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縁【拾漆】《エニシ【ジュウシチ】》

おはようございます。

遅くなりましたが更新します。

舜啓(シュンケイ)媟雅(セツガ)(チギ)りが(トドコオ)りなく行われた数月後(スウツキゴ)姚妃(ヨウヒ)(フタ)つを(ムカ)えた。相変(アイカ)わらず姉や兄達から(アマ)やかされてはいたが少しばかり言葉(コトバ)を話せるようになった姚妃(ヨウヒ)可愛(カワ)い過ぎるようで取り合いにも熱が入っているようだった。その姚妃(ヨウヒ)の最初の言葉は、だっき、あいげちゅ、であったので子ども達だけならず(シン)舜啓(シュンケイ)までも、何でだよ!、と落胆(ラクタン)する姿に悧羅(リラ)磐里(バンリ)加嬬(カジュ)も笑いを(カク)せなかった。


媟雅(セツガ)姫の時も妲己(ダッキ)が最初でございましたね」


(ナツ)かしむように笑いながら()れた茶を悧羅に(ワタ)しながら加嬬(カジュ)が言う。媟雅(セツガ)の時は落胆(ラクタン)したのは紳だけであったけれど、これほどの者たちを落胆(ラクタン)させるとは媟雅(セツガ)大物(オオモノ)なのかもしれなかった。呼ばれた妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)(ホコ)らしげに尾を振って、ますます姚妃(ヨウヒ)(ソバ)を離れることを(コバ)むほどだ。次に名を呼んでもらえるように懸命(ケンメイ)姚妃(ヨウヒ)に自分達の名を教えている皆を見ていると本当に(サイワイ)だという思いで心が満たされる。


哀玥(アイゲツ)は最近俺と一緒にいてくれなくなっちゃってるんだよ?眠るのも姚妃(ヨウヒ)()る部屋に行っちゃうし。俺に()きたのかよ?」


いっかな姚妃(ヨウヒ)から(ハナ)れようとしない哀玥(アイゲツ)忋抖(カイト)(ナゲ)くように言うと、とんでもない、と哀玥(アイゲツ)が首を振っている。


若君(ワカギミ)は大切なお方でこざいます。なれど姚妃姫(ヨウヒヒメ)はまだ御自身(ゴジシン)で身を護れませぬ。妲己(ダッキ)殿と小生(ショウセイ)のどちらかが(アルジ)(メイ)で離れなければならぬこともございますれば今は姫のお(ソバ)におるのが最良(サイリョウ)かと”


「そりゃそうだけどさあ…。宮には母様(カアサマ)もいるし、他の姉弟妹(シテイマイ)だって一人や二人居るだろう?たまには俺にも付き合ってよ」


如何(イカ)若君(ワカギミ)の申されることとはいえ、こればかりは…”


姫君(ヒメギミ)の安全が優先(ユウセン)でございます、と(コマ)ったように言う哀玥(アイゲツ)に、もう!、と忋抖(カイト)(ホオ)(フク)らませた。悧羅が姚妃(ヨウヒ)身籠(ミゴモ)ってからというもの、それまで終始(シュウシ)(トモ)にいた哀玥(アイゲツ)(ソバ)(ハナ)れて四年だ。哀玥(アイゲツ)が悧羅の眷族(ケンゾク)になってから十五年共にいたのでさすがに忋抖(カイト)(サミ)しくなったのだろう。


忋抖(カイト)若君(ワカギミ)もお(サミ)しゅうあるのだろうよ”


くっくっと笑いながら妲己(ダッキ)が尾を振った。まるで(ハル)(ムカシ)の悧羅のようだ、と苦笑しながら見られて悧羅も小さく笑った。


(ワラワ)には妲己(ダッキ)しかおらなんだからの。それだけ忋抖(カイト)哀玥(アイゲツ)(タヨ)りにしておるのだろうて」


“それは有難(アリガタ)く思うておりますが…”


笑われながら視線(シセン)を向けられて哀玥(アイゲツ)が小さく嘆息(タンソク)する。とはいえ忋抖(カイト)の言う通り宮には悧羅が居る。紳の(ハカ)らいで子ども達のいずれかは必ず(ソバ)に居てくれるようになっているし、今のところは大きな(イサカ)いもなく、調べさせている事柄(コトガラ)(ミナ)の力を借りたことで思いの(ホカ)早く片付きそうだ。気になる事がないわけでは無いが、それは王母(オウボ)(カカ)えていることだ。これまでの小さな(イサカ)いを(マカ)される中で何を思っているのか片鱗(ヘンリン)でも(ツカ)めないものかと(サグ)りを入れているのだが王母(オウボ)は何も言わないままだ。


元から全てを話す王母(オウボ)ではないのだけれど。


(サグ)るだけ無駄(ムダ)だとは思っているけれど、どうにも厄介(ヤッカイ)な事を(クダ)されるのは目に見えている。里や子ども達、()ては民達(タミタチ)(ガイ)()すものでなければ特段(トクダン)(カマ)いはしない。悧羅だけが背負(セオ)(ゴウ)ならばどれだけでも受けようと、()()()制約(セイヤク)したのだから何があろうとも(ツト)めあげるだけだ。


忋抖(カイト)(サミ)しゅう思うておるようだに、時には共におってやっておくれ。何かあらばすぐに呼ぶ(ユエ)()の高い内であらばそう(アヤ)ういこともあるまいよ」


“ですが(アルジ)よ。それでは妲己(ダッキ)殿の御負担(ゴフタン)が大きゅうなられます”


戸惑(トマド)哀玥(アイゲツ)に、(カマ)わぬよ?、と妲己(ダッキ)が笑った。


若君(ワカギミ)姫君(ヒメギミ)方がお小さくあられた時は(ワレ)の背が()りぬほどであったが、今は姚妃(ヨウヒ)姫お一人。(アルジ)さえ(シン)の心を(ミダ)すようなことをならさなければ(タイ)した事ではない。忋抖(カイト)若君(ワカギミ)余程(ヨホド)哀玥(アイゲツ)(コイ)しゅうあられるようだからな”


揶揄(カラカ)うような妲己(ダッキ)に、そうだよ?、と忋抖(カイト)が気持ちを(カク)すこともなく大きく(ウナズ)いている。


「俺だってずっと哀玥(アイゲツ)()たんだからね。(サミ)しくなるのは当たり前だろ?大分(ダイブン)()れたけど何だか(トナリ)物悲(モノガナ)しいんだよ」


大きく嘆息(タンソク)する忋抖(カイト)に、ほれ、と妲己(ダッキ)が声を上げて笑い始める。やれやれと哀玥(アイゲツ)が立ち上がって忋抖(カイト)(ソバ)(ハベ)ると、やった!、と勢いよく抱きつかれてしまう。(アキ)れたように、若君(ワカギミ)、と(タシナ)めてはみるがふかりとした体躯(タイク)に身体を預けてごろりと寝転(ネコロ)がり始めていた。背丈(セタケ)は紳と変わらないほどの身体を預けられて、幼子(オサナゴ)のようでございますよ、と哀玥(アイゲツ)も笑うしか無い。


「ほんに忋抖(カイト)哀玥(アイゲツ)のことを()いておるのであろうよ。大きな子だと思うて(コラ)えてやってくりゃるかえ?」


くすくすと笑う悧羅に小さく嘆息(タンソク)して見せると、何某(ナニガシ)かあればすぐに呼ぶ、と言ってくれた。悧羅の声であれば何処(ドコ)にいても身体に(ヒビ)くように届くのだし、引き寄せられるようにその場に行くことが出来る。


(アルジ)御無理(ゴムリ)をなさらないと制約(セイヤク)していただけるのでございますれば…”


「無理などせぬよ?このところ(イサカ)いもないでの。調べももうすぐ終わりそうじゃて。手を借りねばならぬ時には必ず呼ぶ(ユエ)忋抖(カイト)をあやしてやってたも」


優美(ユウビ)に立ち上がって流れるように哀玥(アイゲツ)(ソバ)に座ると(ヒザ)をぽんぽんと(タタ)かれた。(ウナガ)されるままに(ヒザ)(コウベ)を乗せると優しく()でられ始めてつい哀玥(アイゲツ)も目を細めた。悧羅の(ソバ)(ヤス)らげ過ぎてしまう。ただ()()()()()(タダ)それだけなのに温かい(カイナ)(ツツ)まれているような気分になるのだ。それは哀玥(アイゲツ)が悧羅の眷族(ケンゾク)であるからではないらしく、妲己(ダッキ)も子ども達も()ては里の民達(タミタチ)までも同じ思いのようだった。きっと()()()()()()()()でも里の全てを護るために(ユル)やかにその能力(チカラ)行使(コウシ)しているのだろう。


“…まるでその昔の(アルジ)と紳のようでございますね”


少しばかり体躯(タイク)を起こして悧羅と哀玥(アイゲツ)、その身体に頭を預けて寝転(ネコロ)んでいる忋抖(カイト)を見ながら妲己(ダッキ)が苦笑する。まだ悧羅が(オサ)として立つ前、あの小さな(ヤシキ)妲己(ダッキ)と三人(オダ)やかに過ごしていたような光景(コウケイ)がそこにあった。忋抖(カイト)は出会った頃の紳よりも(ワズ)かに猛々(タケダケ)しいが柔らかな印象(インショウ)は良く似ている。紳の方が線が細くより柔和(ニュウワ)ではあるが、出会った頃は忋抖(カイト)のように少しばかり猛々(タケダケ)しさも持っていた。でなければ見つけたばかりの悧羅に(チギ)りを申し込むなど出来ないだろう。今ある紳の柔和(ニュウワ)印象(インショウ)は一度悧羅を手放(テバナ)したからこそのものなのかもしれない。


「その(ムカシ)妲己(ダッキ)が申しましても、私共(ワタクシドモ)にはいつもの(オサ)旦那様(ダンナサマ)のお姿にしか見えませんけどね。…本当に忋抖(カイト)若君は旦那様(ダンナサマ)に良く似ておいででございますもの」


「本当に。啝珈(ワカ)姫様は(オサ)を少しばかり(オサナ)くしたような方でございますしね。お二人で(ナラ)ばれますと、時折(トキオリ)間違(マチガ)いそうになりますのよ」


磐里(バンリ)加嬬(カジュ)が笑いながら妲己(ダッキ)を見る。確かに()ておられるが、と妲己(ダッキ)が上げていた体躯(タイク)(モド)してゆったりと()そべると、部屋で遊んでいた姚妃(ヨウヒ)がとことこと寄ってきてぽすりと体躯(タイク)に飛びついてきた。それを尾で受け止めながら姚妃(ヨウヒ)の良いようにさせると楽しそうな笑い声が響き出す。


(ワレ)(アルジ)啝珈(ワカ)姫よりはおとなしゅうあられたな”


「…目立(メダ)たぬようにしていただけのこと。妲己(ダッキ)と二人の時ははしゃいでおったに」


(ナツ)かしむような妲己(ダッキ)に悧羅が苦笑しながら伝えると、磐里(バンリ)加嬬(カジュ)からまあ、と(オドロ)いたような声が出る。


「はしゃいでおられる(オサ)などお見かけしたことなどございませんよ?」


「それは…、この(トシ)にならばはしゃぐ事など出来まいよ」


これでも500年は生きておる(ユエ)、と小さく笑う悧羅に見たいものでございますがねぇ、と加嬬(カジュ)も笑いながら新しい茶を()れて持ってきてくれた。受け取って(スス)っていると哀玥(アイゲツ)の上から寝息(ネイキ)が聞こえ始めた。おや?、と(ミナ)で視線を落とすと忋抖(カイト)安堵(アンド)しきった顔で(ネム)っている。


寝顔(ネガオ)だけはまだ(オサナ)(コロ)のままじゃな」


湯呑(ユノ)みを置いて上衣(ウワゴロモ)()ぐと身体が冷えないように掛けてやるが余程(ヨホド)心地良(ココチヨ)いのか深く眠ってしまっているようで気づきもしない。


「ほんに哀玥(アイゲツ)(コイ)しゅうあったのだな」


寝顔の(ホオ)に触れるとほんの二十年前は小さかったのに、と(オサナ)い姿が思い出された。


“これでは小生(ショウセイ)も動けませぬ。ほんに若君(ワカギミ)には(カナ)いませぬね”


大きく嘆息(タンソク)して悧羅の膝から(コウベ)を上げようとする哀玥(アイゲツ)に、そのままで良い、と悧羅が体躯(タイク)を撫でた。お(ツロ)うなられます、と()する哀玥(アイゲツ)微笑(ホホエ)むと(アキラ)めた様にまた(コウベ)を膝に乗せた。(トナリ)に置いていた湯呑(ユノ)みを取ってまた(スス)り始めると中庭に降り立つ音がして皆の目がそちらに向く。あれ?、と降り立つなり歩いて来ていたのは紳だった。(ツト)めのはずなのに合間(アイマ)()ってまた逢いに来てくれたらしい。


「何だよ、悧羅が休めるように子ども達を(ソバ)に置いてんのに、忋抖(カイト)の方が休んでるじゃないか。…しかも何?この状況(ジョウキョウ)?」


苦笑しながら部屋に上がり込むと(コウベ)を上げた哀玥(アイゲツ)の下から悧羅を抱き上げて自分の(ヒザ)に乗せた。


「ちゃんと休めてた?無理してない?」


「無理など何もしておらぬよ。これだけの者たちに見守られおっては勝手(カッテ)も出来ぬ。荊軻(ケイカツ)(シラ)せも今日はまだあがってこぬでな」


(アン)ずるな、と笑う悧羅の(ホオ)に口付けている紳に磐里(バンリ)が茶を(ワタ)している。旦那様(ダンナサマ)もお(ツト)めは?、と苦笑されて茶を受け取りながら、うん?、と悪戯(イタズラ)な笑みを紳は浮かべた。


「とりあえず()く事は終わったんでね。休憩(キュウケイ)ついでに悧羅の顔見に来た」


「まあまあ、それではお(ツト)めに(サワ)りがございましょうに」


笑う磐里(バンリ)に、ほんに、と加嬬(カジュ)(ウナズ)いた。元から悧羅を溺愛(デキアイ)しているのは知っているが、姚妃(ヨウヒ)が生まれてからというもの特に強くなっている気がしてしまう。何か心配な事でもあるのかと(アン)じてしまうが二人の様子からはそれは見てとれない。(タダ)、紳が悧羅の顔を見たくなるのを(オサ)えられないだけなのだろう。


「二年も一緒に居たからね。少し離れると(サミ)しくなっちゃうんだよ。悧羅を(オギナ)わないと(ツト)めにも身が入らない」


膝の上に乗せた悧羅を片手で抱きしめながら笑う紳に、磐里(バンリ)加嬬(カジュ)も笑うしか無い。


「では旦那様(ダンナサマ)昼餉(チュウショク)はこちらで御支度(オシタク)しておきましょうか?さすれば昼餉(チュウショク)の間は(オサ)御側(オソバ)においでることが出来ますでしょう?」


「それ良いね。…でもそうすると子ども達も一回宮に帰って来たがるんじゃ無いかなぁ。俺ばっかり(ズル)いって()められそうだ。悧羅もだけど姚妃(ヨウヒ)に会いたくて仕方(シカタ)ないみたいだからね」


妲己(ダッキ)の上に登ったり抱きついたり()ねたりしている姚妃(ヨウヒ)は紳が戻ってきたというのに妲己(ダッキ)の側から離れようとしない。名を呼んでみるのだが、や!、と顔を(ソム)けられてしまう。俺が父親なんだけど?、と苦笑する紳に場の皆が笑ってしまう。


姚妃(ヨウヒ)姫には沢山(タクサン)の手がありますから。父君(チチギミ)でなくとも代わりとなる若君(ワカギミ)方が(イト)しゅうされておりますれば、少しばかり()()なられるのも(イタ)し方ございませんよ」


(ミナ)取り合うように姚妃(ヨウヒ)(ウバ)って行くのでな。(ワラワ)妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)には(カナ)わぬ。…で?昼餉(チュウショク)はどうするのじゃ?」


(コタ)えなど分かりきってきるだろうに腕の中から(タズ)ねてくる悧羅に小さく笑って、磐里(バンリ)達に甘える、と伝える。それが(ヨロ)しいですね、と手間(テマ)が増えるだろうに女官(ニョカン)二人は満足そうに(ウナズ)いた。


「決まった(ジカン)(モド)ってこれないから冷えてても良いからね?」


女官(ニョカン)二人を(オモンバカ)って言ったのだが、それには、まあ!、と憤慨(フンガイ)されてしまった。


私共(ワタクシドモ)がおりまして旦那様(ダンナサマ)に冷えたお食餌(ショクジ)などお出しするとでもお思いでございますか?」


「いや…。手間(テマ)だろうと思っただけなんだけど…」


苦笑する紳に、手間(テマ)だなどと!、とまた叱責(シッセキ)するような加嬬(カジュ)の声がしてほんの(ワズ)かに(ホオ)(フク)らませているのが見てとれた。


「お一人分を御支度(オシタク)するよりも力が入るというものでございます。元より御子方も必ずおいでになるのですから。いつ何時(ナンドキ)にお戻りになられても良いように御支度(オシタク)しておきますよ」


()ねた加嬬(カジュ)の代わりに磐里(バンリ)が笑いながらその場を()めてくれる。うん、と笑うと加嬬(カジュ)も満足したのか大きく(ウナズ)いていた。(オコ)らせると女官(ニョカン)二人には悧羅でさえ(カナ)わない。それはもちろん紳も同じであったし、何よりこの広い宮の中を二人で取り仕切ってくれていることに感謝しかない。紳が安心して(ツト)めに出れるのは二人の存在が大きいのだ。ほっと息をつく紳に(コラ)えきれなくなったのか腕の中で悧羅がくすくすと笑い始めている。


「初めから(マカ)せると言わぬからだえ?」


「…一応(イチオウ)少しは遠慮(エンリョ)しないと、と思ったんだけなんだけどね。俺も磐里(バンリ)加嬬(カジュ)には甘えてばっかりだから」


肩を落とす紳に、それでよろしいのです、と磐里(バンリ)(オダ)やかに言う。


「甘えていただかねば私共(ワタクシドモ)(オサ)御側(オソバ)におる(コトワリ)を失ってしまうのですから」


「そうでございますよ。(オサ)御身内(オミウチ)御世話(オセワ)をさせていただけるのが、どれほどの(ホマレ)旦那様(ダンナサマ)御存知(ゴゾンジ)かと思うておりましたのに…」


小さく嘆息(タンソク)しながら肩を落とす磐里(バンリ)加嬬(カジュ)に、分かってるよと紳は苦笑した。(オサ)である悧羅のすぐ(ソバ)(ハベ)り身の回りの世話(セワ)をすることは里の鬼女(キジョ)達の(アコガ)れともいえる(ツト)めだ。もちろん宮内(ミヤナイ)でのことを口外(コウガイ)することは(ユル)されないし大きな重責(ジュウセキ)(トモナ)うが、それでも(ナオ)宮内(ミヤナイ)女官(ニョカン)()し上げられることは夢のような事なのだ。(ツツ)ましやかに過ごしたい悧羅は磐里(バンリ)加嬬(カジュ)だけを(ツネ)(ソバ)に置いているがそれは二人が悧羅にとって(シン)を置けるかけがえのない者達だからだ。


先代(センダイ)の頃は宮内(ミヤナイ)にも大勢(オオゼイ)女官達(ニョカンタチ)が居たが、その中で手が着いた者も多くいる。そうした者たちはそのまま女官(ニョカン)として(トド)まるか、側女(ソバメ)になるかを選べたのだという。そのため先代(センダイ)には数えきれないほどの子がいた。(ダイ)が悧羅に変わってからは里に降ろされているが贅沢三昧(ゼイタクザンマイ)だった暮らしから一転して荒廃(コウハイ)した里に降ろされたのだ。苦労(クロウ)()えなかったことだろうと思う。


本来なら悧羅も女官(ニョカン)だけでなく、夜毎(ヨゴト)(トギ)の相手として男鬼(ダンキ)を引き入れるべきなのだ。(スグ)れた鬼を数多く産むために。それが分かっているからこそ紳と(チギ)りを()わすときに栄州(エイシュウ)に言ってくれた。


「これから先何があろうと(ジョウ)()わすのは紳のみだ」


よいか?と(タズ)ねられたとき、舞い上がりそうなほどに(ウレ)しく思った事を悧羅は知らないだろう。悧羅としてはこれ以上苦痛のような夜伽(ヨトギ)()わしたくは無かったのだろうが、紳にとってはもう(ダレ)にも()れさせたくなかったのだから込み上げる喜びを(オサ)えるのに必死だった。(ナツ)かしい思い出に(ヒタ)っていると、紳?、と名を呼ばれて(ワレ)に返る。どうやら(ナツ)かしむばかりでなく思い出して小さく笑っていたようだ。


「何でも無いよ。ちょっと(ムカシ)を思い出してただけ」


そうか、と微笑(ホホエ)(ホオ)に口付けて、そろそろ(モド)らないとな、と(ヒザ)の上から悧羅を降ろす。


今宵(コヨイ)(オソ)うなりそうかえ?」


()まっていた(ツト)めを片付けるためにこの所紳の戻りが遅い。無理をしてくれるでないよ、と心配する悧羅に大丈夫(ダイジョウブ)だよと紳は笑い返した。


「もう()くようなことも少なくなったし。今日は早く戻れると思う。…何より悧羅と姚妃(ヨウヒ)(マカ)せてるのが()()()だからね」


ちらりと哀玥(アイゲツ)に身体を(アズ)けたままぐっすりと眠っている忋抖(カイト)を見ながら苦笑して、行ってくるね、ともう一度悧羅に口付けてから紳は中庭に降りた。よいしょ、と二度三度脚を曲げ伸ばして、じゃあね、と言うなり()けていく。すぐに見えなくなった背中を見送りながら、(セワ)しない事だ、と悧羅が苦笑した。


「ほんの(ワズ)かな(ジカン)でも(オサ)のお顔をご(ラン)になりたいのでしょうね。(オサ)(オギナ)わねば(ツト)めにならぬと(オオ)せになられておられるのも本音(ホンネ)でございましょう」


くすくすと笑いながら風のように去っていった紳の思いを加嬬(カジュ)(オモンバカ)る。(ツト)めに戻った直後(チョクゴ)は一日に幾度(イクド)も宮に戻って来ていた事を思えば、一日一回になったことは紳を()めてやらなければならないだろう。


()()()()()()()(ワラワ)が紳の(ソバ)(ハベ)ろうかと申したこともあったのだが(コバ)まれてしもうてな…」


(コマ)ったように笑う悧羅に、それはそうでございましょうよ、と磐里(バンリ)加嬬(カジュ)だけでなく妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)までが声を(ソロ)えた。


(オサ)が共におられては旦那様(ダンナサマ)だけでなく、隊士(タイシ)皆様(ミナサマ)も気が落ち着かれませぬでしょう」


(シカ)り。小生(ショウセイ)(イタ)しましては(アルジ)をそう易々(ヤスヤス)と目に触れさせたいものではございませんな”


“それは(ワレ)も同意だな…。(アルジ)(マド)わしを見た者であらば(アルジ)を見ただけで思い出してしまうであろうからな”


二人の嘆息(タンソク)混じりの言葉に、おやまあ、と悧羅はくすくすと笑っている。


「もうそのような事はないと思うておるがのう。何より紳の(ソバ)におるだけであるのに、手を着けようなどと思う者などおらぬのではないかえ?」


“なりませぬ。(アルジ)御自身(ゴジシン)のお美しさを(イササ)(カロ)んじておられます。(アルジ)がどうしてもと(オオ)せになられるならば小生(ショウセイ)はお(ソバ)を離れませぬよ?”


(イサ)める哀玥(アイゲツ)に悧羅はやれやれと肩を落とした。


「それでは忋抖(カイト)(シカ)られてしまうではないか。ようやっと哀玥(アイゲツ)が共におってくれると喜んでおるというに…」


“ですから自重(ジチョウ)なさって下さいまし”


上げていた(コウベ)を下ろして寝そべりながら、これだから目が離せないのです、と哀玥(アイゲツ)が小さく(ツブ)やいた。おやまあ、と笑う悧羅に妲己(ダッキ)が声を上げて笑う声が届く。


哀玥(アイゲツ)(ワレ)気苦労(キグロウ)がよう分かったとみえる。ほんに(ワレ)らの(アルジ)は目が離せぬのだ”


笑う妲己(ダッキ)の背から姚妃(ヨウヒ)(スベ)り落ちて、もう!、と言わんばかりに妲己(ダッキ)体躯(タイク)を小さな手で叩いた。どうやら哀玥(アイゲツ)だけでなく妲己(ダッキ)も自由に動くことは許されないらしい。


「なれどこの所、里にも降りておらぬでな。少しばかり見に行きたいものなのだが…」


調べさせていることの他にも民達(タミタチ)の暮らしが変わりないのかは気になるところだ。姚妃(ヨウヒ)身籠(ミゴモ)る前に降りたのが最後であったから悧羅も里の状況を目にしたいのだが、皆が許してくれない。身体はもうどうもないと言うのに先の妲己(ダッキ)の言葉のように(マド)わしを目にした隊士達(タイシタチ)がいるのだから(アヤ)ういという(コトワリ)重鎮達(ジュウチンタチ)にまで止められている。紳が共におれば(アヤ)ういことなど無いし、悧羅も自分の身は自分で護れるというのだが聞いてもらえない。


「子どもの俺たちだって駄目(ダメ)だったんだから、言うこと聞いて」


子ども達にまでそのように言われてしまっては悧羅に(イナ)と言えるはずもなく仕方なく言う通りにしているのだが、里に降りなくなって四年の歳月(サイゲツ)()ってしまった。


“全てを調べ上げてからでもよろしいでしょう。何某(ナニガシ)かあらば紳や荊軻(ケイカツ)殿から(シラ)せが入りますでしょうから。(アルジ)(モト)に何も入らないということであらば民達(タミタチ)(オダ)やかに過ごしておるはずでございましょうや”


「…それはそうであるのだがな…」


“何より今は姚妃(ヨウヒ)姫がおられます(ユエ)御子(オコ)らが必ず(アルジ)御側(オソバ)(ヒカ)えられておるのは、まずは(アルジ)姚妃(ヨウヒ)姫につつがなくと紳が思うておるからでございましょう。彼奴(アヤツ)(アマ)心労(シンロウ)をかけらば、ほんに(アルジ)御側(オソバ)から離れぬようになりまするよ”


(サト)すような妲己(ダッキ)に、やれやれと悧羅はまた嘆息(タンソク)するしかない。紳が(ソバ)を離れなくなるのは願っても無いことだが、そうすると寝所(シンジョ)(コモ)ってばかりになりそうな気もする。悧羅としても(ミナ)()らぬ心労(シンロウ)を掛けてまで…、とは思っているのだが見ておかねばならない事もあるのでは無いかとも思ってしまうのだ。見廻(ミマワ)りとして武官隊(ブカンタイ)近衛隊(コノエタイ)隊士達(タイシタチ)が日々里の隅々(スミズミ)まで廻ってくれてはいるが、悧羅が見ることでまた違った景色(ケシキ)や気づくこともあるかもしれないのだから。


“とにかく、今は今。手につけておられる(ツト)めを終わらせてからに致しましょう。…そこから何かしら(ツカ)めるやもしれませぬので…”


言葉は(ニゴ)したが王母(オウボ)が悧羅に何かさせようとしていることは妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)と気づいている。それは子ども達も同じことで、もちろん重鎮達(ジュウチンタチ)とて同じことだ。現れるたびに悧羅の分身ともいえる(ハス)の華を置いていくのだから。


「その内分かる」


その一言だけ悧羅に伝えられているが何が起こるのかまではわからない。分からないからこそ悧羅を(ササ)えていくべき者たちが十二分に気をつけておかねばならないのだ。王母(オウボ)の考えは神の領域(リョウイキ)なのだから一介(イッカイ)(アヤカシ)である自分たちに分かるはずもない。王母(オウボ)(ニン)に紳が必ず同行(ドウコウ)するのも()()で何かあるかもしれないからだ。紳が側に居れない時に悧羅を宮の外に出さないのもきっとらそういう思いがあるのだろう。


どちらにせよ、いま悧羅が手を付けている(ツト)めも終わりが見えている。長くかかったけれど、結果は全てが悧羅の望むものではなかった。(シラ)せを受け取って目を通すたびに同じような内容に心を(シズ)めてしまう悧羅を見るのは幾度(イクド)みても気が落ち込んでしまうものだ。(ナグサ)めるのは紳が寄り添ってくれているので、そこは妲己(ダッキ)も安心している。だからこそ姚妃(ヨウヒ)を自分が預かる必要性があるのだ。


「何事も一度に行おうとすればお(ツカ)れも知らず知らずのうちに()まってしまうものですよ。妲己(ダッキ)の申す通り、まずは一つお片付(カタヅ)けになられてから、ゆっくりと民達(タミタチ)の暮らし振りを見にゆかれるとよろしいでしょう」


新しく()れた茶を悧羅に手渡(テワタ)しながら磐里(バンリ)が微笑んでいる。


「まあ…そうなのだがな…。ほんに(ミナ)(ワラワ)に甘すぎるのだよ」


受け取った茶を(スス)りながら肩を落とす悧羅に、当然でございます、と場の全員がまた声を(ソロ)えた。


(オサ)はこの里、ここで暮らす民達(タミタチ)にとりまして唯一無二(ユイイツムニ)のお方なのですから。なによりもまずは御自身(ゴジシン)を大切になさって下さいまし」


「…そう容易(タヤス)(タオ)れたりはせぬよ。…子らが安堵(アンド)して過ごせるのを確かめるまでは…の」


くすりと笑いながら忋抖(カイト)を見るとまだ深い眠りに入っている。静かになった姚妃(ヨウヒ)にも目を向けるといつのまにか妲己(ダッキ)(ツカ)まるように小さな寝息を立てていた。おやおやと思っていると身体が冷えないように妲己が尾で姚妃(ヨウヒ)を包んだ。


ほんとうにこの子らが安心して暮らせる里でなければ次には渡す事はできまいな。


(オサナ)い寝顔を見ながらもう少し頑張らねばならないな、と悧羅は心の奥で小さな誓いを立てた。

日常回が続いておりますが、嵐の前の静けさとでもいうところでしょうか?


お楽しみいただけましたか?

ありがとうございました。

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