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縁【伍】《エニシ【ゴ】》

遅くなりました。

日常回ですが更新いたします。

宮の縁側(エンガワ)腰掛(コシカ)けて中庭を(ナガ)める(シン)悧羅(リラ)が声をかけた。いつもの(オダ)やかな笑顔で振り向いてくれた紳が歩いてくる悧羅に向かって両の(カイナ)を広げてくれる。それに小さく微笑(ホホエ)んで(ウデ)の中に(オサ)まるとふわりと抱き上げられて膝に乗せられた。(ツト)めを終えて(モド)ってきたのは(トリ)(コク)(マワ)っていたがそのまま湯殿(ユドノ)に入った紳が縁側(エンガワ)(スワ)るまで自室で荊軻(ケイカツ)からの(シラ)せに目を通していたのだが思いの(ホカ)没入(ボツニュウ)していたようだ。紳の横には(ゼン)に乗せられた酒瓶(サカビン)があるが手をつけられてはいない。悧羅が(ツト)めを行っていたので声も掛けずにそのまま座っていたのだろう。


紳の視線を辿(タド)ると中庭の池に浮いた(ハス)の華を(トラ)えている。(ホノ)かに輝く()()を紳が持ち帰ったのは十日(トオカ)前のことだ。栄州(エイシュウ)(トモ)千賀(センガ)縁者(エンジャ)達にこれまでの事を話しに行ったはずなのだが(モド)って来た紳の手には()()が乗せられていた。言いつけ通り宮で待っていた悧羅は紳がその華を持っていることよりも、如何(イカン)ともしがたい顔をしている事が気になった。何があった?、と(タズ)ねた悧羅に紳も栄州(エイシュウ)も、血が()えたと(コタ)えた。紳の手に華がある事と二人の言葉で縁者(エンジャ)達の生命(イノチ)()わったのだろうとは分かったけれど、それでもそれ以上は話したがらない。池に華を浮かべる紳に千賀(センガ)(ヤシキ)に連れて行ってくれと(タノ)んだが、もう(ダレ)も居ないし何も無いと小さく笑うばかりだった。その微笑(ホホエ)みが痛々(イタイタ)しくて(フタタ)び何があったのか、と()う悧羅に教えてくれたのは栄州(エイシュウ)だった。


「全てを話し終えた後、紳様に伏して()びておったのですがそのまま…。砂となって土に消え残った物は(コロモ)()()()のみでございました」


目を見開く悧羅もそれが王母(オウボ)所業(ショギョウ)であることは容易(タヤス)く分かったけれど、それがこうも唐突(トウトツ)に起こるとは思っていなかった。先々(サキザキ)血が()えることはあるだろうと重鎮達(ジュウチンタチ)とも話してはいたが、ゆっくりと火が消えるように()えていくのだろうと考えていたのだ。何より王母(オウボ)(ミズカ)ら里の民達(タミタチ)に手を(クダ)すなど思ってもいなかった。干渉(カンショウ)(ユル)すことを(ヨシ)としない王母(オウボ)千賀(センガ)達、酊紂(テイチュウ)の血に(カカ)わる者達へ(マジナイ)をかけている、と思っていたのも王母(オウボ)に確かめたわけではない。ただ悧羅がそう考え思っただけだ。だが紳が持ち帰った華は()()(タダ)しかった事を(シメ)すと共に王母(オウボ)(イカ)りが悧羅が思っていたよりも大きかったことを知らしめるには十分(ジュウブン)()ぎた。(ヤシキ)は?、と(タズ)ねると紳が首を振った。焼き払ったということなのだろう。そうか、と小さく(ウナズ)いて悧羅は紳の(ホオ)()れた。()れた(ホオ)()でながら微笑(ホホエ)むと紳がその手を(ツツ)んだ。うん、と(ウナズ)いた紳を見て栄州(エイシュウ)が小さく礼を取って去って行くと悧羅の細い肩に紳の頭が乗った。白く長い腕で身体(カラダ)(ツツ)まれると目頭(メガシラ)が熱くなる。


「…悧羅…、お願いがあるんだけど…」


身体(カラダ)を悧羅の肩に(アズ)けたままで(ツブヤ)く紳に、分かっておる、と悧羅の(ヤワラ)かな声が届いた。


(ナグサ)める約束であったからの」


ぽんぽんと背中を(タタ)いて()(シメ)した悧羅に、優しく出来ないかもと(コトワ)りを入れる紳の耳元(ミミモト)で悧羅が小さく笑った。


「…そのような事を気にするでないよ…。紳の好きにして(カマ)わぬ。なれど紳の(ツラ)さは半分()けておくれ。甘えさせてやりましょうと言うたは(ワラワ)であったではないか」


うん、と言う言葉を最後に紳は悧羅を抱き上げて胸に押し付けながら自分の顔を見られないように寝所(シンジョ)(ハコ)ぶ。今顔を見られては()きを切るように思いが(アフ)れてしまうだろうと思ったのだが、寝所(シンジョ)に横にした悧羅はすぐに紳の(ホオ)を両手で(ツツ)んだ。顔を見られたくなかった紳が視線(シセン)(ハズ)そうとするのも名を呼んで引き留める。


「…さあ、其方(ソナタ)(カナ)しさを分けてたも…」


引き寄せて深く口付けられると紳が小さく、ありがとうと(ツブヤ)いてその後は悧羅を(イダ)き続けることでどうにか自分を(タモ)つことが出来ていた。


あれから十日(トオカ)()とうというのに紳の活気(カッキ)は戻らないままだ。(タズ)ねれば大丈夫(ダイジョウブ)だと応えてくれるのだがそれが心からの言葉でない事を悧羅は知っている。これまで悧羅が(ツト)めをしていようと宮に戻ればすぐに(ソバ)(ハベ)ってくれていたのに近頃(チカゴロ)では宮に戻り食餌(ショクジ)や湯を使うと自室前の縁側(エンガワ)に腰掛けて華を(ナガ)めているばかりなのだ。無理(ムリ)もない、とは思う。目を掛けていた千賀(センガ)間諜(カンチョウ)だったばかりかその縁者(エンジャ)(スベ)ての血が()えるのを()の当たりにしたのだ。本来であれば泣き(サケ)びたいほどだろう。紳がそれをしないのは悧羅を(マモ)ろうとする王母(オウボ)の意志を強く感じ、それは紳も同じだからなのだと思う。以前(イゼン)王母(オウボ)が紳と共に場へ呼びつけたのも如何(イカ)に悧羅が特別なものなのかをもう一度()え付けたかったのかもしれない。だが何処(ドコ)心内(ココロウチ)(カナ)しみをぶつければ良いのか分からずにいるような紳の姿を見るのは悧羅には(ツラ)い。紳、と名を呼ぶと視線(シセン)が池の華から悧羅に落とされた。


「…(ワラワ)(ウラ)んでくれても良いのだえ?」


(ツブヤ)くように言ったのだが紳は目を見開いてすぐに(オダ)やかな()みを()かべると悧羅を抱きしめる腕に力を()めた。


「何で悧羅を(ウラ)まなきゃならないのさ?」


王母(オウボ)(イカ)りは(ワラワ)あってのこと。ならば(ワラワ)(セキ)でもある。何処(ドコ)へやれば分からぬ(カナ)しみならば(ワラワ)背負(セオ)う」


紳の(ホオ)()れながら言葉を(ツム)ぐと、馬鹿(バカ)だなあ、と紳が微笑(ホホエ)んだ。そのまま軽く(ヒタイ)に口付けられて目を細める悧羅に紳が微笑(ホホエ)みを深くする。


「もう半分背負(セオ)ってくれてるじゃないか。悧羅を(ウラ)むなんてこと考えてもいないよ」


なれど、と見つめる悧羅に紳が静かに首を振る。(カナ)しくてやるせないのは事実だしそれを(カク)そうとも思わない。近衛隊隊長(コノエタイタイチョウ)として(ツト)めに出ている時は毅然(キゼン)としていなければならないが、宮に(モド)れば何も言わずに(ソバ)に居てくれる悧羅に気持ちを(カク)すことはしない。それをすれば悧羅も余計(ヨケイ)に自分を()めるだろうし、(カク)していても(チギ)りの傷痕(キズアト)から通じてしまっているだろう。


其方(ソナタ)の助けになれぬのは(ワラワ)(イタ)い」


「十分すぎるほど助けになってるんだよ?悧羅が居なかったら多分自分を(タモ)ててないから」


本当だよ?、と見上げる悧羅に口付けて(サラ)に抱きしめる腕に力を込める。そのまま(チギ)りの傷痕(キズアト)(カサ)ねると大きな(カナ)しみと悧羅への感謝(カンシャ)愛情(アイジョウ)が悧羅の身体(カラダ)に流れ込んできた。ね?、と(クチビル)(ハナ)して()れ合う距離(キョリ)(ササヤ)くように紳が言う。


寝所(シンジョ)では無理ばっかりさせちゃってるしね。…あんまり優しくしてやれてないから」


苦笑(クショウ)する(シン)に、そのような事はないと悧羅が伝えるけれど、それにも紳は首を振る。千賀(センガ)の血が()えた後から悧羅に無理を()いているのは分かっている。(イダ)いている間は悧羅の事だけ考えていられるのだから(オボ)れている方が(ラク)だった。いつもなら悧羅が意識(イシキ)手放(テバナ)してしまったら紳も限界(ゲンカイ)であったから共に(ネム)っていたけれど、離してしまうと一人(カナ)しい思いに飲み込まれてしまいそうで無理(ムリ)やりに悧羅を起こして(ジョウ)()わし続けている。それがどれほど悧羅にとって苦痛(クツウ)であるのかなど分かっているのに止められないのだ。悧羅も千賀(センガ)一件(イッケン)荊軻(ケイカツ)と里の(マモ)りや民達(タミタチ)の暮らしを(サラ)(オダ)やかなものにするために昼間は(ツト)めが多くなっているというのに、夜になれば紳が離さないのだから身体は疲れ切っているはずなのだ。いつもなら物忌(モノイ)みの間だけでも(ハナ)してやれるのに今回ばかりはそうもいかず、湯殿(ユドノ)で組み()き続けた。本来ならば(ユル)されない事だろうが(カタ)く冷たい湯殿(ユドノ)(ユカ)であろうとも悧羅は(イナ)とは言わなかった。


(ワラワ)(ジョウ)()わしておる間だけでも其方(ソナタ)(イヤ)されるのであらば、それ以上の(サイワイ)があろうか。如何(イカ)ようにしてくれても良い」


ごめんね、と(アヤマ)る紳に悧羅が微笑(ホホエ)んだ。


「優しくしようなどと思わずとも良いのだえ?紳はどのような時であれ(ワラワ)()れてくれる手は(イツク)しんでくれておるのが伝わるでな」


「そう?結構(ケッコウ)(ヒド)いことしてると思うよ?」


「なんの。どうということもない。(ワラワ)(ミダ)るのことで紳が(イヤ)されるのであらば、どれほど(コワ)してくれようとも(カマ)いはせぬ。紳であらばどのようなことでも(ワラワ)()たされる(ユエ)


白く細い腕が紳の首に廻されて引き寄せられるとそのまま深く口付けられて紳も少しずつ(タギ)るのを(オサ)え切れない。少しばかり(ユル)めていた腕に力を込め直して片手で悧羅の頭を押し付ける。(クチビル)が離れてしまわないように()さえ込んで(モテアソ)ぶように口付けを()わすと解放(カイホウ)した時には悧羅の息は(ミダ)れ目も(ウル)んでいた。


「今日も駄目(ダメ)みたいだよ?」


抱き上げたまま立ち上がって部屋に入り戸を足で閉めると足速(アシバヤ)に紳が寝所(シンジョ)(スベ)り込んだ。


「紳の望むままに」


寝間着(ネマギ)()ぎ取られながら微笑(ホホエ)む悧羅の片足を(カカ)え上げて何の前触(マエブ)れもなく一気(イッキ)に紳は中に入り込んだ。受け入れる支度(シタク)も出来ていなかった悧羅(リラ)の顔が一瞬(イッシュン)苦痛(クツウ)(ユガ)む。


「ごめん、やっぱり優しくないや」


痛みに()えている姿でさえ紳を(タギ)らせるには十分(ジュウブン)だ。少し動くとやはり痛むのだろう、(マユ)を寄せる悧羅に口付けながら自嘲(ジチョウ)する紳に腕の中から悧羅が首を振ってみせた。


其方(ソナタ)は優しすぎる。どのようにしても(カマ)わぬと言うたは(ワラワ)なのだえ?(アヤマ)ることなど何もない」


ようやく馴染(ナジ)んできた紳を感じて悧羅はその背に腕を(マワ)した。ふう、と大きく息をついた悧羅にもう一度口付けて紳が動き出すとまだ痛むだろうに甘い声を聞かせ始めてくれる。痛いでしょ?、と突き上げながら(タズ)ねると紳の背中に(ツメ)を立てながら首を振る悧羅に紳は苦笑するしかない。中に入っている紳に分からないはずがないのにとは思うが一度入ってしまうともう止まれないのだ。突き上げ続けると少しずつ悧羅の中も(ウルオ)って痛みも無くなったようだった。甘い声と(アエ)ぎの中で紳に(コタ)える悧羅を強く抱きしめて、ありがとう、と耳元(ミミモト)(ササヤ)く。もうしばらくすればきっと自分の気持ち落ち着ける事が出来る。悧羅がこうして()やしてくれている(カギ)りそれがそう遠い日のことではないだろうと思いながら、その夜も紳は悧羅を()()き続けた。



明け方近くまで()()き続けてようやく二人が微睡(マドロ)むと深い眠りに落ちる前に部屋の外から磐里(バンリ)加嬬(カジュ)の声がした。この所これがいつもの事だった。(ホトン)ど眠らない内に起こされてその日の(ツト)めが始まってしまう。いつもなら微睡(マドロ)む目を(コス)りながら紳の上で目を覚ます悧羅も心配をかけまいとしているのだろう。すぐに目を()まして紳よりも先に寝間着(ネマギ)羽織(ハオ)り戸を開けてくれる。少しでも休めるならば休んで欲しいという悧羅の思いだろうが、それにも甘えてしまっている自分が紳は(ナサ)けなくもあった。御簾(ミス)の外から、おはようございます、と磐里(バンリ)加嬬(カジュ)の明るい声がして悧羅も笑いながら相手をしてくれている。本来(ホンライ)ならそれは紳がすべき事であるのに。


湯殿(ユドノ)のお支度(シタク)(トトノ)っておりますよ」


いつものように二人がそう言い残して戸を閉めると悧羅が御簾(ミス)の中に水差(ミズサ)しを持って入る。うつらうつらとしている紳を見て枕元(マクラモト)に座ってからそっと(ホオ)()れて、もう少し休んでたも、と小さく(ツブヤ)きながら立ち上がる気配(ケハイ)を感じて、悧羅、と紳が呼ぶ。微睡(マドロ)む中から呼ばれて悧羅が(フタタ)枕元(マクラモト)に座した。


「何じゃ?まだ眠っておってよいのだえ?朝餉(チョウショク)此方(コチラ)(ハコ)ばせるように()うた」


うん、と(コタ)えながら手を伸ばして悧羅の手を(ニギ)る紳に、何処(ドコ)にも行かぬよ、と(ヤワラ)かな声が聞こえた。(ニギ)った手を(ツツ)まれてその温かさに微睡(マドロ)みが深くなるのを感じる。


「ここにおる(ユエ)、少しばかり(ヤス)みや」


(ツツ)まれた手をさすられて、うん、と応えた紳の意識はそこで深く眠りに落ちていった。



自室の外が少し(サワ)がしくなって紳は重い(マブタ)を上げた。枕元(マクラモト)に座っていてくれたはずの悧羅の姿も無く御簾(ミス)の外から声がする。悧羅ともう一人は荊軻(ケイカツ)のようだ。


「…(ユエ)、今日のところは休ませてやってたも。何であれば(ワラワ)が出る」


(オサ)がお出になられずとも(ワタクシ)枉駕(オウガイ)()りるというものでございますよ。それよりも(オサ)も少しお休みになられた方がよろしいのでは?」


何か渡しているのか(ユカ)に置かれる音がする。荊軻(ケイカツ)進言(シンゲン)に、大事(ダイジ)ない、と小さく笑う悧羅の声がした。続けて、ですが、と荊軻(ケイカツ)嘆息(タンソク)が聞こえる。


(ワタクシ)が申し上げる事でもございませんでしょうがお顔色が(スグ)れておりませんよ?…あまりお休みにもなられておられないのでは?」


「なんの、(タイ)した事はない。(ワラワ)よりも紳の心内(ココロウチ)の方が大事(ダイジ)なことじゃて。…そう容易(タヤス)()えるものでもあるまいが…」


小さく嘆息(タンソク)する悧羅の吐息(トイキ)が聞こえて紳は思わず御簾(ミス)を上げようとして手を止めた。どうも自分の事を話しているようだがやはり悧羅が無理をしているのは荊軻(ケイカツ)の目から見ても明らかなのだろう。


「それはそうでございましょうが…。(オサ)、少しお()せになられましたよ?何でございましたらしばらく紳様とお(コモ)りになられても…。(ワタクシ)近衛隊(コノエタイ)をお(アズ)かり(イタ)しても(ヨロ)しいのですから」


荊軻(ケイカツ)の言葉に悧羅が小さく鈴を転がすように笑っている。(メズラ)しいこともあるものよ、と笑い続ける悧羅を、(オサ)、と荊軻(ケイカツ)(タシナ)めた。


荊軻(ケイカツ)から(コモ)れと言われるとは思わなんだ。(ハヨ)う出て来やとは言われておったがのう」


「それは(オサ)限度(ゲンド)というものをお知りにならなかったからでございましょう?またその様な事がございますれば都度(ツド)申し上げますよ。…(ワタクシ)有事(ユウジ)の時には()かしたりなど(イタ)しませんでしょう?」


肩を落としながら、(マッタ)くと又嘆息(タンソク)する荊軻(ケイカツ)に悧羅は笑いが止まらない。確かに悧羅が紳を必要とする時に幾日(イクニチ)(コモ)っても(シカ)られたことはない。(マド)わしを使った後などは出てくるなとは言われないが残滓(ザンシ)として感じ取るのだろう。何も言わずとも荊軻(ケイカツ)近衛隊(コノエタイ)(アズ)かり気を長くして紳が悧羅を(シズ)めるのを待ってくれる。その荊軻(ケイカツ)が紳を思って悧羅に(コモ)れと言うなどとは思わなかった。くすくすと笑い続ける悧羅に、やれやれ、と荊軻(ケイカツ)溜息(タメイキ)をついた。


「紳様は(オサ)に安らぎを下さったかけがえのないお方です。苦しまれておられるのを一番見ておられるのも(オサ)でございましょう。後の事はお(マカ)せ頂いて紳様をお(イヤ)しになられることと(オサ)も少し休まれませ」


(オダ)やかな声音(コワネ)で言われて悧羅も小さく続いていた笑いを止める。心からの心配であることは分かっているつもりだが、これまで言われてこなかった事ばかりに少し戸惑(トマド)いもする。


「気にしてくれるは(ウレ)しゅうあるがな。(ワラワ)のことならほんに(アン)ずることなどない。宮から出るような(ツト)めでもないでな。紳も今(コモ)れと言われても受け入れぬであろう。…千賀(センガ)の事をしかと受け止めておるからこそ今近衛隊(コノエタイ)を離れる事を(ヨシ)とはせぬよ。今日ばかりはほんに久方(ヒサカタ)振りによく眠っておる故に(ユエ)(ワラワ)一存(イチゾン)で休みをやってくれと其方(ソナタ)に申しただけのこと」


「では紳様がお(ツト)めの合間(アイマ)には少しばかり(オサ)もお休み下さいませ。(オモ)だったことは(ワタクシ)(ツト)まります。(オサ)がお(タオ)れあそばしましたらどうなさるおつもりですか」


(サト)すような荊軻(ケイカツ)の言葉に悧羅は首を振った。紳が(コラ)えて(ツト)めに出ているのに自分ばかりが休んでいては申し訳が立たない。


「ほんに(ワラワ)大事(ダイジ)ない。今、(ワラワ)が第一に考えねばならぬのは紳の心の(キズ)一刻(イッコク)も早く()えるようにすることじゃ。…どうすれば良いのかは分からぬがな」


小さく微笑んだ悧羅に、無理だけはなさらぬように、と(アキラ)めたように荊軻が礼を取って衣擦(キヌズ)れの音と共に遠ざかっていくのが御簾(ミス)の中の紳にも伝わった。しばらくして悧羅も立ち上がったのか衣擦(キヌズ)れの音がして、からりと戸が閉められたのが分かる。小さく嘆息(タンソク)しながら(ツクエ)に置かれた文書(モンジョ)に目を通すために(スワ)ろうとした所で、悧羅、と紳が声をかけた。声のした方を悧羅が見やると御簾(ミス)を少しばかり持ち上げた紳の顔が目に入った。おや、と座ろうとしていた(ツクエ)から離れて御簾(ミス)の中に入るとまだ紳は横になったままだ。枕元(マクラモト)に座ると膝の上に紳の頭が置かれる。


「…起こしてしまったかえ?すまなんだ」


置かれた紳の(ヒタイ)を悧羅が撫でると、いいや、と紳がころりと体勢を変える。悧羅の腹に顔を押し付けて抱きしめるとはだけた布団(フトン)をかけ直してくれた。


「そんなに眠ってた?」


悧羅の(ニオ)いに(ツツ)まれて安堵(アンド)の息をつくと、もう()が高い、と(ヤワ)らかな声が降って来た。


「あまりに良く休んでおったようでな。一応(イチオウ)声はかけたのじゃが…。勝手(カッテ)かとは思うたが休みを取らせたえ。時にはゆるりとするも良いものじゃ」


うん、と(ウナズ)いてますます悧羅の腹に顔を押し付ける様に引き寄せる。容易(タヤス)く片腕が廻ってしまうほど悧羅の身体は細い。近頃(チカゴロ)無理をさせているとは分かっていたが荊軻(ケイカツ)が心配するほど()せたり顔色が悪かっただろうか、と振り返る。()せたのは()心地(ゴコチ)で何となく気づいていたけれど顔色までは気づかなかった。ちらりと視線だけを上げて見ると(オダ)やかな微笑(ホホエ)みを浮かべながら悧羅は紳の髪を()いてくれている。御簾(ミス)の中は薄暗(ウスグラ)く明るい場で見ているわけではないが何となく青白(アオジロ)い。もともと()(トオ)るように白い(ハダ)だ。よく考えてみればこの所明るい場で悧羅の顔をしっかりとみていなかったような気がした。朝共に過ごす(ジカン)は短いし(ツト)めに出てしまえば紳が戻るのは(ヨイ)()けてからだ。今までは戻ればすぐに悧羅の(ソバ)(ハベ)って体調(タイチョウ)を見ながら精気(セイキ)を送り込んでいたが、縁側(エンガワ)物思(モノオモ)いに()けるようになってから()ていなかった気もした。


(ジョウ)()わす(ジカン)は長いから悧羅の中に入っている間は多少(タショウ)なりとも紳の精気(セイキ)が流れ込んではいるだろうが意識的(イシキテキ)に送り込むのとは(マッタ)(コトナ)る。廻した腕を()いて悧羅の(ヒタイ)()れる。どうした?、と微笑(ホホエ)む悧羅に小さく笑って精気(セイキ)(サグ)ると()れることが出来て一先(ヒトマ)ず安心する。これで枯渇(コカツ)などさせていたら紳は自分を許せなかっただろう。(ヒタイ)の腕をもう一度細い身体に廻して精気(セイキ)を送り始めると、ほうっと小さな溜息(タメイキ)が聞こえた。


「やっぱり無理(ムリ)させてたんでしょ?ごめんな」


(アヤマ)る紳に、なんの、と悧羅が小さく笑い出した。


「何も無理などしておらぬ。紳こそ(ワラワ)精気(セイキ)を送ってくれるは有難(アリガタ)いが心配()らぬ(ユエ)、今しばらく休んでみてはどうじゃ?」


このままでも(カマ)わぬぞ、と(ホオ)を撫でられるのが心地良(ココチヨ)くて安心できてまたとろりと微睡(マドロ)んできてしまう。


「じゃあ悧羅も一緒に休もうよ。(ツカ)れてるんでしょ?俺が居ない間も色々あるんじゃないの?」


(ワラワ)(ツト)めなど(タイ)した事ではない。気にせずとも良いから…さあ、しばし休みや」


優しく(ワラベ)をあやすように(ホオ)を撫でられながら布団(フトン)の上からぽんぽんと身体を(タタ)かれて押し寄せてくる眠気(ネムケ)(サカ)らえず紳はまた眠りに落ちてしまった。


“…りは此処(ココ)で宜しいですか?”


低い妲己(ダッキ)の声が遠くで聞こえた気がして紳は少し身体を動かした。しっかりと目覚(メザ)めていない頭に、すまぬな、と悧羅が礼を言っているのが聞こえた。紳を起こさないように二人とも気を(ツカ)っているのだろう。ひそひそと話しているようだ。すぐ真上で文書(モンジョ)を巻き取る音とまた開く音も聞こえる。


(アルジ)(ワレ)に寄りかかられては…。やはりお顔色があまりよろしくありませぬ”


(アカ)りのせいであろうよ。ほんにどうもないのだえ?…何であらば共に()けて見せようか?」


“またその様なお(タワム)れを申されて…。哀玥(アイゲツ)(アン)じておりましたよ?忋抖若君(カイトワカギミ)暴走(ボウソウ)を止めて欲しいと(オオ)せであられた(ユエ)(ハベ)っておりますが(アルジ)のお(ソバ)におりたいようでございました”


妲己(ダッキ)の言葉に、おやまあ、と悧羅が小さく笑っている。


「ほんにどうもないと言うておるに…。皆(ワラワ)に甘すぎて(コマ)ったものじゃな」


くすくすと笑う悧羅に、やれやれと妲己(ダッキ)嘆息(タンソク)が聞こえて、そこでようやく紳が目を開けた。一番に見えたのは悧羅の顔でも妲己(ダッキ)の顔でもなく文書(モンジョ)の一部だった。部屋に(アカ)りが入っているということは夕刻(ユウコク)(スデ)に過ぎ去っているのだろう。頭の下に(ヤワラ)かな悧羅の脚がある事に気づいて(アワ)てて身を起こす。悧羅の持っていた文書(モンジョ)に当たってしまい転げ落ちたが、起きたのかえ?、と(オダ)やかな声がするばかりだ。


(ジカン)は?!」


(アセ)る紳に(イヌ)(コク)を廻った、と妲己(ダッキ)が教えてくれる。一度目を覚ました時は()が高いと悧羅は言っていた。一体どれくらいの(ジカン)を悧羅の膝の上で過ごしてしまったのだろう。落ちて転げた文書(モンジョ)妲己(ダッキ)(ヒロ)い上げて(クワ)えて悧羅に渡している。長く同じ体勢を()いてしまったので動けないのだ、とすぐに分かる。


「悧羅ごめん。え?どれくらい?」


(アワ)てて悧羅の脚を(クズ)させようとするが、なんの、と笑って(セイ)された。


四刻半(シコクハン)ほどかの。よく眠っておったようで安堵(アンド)したえ」


(アシ)()れると体勢(タイセイ)(タモ)てないのだろう。四刻半(シコクハン)も紳を膝に乗せていたのであれば(アシ)感覚(カンカク)があるのかも(アヤ)しいところだ。やばい、と思いながらも悧羅の両脇(リョウワキ)に手を入れてゆっくりと浮かせると痛みがあるのか少しばかり眉根(マユネ)を寄せている。そのまま脚を伸ばすと痛みが来ない様にまたゆっくりと座りながら悧羅を膝に乗せた。途中(トチュウ)膝が伸びず曲がらずで妲己(ダッキ)がそっと手伝いながらではあったがどうにか同じ体勢からは()いてやる事ができた。(コロモ)をずらして脚を確かめると血の通いが悪かったのだろう。脚は青白(アオジロ)く所々色が悪い。血が良く通い出した事でじわりと(シビ)れ始めた脚に悧羅がますます眉根(マユネ)を寄せた。動かせるか、と(タズ)ねると、しばらくすればなと笑って悧羅は(コタ)えた。


四刻半(シコクハン)も同じ体勢でいてくれてたら、こうなって当たり前だよ。何で(オロ)さなかったの」


さすると痛みが強くなるだろうからぐっと(コラ)えて言う紳に悧羅は笑うばかりだ。


「降ろすなど勿体(モッタイ)のうて考えもせなんだ。(メズラ)しゅうに妲己(ダッキ)が代わるというてくれたがの。如何(イカ)妲己(ダッキ)といえども(ユズ)るわけには(マイ)らぬからの」


“ですから(ワレ)に身体をお預け下されと申し上げたのです”


笑う悧羅を()めるように妲己(ダッキ)が大きく嘆息(タンソク)する。よく見れば枕元(マクラモト)には(ジュウ)近くの文書(モンジョ)が積み上げられていた。紳が眠っている間、動くこともせず妲己(ダッキ)に持ってきてもらい(ツト)めを進めていたのだろう。色を取り戻し始めた(アシ)を見ながら(アヤマ)る紳に、何を()びることがある?、と悧羅は笑いを深くした。


「紳を(イヤ)すは(ワラワ)にのみ許されたこと。脚の一つや二つで紳がゆるりと休めたのであらばそれで(ヨシ)


「だからって無理(ムリ)ばっかりしないでよ」


「無理などしておらぬよ。(ワラワ)にとりても良き(ジカン)であったほどに」


痛みが退()いてきたのか少し自分で膝を曲げ始めた悧羅に、痛むよ?と言い置いて紳が抱き上げて立ち上がる。湯殿(ユドノ)で温めながらさすったほうがまだ早く戻るだろう。妲己(ダッキ)磐里(バンリ)加嬬(カジュ)への言伝(コトヅテ)(タノ)んで紳は湯殿(ユドノ)に向かう。


「少しばかりは(ツカ)れもとれたか?」


腕の中から(タズ)ねられて、そういえばと紳は思った。昨夜まで残っていた鬱々(ウツウツ)とした気持ちも気怠(ケダル)かった身体(カラダ)何処(ドコ)かすっきりとしている。ぐっすりと眠れたことで落ち着きを取り戻したということだろう。


「うん。何だかすっきりしてる。悧羅のお(カゲ)だね。ありがとう」


腕の中の悧羅に口付けると、それは(ヨロ)しかった、と笑っている。脚が痛むだろうにここまで()やしてくれたことに申し訳なくも思ったが今度は紳が悧羅を(イタワ)る番のようだった。

ゆらりゆらりと日常回を入れながらお話を続けて参ります。

お付き合いいただき嬉しいです。


お楽しみいただけましたか?

ありがとうございました。

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