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縁【漆】《エニシ【シチ】》

遅くなりました。

少し長くなりましたがお楽しみいただけると嬉しいです。

いつも通りに磐里(バンリ)加嬬(カジュ)が戸の外から声を掛けて(シン)悧羅(リラ)も目を()ました。妓姣(ギコウ)を送って行った妲己(ダッキ)も悧羅を心配したのだろう。いつの間にか二人が眠っている(ソバ)(ハベ)っていた。まだ眠そうな悧羅の(ヒタイ)に口付けて痛みは?、と紳が(タズ)ねると、随分(ズイブン)と良い、と目を(コス)りながら(コタ)えがあった。それにほっとして寝ているように伝えてから部屋の戸を開けると二人が()している。部屋に入る前に子ども達が起きているかと聞く紳に、そろそろかと、と加嬬(カジュ)(コタ)えた。


「じゃあ起きたらここに来るように伝えてくれる?できれば朝餉(チョウショク)もここで。朝議(チョウギ)もここにしてくれるように荊軻(ケイカツ)(タノ)んでくれると有難(アリガタ)い」


「それはもちろんでございますが…。何かございましたか?」


心配(シンパイ)そうにする二人に子ども達が(ソロ)ったら伝える、と言うと、では早めにお起こしに(マイ)りましょうと言いながら部屋に入ってくる。


「悧羅起きれないから寝所(シンジョ)(トトノ)えてあげて」


先に御簾(ミス)を上げながら紳が言うと、まあ!、と二人が(アセ)り始める。御簾(ミス)の先でまだ(トコ)に横になっている悧羅の横に妲己(ダッキ)(ババ)っている事にも(オドロ)いたようで青ざめながら、(オサ)、と()け寄って行く。(ソバ)に座ると青白(アオジロ)い悧羅の顔が見えたようで、かたかたと小さく(フル)えだしてしまっている。


「ですから少しはお休みくださいと申し上げておりましたでしょう!」


(シカ)磐里(バンリ)に苦笑しながら、大事(ダイジ)ない、と悧羅が言っているが、何処(ドコ)がですか!、とまた(シカ)られていた。


「とにかくそのままお休みになっていて下さいませ」


泣き出しそうな声を上げながら悧羅の支度(シタク)(トトノ)えた後、寝所(シンジョ)を整えたいのだろう。紳に声が掛かる。その声も(シカ)られているようで、はいはい、と紳が悧羅を抱き上げて妲己(ダッキ)と共に部屋の中に座って待っておく。妲己(ダッキ)も余程心配しているようで悧羅に()り寄りながら決して離れようとはしない。


妲己(ダッキ)、しばらく悧羅の(ソバ)で寝てくれる?また(タノ)み事しなくちゃならないかもしれないし、お前が(ソバ)にいてくれたら俺も安心できる」


寝所(シンジョ)を整えている二人に聞こえないように声をひそめて言うと静かに(ウナズ)いてくれた。


“なれど良いのか?”


言いたい事が分かって紳は苦笑するしかない。さすがにこの状況(ジョウキョウ)の悧羅を()()くわけにはいかないことくらい紳も分かっているし自制(ジセイ)はきく。


妓姣(ギコウ)(ヨシ)と言うまではさすがに俺も考えないよ。それに妲己(ダッキ)がいてくれた方が俺の抑止(ヨクシ)にもなってくれるでしょ?」


“…()み殺してくれるわ…”


ふん、と鼻を鳴らした妲己(ダッキ)に頼むよと紳が言うと腕の中の悧羅がくすくすと笑っている。それに擦り寄って行く妲己(ダッキ)を撫でながら、ほんに甘いと笑い続ける悧羅に当たり前だ、と二人が声を(ソロ)えた。まさか二人ともそうであるとは思っていなかったし、紳に(イタ)っては自分の(セイ)で悧羅を(カナ)しませることになっていたのかもしれないのだ。明け方妓姣(ギコウ)が来てくれるまでの(フル)えが(ヨミガエ)ってきてぶるり、と背筋(セスジ)悪寒(オカン)が走った。今でさえ安心出来る状態(ジョウタイ)では決してないのだから甘くなるのは仕方(シカタ)ない。


(ツラ)くない?」


抱きしめた腕から精気(セイキ)を送り込み始めながら紳が(タズ)ねると、大事(ダイジ)ないとはいいながら胸に身体を(アズ)けてくる。気怠(ケダル)さはまだ大きいのだと思われて少しでも多くの精気(セイキ)を送り込む。子が流れ出ようとしているのを必死に(コラ)えてくれているのだ。(ハラ)の痛みと()()()に取られる精気(セイキ)が多いのかなかなか悧羅の顔色は(モド)らない。


「あまり無理(ムリ)をしてくれるな。大蛇(ウワバミ)(ギョク)も少なくなっておろう?(ワラワ)なら大事(ダイジ)ない」


安堵(アンド)溜息(タメイキ)をつきながら言われても紳も妲己(ダッキ)()とは言えようはずもない。大国(タイコク)犬神騒動(イヌガミソウドウ)で確かに(ギョク)を使いはしたがまだ十分に残っている。けれど今回ばかりは()()(マカナ)えるのかも(アヤ)しいところだ。とりあえずは、まだある、とだけ伝えておく。必要であれば人の子から()りに行くだけだが、その間悧羅の(ソバ)(ハナ)れることになるのだけはどうにか()けたいところだ。少し考えていると磐里(バンリ)加嬬(カジュ)寝所(シンジョ)支度(シタク)を終えてくれた。旦那様(ダンナサマ)と声をかけられて抱き抱えたままの悧羅を寝所(シンジョ)に横にすると妲己(ダッキ)が身体を包んだ。


“身体をお冷やしになられてはなりませぬ”


ふわりとした毛並みに包まれて小さく笑う悧羅の手をニギって紳も横に座った。


「では御子(オコ)方にお声かけしまして此方(コチラ)朝餉(チョウショク)支度(シタク)(イタ)しますね。(オサ)、何か()し上がりたいものはございますか?」


悧羅の布団(フトン)を整えながら磐里(バンリ)が聞くと、温かい茶が欲しいな、と悧羅が応える。


「すぐにお持ちいたしましょうね。お休みになられるようでしたらどうぞお休み下さいませ」


ぽんぽんと布団(フトン)(タタ)いて部屋を出て行く女官(ニョカン)二人を見送ってまた悧羅が笑い出している。二人ともまさか()()()()()()だとは思ってもいないだろう。玳絃(タイゲン)灶絃(ソウゲン)を産み落として二十四年が()っている。悧羅でさえまだ信じられない気持ちがしているのだ。今後赤子(アカゴ)を抱くとすれば子ども達が(サズ)かった時だろうと思っていたし、まさかまた自分の中に子が宿(ヤド)るなど思ってもいなかった。布団(フトン)の中で下腹(シタバラ)に手を当てて気づいてやれなかったことを少しばかり()いた。(ハラ)の子のためには妓姣(ギコウ)の言う通り(トコ)に着いていなければならないのだろうが今荊軻(ケイカツ)と共に調べていることも(ナイガシ)ろには出来ない。どうしたものか、と考えあぐねてしまうと思わず溜息(タメイキ)が出てしまった。


「どうしたの?(ツラ)い?」


(ニギ)ったままの手からずっと精気(セイキ)を送り込んでくれながら紳が心配そうに悧羅の(ホオ)()れる。それに、いいや、と笑ったけれど、お(ツト)めのことでございましょうや、と妲己(ダッキ)見透(ミス)かされてしまった。


「ああ、何だか色々やってたんでしょ?俺があんなだったから言えなかったんだよね」


()れた(ホオ)()でられると心地良(ココチヨ)くて目を細めてしまう。


「なんの、少しばかり気になったのでな。そう(イソ)ぐことでもないのだが手を付けたからにはしかと(ツト)めねばならぬ。荊軻(ケイカツ)だけに(マカ)せるとあれの(ツト)めが(オオ)なる(ユエ)(シカ)られてしまいそうじゃ」


「俺が動ければ良いんだけどねぇ。でも荊軻(ケイカツ)(ツト)めが多くなることより悧羅が寝込(ネコ)むことになった事を(シカ)りそうだよね」


確かに、と悧羅も苦笑する。あれだけ休め休めと言われていたのに大事(ダイジ)ないと伝えて動いていたのだ。きっと(シカ)られることになるだろう。


(シラ)せの文書(モンジョ)を確かめる程度であらば、紳が(ソバ)におる間はよろしいでしょう。場の確かめには(ワレ)哀玥(アイゲツ)()けば良いこと”


悧羅の顔に擦り寄りながら言う妲己(ダッキ)に、久しぶりに名を呼ばれた、と紳が笑った。ふん、と鼻を鳴らしながら妲己(ダッキ)は悧羅を(ツツ)み直す。


「子ども達に(マカ)せるわけにはいかないの?」


「それでも良いのだが子らも(ツト)めがあろうしのう…。(ワラワ)に当てられたこともまだ収まってはおらぬのではないかと思うてな」


「さすがにもう大丈夫(ダイジョウブ)でしょうよ。そういえばあれからあんまり子ども達に会ってなかった気もするなあ」


(マド)わしを使った悧羅はそのまま紳が寝所(シンジョ)に引き込んでいたし出てくるまで十日(トオカ)はあった。その後も少しばかり(ナマメ)かしさは残っていたからか悧羅も子ども達としっかりと顔を合わせていない。むしろ子ども達が()けていた、という方が正しいかもしれなかった。特に男子(ダンジ)達は近くに寄ることも戸惑(トマド)っていたように思う。


“もう落ち着かれておられますよ。若君(ワカギミ)方は(アルジ)を見てしまわれると思い出されるようですが”


くっくっと可笑(オカ)しそうに笑いながら妲己(ダッキ)が教えてくれる。紳と悧羅の知らない間の子ども達の様子を思い出して笑っている姿に、よほど愉快(ユカイ)だったのだろうと二人は苦笑した。


「どちらにしてもさ、悧羅は身体を大事にしてくれないと。考えたくもないけど(マン)(イチ)の事を思えば重鎮達(ジュウチンタチ)(スベ)てに話すのもどうかと思うんだよね…、荊軻(ケイカツ)だけにしといた方がいいかな…」


考え込む紳に、(マカ)せると悧羅が応えると磐里(バンリ)茶器(チャキ)を持って入ってきた。横になっている悧羅に満足したのか()れた手つきで茶を()れて(ワタ)してくれる。身体を起こして受け取ろうとしたが思うように動かず妲己(ダッキ)が手伝ってようやく身を起す事が出来た。起き上がると紳がそのまますっぽりと悧羅の身体を背中から(アズ)かってくれようとしたが、ヌシも着替(キガ)えよ、と妲己(ダッキ)(タシナ)められている。確かに悧羅は支度(シタク)を済ませてもらえたが紳は寝間着(ネマギ)のままだ。朝議(チョウギ)もここで行うのであれば、さすがに寝間着(ネマギ)姿では(シメ)しがつかない。


(ワレ)がお支えしておく。さっさと()し変えてこい”


少しばかり体躯(タイク)を大きくした妲己(ダッキ)が紳の代わりに悧羅をすっぽりと(ツツ)む。()器用(キヨウ)布団(フトン)(ハラ)まで掛けてくれていては紳の出る(マク)はなさそうだ。ゆったりと身体を(アズ)けて湯呑(ユノ)みを受け取る悧羅を見ながら、わかったよ、と紳も身支度(ミジタク)を整える為に用意されていた部屋着(ヘヤギ)を持って一度部屋を出た。手早く着替(キガ)えを済ませて顔を洗うなどの身支度(ミジタク)を終えて部屋に戻ろうとすると起きてきたのだろう。子ども達が次々に支度場(シタクバ)に入ってくる。まだ眠そうな子ども達から、おはよう、と声をかけられてそれに応えながら忋抖(カイト)と共に来た哀玥(アイゲツ)を見つけた。名を呼ぶととことこと寄ってきた頭を撫でる。


荊軻(ケイカツ)はもう(ツト)めの場にいるはずだ。悪いけど連れてきてくれる?」


御意(ギョイ)荊軻(ケイカツ)殿だけでよろしいのですね?”


他の顔があった時のために確かめる哀玥(アイゲツ)に、うん、と紳が(ウナズ)くとやや()け足で去って行った。枉駕(オウガイ)栄州(エイシュウ)朝議(チョウギ)(ジカン)に合わせて来るが荊軻(ケイカツ)(シラ)せなければならないことを確かめるために二人よりも随分(ズイブン)と早く(ツト)めの場に来ている事が多い。多分(タブン)今日もそうだろう。


荊軻(ケイカツ)さんだけって何かあったの?」


身支度(ミジタク)を進めながら(タズ)ねてきたのは皓滓(コウサイ)だった。いつの間にか支度場(シタクバ)には六人全ての子ども達が(ソロ)っていたがその中に舜啓(シュンケイ)の姿まであって紳は苦笑してしまう。どうやら悧羅の言っていた事は正しかったらしい。


「大切な話なら俺は席を(ハズ)そうか?」


顔を洗いながら言う舜啓(シュンケイ)に、お前ならいいだろ、と応えておく。悧羅にとって舜啓(シュンケイ)は我が子も同じだ。ここで席を(ハズ)させることは(コノ)まないだろう。


「さっさと支度(シタク)してこいよ」


先に支度場(シタクバ)を出ようとした所で、紳、と舜啓(シュンケイ)に呼び止められる。


「何だよ?」


「今度ちょっと(ジカン)とれない?」


今度?、と紳が首を(カシ)げる。今では駄目(ダメ)なのか、と(タズ)ね返すとちょっとね、と舜啓(シュンケイ)は笑っている。


「出来れば悧羅も一緒がいいんだ」


そう言われたは良いが悧羅はまだ無理(ムリ)をさせる訳にはいかない。(トコ)()かせたままならばどうにかなるだろうが、できれば休ませたかった。


「悧羅に聞いとくよ」


そう返すと、うんとまた支度場(シタクバ)に戻っていく舜啓(シュンケイ)の姿が見えなくなってから足早(アシバヤ)に自室に戻る。戸は開けられて(スデ)朝餉(チョウショク)支度(シタク)が進められていた。まだ妲己(ダッキ)に寄りかかったままの悧羅を受け取って胸の中に収めるとすぐに精気(セイキ)を送り始める。妲己(ダッキ)体躯(タイク)をいつも通りに戻して悧羅の膝の上に(コウベ)を乗せた。舜啓(シュンケイ)も居たことと(ジカン)を取って欲しいと言われたことを伝えると、悧羅はくすくすと笑っている。


「言うた通りであったであろ?媟雅(セツガ)も心(オダ)やかになったことであろうな」


「うん。聞いちゃ駄目な話なら席を(ハズ)すって言ってたけど(カマ)わないって伝えたよ。舜啓(シュンケイ)が来てるのに蚊帳(カヤ)の外に出すの悧羅は嫌でしょ?」


無論(ムロン)だ。あれは(ワラワ)の子であるからの」


だと思ったと笑う紳の胸にぽすりと身体(カラダ)(アズ)けられる。休むか?と(スス)めてみたが首を振られた。廊下(ロウカ)の先から哀玥(アイゲツ)の足音に混じって衣擦(キヌズ)れの音が聞こえる。反対の方からは子ども達の足音(アシオト)も聞こえてくるし、休むのは一通(ヒトトオ)(シカ)られてからになりそうだった。先に着いたのは哀玥(アイゲツ)達で悧羅の顔色を見るなり荊軻(ケイカツ)は大きく嘆息(タンソク)哀玥(アイゲツ)()け寄ってきた。肩を落としながら部屋に入ってきた荊軻(ケイカツ)は悧羅の前まで来たが座る事をしない。()わりに、だから申し上げたでしょう!、と(メズラ)しく声を張り上げた。


「あれほどお休み下さいませと申し上げましたのに!少しは(ワタクシ)の申し上げることに耳を貸していただきませんと、文官長(ブンカンチョウ)(ニン)をお返しいたしますよ!」


いつも静かな荊軻(ケイカツ)怒声(ドセイ)朝餉(チョウショク)支度(シタク)を進めていた磐里(バンリ)加嬬(カジュ)(オドロ)いたように手を止めた。部屋の外まで聞こえたのだろう。わらわらと部屋の入り口に集まった子ども達も悧羅の顔色を見た絶句(ゼック)せざるを得ない。青白(アオジロ)いということではもうない。


_______真っ白なのだ。


紳が背後から抱きしめて精気(セイキ)を送っているのは見れば分かるが、それでも顔色が戻らないのは明らかにおかしい事だ。母様(カアサマ)!、と走り寄って荊軻(ケイカツ)よりも悧羅に近づいてそれぞれが座る。より近くに(ハベ)りたくて座った子ども達と舜啓(シュンケイ)で悧羅の布団(フトン)が埋め尽くされてしまった。


其方(ソナタ)文官長(ブンカンチョウ)を返されては(ワラワ)が立ちゆかぬではないか」


「ではもう少し御自愛(ゴジアイ)下さいませ!(オサ)は昔から御身(オンミ)後回(アトマワ)しにされすぎるのです。休めと申し上げましたなら今後、(イナ)など(オオ)せになられますな?!()(オオ)せになると(チカ)って頂かねば、この荊軻(ケイカツ)許しませぬよ?」


「あい分かった。分かった(ユエ)、そう()れておくれでないよ」


両手を挙げて降参(コウサン)()を示すが荊軻(ケイカツ)(イカ)りは収まらないようで、これ(サイワイ)にと小言(コゴト)を始めてしまう。これは長くなりそうだ、と苦笑する悧羅を見咎(ミトガ)めて大体(ダイタイ)と座りもせずに荊軻(ケイカツ)の小言が続く。


「ようやく物事(モノゴト)一段落(ヒトダンラク)致しましたのに(オサ)がお(タオ)れになってしまわれては何にもならないではないですか。(オサ)御自身(ゴジシン)で思われておるほど(ツヨ)いお身体ではないのですよ?ただでさえ500年無理をなさっておいでになっているのです。(ハナ)が増えようとも(オサ)御自身(ゴジシン)を大切になさらなければ()()ててしまいましょう。この里にどれだけ(オサ)が必要であるのか、もう少し御自覚(ゴジカク)していただきませんと」


「分かったと言うておるに…。とにかく其方(ソナタ)(スワ)らぬか?」


「お分かりでないから申し上げておるのです!」


ますます声を張り上げる荊軻(ケイカツ)(コマ)ったように悧羅が紳を(アオ)ぎ見る。これではこちらの話を始めようとも始められない。小さく嘆息(タンソク)をついた悧羅を見て、また荊軻(ケイカツ)が、(オサ)!、と(タシナ)める。しばらく小言が続いてようやく荊軻(ケイカツ)が悧羅の前に座った。


(ワタクシ)多少(タショウ)の事は目を(ツブ)りますけれど、今回ばかりは…。御殿医(ゴテンイ)殿は(マイ)られたのですか?」


咲耶(サクヤ)はまだだな」


「またその様な悠長(ユウチョウ)な事を申されて…。では朝一番に来ていただく様に(シラ)せを出すことと致しましょう」


言いながら立ちあがろうとする荊軻(ケイカツ)を悧羅が(トド)める。(イソ)ぎませんと、とそれでも立ち上がろうとするのを今度は紳が止めた。紳様まで、と小言の矛先(ホコサキ)を変えられそうになって、話があるんだってと紳は苦笑した。


「お話ですか?」


まだ腰を上げたままの荊軻(ケイカツ)に紳が座るように(スス)める。そうでなければ走って出て行ってしまいそうな剣幕(ケンマク)なのだ。


「話がなきゃこんなに早くに来てもらわないでしょ?とりあえず落ち着いて聞いてもらえると有難(アリガタ)いんだけどな」


(マユ)(ヒソ)めてとりあえず座り直してくれた荊軻(ケイカツ)を見て紳は磐里(バンリ)加嬬(カジュ)を呼ぶ。出て行くべきだと思ったのか入り口の方に向かおうとする二人に、こっちだよ、と手招(テマネ)きすると首を(カシ)げながら荊軻(ケイカツ)の一歩後ろにそれぞれが座った。やっと話が進められそうだ、と紳は小さく息をついた。


「大事な事なんだけどとりあえずはここだけの話にして欲しい。悧羅の(ハラ)に子がいるんだ」


は?、と言う荊軻(ケイカツ)と子ども達、舜啓(シュンケイ)の声に、まあ!、と歓喜(カンキ)する磐里(バンリ)加嬬(カジュ)の声が交錯(コウサク)した。哀玥(アイゲツ)だけは悧羅の身体を見て(ヨロコ)ぶべきか(マヨ)ったようで小さく鳴きながら悧羅に擦り寄っている。


「それでしたら(ナオ)の事急いで御殿医(ゴテンイ)殿に来ていただかねば!」


また立ち上がろうとする荊軻(ケイカツ)(トド)めている間にも子ども達と舜啓(シュンケイ)は、本当なの?と悧羅に(タズ)ねている。


「どうやらそうらしい」


小さく笑う悧羅の(ハラ)にそれぞれが()れようとして、お待ちを、と妲己(ダッキ)に止められていた。妲己(ダッキ)が子ども達を止めるなど滅多(メッタ)にない事だ。どうしたの?、と聞く啝珈(ワカ)に、まずは父君(チチギミ)の話を、と(サト)している。


「…何かあまりよろしくない事がございますのですね?」


磐里(バンリ)(ヨロコ)びを抑えて静かに言うと悧羅は苦笑し紳は(ウナズ)いている。


妓姣(ギコウ)に明け方来てもらった…、悧羅が(ハラ)が痛むって(ウナ)されてたからね。診立(ミタテ)ではどうにも(アブ)ないらしくって、妓姣(ギコウ)(ヨシ)って言うまでは悧羅は(トコ)から出られない。…俺にも悧羅の(ソバ)から離れるなって言いつけられた」


(アブ)ないって…、子が流れるかもしれないってこと?」


問う舜啓(シュンケイ)の顔は()(サオ)だ。子が流れると言う事は母体(ボタイ)にもかなりの負担(フタン)がかかるとは咲耶(サクヤ)から聞かされていたことだ。幾人(イクニン)もの民達(タミタチ)()てきている咲耶(サクヤ)()()()()()()()も多く()ている。流れた後の心持(ココロモ)ちもあるだろうが、大量の血が流れることで身体の回復(カイフク)(オク)れ中には生命(イノチ)を落とした者も少なくないと聞いていた。今の悧羅の身体がどれだけ疲弊(ヒヘイ)しているかなどは一目瞭然(イチモクリョウゼン)であるし、危機(キキ)(ダッ)しても産み落とせるだけの体力が戻るのかも(ウタ)がわしい。


「うん。もう少し妓姣(ギコウ)が来るのが(オソ)かったら駄目だったらしい。どうにか(コラ)えてくれてるけど、まだ安心できる状況(ジョウキョウ)じゃない。手放(テバナ)しで(ヨロコ)べないんだよ」


「…ですから無理をなさるなと…あれほど申し上げておりましたのに…」


がっくりと肩の力を落とした荊軻(ケイカツ)に、これは俺の(セイ)だ、と紳が言う。


「俺が気づいてやれなかったのが悪い。もう少し早く気持ちを落ち着けてたら気づけてた事だ。悧羅は何にも悪くない。だけど、今悧羅に無理をさせるわけにはいかないし俺も悧羅の(ソバ)を離れるわけにはいかない。何より(コラ)えてくれれば一番だけど…もしかしたら…ってことは考えて置かないといけないみたいなんだよね。だからここだけの話にして欲しい。妓姣(ギコウ)から(ヨシ)が出れば慶事(ケイジ)として()ろせるけど今は時期じゃない。そういう訳なんで、荊軻(ケイカツ)上手(ウマ)い事、(マワ)りの目を誤魔化(ゴマカ)して俺が近衛隊(コノエタイ)をしばらく離れられるようにして欲しい」


「…また難題(ナンダイ)を…。枉駕(オウガイ)栄州(エイシュウ)殿にも伝えずに…、でございましょう?さて、どう(イタ)しましょうか…」


考え始める荊軻(ケイカツ)に、(タノ)むと言うと(ウケタマワ)りましょう、と(ウナズ)いてくれた。後は子ども達だと紳はそれぞれを見やる。


無事(ブジ)に子が産まれるためにはお前たちの力も必要なんだ。まだ(ハラ)が痛むみたいだから(サワ)らせてはやれないけど俺が悧羅の(ソバ)をほんの少し離れなきゃいけない事もあるだろう?その時には妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)と一緒に見張ってて欲しいんだ。…目を離すとすぐに何かしようとするからね」


「それはもちろん。だけど本当に赤子がいるの?玳絃(タイゲン)灶絃(ソウゲン)から二十年以上()ってるのに…」


媟雅(セツガ)が信じられないとでも言うように悧羅の腹に手を伸ばそうとしてまた手を退()いている。まあその気持ちは分からないでもない。悧羅でさえ妓姣(ギコウ)に今なのか?と聞いていたくらいだ。


妓姣(ギコウ)に言わせれば悧羅は玳絃(タイゲン)灶絃(ソウゲン)を産んだ時より若々(ワカワカ)しくなってるらしいぞ?俺はどうか知らないけどな。…俺たちも(オドロ)いたけど実際(ジッサイ)()()だしね。どれだけ精気(セイキ)を送り込んでも悧羅が(ラク)になってくれてないから全部()()()()()()()()んだろうな」


溜息(タメイキ)をつく紳の気持ちは子ども達にも分かる。ただでさえ悧羅は紳からしか精気(セイキ)(ユズ)ってもらわない。食餌(ショクジ)や人の子からなど(モッ)ての(ホカ)だ。それは500年前から決めていたことであり、子ども達が産まれたから紳からだけは受け入れるようにしてくれているのは知っている。


_________けれどこのままでは________。


真っ白になってしまっている悧羅の顔を見ながら、母様(カアサマ)、と(ツブヤ)皓滓(コウサイ)に悧羅は微笑(ホホエ)んでいる。


大事(ダイジ)ない。そう(アン)じずとも妓姣(ギコウ)磐里(バンリ)加嬬(カジュ)もおってくれるでな。…随分(ズイブン)(トシ)の離れた子が増えそうじゃが…よろしいか?」


くすくすと悪戯(イタズラ)に笑っているが気怠(ケダル)いのだろう。身体は紳に預けたままの悧羅に、もちろん、と子ども達は声を(ソロ)えた。


「何よりまずは悧羅と(ハラ)の子が第一だ。磐里(バンリ)加嬬(カジュ)。また面倒(メンドウ)かけるけど(タノ)まれてくれるか?」


紳の言葉に、面倒(メンドウ)だなどと!、と二人が声を張り上げる。


私共(ワタクシドモ)がそのような事を思いますでしょうか?!そうと分かれば(オサ)(コノ)まれるものを沢山(タクサン)ご用意しなければ。私共(ワタクシドモ)の目の黒い内は(カナ)しいことなど起こさせてなるものですか」


「そうでございますよ。ではお(ツト)めもしばらくはお休み(イタダ)くということでよろしいですね?」


(コブシ)(ニギ)って見せる二人に、それは進めると悧羅が笑っている。なりませぬ、と(シカ)る二人に悧羅が首を振った。


「あまり長く置いておきたいことでもないでな。なれど(トコ)から出るわけにはならぬようなのでの…、媟雅(セツガ)啝珈(ワカ)皓滓(コウサイ)灶絃(ソウゲン)玳絃(タイゲン)に手を貸してもらおうとは思うておるよ。上がってきた(シラ)せを確かめる程度であれば紳が(ソバ)におるならばよろしかろうと妲己(ダッキ)も言うてくれておるでな」


「ですが(オサ)…。()()はそのように急がずともよろしいのでは?」


止めようとする荊軻(ケイカツ)に静かに悧羅は首を張る。


「ならぬ。調()()()()()()()()じゃ。こればかりは(ワラワ)退()けぬこと。(ユエ)に子ども達に(アズ)ける。忋抖(カイト)近衛隊(コノエタイ)部隊(ブタイ)(マカ)されておるでな」


「俺だって非番(ヒバン)の時くらい手伝えるよ。…何したらいいのさ?」


一人名を呼ばれなかった忋抖(カイト)(ワズ)かに(ホオ)(フク)らませている。おやまあ、と笑う悧羅に代わって荊軻(ケイカツ)(ツト)めの内容を()いて聞かせた。そんな大事(オオゴト)やってたの?、と子ども達から非難(ヒナン)の声が上がったが事も(コト)(コト)だけに気安く話せなかったのだ。


妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)にも手を貸してもらっていたのですが、(オサ)のお(ソバ)にいてもらったほうが今は良いでしょう。姫君(ヒメギミ)若君(ワカギミ)方には少しばかり重くなるやも知れませぬが…」


(アン)じる荊軻(ケイカツ)に、母様(カアサマ)と子のほうが大事だ、と子ども達は胸を張った。


「なら俺も手伝うよ。手は多い方がいいんでしょう?」


(ダマ)って聞いていた舜啓(シュンケイ)が手を挙げて言うと、それは助かりますね、と荊軻(ケイカツ)(ウナズ)く。舜啓(シュンケイ)であれば紳や悧羅の(シン)に厚いし実力もある。何某(ナニガシ)かあった時にも十分に対処(タイショ)してくれるだろうし何より口が(カタ)い。


「であればまずはどう他の皆様を誤魔化(ゴマカ)すかを考えませんと…。朝議(チョウギ)までには良い(アン)(コウ)じますので(オサ)も紳様も(ワタクシ)の申し上げることに()と申してくださいませ」


では、と足早(アシバヤ)に部屋を出て行く荊軻(ケイカツ)の足音が遠くなると、さあさあ、と磐里(バンリ)が手を(タタ)いた。


「とにもかくにも朝餉(チョウショク)に致しましょう。()めてしまいますよ」


(オサ)には果実(カジツ)をお持ちしましょうね」


女官(ニョカン)二人が動き出して子ども達もそれぞれの(ゼン)の前に動こうとする。その中の舜啓(シュンケイ)を悧羅が声を掛けて止めた。


「何やら話があるのであろ?」


(ヤワ)らかく微笑(ホホエ)んでくれてはいるが体調(タイチョウ)が思わしくない時に言うことでもない、と舜啓(シュンケイ)()す。それにころころと鈴を転がすように笑って、それではいつになるか分からぬよ、と悧羅は紳を見上げた。言い出したら聞かないのは分かっているので紳も、いいよ、と応える。ぽんぽんと隣に座るように(ウナガ)されて舜啓(シュンケイ)は頭を()いた。


「…いや、本当に今じゃなくてもいいんだって。ちゃんとしなきゃならないことなんで…」


それにも悧羅は、うん、と笑っている。何が言いたいのかは分かっているからあまり待たせたくはない、という優しさなのだ。確かに全員(ソロ)っているし丁度(チョウド)良いのは良いのだが…。もう一度、でも、と(ウッタ)えてみるが悧羅は微笑(ホホエ)むばかりだ。もう、と小さく吐息(トイキ)をついて舜啓(シュンケイ)媟雅(セツガ)を呼んだ。(スデ)()に着いていた媟雅(セツガ)(イソ)いで立ち上がって舜啓(シュンケイ)の横に並ぶ。あれ?、と小さく声を上げた紳を見上げて悧羅が笑っている。


「待たせるわけにはならぬだろう?」


(ササヤ)くように言われて紳もようやく(サト)った。確かに待たせるわけにはいかないようだ。紳と悧羅のいる場所から一段下がった場所に二人が座して舜啓(シュンケイ)が深く礼を取る。その姿に食餌(ショクジ)()ろうとしていた子ども達も(オドロ)いて向き直っている。舜啓(シュンケイ)が紳や悧羅に宮の中で礼を取ることなど初めての事なのだ。


(オサ)御身体(オカラダ)(カンバ)しくない時に申し訳なく思います。(ワタクシ)のお願いは一つにございます」


礼を取ったままの舜啓(シュンケイ)が述べて悧羅は微笑(ホホエ)みながら、(モウ)せ、と伝えた。大きく一度息をついてから礼を取ったままで舜啓(シュンケイ)が言葉を(ツム)ぐ。


(ワタクシ)媟雅姫(セツガヒメ)(チギ)りを()わすお(ユル)しを(タマワ)りとうございます」


舜啓(シュンケイ)の言葉が終わると媟雅(セツガ)(トナリ)()して礼を取る。弟妹(テイマイ)達が、は?、と声を上げているのが分かったけれど今は紳と悧羅が許してくれるのだろうか、という思いが強くて手足が冷たくなっていくのがわかった。礼を取っている二人の背中を見ながら悧羅が紳を見る。うわあ、と微笑(ホホエ)んでいる紳は悧羅を抱きしめる腕に力を込めた。それにくすくすと笑いながら悧羅が紳の手を叩くと大きく(ウナズ)いた。


舜啓(シュンケイ)…、媟雅(セツガ)(タノ)まれてくりゃるのかえ?」


(ヤワ)らかな声音(コワネ)だが舜啓(シュンケイ)は顔をあげない。


「必ずや(サイワイ)にしてご覧にいれましょう。…まだ隊長(タイチョウ)には遠く(オヨ)びませぬが、どのような事が起きましょうとも御護(オマモ)りすると制約(セイヤク)致します」


言葉を(ツム)舜啓(シュンケイ)と隣で()している媟雅(セツガ)の背中が小さく(フル)えているのを見やって、いつぞやの紳の姿を悧羅は思い出す。もう一度紳を見て笑い合うと二人で声を(ソロ)えた。


「許す」


二人の言葉に(ハジ)かれたように舜啓(シュンケイ)媟雅(セツガ)が顔を上げた。見えたのは本当に(ウレ)しそうな紳と悧羅の笑顔だ。ほうっと安堵(アンド)する舜啓(シュンケイ)を悧羅が呼びながら自分の(トナリ)をぽんぽんと(タタ)く。今度は躊躇(タメラ)うことなくそこに座った舜啓(シュンケイ)(ホオ)に悧羅が触れた。


(ワラワ)との約束を()たしてくれたのだな。其方(ソナタ)は妾の(ホマレ)の子。紳に(オト)らぬ良い男じゃ。媟雅(セツガ)のことよろしゅうに」


ふわりと悧羅に(ツツ)まれて、うん、と舜啓(シュンケイ)はその身体を抱き返す。(オサナ)い頃には気づかなかったけれど包んだ身体は本当に細く少し力を入れれば容易(タヤス)手折(タオ)ってしまいそうだった。


「絶対(シアワセ)にしてみせるから。悧羅は元気な子を産んでよね」


「おや、新たな約束が出来てしもうた」


舜啓(シュンケイ)の腕の中にすっぽりと収まってしまう悧羅から笑いが漏れている。


必ずや良い子を産んで見せよう、と言う悧羅の身体をもう一度抱きしめていると自然と涙が(アフ)れてくる。悧羅の肩に顔を(ウズ)めてそれを(カク)しながら、約束したからね、と舜啓(シュンケイ)(イノ)るように伝えた。

さて、どうなりますやら。

とりあえず舜啓と媟雅は契りを結べそうです。


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