気(ムジャキ)に喜ぶ舜啓(シュンケイ)がすぐ(トナリ)にいることをそれまでとはまた違った(サイワイ)に感じて媟雅(セツガ)も笑えるようになっていた。


「これからは近衛(コノエ)(ツト)めを少し離れて瑞雨(ズイウ)憂玘(ウイキ)(ソバ)に出来るだけ居たいんだけど…」


憂玘(ウイキ)が産まれて三月(ミツキ)()ったころにそう舜啓(シュンケイ)に伝えると、快諾(カイダク)してくれた。もちろん紳と悧羅にも話したが二人とも(イナ)とは言わず、むしろそれが良い、と笑っているばかりだった。


本当に頑張り過ぎていたんだな…。


ようやく(ミナ)が安心して媟雅(セツガ)を見守れるようになったのは瑞雨(ズイウ)(ヨッ)つ、憂玘(ウイキ)(ヒト)つになる頃だった。



ようやっと一段落(ヒトダンラク)だ、と思っていた矢先(ヤサキ)から悧羅は夢を見るようになっていた。紳と(ジョウ)()わした後は心地良(ココチヨ)(ツカ)れに(シズ)むように意識を手放(テバナ)してそのまま深く眠ってしまうのだが、必ずといって良いほど毎夜(マイヨ)のように()()は夢を見させた。何という事もない、ただ暗闇(クラヤミ)の中に悧羅が立っており遠く離れた場に(ウッ)すらと(アカ)かがちのような光が見える。ただそれだけの夢だ。だがそれでも夢を見せられると眠りが浅くなってしまう。身体(カラダ)に特に変わりは無かったし、少しばかり(ツカ)れたような気にもなるが()()()()()()()()()()()()のそれをどう伝えて良いものかも分からない。それでもそういった夢を見るということだけは紳と荊軻(ケイカツ)には伝えておいた。紳には何某(ナニガシ)かあれば必ず伝えると制約(セイヤク)していたし、伝えないことでの不安を(アオ)りたくはないのだ。


そうして見つめられるだけの夜が続きほんの少し夢の内容が変わったのは五十年が()ってしまっていた。(アカ)かがちの目だけでなく(ヘビ)の舌の音が加わりまるで身体に何かが巻きつくように()め付けられるようになり始めた。とはいえ苦しいなどという事はなく()め付けられるとはいっても悧羅の身体を確かめるかのように足下(アシモト)から()い上がってくるような感触(カンショク)を与えられた。それも又夢の中だけのことのようで(ウツツ)に戻っても身体には何の変化もない。ただ確実(カクジツ)()()()が近付いているのだということだけが分かる。


けれど今のところは荊軻(ケイカツ)からも何の(シラ)せも上がってはこない。それだけ難儀(ナンギ)しているという事なのだが、何も分からない状況(ジョウキョウ)では悧羅も夜毎(ヨゴト)の夢を思い出しながら自分で考えていくしか無かった。王母(オウボ)()()()以来(イライ)、この事に(カカ)わることについては何も(カタ)らない。場を護る(ニン)は変わらずに()ろされるが、どれも他愛(タアイ)のないものばかりだ。五十年前には手を焼いたような事柄(コトガラ)でも姿を見せるだけで妖達(アヤカシタチ)()げるか、その場に平伏(ヘイフク)する。悧羅自身も今まで(オサ)えられていた能力(チカラ)が少しずつ()(ハナ)たれていたことに気づかないでは無かったけれど、まさかこうまで変わるものだとは思っても見なかった。


身体が全盛期(ゼンセイキ)であった頃には生命(イノチ)(ケズ)って能力(チカラ)を使っていたので無意識下(ムイシキカ)()()()()能力(チカラ)が開花しないようにしていたようだった。紳と(チギ)精気(セイキ)を受け入れるようになってから使っていた能力(チカラ)もまだほんの一部であったのか、と思い知らされる。(ハス)()ろす事を(イキドオ)った東王父(トウオウフ)の気持ちが(ワズ)かにだが分かる気がした。確かに(ハス)西王母(セイオウボ)化身(ケシン)であり、その能力(チカラ)色濃(イロコ)()いでしまうのだろう。これがそのまま()ろされたならば、現世(ウツシヨ)にいる妖達(アヤカシタチ)も人の子もすべからく(コトワリ)見失(ミウシ)なっていたはずだ。


そう思えば悧羅が能力(チカラ)を開花することを(オサ)えていたのは現世(ウツシヨ)にとっても東王父(トウオウフ)にとっても(ヨシ)と出たことだったのではないだろうか。悧羅にとってはそうせざるを()なかっただけなのだが、それも又何かに(ミチビ)かれていたのかもしれない。


所詮(ショセン)は悧羅とて(アヤカシ)だ。西王母(セイオウボ)東王父(トウオウフ)(テノヒラ)の上で(オド)らされているに過ぎないのだから。


やれやれと思いながらもまた(トキ)は過ぎていく。()い上がってくるだけだった感触(カンショク)が強く()め付けられるようになり息苦しさで目を()ますようになったのには、またもや五十年が()っていた。より鮮明(センメイ)になった夢の中で(アカ)かがちの目をした大蛇(ウワバミ)が悧羅の足下(アシモト)から()い上がり()めつける。それとは別の金の二つの(マナコ)()め上げられる悧羅を見下(ミオ)ろすように現れ始めたのも同じ頃だった。同時に身体(カラダ)にも少しずつ変異(ヘンイ)が現れ始めた。


最初は右の示指(シシ)中指(チュウシ)に。初めてあのモノに(サワ)った時に痛みと(シビ)れを感じた場所に二つの小さな()(アト)のような(キズ)が出来た。動かすことなどには(サワ)りはなかったが、金の(マナコ)が見えるたびに目を()ますと身体に(ヘビ)の巻きついた(アト)が残るようになった。しばらくすれば消えていたのだが、それが確固(カッコ)たるモノとして悧羅の身体に(キザ)みつけられたのはまた十年を(ヨウ)した。


巻きついて()い廻られた場所に少しずつ、本当に少しずつ(ウロコ)のようなモノが現れ始めたのだ。初めは一枚ほんの小さなモノであったので取れるものかと(タメ)してみたが悧羅の身体から()えているように無理に取ろうとすると痛みを(ショウ)じる。二枚になった時に無理矢理(ムリヤリ)一枚取ってみたが、かなりの痛みと出血を(トモナ)ったため、その後は取ることを(アキラ)めざるを()なかった。(コロモ)(カク)れる部分であったのは(サイワイ)だったが、日々増える(ウロコ)に紳の顔は青くなるばかりだ。さすがに気持ちの良いものではないだろうと変わらずに(ジョウ)()わそうとしてくれる紳を(コバ)もうともしたのだが、それには紳が()(トナ)えた。


「何が起こってるか分からないからこそ確かめたい。別に気持ち悪いなんて思ってもないよ?」


そうまで言われてしまっては悧羅(リラ)にそれ以上(コバ)めるわけもなく甘えてしまっていたが、(ハラ)から胸にかけて(ウロコ)が広がった頃に悧羅はこれは(ヘビ)だけではないと確信(カクシン)した。


(ヘビ)であるならば(ウロコ)(アト)が残るだけだろうが、明らかに悧羅に()えている(ウロコ)異質(イシツ)だ。光の当たり具合(グアイ)で白くも青くも銀にも見える。一つ一つが神々(コウゴウ)しいと思えるほどにそれは美しかった。そしてあの見え始めた金の(マナコ)。もしや、という思いが(ヨギ)った。だが東王父(トウオウフ)であるならば、それも容易(タヤス)使役(シエキ)できるはずなのだ。そもそも神が悧羅を(タメ)すために(アタ)えたともいえる(ノロイ)(タグイ)だ。ただの(ヘビ)だけを使うはずがない。


では、あの金の(マナコ)はナニモノなのだ?


考え続けて数年が()ってしまう。(ウロコ)は増え続け(ツイ)に痛みと呼吸(コキュウ)が上手く出来なくなった。夜毎(ヨゴト)見える金の(マナコ)もより鮮明(センメイ)に見えるようになり、それまで見えて居なかったものも見え始めた。見下(ミオ)ろされていた(マナコ)は大きく両側に揺蕩(タユタ)うように二本の長い(ヒゲ)がある。(モヤ)がかかったかのような視界(シカイ)の中で一つだけ悧羅の身体に()えた(ウロコ)と同じモノが輝いていた。目を()ます(ゴト)()えていく(ウロコ)と息苦しさで日々疲弊(ヒヘイ)していく悧羅に休むように紳が言うが休んでいる(イトマ)などない。何より子ども達には内密(ナイミツ)にしていることだ。悧羅が(トコ)()してしまえば、何もかもを話さなければならなくなる。


「ここまで内密(ナイミツ)に出来ておるのだ。知らぬままで良いということもあろう。子ども達の前に出るくらいであれば(ワラワ)の身体もまだ無理はきかせられる」


「…そういう問題じゃないでしょ?座ってるのだって苦しいくせに」


(トナリ)(ササ)えてくれる紳に礼を言いながら身体を(アズ)ける。無理は()くとはいったが気力(キリョク)(マカナ)っているに過ぎない。本音(ホンネ)を言えば(トコ)()いてしまいたかったが、それではナニかに負けてしまったような気持ちになるのだ。紳もこの所は新しく近衛隊(コノエタイ)副隊長(フクタイチョウ)()いた舜啓(シュンケイ)(ツト)めを(タク)し悧羅の(ソバ)についてくれている。舜啓(シュンケイ)は悧羅がナニモノかにナニかを()けられたことを知っている少ない者の一人だ。だがここまで悧羅が弱っていることまでは気づいてはいない…、気づかせないようにしていると言った方が良いかもしれない。


新しく見始めた夢の事も紳と荊軻(ケイカツ)には伝えている。けれど何となく(コタ)えは見えていた。紳、と名を呼ぶと、うん?、と(オダ)やかに返しながら悧羅の身体が引き寄せられる。


「…(リュウ)かもしれぬ…」


「はあ?」


唐突(トウトツ)過ぎる悧羅の言葉に紳の顔が(クモ)った。(リュウ)など王母(オウボ)(オサ)めるこの地でも見た事はない。数回その姿の一部を見たのは悧羅と(トモ)王母(オウボ)(ニン)()りた時くらいだ。それも何をするでもなく、ただ雲と雲の間を泳ぐように流れていくだけ。あまりにも大きく長いその体躯(タイク)と月明かりに照らされて光る(ウロコ)から、あれが(リュウ)と呼ばれるモノか、と(ナガ)めたことがあるくらいだ。()の国では見かけなかった妖達(アヤカシタチ)もこの大国(タイコク)の地では見かけることが多い。(リュウ)もそのひとつだ。


「どうしてそう思うのさ?」


「…いや、考えてはおったのだ。(ヘビ)だけでここまで(ウロコ)など()えはせんだろう?金の(マナコ)に長い二本の(ヒゲ)…、それと(ワラワ)の身体に()えた(ウロコ)と同じようなものが見える。であらば考えられるのは(リュウ)だ…」


少し話すだけで息が上がる悧羅に休むように紳が言うが首を振るばかりだ。ここまでくるのに随分(ズイブン)(ジカン)(ヨウ)してしまった。ゆっくりと進むのだろうとは思っていたし王母(オウボ)もそう言っていたので覚悟(カクゴ)はしていたが百年以上のも(ジカン)無益(ムエキ)に過ごす事になるなど思いもよらなかった。


きっと残された(ジカン)は少ない。動ける間に終わらせなければ紳の腕の中から離れてしまうことになる。それだけは悧羅にとって()けたいことであるのに変わりはない。妲己(ダッキ)と呼ぶとするりと姿を現して()り寄ってくる。(ヤワ)らかな毛並(ケナ)みを()でながら、荊軻(ケイカツ)を呼んでくるように(メイ)じると、御意(ギョイ)とまたするりと姿を消す。


荊軻(ケイカツ)を呼ぶなんて、悧羅は()()が間違いないって思ってるって事だね?」


「…そうさな…、(ワラワ)をここまで弱らせられるは東王父(トウオウフ)の手によるものであろうが、そこに(カカ)わってあるモノがそうであれば良い、とは思うておる」


何で?、と問い返す紳に分かっているだろうに、と思うと小さく笑いが出た。


「さすがにそう長くは()たぬだろうて。ここらで此方(コチラ)からも(アラガ)わねばこの腕の中から離れることも覚悟(カクゴ)せねばならぬようになってしまう(ユエ)


「…それは絶対しないって約束したでしょ?」


引き寄せられる腕に力が込められて、もちろん、と悧羅がその手を(ツツ)む。


「であらばこそ(アラガ)わねば…。身体がまだ動く内に…」


紳の顔を見上げて微笑(ホホエ)むと()いた手が悧羅の(ホオ)(ツツ)んでくれる。大きくて優しく()れてくれるその手に顔を()りよせると確かめるように(ホオ)を撫でられた。子ども達も成長した今、本来(ホンライ)であるならば紳と二人(オダ)やかに(トキ)(カサ)ねているはずだった。媟雅(セツガ)以外まだ誰も(ツレアイ)を決めてはいないので(ミナ)、宮に残ってくれている。だがそれぞれに鍛錬(タンレン)研鑽(ケンサン)()み、舜啓(シュンケイ)近衛隊(コノエタイ)副隊長(フクタイチョウ)に、忋抖(カイト)啝珈(ワカ)皓滓(コウサイ)玳絃(タイゲン)灶絃(ソウゲン)もそれぞれに近衛隊(コノエタイ)一部隊(イチブタイ)(マカ)されている。媟雅(セツガ)憂玘(ウイキ)を産み落とした後から隊を(ハナ)れ子と共に過ごしながら悧羅(リラ)(ツト)めを手伝っている。末子(マツゴ)姚妃(ヨウヒ)()よりも(ブン)(ヒイ)出たようで荊軻(ケイカツ)(モト)文官(ブンカン)として(ツト)めるようになっていた。


その姚妃(ヨウヒ)が何やら一番色々なことを気取(ケド)るのが上手(ウマ)いので共にいるときには悧羅も気を張り続けていなければ容易(タヤス)気取(ケド)られてしまうだろう。…もしかしたら気取(ケド)ってはいるが紳も悧羅も何も言わない事で口をだしてはならないとさえ思っているかもしれない。それほどに(ホカ)の者の心の()(ヨウ)を読むのが上手(ウマ)(ムスメ)なのだ。姉や兄達に甘やかされて(ソダ)ったので、どうなることやらと心配したが無用(ムヨウ)な心配だったようで一安心(ヒトアンシン)している。


廊下(ロウカ)から妲己(ダッキ)の足音と共に衣擦(キヌズ)れの音が聞こえ始めて悧羅は哀玥(アイゲツ)を呼ぶ。妲己(ダッキ)と同じようにするりと現れた哀玥(アイゲツ)が悧羅の横に(ハベ)るのと戸を妲己(ダッキ)が開けて荊軻(ケイカツ)(トモ)に入ってきたのはほぼ同時だった。悧羅の衰弱(スイジャク)振りに目を細めながら三尺(サンシャク)ほど離れた場に(スワ)った荊軻(ケイカツ)に呼び出した事を悧羅が()びていると、妲己(ダッキ)が悧羅の背後に(ハベ)る。


「いえ。何かお気になられることがございましたか?」


調べている事が一向(イッコウ)進展(シンテン)しない間に悧羅の身体は衰弱(スイジャク)していく。出来るだけ落ち着いて調べを進めようとしても気ばかりが(ハヤ)ってしまい有益(ユウエキ)(シラ)せをあげられていない。必ずや朗報(ロウホウ)を、と(チカ)っていたはずなのに役に立てない事が荊軻(ケイカツ)には苦しかった。


「そのように気を落とすでないよ?(ワラワ)もまだ動ける。まだ終わったわけではないのじゃて」


荊軻(ケイカツ)が寝る間も()しんで調べを進めてくれていることは悧羅も知っている。


「あまり(コン)()めるなと言うたに其方(ソナタ)この百年、特に(ワラワ)()()()()()()()というものあまり眠っておらぬのであろう?」


苦笑する悧羅に、(ワタクシ)の事など良いのです、と荊軻(ケイカツ)が肩を落とした。別に生命(イノチ)を取られる事になる訳ではない。悧羅に降りかかったいることを紐解(ヒモト)く方が今は優先(ユウセン)すべき事なのだから。


「して、(ワタクシ)をお呼びになるとは又なにか夢が変わりましたか?」


「いや、そうではない。少しばかり気になる事ができた」


気になる事?、と問い返す荊軻(ケイカツ)の前で悧羅が深く紳に身体を(アズ)けている。座っているのも話すのも(ツラ)いのだ。


「…(ワラワ)の身体に()えた(ウロコ)、夢に見る金の(マナコ)(ヌシ)(リュウ)ではないかと思うてな…」


(リュウ)…、と申されましたか?」


「そう申した。(ヘビ)だけではこうはならぬであろ?しばらく前から考えてはおったのだが夢に出てくる金の(マナコ)(ヌシ)(ワラワ)と同じような(ウロコ)を持っておる。…それで思い出したのだ。大国(タイコク)には(リュウ)が住もうておるし、竜生九子(リュウセイキュウシ)の話をの…」


悧羅から出されたその名に妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)が顔を(ハジ)かれたように顔を上げた。まさか、という声は哀玥(アイゲツ)からだ。同じように目を見開いた荊軻(ケイカツ)も又息を()む。竜生九子(リュウセイキュウシ)?、と首を(カシ)げた紳に、(オソ)れながら、と哀玥(アイゲツ)が声を上げた。


“この大国(タイコク)でも伝承(デンショウ)とされるモノ達でございます。(リュウ)が産んだ九匹の子のことでございますが、親と同じ(リュウ)にはなれずにあるモノ達。竜生九子(リュウセイキュウシ)不生竜(フセイリュウ)と申すのですがそれぞれに姿、形、性格までも(コト)なるモノ達でございますれば”


小生(ショウセイ)(マミ)えたことはございません、と続ける哀玥(アイゲツ)妲己(ダッキ)も大きく(ウナズ)く。


(ワレ)(ケモノ)の姿をした(アヤカシ)ならば一度は名を聞くことはあるが…。それが本当におるのかどうかも分からぬモノ達だ。おったとしても(リュウ)に成れずの子らとならば(マミ)えたいものでもない”


そうであろうな、と悧羅も小さく笑いながら同意(ドウイ)(シメ)す。かといってこれほどまでに永い(ジカン)をかけ悧羅の体力を(ウバ)()ては身体に(ウロコ)()えさせるなど(ナミ)(アヤカシ)では()()ない。この150年で悧羅の能力(チカラ)は全てが華開き身体も若い頃のままなのだ。大抵(タイテイ)の事であれば(ハジ)き返す事ができる、と自負(ジフ)できる。背中の華は(ツボミ)のままだが、このまま悧羅の身体が(ムシバ)まれていけば近いうちに開くのは間違(マチガ)いないだろう。


「…ただそう考えれば全ての点が線になる。神である東王父(トウオウフ)であれば()()使役(シエキ)するか能力(チカラ)を貸してもらうかはできそうなものじゃ。(ワラワ)随分(ズイブン)と古くに読んだ書物(ショモツ)のこと(ユエ)はっきりとは(オボ)えてはおらぬのだが…、たしか(リュウ)()姿(スガタ)のモノがおったと記憶(キオク)しておる…」


“… 睚眦(ガイシ)…でございますね?”


「そのような名であったかの?」


息の切れてきた悧羅の身体を包むように紳が(ササ)え直した。哀玥(アイゲツ)は小さく(ウナズ)いて、七番目の子でございます、と(コタ)える。


「確かに()()()()()()()()()、殺す事を(コノ)むモノであったはずでございますね?」


だとすれば悧羅がここまで弱る(コトワリ)も見えてくる。神が(リュウ)の子と結託(ケッタク)しているのならば神と神同士(ドウシ)能力(チカラ)が悧羅にかかっている事になるからだ。


「…そうであれば良い、という(ワラワ)の甘さかもしれぬ。なれどそろそろ動かねば(アラガ)能力(チカラ)さえ出せぬ様になるのも(チカ)しかろう」


そんな、と息を()む場の(ミナ)に悧羅は(オダ)やかに笑って見せた。


大事(ダイジ)ない。()()動ける。なれど()()()()()()考えても(ジカン)はあまり無いであろ。まずは東王父(トウオウフ)に会わねば(ワラワ)もどうすることも出来ぬ。その睚眦(ガイシ)とやらが共におってくれたならば良いが、そうでないことも考えねばならぬであろ?」


「だけど会ってどうするの?()いてくれるとも思えないけど…」


「それは分からぬな。王母(オウボ)の話では(ハス)ならば、と言うておったということだに。会えば何かが変わるやもしれぬ。であればこそ、急ぎ東王父(トウオウフ)の場を見つけねばならぬのだが…」


ふうっと大きく息をついた悧羅に、本当に(ジカン)が無いと(ミナ)(サト)る。けれど西王母(セイオウボ)の場を見つけ出すのにも枉駕(オウガイ)が三年の(トキ)(ヨウ)した。今からまた別の神の場を見つけるなど、その間に悧羅の(アラガ)いも出来なくなるかもしれなかった。(マヨ)っている(イトマ)など無いことも分かっている。()()()(カス)かな可能性(カノウセイ)であっても(スガ)るしかないことも。だが、動ける者が(カギ)られているのだ。()()()を知っているものはここにいる者たちの他には舜啓(シュンケイ)しかいない。(カリ)近衛隊(コノエタイ)武官隊(ブカンタイ)、いや里中(サトジュウ)民達(タミタチ)の力を借りたとしても間に合うのかさえ分からない。


冷えていく指先を(コブシ)(ニギ)って(カク)した荊軻(ケイカツ)の背後に衣擦(キヌズ)れの音がした。(ミナ)視線(シセン)が返されるとそこに立っていたのは姚妃(ヨウヒ)だ。(アワ)てたように紳から身を起こそうとする悧羅に、そのままで、と姚妃(ヨウヒ)が部屋に入りながら、まったく、と嘆息(タンソク)している。


「そんなになるまで(カク)しておけると思った?」


座る姚妃(ヨウヒ)の後に続く様に(ツト)めに出ているはずの子ども達の姿が現れ始める。なんで…?、と(ツブヤ)く紳に姚妃(ヨウヒ)が笑った。


「私、目が良いの。()(サイ)は姉様、兄様たちには到底(トウテイ)(オヨ)ばないんだけど、(カク)そうとすることほど()()()みたい」


自分の目を指で(シメ)しながら言う姚妃(ヨウヒ)の周りに子ども達が座り始めた。あと耳もいい、と笑う姚妃(ヨウヒ)に悧羅は苦笑するしかない。いつからだ?、と(タズ)ねると四十年位前から、と笑われた。悧羅の身体に(ウロコ)()え始めた頃からどうやら筒抜(ツツヌ)けであったようだ。


「で、色々考えてて母様(カアサマ)と同じ(コタ)えに行き着いたの。だから姉様、兄様にお願いして出来るところまでで良いから手伝ってもらってた」


「手伝う?」


紳が首を(カシ)げると、うんと(ウナズ)きながら(タモト)から巻物を取り出して(ユカ)に広げている。


東王父(トウオウフ)様は東を()べておられるから、西王母(セイオウボ)様の場から東方(トウホウ)にかけて。で、()()


白い指で(シメ)された所には赤い(シルシ)が三つ付けられている。


東王父(トウオウフ)様は現世(ウツシヨ)仙界(センカイ)()べておられるでしょう?でもそれは三つあるの。蓬莱(ホウライ)方丈(ホウジョウ)瀛洲(エイシュウ)三神山(サンシンザン)。どれも()の国に近い。この三つは(ツナ)がってると私は考えてる。だから…」


「ここに行けば東王父(トウオウフ)に会えるかもしれぬ、ということだな?」


笑いながら悧羅が言うと、うん、と姚妃(ヨウヒ)が笑っている。それと、と巻物を荊軻(ケイカツ)(ワタ)しながら姚妃(ヨウヒ)は続けた。


「これは私の勝手(カッテ)な考えなんだけど、母様(カアサマ)(タメ)されてるだけだと思う。()()に気づくか気づかないかでも違ったと思うし、その場に行けるか行けないかでも」


「それって悧羅が一人で行かなくちゃいけないってことか?」


この状態で?、と(アセ)る紳に姚妃(ヨウヒ)は、だからだよ、と(サト)すように肩を落とした。


「私たちが手伝えたのは母様(カアサマ)の子だからだと思う。違う血の者たちが手伝えないようにしてたんだよ。だから荊軻(ケイカツ)さんでも気づかないようにナニかが(タズサ)わってたと思う。でないと荊軻(ケイカツ)さんが気づかないなんてあり得ないことでしょう?それは父様(トウサマ)妲己(ダッキ)も同じ。眷族(ケンゾク)哀玥(アイゲツ)なら()()()()()()っても思うけど(アヤ)ういからやめておいた方が良いと思う」


なんと…、と言う声は妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)からだ。自分たちの背に乗せれば半日もあればつく場であるのに、今の悧羅の身体では全力(ゼンリョク)()けることが出来るかどうかも(アヤ)しいのだ。


「なるほどの。姚妃(ヨウヒ)(ワラワ)たちが思うておったよりも思慮(シリョ)深くあったということだな」


くすくすと笑い始める悧羅に子ども達から(アキ)れた声が上がり始める。


大体(ダイタイ)そうなるまで(ダマ)ってるなんてどういうつもりだったの?」


姚妃(ヨウヒ)から聞いた時には血の気が引いたんだからね」


()()()()()()大丈夫だって姚妃(ヨウヒ)が言うから信じて手伝ったけど、どうやら当たってたみたい。ほんと良かったよ。手伝うことで何かまた新たに現れるんじゃ無いかって心配してたから」


心労(シンロウ)をかけたくなかっただけだ、と笑う悧羅に、逆に心配する、と子ども達が声を(ソロ)えた。


本当に優しい子に育ってくれた、と(ツツ)んでくれている紳の手を叩くと腕に力が込められた。


「ならばその場に行かねばなるまいな」


(ツツ)まれていた腕から身体を起こすと、今から?、と紳が(アワ)て始める。だが一刻(イッコク)も早い方が良いだろう。少しでも身体が動く内が良い。いつ動けなくなるかなど悧羅にも分からないのだから。せめて明日でも、と止めようとする紳に悧羅は首を振った。


大事(ダイジ)ない。(タメ)されておるというは(ワラワ)姚妃(ヨウヒ)と同じように思うておったに。ならば、東王父(トウオウフ)の思う通りに(タメ)されてやろうではないか。…それに子らがここまでしてくれたのじゃ。あとは(ワラワ)気張(キバ)らねばなるまいよ」


(ウス)く笑うが支度(シタク)もある。半刻(ハンコク)(ノチ)に出ることを伝えると、わかった、と紳の大きな嘆息(タンソク)(ヒビ)いた。

さて何やら動きがありそうです。

そろそろお話の終わりも見えて来ました。


もう少しお付き合いくださいませ。


お楽しみいただけましたか?

ありがとうございました。

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