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縁【捌】《エニシ【ハチ】》

遅くなりました。

更新します。

朝議(チョウギ)のために(シン)悧羅(リラ)の自室に現れた枉駕(オウガイ)栄州(エイシュウ)は悧羅の顔色を見て言葉を失った。昨日までは()()では無かった。(ワズ)かばかり(ツカ)れが()まっているのだろうとは思っていたが、たった一晩(ヒトバン)でここまで憔悴(ショウスイ)するものなのか、と(タガ)いが青ざめている。


「お休みくださいと申し上げてもお聞きにならなかったからですよ。(ワタクシ)の言うことをお聞きにならないからこういったことになるのです。…というわけでございますから(シバラ)くは紳様に(オサ)見張(ミハ)っていただきます。枉駕(オウガイ)近衛隊(コノエタイ)(ワタクシ)(トモ)(アズ)かっていただけますか?」


(シカ)るような荊軻(ケイカツ)の言葉に紳も悧羅も苦笑するしかない。どうやら事情(ジジョウ)を知っても(ナオ)進言(シンゲン)を聞かなかった悧羅に相当(ソウトウ)(オコ)っているようだ。よい(アン)(コウ)じてみせましょう、とは言っていたが確かに悧羅の(セイ)にした方が二人とも納得(ナットク)するだろう。


「それは勿論(モチロン)(アズ)かるが…。(オサ)大事(ダイジ)ないのでございますか?」


おろおろとしたような枉駕(オウガイ)に、自業自得(ジゴウジトク)ですよ、と荊軻(ケイカツ)憤慨(フンガイ)して見せている。


「お(ツカ)れが()まっていたのを無理なさっておいでてしたから。ついに(セキ)を切ったのでしょう。しばらくお休みいただければお元気になられますよ。早めに御殿医(ゴテンイ)殿に来て(イタダ)くように(シラ)せも出しておりますれば」


つんと顔を(ソム)けて(イカ)りを(アラワ)にしているが、咲耶(サクヤ)(シラ)せを出したと言うこと自体は虚言(キョゲン)ではないのだろう。妓姣(ギコウ)(カヨ)うと言ってくれてはいるが周りの目を誤魔化(ゴマカ)すためには咲耶(サクヤ)も巻き込んだ方が良いのはわかる。(マン)(イチ)のことを考えれば妓姣(ギコウ)だけでは()が重すぎるだろう。


「いや、しかし…。これほどまでに弱られた(オサ)など(ワレ)の知る(カギ)りではござらぬことでございますぞ?何ぞ重い(ヤマイ)にでも(カカ)られておられるのではないのか?」


困惑(コンワク)する栄州(エイシュウ)に、それも(フク)めて御殿医殿(ゴテンイドノ)にお(マカ)(イタ)しますよ、と荊軻(ケイカツ)(サト)している。実際(ジッサイ)には()()()()に悧羅の身体(カラダ)が思わしくなかったことはあった。500年前に自分で子袋(コブクロ)(ツブ)した時だ。あの時は今よりも血の気は無かったし自分の足で歩けるようになるまでかなりの(ジカン)(ヨウ)したが、それを知っているのは当時悧羅の近くにいた者だけに(カギ)られる。枉駕(オウガイ)栄州(エイシュウ)も悧羅が床上(トコア)げが出来てからしか拝謁(ハイエツ)出来ていないので知らないのも無理はない。紳さえもその時の姿は知らないのだ。


今回のことも知られずに無事に済めばそれが一番望ましい。


「良い機会(キカイ)でございますよ。これで少しばかりは私共(ワタクシドモ)進言(シンゲン)にも耳を貸していただけるようになりますでしょう」


(アキ)れ返ったような言葉に苦笑する紳と悧羅に一瞥(イチベツ)を投げて荊軻(ケイカツ)が手短に(シラ)せを伝えてから早々(ソウソウ)朝議(チョウギ)は閉められた。皆が出て行くとやはり気を張っていたのだろう。悧羅が大きく嘆息(タンソク)しながら支えてくれている紳の胸に身体を(アズ)けた。荊軻(ケイカツ)(ハカ)らいでいつもよりはかなり短い(ジカン)朝議(チョウギ)、しかも紳が支えていたにも(カカ)わらず身体への負担(フタン)は思っていたよりも大きかった。(ハラ)の痛みはそうでもないが何とも重苦(オモクル)しい。六人もの子を産み落としたがこんなことは初めてだ。


「少し横になろうか?」


真っ白になった悧羅の顔を(ノゾ)き込みながらも紳は()()なく精気(セイキ)を送りこんでくれている…、にも(カカ)わらず気怠(ケダル)さは()していくばかりだ。(イク)大蛇(ウワバミ)(ギョク)があるとはいえこうもずっと送り込み続けていては紳の身体も()たないのではないかとさえ心配になってしまう。


「…紳が良いならこのままで…」


ふうっと息をつくと、駄目(ダメ)なわけがないだろう、と抱き直しながら布団(フトン)を掛けてくれる。横になった方が紳も(ラク)になるのはわかっているが少しばかり不安の残る今は出来るだけこの体温を感じていたいのだ。


妲己(ダッキ)妓姣(ギコウ)はいつ頃って言ってた?」


姿の見えない妲己(ダッキ)に紳が語りかけるとするりと姿を現した。普段は紳が呼んでも素直(スナオ)に出てきてはくれないのだが今は悧羅の身体が優先(ユウセン)するため出てきてくれたのだろう。…呼ばずとも朝議(チョウギ)が終わったのだから(ハベ)りに来てくれようとしていたかもしれないが…。


“出来るだけ早く、とは申しておった。…何であればすぐにでも”


「…うん。もう一度()てもらった方がいいかもしれない。悧羅の身体が()ってくれそうもない」


(アルジ)、と擦り寄る(ヤワ)らかな毛並(ケナ)みを撫でて、(アン)ずるなと悧羅が微笑(ホホエ)む。


舜啓(シュンケイ)とも約束をしてしもうたしの…。必ずや良い子を産んでみせましょうと。舜啓(シュンケイ)媟雅(セツガ)(ヨロコ)ばしいことの前に(ワラワ)が水を挿してはならぬ(ユエ)…」


小さく鳴く妲己(ダッキ)を撫でる手には力が入っていない。それどころか(コマ)かく(フル)えていて、すぐに、と妲己(ダッキ)が消えた。続けて哀玥(アイゲツ)を呼ぶとこれまたするりと現れて悧羅を見ると(イタワ)るようにすり寄ってくる。


咲耶(サクヤ)殿…でございましょう?”


低い声が分かっているとでもいうように(ヒビ)いて紳が(ウナズ)くのを見もせずに哀玥(アイゲツ)が消えた。


(コラ)えてみせるというに…」


胸の中で小さく笑う悧羅に紳は首を振った。二人が来てくれる事でもう少し楽にしてやれる手立(テダ)ても見つけられるかもしれないからだ。悧羅、と呼ぶと返事の代わりに胸に擦り寄ってくる。


「…もしも、だよ?もしも駄目(ダメ)だったとしても自分を()めることはしないでね?…無理させてたのは俺だし、もちろん(ハラ)の子は大事だけど俺にとって一番は悧羅だから」


「…せんないことを言うておくれでないよ…。必ずや紳に子を抱かせてみせる(ユエ)、紳こそそう(オノレ)()めてくれるな。気づかなんだは(ワラワ)も同じじゃ…。もしや護れなんだとしてもそれは二人の(セキ)じゃ…」


うん、と応えた紳の胸で悧羅はすうっと眠りに落ちていく。その姿に本当に無理ばかりさせていると紳は自分を()めざるを()ない。胸の中に居たいとは言ってくれたが少しは横になってもらわないと身体が休まらないだろう。ゆっくりと布団(フトン)に横たえてみるがいつのまにか紳の(コロモ)(ツカ)んでいたらしく離れることを(コバ)んでいるかのようだ。


離れるつもりなどあるはずもないのに、と苦笑して(トナリ)(スベ)り込むとそっと身体を包んでやる。悧羅に伝えた事に(イツワ)りはない。紳にとって一番は悧羅であるし子が護られたとしても悧羅が苦しむのは望むところではないのだ。どちらも無事に居てくれることが一番喜ばしいがどちらか選べと言われれば(マヨ)わず悧羅を選ぶ。痛みは少なくなったと言ってくれているが明け方よりも身体の衰弱(スイジャク)顕著(ケンチョ)なのは明らかだ。できれば明日からの朝議(チョウギ)もしばらく休ませたい。子ども達に預けた悧羅の(ツト)めも(シラ)せが上がれば確かめたがるに決まっている。こうと決めたら退()かないのが悧羅であるのは分かっているし、そうであったからこそここまで里を支え(サカ)えさせることが出来たのだろう。小さくそれでもいつもより早い呼吸(コキュウ)に耳を澄ませながら、もしかしたら、と紳は思う。


もしかしたらこれは王母(オウボ)からの紳に対する(バツ)なのかもしれない。過ぎたことに気を取られすぎ悧羅の身体を(オモンバカ)ってやれなかった。王母(オウボ)にとれば悧羅は娘で化身(ケシン)だ。悧羅が無理をして身体を壊してしまうと必ず現れて()やす手助けをしてくれていた。だが今回は現れる気配(ケハイ)もない。いつも唐突(トウトツ)に現れるので今後現れることも考えられるが必ず(タヨ)れるというわけでもないのだ。紳が護れる間は紳に(アズ)けてくれているということでもあるのだが、出来れば今現れて欲しいものだと願ってしまう。(ギャク)を返せばまだ紳に預けていても大事(ダイジ)には(イタ)らない、ということなのだろうが不安な気持ちは(ヌグ)い去ることができないのだ。とにかく妓姣(ギコウ)でも咲耶(サクヤ)でも良いから早く来て欲しいと願っていると二つの足音が同時に中庭に降り立った。どうやら二人とも同時であったらしい。


有難(アリガタ)い、と思いながら身体を起こして待とうとするが悧羅が(コロモ)(ツカ)んだまま離さない。仕方(シカタ)なく半身(ハンシン)だけを起こしておくと戸が静かに開けられた。妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)に連れられて妓姣(ギコウ)咲耶(サクヤ)が入ってくるが、咲耶(サクヤ)は入り口から見えた悧羅の顔色に言葉を失っている。ゆっくりと歩いてくる妓姣(ギコウ)とは(ギャク)に走り寄ってきて悧羅の横に座るなり、どういうことよ?、と紳を(ニラ)みつけてきた。


「悪い、気付くのが遅かった」


「起きて(アヤマ)んなさいよ」


ごん、と頭を(ナグ)られたが悧羅が(ツカ)んで離さない(コロモ)を示すと、ふんとまた(ナグ)られた。いってえなぁ、と頭をさする紳に一瞥(イチベツ)を投げて咲耶(サクヤ)診察(シンサツ)を始めている。ゆっくりと近くに来た妓姣(ギコウ)は、ほほほ、と(オダ)やかに笑いながら悧羅の足元に座った。哀玥(アイゲツ)加嬬(カジュ)に伝えてくれたのだろう。手桶(テオケ)手拭(テヌグ)いを持ってきてくれた。


「…子は何とか(コラ)えてるけど、先に流れた血が多過ぎたんじゃないの?悧羅の身体の方が(ハラ)の子よりも(マイ)っちゃってるじゃない」


先に流れた血…、紳が物忌(モノイ)みだと思い込んで湯殿(ユドノ)でも悧羅を()()き続けた時だ。今思い返せば物忌(モノイ)みではあり得ないほどの血が流れていたようにも思う。水場(ミズバ)(ウス)まっていたこともあるから確かなことは言えないが大量(タイリョウ)に血が流れたのは()()()しか考えられない。


「ずっと精気(セイキ)を流し込んでんの?あんたの方が先に(マイ)るんじゃない?」


手際(テギワ)よく入念(ニュウネン)診察(シンサツ)を始めながら咲耶(サクヤ)が小さく嘆息(タンソク)している。


「俺には民達(タミタチ)が分けてくれた(ギョク)があるから何とかなる。…とりあえず()()()を少しでも(ラク)にしてやってくれ」


「そりゃやるけどさ…。どうしたもんかしらねえ…」


妓姣(ギコウ)をちらりと見ながら咲耶(サクヤ)(ツブヤ)く。来る途中(トチュウ)哀玥(アイゲツ)から聞いたところによれば痛みが来たのは五日(イツカ)前だそうだ。強くなったのが昨夜であったため紳がまさかと思い妓姣(ギコウ)を呼んだらしい。そこは()めてやるべきだろう。咲耶(サクヤ)も医師ではあるが子を産み落とさせることは妓姣(ギコウ)の方が()けている。どちらかといえば咲耶(サクヤ)患者(カンジャ)としてある者は子が流れ落ちてしまった者が多いのだ。()()()()()()への治療法(チリョウホウ)心得(ココロエ)ているが、(コラ)えさせて痛みを取るなど薬もそうそう使えないのに容易(タヤス)いことではないのだ。


長様(オササマ)であるから()()(コラ)えられておるのだよ。…体力を少しでも戻せるようには出来ぬかの?」


「…薬湯(ヤクトウ)くらいしか考えつかないなぁ…。あとは上から少し子袋(コブクロ)(マモ)るように優しめの(マジナイ)をかけるか…。でも(ハラ)に子が居るのに(マジナイ)なんて使っても大丈夫かなあ…」


真っ白な悧羅の顔色を(ナガ)めながら咲耶(サクヤ)は考え込んでしまう。子を(ハラ)まないように(マジナイ)を掛けていたことはあるけれど、子を(マモ)るための(マジナイ)など誰に対しても(ホドコ)したことはなかった。下腹(シタバラ)を出して手をそっと当てると痛みがあったのか悧羅が目を開けてしまったようだ。


咲耶(サクヤ)妓姣(ギコウ)だよ。寝てていいから」


(ヒタイ)に口付けながら教える紳に、そうか、と悧羅の声がする。


「二人ともすまぬな。…(イソガ)しゅうにしておったろうに…、無理をさせてしもうたのではないか?」


起き上がれないままの悧羅の声に馬鹿(バカ)ねと咲耶(サクヤ)叱責(シッセキ)し、妓姣(ギコウ)(オダ)やかに笑っている。叱責(シッセキ)したはいいものの本当にどうしてやったらいいものか、と咲耶(サクヤ)(ナヤ)む。痛みをとることだけ考えればそう(ムズ)かしい事ではないのだがそれにも(ジュツ)を使わなければならないし、完全に痛みを取り去ると()()()の時まで気付かない(オソ)れもあった。


「…駄目(ダメ)だ、分かんない。妓姣(ギコウ)さんの(メイ)(シタガ)って私が動いた方が良さそう」


大きく溜息(タメイキ)をついた咲耶(サクヤ)妓姣(ギコウ)が笑っている。


御殿医殿(ゴテンイドノ)がそのようなことでどうする。里でも同じような者はおるであろうに」


「私のとこに来るのは()()()()()()()()()()が多いから。そっちだったら分かるんだけどね。こういう時はみんな妓姣(ギコウ)さん達を(タヨ)るでしょ?」


ほほほ、と笑う妓姣(ギコウ)に、だから(マナ)ばせてもらうよ、と咲耶(サクヤ)が悧羅の下腹(シタバラ)から手を退()いた。


「なるほどの。そういうことであれば(ババ)の知っておることは少ないがお教えしておいた方が良さそうじゃて」


うん、と(ウナズ)咲耶(サクヤ)にもう一度笑ってみせてから妓姣(ギコウ)が、よいしょと居住(イズ)まいを正した。


「さて長様(オササマ)旦那様(ダンナサマ)。一つお(ウカガ)いしておかねばならぬが、()()()の時はどちらをとられる?」


どちらとは悧羅か子がということだろう。は?、と言葉を失う悧羅に代わって紳が(コタ)えた。


「悧羅だ」


紳、と(トガ)めるような声がしたが首を振る。これだけは(ユズ)れない。子はまた(サズ)かるかもしれないけれど悧羅は一人しかいない。(マヨ)う事などあるはずもない。


「ならぬ。子じゃ」


紳の(コロモ)(ツカ)んだ悧羅を見やって紳がもう一度首を振る。真っ白な顔をしながら泣きそうな目で見られても紳にとれば悧羅の居ない世など意味を持たない。


「前にも言ったでしょ?悧羅が居なくなったら俺も後を追う。()()()()()のは二人の(セキ)だとしても俺は悧羅を取る。子が駄目(ダメ)になったとしても俺たちが忘れずにいてやればそれでいい」


「そうはいうても…。(スデ)(ハラ)の中におってくれておる子じゃ。(ワラワ)生命(イノチ)(ケズ)られようとも(ワラワ)は産み落としたいのだえ」


「分かってるよ。だから本当に()()()の時だ。悧羅は若々(ワカワカ)しくなってるらしいから、また子を(サズ)かる機会はあるよ。でも悧羅は一人しかいないんだからその代わりには(ダレ)にもなれない」


退()けないよ?、と伝える紳の目に強い意志を()み取って悧羅も(コロモ)(ツカ)む手を(ユル)めるしかない。(ウル)み始める目を()いてやりながら、ごめんね?、と(アヤマ)るとぽろぽろと涙を流し始めている。(イヤ)じゃ、と力の無い声が(シボ)り出されて、うん、と(ウナズ)きながら紳は胸に悧羅を収めた。その姿が(イタ)まし過ぎて目を()らす咲耶(サクヤ)とは(ギャク)妓姣(ギコウ)(オダ)やかに笑うばかりだ。


()()()と申したであろうに。まだそうと決まったわけではない。そうお泣きになられるな」


うんうんと(ウナズ)きながら、では、と妓姣(ギコウ)()る事を悧羅に伝える。泣きながらも(ハラ)の中を()られる痛みに息を止める悧羅を紳が強く抱きしめた。


(ツカ)んでていいよ」


頑張(ガンバ)れ、と頭を撫でてやりながら声を掛けると大きく息をついて()え始めているのが分かる。小さい手とはいえ妓姣(ギコウ)(テノヒラ)すべてが入り(ハラ)の中を()られるのだ。ただでさえ痛みのある(ハラ)(カカ)えていてはこれまで産み落としてきた時には味わった事のない痛みだろう。


「そうそう、大きく息をしておりなされ」


優しい声音(コワネ)後押(アトオ)しされるように悧羅が大きな息を繰り返す。じんわりと汗の浮かんでくる(ヒタイ)(ヌグ)ってやりながら(ホオ)を撫でて(ハゲ)まし続ける紳に悧羅が小さく(ウナズ)く。よしよし、と言われながらもいつ終わるのかとさえ思ってしまう。いつもなら手を(ニギ)ってくれる咲耶(サクヤ)も今回ばかりは妓姣(ギコウ)手技(シュギ)を見ておきたいのだろう。いつのまにか妓姣(ギコウ)(ソバ)(ハベ)っている。代わりに悧羅の枕元(マクラモト)妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)(ソロ)って()して小さく()いた。(アルジ)、と声をかけられるがそれに(コタ)えてやれる余裕(ヨユウ)は悧羅には無かった。身体に()う痛みならどれだけでも()えれるというのに。だが今()えているのは悧羅だけではない、(ハラ)の子も()えてくれているのだ、と自分を鼓舞(コブ)し続けてどうにか(コラ)える。


「よしよし、よう()えられたな」


四半刻(シハントキ)ほど妓姣(ギコウ)の手が入ったり抜けたりした頃にようやく(ヨシ)が出た。何したの?と咲耶(サクヤ)(タズ)ねているようだが(ボウ)っとした悧羅の頭には会話も入ってこない。紳の手と妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)が擦り寄ってくる感覚だけが確かなものだった。速まってしまった息を(トトノ)え始めながら目を開けると紳の心配そうな顔が見えた。


「…子は…?」


荒れた息の中からどうにか(シボ)り出すように(タズ)ねると紳が、妓姣(ギコウ)と呼んでくれた。手を洗っていたのか水の音がするが、少し待ちなされと咲耶(サクヤ)に何やら(メイ)を出しているようだ。何事(ナニゴト)か話しているが聞き取れない。(ニブ)く続く痛みと(ツカ)れで(カスミ)がかる目を必死に開けていると、悧羅と呼ばれる。


「ちょっと(サワ)るからね。痛むなら声上げてもいいから」


言うなり(ハラ)咲耶(サクヤ)の手が触れて思わず息を呑む悧羅を紳が抱き止める。声を(コラ)えることは出来るが顔を(シカ)める悧羅に、()んでてもいいよ、と紳が肩を差し出した。それには小さく首を振ったが紳の腕を(ツカ)む手に力を込めてしまう。(トトノ)い始めていた息がまた速まってきてますます(ツカ)む手に力が入るが、紳は(オダ)やかに悧羅を抱きしめて撫でてくれている。咲耶(サクヤ)の触れている場が()けるように熱くなる。まるで古疵(フルキズ)が開いていくようにも思えてしまう。熱と共に子が流れてしまうのではないか、と不安しか頭を(ヨギ)らない。


「…紳…、紳…」


幾度(イクド)も名を呼ぶと抱きしめる腕に力が込められていく。


大丈夫(ダイジョウブ)、ここにいるから。何処(ドコ)にも行かないよ」


どうせなら口付けて安心させてやりたいが、さすがに今はそういう状況(ジョウキョウ)でないことくらいわかる。ひたすらに()える悧羅を(ハゲ)ますことしか出来なくて無力(ムリョク)な自分が本当に(ナサ)けなく思えた。こんな思いをさせてまで護るべきものなのだろうか、と考えてはならないことまで考えてしまう。ちらりと咲耶(サクヤ)を見ると、もう少しだから、と視線を感じたのだろう。目は(ハラ)に落としたままで咲耶(サクヤ)が応えた。その咲耶(サクヤ)の横に妓姣(ギコウ)が腰を曲げながら立って何やら教えているようだ。あまりの苦しがりように紳まで泣きたくなってくる。


「…よしよし、それでよろしかろう」


紳の耳に妓姣(ギコウ)の声がして咲耶(サクヤ)が手を離すとようやく悧羅が大きく息をした。不安と痛みで流れ出している涙を哀玥(アイゲツ)()め取っている。身体中がしっとりと汗で()れたのを見やって入り口で泣きそうな顔をして(ヒカ)えていた加嬬(カジュ)に声を掛けると支度(シタク)のために部屋を()していく。寝間着(ネマギ)を整えて布団を掛けることを咲耶(サクヤ)(マカ)せて妓姣(ギコウ)が、よいしょと悧羅の(ソバ)(スワ)った。長様(オササマ)、と声をかけられてゆっくりと悧羅がそちらを向く。真っ白な顔の(ホオ)を撫でながら、うんうん、と妓姣(ギコウ)が大きく(ウナズ)いて見せた。


「…御子(オコ)は大事無い。(アン)じられよ」


その言葉にまた涙を(コボ)す悧羅に、ほほほ、と笑いながらよう(コラ)えられた、と妓姣(ギコウ)(ネギラ)う。


咲耶(サクヤ)殿には(ババ)(ホドコ)した手当(テアテ)を伝えてある。子袋(コブクロ)の出口を(シバ)(ジュツ)を行いました(ユエ)、痛みなさったろうに…。声もあげぬとは…。(サケ)ばれて(シカ)るべきですぞ?」


ぐったりとした悧羅にさすがは長様(オササマ)じゃの、と流れ落ちる涙を拭きながらくしゃくしゃと頭を撫でている妓姣(ギコウ)は本当に母のようだった。


咲耶(サクヤ)殿に(ホドコ)してもろうたは子袋(コブクロ)を護る(ジュツ)じゃ。あまりに()()()にばかり旦那様(ダンナサマ)の送られる精気(セイキ)を取られ過ぎておりますのでな。少しばかり長様(オササマ)にも廻らねば長様(オササマ)()たぬ(ユエ)


「でもそれじゃあ子はどうなるの?俺の精気(セイキ)を全部持っていかないと()たないんだろう?」


「なに。まだ御子(オコ)は小さい。ほんの指ほどの大きさしかないでの。出口を止めてこれ以上の血が流れ出ぬようにし、咲耶(サクヤ)殿が子袋(コブクロ)を護る(ジュツ)(ホドコ)しなされた。これで旦那様(ダンナサマ)が送られる精気(セイキ)が半分ずつ送られようて」


なるほど、と(ウナズ)く紳の前で咲耶(サクヤ)妓姣(ギコウ)の横に座った。


「なれど安心なさるな?少しでも長様(オササマ)のお身体が力を取り戻さねば産み落とす時に身体が()たぬ。御子(オコ)が大きゅうなられれば(ババ)(ジュツ)()たぬでな。せめて五月(イツツキ)を過ぎるまでに一人で座れる程度にまではお身体をお(イト)い下さらねば。産月(ウミヅキ)(ムカ)える前に御子(オコ)を産み落としてしまうやもしれませぬでの」


分かった、と大きく(ウナズ)く紳に満足そうに妓姣(ギコウ)が微笑む。


長様(オササマ)のお身体が力を持てば子袋(コブクロ)()える力も戻ってこよう。悪いことばかり考えてしまわれるかもしれぬが、それが一番身体に悪い。御子(オコ)御自身(ゴジシン)旦那様(ダンナサマ)を信じられよ」


小さく(ウナズ)いた悧羅に、よろしい、と微笑んで妓姣(ギコウ)が立ち上がった。


「しばらくは朝一番でお迎えに来ていただけるか?こう見えて(ババ)(アン)じておりますでな。…それから旦那様(ダンナサマ)(ババ)(オドロ)きましたぞ」


悧羅を抱き直している紳に向かって妓姣(ギコウ)が声を上げて笑っている。何が?、と(タズ)ねる紳に、ほほほとまたいつもの笑いを上げながら妓姣(ギコウ)が目を細めた。


長様(オササマ)が若々しくなられた、とは申したがそれは旦那様(ダンナサマ)も同じこと。何やら二十余年(ヨネン)前よりも若くあられる。御子(オコ)方と(ナラ)ばれたらば旦那様(ダンナサマ)の方がお若く見えようて」


揶揄(カラカ)うような言葉を残して部屋を出ようとする妓姣(ギコウ)を追って妲己(ダッキ)が出て行く。そうかなあ、と頭を()きながら悧羅を見ると力の入らない腕を伸ばしてくる。抱き上げて欲しいのだろう。半身(ハンシン)を起こして胸に包むとようやく大きく安堵(アンド)の息をついてくれた。


「まったく…。こうなる前に気づかないあんた達もあんた達よ。少しは自分のことも(カエリ)みなさい」


紳に包まれた悧羅の(ホオ)を軽く叩きながら咲耶(サクヤ)(アキ)れたように溜息(タメイキ)をついた。うん、と応えた悧羅がとろりと微睡(マドロ)みだして、少し寝なさいと伝えている。ことりと紳の胸に頭が預けられて小さな寝息が聞こえ始めると哀玥(アイゲツ)が心配そうに擦り寄って鳴き始めた。


哀玥(アイゲツ)、大丈夫だよ。悧羅は頑張れる子だから」


咲耶(サクヤ)に言われても哀玥(アイゲツ)は鳴くことをやめない。ここまで弱った悧羅を見ることが初めてであったし、哀玥(アイゲツ)にとって悧羅は唯一無二(ユイイツムニ)(アルジ)なのだ。


“代わってさしあげたい…”


ぽつりと(ツブヤ)くような声に紳がその頭を撫でる。


「そう思ってくれて(ソバ)に居てくれるだけで悧羅は嬉しがるよ。しばらくは忋抖(カイト)じゃなくて悧羅の(ソバ)に居てやってくれるか?」


“…御意(ギョイ)…”


うん、と微笑む紳が(ツクエ)の上の小袋(コブクロ)を取ってくれるように伝えると、とことこと歩いて(クワ)えて持ってきてくれた。受け取って中にある(ギョク)一粒(ヒトツブ)()(クダ)いて飲み込むと身体中に(カカ)え切れないほどの精気(セイキ)(メグ)り始める。抱きしめた腕から悧羅に()()を送り始めるとこれまではどれだけ送っても戻らなかった(ホオ)に少しばかりの(アカ)みが挿した。


「…上手(ウマ)くいったみたいだね。でもあんたも無理しちゃ駄目(ダメ)よ?悧羅はあんたからしか精気(セイキ)()らないんだから」


「俺は大丈夫だよ」


持っていた小袋(コブクロ)咲耶(サクヤ)(ワタ)すと中を(アラタ)めている。小袋(コブクロ)に半分ほどの銀色(ギンイロ)に光る(ギョク)を見て、なるほどね、と(ウナズ)きはしたが五月(イツツキ)を過ぎても精気(セイキ)は必要だ。これで(マカナ)えるのだろうか、とも心配になる。


「どうにかするさ。悧羅が落ち着いてくれたら人の子からでも()りに行くことも出来るしね。その間悧羅の(ソバ)を離れることが心配なんだけど連れて行くわけにもいかないからな」


「その時は子ども達でも私でも付いておくわよ。…でもまさか今また子を(サズ)かるなんてねぇ」


(ワズ)かに(オダ)やかになった悧羅の寝顔を見ながら咲耶(サクヤ)が苦笑する。


「俺たちも吃驚(ビックリ)したよ。妓姣(ギコウ)に言わせれば悧羅は玳絃(タイゲン)灶絃(ソウゲン)を産んだ時より若くなってるらしいから」


「ああ、それはそう思うわ。でもあんたもよ?最初に悧羅と恋仲(コイナカ)になった頃みたい。何か秘訣(ヒケツ)でもあるなら教えて欲しいもんだわ」


「何もしてないって。500年を取り戻すために悧羅を()でてただけ」


ふうん、と小袋(コブクロ)の口を閉めて枕元(マクラモト)に置きながら咲耶(サクヤ)がくすくすと笑い始める。確かに離れていた(ジカン)が長過ぎた二人にはどれだけ求めあっても()りることはないだろう。


(ナカ)が良いのは私も嬉しいけどね。ああ、そうだ。聞いた?」


思い出したような咲耶(サクヤ)に紳も笑う。もちろん、と応えると、咲耶(サクヤ)も嬉しそうに笑っている。


「まさか本当に()()()()とはね。あんた達が許してくれたからって私たちにも教えてくれたんだけど白詠(ビャクエイ)なんて真っ青になってたよ。まさか姫様(ヒメサマ)をって」


青ざめて(アセ)白詠(ビャクエイ)の姿が容易(タヤス)く思い(エガ)けて紳も声を抑えながら笑ってしまう。


舜啓(シュンケイ)(ネバ)り勝ちだろうな。(アキラ)めなければどうにかなるっては教えてたけど。…悧羅もその慶事(ケイジ)があるからどうにかして子を護りたいんだよ」


どちらにしても悧羅が落ち着くまでは(チギ)りの()は行わない、と舜啓(シュンケイ)が言ってくれた。多分子を産み落とすまでは行う気はないのだろうとは分かっているが、舜啓(シュンケイ)媟雅(セツガ)を想う気持ちとは別に悧羅を特別大事に思っているのを知っているので有難(アリガタ)く気持ちを受け取ることにしている。


「どっちにしてもまずは悧羅と子だね。…あんたが(ソバ)にいる(カギ)りは悧羅も大丈夫でしょうよ」


「当たり前だろ?俺がいてこれ以上(カナ)しい事に合わせてたまるか。俺は悧羅を(サイワイ)にするためだけにいるんだから」


「…変わってないよね、そういうとこ」


苦笑しながら立ち上がって、しばらくは診療所(シンリョウジョ)に泊まるから、と咲耶(サクヤ)が歩き出す。何かあればすぐに呼べということだ。送ろうとする哀玥(アイゲツ)を撫でながら、悧羅の(ソバ)にいていいよ、と笑いながら出て行ってしまった。


(トド)待ってくださればよろしいのに…”


項垂(ウナダ)れながら悧羅の横に(ハベ)哀玥(アイゲツ)に紳もそうだな、と笑いながら抱きとめている悧羅の(ホオ)に口付けた。

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