縁【弐】《エニシ【ニ】》
おはようございます。
長くなりまして、昨日更新出来ませんでした。
今日頑張ります。
ギリギリラインばかりですので苦手な方はご注意くださいませ。
薄らと窓から差し込んでくる白い光で媟雅は目を開けた。ぼんやりと霞がかったような視界に見慣れた舜啓の寝所の天井が見える。重い瞼を上げて視線だけを動かすと投げ出された舜啓の腕が見えた。あれからどれくらいの刻が経ったのかも分からない。どんなに嫌だと泣き叫んでも舜啓は離してくれなかった。悧羅に当てられて沸りきった身体に叩き付けて刻みつけるように幾度も組み敷かれ続けた。腕を動かすと少しばかり痛む。ぼんやりとする目で自分の腕を見ると抑え続けられていたからなのかくっきりと舜啓の手の跡が残っている。小さく嘆息して舜啓を見ると疲れているのか静かな寝息が聞こえた。
今なら…。
少しずつ身体を動かして自分の中に入ったままの舜啓から離れるように試みるのだが数え切れないほどに交わされた情の後では気怠くて上手く動かせない。怠い腕を伸ばして床に爪を立てて這い出るように動く。入ったままの舜啓を出すために動くのだがまだ熱の残る身体にはそれが刺激になってしまう。大きく息をつきながらあともう少し、というところで投げ出されていた腕が動いた。引き戻されると同時にまた深く入り込まれて堪らずに声を上げてしまう。
「駄目だよ?逃がさないって言ったろう?」
背後から強く抱きしめられてより深いところに舜啓が触れる。もう少しであったのに、と唇を噛んでいると媟雅を抱きしめていた手がするりと動き始める。長く共にいたのだ。舜啓はどうすれば媟雅が昇るのか、何処が弱いのかも全て知り尽くしている。弱い所を集中して攻められて身体を震わせる媟雅の中でまた舜啓が沸り始めているのが分かって、嫌だと首を振ってみるが聞いてくれないのはもう分かっている。
「そうは見えないよ?」
意地悪な声音で言われて懸命に首を振ってみるが動き始められるともう抗えなかった。頭では嫌だと思っているのにあまりにも容易く昇らされて果てさせられてしまう。一度の情で数え切れないほどに果てさせられている身体はほんの少し動かれただけで手足が痺れてくるほどだ。自分の身体なのに思い通りに動かないことに腹立たしくなる。これほどまでに攻められた事も求められた事も無かったからかもしれないけれど、襲ってくる官能にどうでも良くなってしまいそうにもなる。それでもどうにか頭の片隅にだけでも理性を留め置いておけるのは舜啓が伝えてくれる言葉を信じ切れないからだ。嫌だと言いながら自分から漏れる甘い声が本当に自分のものなのかも分からなくなる。身体が幾度目かに果てて力が抜けてしまうところりと身体を返された。うつ伏せにされて上から抑えつけられてまた突き上げられる。腰を持ち上げられて自由も奪われてまた迫ってくる絶頂に耐えるように布団を強く掴むが、止まる事なく与え続けられる強い刺激には抗えなかった。
反り返った媟雅の背中を舜啓の唇と舌が確かめる様に這い廻る。突き立てられる強い刺激と誘うような舌の動きで何を考えるべきなのかも忘れてしまう。大きくなる自分の喘ぎの中に身を委ねてしまうと堕ちることなど容易かった。どんなに媟雅が果てても、嫌だと訴えても聞いてもらえないのであれば溺れた方が楽になるのではないかとさえ思ってしまう。好きだと言ってくれた舜啓の言葉の真意を考える刻も欲しいけれどそれも叶わない。ふうっと息を吐くとそれを待っていたかの様に一番弱いところを攻められてまた身体を震わしながら果てた媟雅の最奥で舜啓の欲が吐き出された。受け止めるしか出来ない事が悔しくてぐったりとした身体を布団に預けると又涙が溢れてくる。持ち上げられていた腰が離されると身体の上に舜啓の身体が覆い被さった。気怠くて力の入らない身体では押しのけることも出来はしない。
「…いい加減に逃げようとするの諦めてよ。逃がさないっていってるでしょ?」
背中から布団に押しつけられて身動きも取れず息を荒らしている媟雅の耳元で囁くように言われて、また身体が熱くなるのを媟雅も堪えきれない。それが伝わったのか小さく笑いながら舜啓が布団を掴んだままの媟雅の手を外させる。両の手首にくっきりと残った自分の手の跡に口付けながら、酷いよね、と苦笑した。ただの情を交わす相手にしてきたような行為だ、と自嘲してしまう。媟雅にだけはどんなに自分が沸っていても常に優しくすることを考えていたのに手を離してしまった途端にこうだ。
「…お願いだから降りて…」
咽び泣くような声で哀願されても元よりその気など舜啓には無い。
「嫌だ。降りたら又どうにか逃げようとするだろ?三日は離さないし出ないって何度も言ってるじゃないか。…それとも縛りつけたら諦める?」
露になった項に吸い付くとびくりと媟雅は応えてしまう。どうして今なのだ、と涙が溢れてくるのを止められない。
どれだけ泣いたと思っているのだろう。
どれだけこの腕の中に戻れるならと願ったと思っているのだろう。
ようやく少し落ち着いた所だったのに…。
もう少し刻をかける事が出来たならきっと思い出として心に留めおけた。
「…どうして…」
今なのだ、と言う言葉は出なかった。嗚咽に紛れて。布団に顔を押しつけて涙を隠すと覆い被さったままで強く抱きしめられる。
「何度も伝えてるよ?好きだからって。媟雅が欲しくて堪らないんだ。信じられない?」
優しく伝えられても媟雅は顔を上げる事が出来ない。信じられるはずがない。裏切ろうとした媟雅をそう容易く舜啓が許しているとも思えなかったし、何よりこの状況だ。悧羅に当てられたままで沸る気持ちの中で伝えられても冷静に受け止められないのだ。
「信じられるわけがないでしょう…。どれだけ悩んでどれだけ泣いたと思ってるの…?他に触れさせないって言ってた舜啓が容易く許してくれるはずもないって分かってたから受け入れたのに…」
嗚咽混じりの声に呼応する様に抱きしめる腕の力が強まった。余りの力の強さに苦しくなって身を捩るが離してもらえない。代わりにごめんな、と言う声が耳元で聞こえた。
「媟雅が泣いてる時に気づけなくて。悪いのは俺だから、媟雅はこれ以上自分を責めるな。信じてくれるまでどれだけでも伝えるし待つって言っただろう?…どうしたら信じてくれる?どうしたら許してくれる?」
「…そんなのわからないよ…。私の方がどうしたら許してもらえるのか考えてたんだから…」
「だから媟雅が謝る必要はないって」
言って舜啓は媟雅の上から身を起こした。苦しいほどに強く抱きしめられていた腕が解かれてほっと息をつく身体をくるりと返して仰向けにする。入られたままで動かされて震える媟雅の身体にもう一度肌を重ねて強く抱きしめた。
「…じゃあさ、媟雅は俺以外の手を知りたい?他の男がどうやって媟雅を慈しむのか肌を重ねてみたいって思う?」
気怠い腕を動かして顔を隠す媟雅に舜啓が問う。顔を覆ったままで考えてみるが媟雅に分かるはずもない。舜啓への気持ちが落ち着いたらそうしてみようと思っていた。だがそれはまだ先の話だと考えていた。まずは一目見ただけで息苦しくなるほどに残っている舜啓への気持ちを整えてから、愉しむだけの情を交わす相手を探してみるつもりだった。探して見つけられるかも分からなかったけれど、鬼の本能に従えばいいのだろうと考えていた。肌を重ねて身体を開いてしまえばいつかまたただの愉しむ相手として舜啓と情を交わせたかもしれないのだ。
「今はまだわからない。…さっきまでは気持ちが整ったらそうしてみようと思ってたから。でも、それは今じゃない」
応えた媟雅の身体が狂おしいほどに強く抱きしめられた。あまりに苦しくて息も出来なくなるかと思うほどだ。苦しい、と訴えるが力は緩まることがない。
「媟雅がそうしたいならすれば良いと思う。でも俺以上に媟雅を慈しめる奴なんていないよ?」
そんなのわからないじゃ無いか、と言う媟雅の身体から腕が解かれて代わりに顔を覆っていた腕を外される。涙が止まらない顔を見られたくなくて覆っていたのに外されてしまって慌てて顔を背けると両手で顔を包まれる。舜啓の腕を掴んで外そうとするが、駄目だと言われてしまう。そのまま深く口付けられてまた沸る身体の震えを必死に抑えていると、わかるよ?、と唇を離した舜啓が微笑んでいた。
「俺以上に媟雅だけを想ってきた奴なんていないんだから。本当は嫌なんだけどね…。手を離しちゃったのは俺だから、また手を取ってもらえるまでは待つよ」
「…取らないかもしれないじゃない…」
はらはらと流れる涙を拭いてやりながら、そうだね、と舜啓は苦笑するしかない。戻ってくれと願ってもそれは媟雅の気持ち次第だ。待っていてもただ長い刻を過ごすことになるかもしれないことは覚悟の上だ。
「でも取ってくれるかもしれないだろ?」
小さく笑いながら額に口付けるとびくりと身体が震えている。
「そんなに無駄な刻を舜啓に過ごさせるわけにはいかないよ」
「無駄じゃないよ?ただでさえ二十年待ったんだし。鬼の生は長いから大した問題でもない。それで媟雅が俺を選ばなくてもそれは仕方ないって諦めるけど、取ってくれるかもしれない可能性があるなら諦めたくない」
優しく言いながら啄むように唇を吸い上げるとまた媟雅の身体が震えだす。その姿でまた沸りはじめる舜啓を感じて思わず甘い声が漏れ出した。
「それでも待たせたく無いっていうなら、もう一度俺の手を今取って?…何があっても媟雅を信じるし、媟雅だけを見るって誓うから。恋仲になっても他と情を交わしたいっていうならそれでもいいよ」
お願い、と乞われても何とも言葉を紡げないでいると再び舜啓が動き出す。待って、と荒くなる息の中から訴えてみるが舜啓の応えは待てないの一言だ。もう無理だと伝えられても一度動きだすともう止まれない。媟雅の中に入り続けているだけでずっと締めつけられているのだから耐えられるはずもないのだ。これまで毎日の様に腕に抱いていたものをほぼ一月の間も離してしまっていた。それが今は腕の中にあって聞きたかった声も見たかった姿も目の前にあって自分が動けばそれに応えてくれている。媟雅の本心ではないのは分かっているけれど、どうにか繋ぎとめておくためには組み敷き続けるしか舜啓には出来ないのだ。腕の中で舜啓の慈しみに応えて昇って果てる姿は幾度見ても心を奪われてしまう。
「俺のところに戻るって言ってよ、媟雅」
果ててぐったりとしている媟雅の身体に口付けながら祈るように伝えるがまた昇り始めている媟雅には応えようがないようだ。舜啓を押し戻す力も出ないほどに果てさせられてもう甘い声しか出せなくなっている。抗う事すら諦めたように大きく反り返っていく媟雅に締め付けられて逃がさないように強く抱きしめながらも、やっばい、と舜啓も呻いてしまう。細く長い脚を自分の肩に乗せてもっと深く入り込むと媟雅が息を呑んだ。
「…深い…っ!」
もう無理だと首を振りながら反り返って行く身体を抑えつけて、俺も駄目かも、と舜啓は媟雅に深く口付ける。声がくぐもったが代わりに媟雅の腕が背中に廻されて心の臓が跳ね上がる。互いを強く抱きしめ合いながら同時に果てるが震え続ける媟雅の腕は舜啓の背に廻されたままだ。唇を離して名を呼ぶと、もういい、ととろりとした目で媟雅が呟いた。何が?、と尋ねると荒れた息を整える事もせずに媟雅の手が舜啓の顔を包んで引き寄せてくる。そのまま口付けられて驚く舜啓にまた、もういいと唇が触れ合うところで媟雅が囁く。
「…考える刻をくれる気もないんでしょう…?」
与え続けた快楽で小さく震え続けながら艶かしく囁かれて舜啓はぶるりと震えた。
「そういうつもりじゃ無かったんだけどね」
「嘘つき」
包まれていた頬がまた引き寄せられて深く口付けられる。再び沸ってくる自分をどうにか抑えるが伝わったのだろう。口付けたままで媟雅から甘い声が漏れた。唇が離されると、また、もういいと呟いている。
「…だから、何が?」
いつもとは違う姿に首を傾げてしまうがとろりとしたままの媟雅がまた舜啓を引き寄せる。深く口付けた後に、もう動いて、と乞われて舜啓は思わず目を見開いた。
「…媟雅…?」
名を呼んでみるが媟雅はとろりとしたままだ。
「…もう分からないから…、溺れてしまいたい…。もう何も考えたく無い…」
「そんな淋しいこと言わないでよ…」
頬を包まれたままで額をつけると媟雅がゆっくりと首を振った。本当にもういい、と呟く媟雅の腕が伸びて舜啓の首に廻された。
「…考えられないくらいなら考えたくない…。逃げることも抗うことも許してもらえないならそれももうやめる。…だけどこのままだと思い出して泣いてしまうから、何も考えずにいられるようにして…」
震えの止まらない媟雅の腕で引き寄せられてまた口付けられる。見たことのない媟雅の姿と聞いたことのない媟雅の言葉に舜啓の身体がまたぶるりと震えた。十五年一緒にいて初めて見る姿は艶かしすぎて一気に沸る。
「…溺れさせてくれないならどいて?他を当たる」
廻されていた腕が力なく落ちて布団に当たると、ぽすりと乾いた音がした。大きく息をついている媟雅に、他?、と舜啓が尋ね返してしまう。微睡んでもいるかのような媟雅は、うん、と首を傾げている。
「滅茶苦茶にしてくれるならもう誰でもいい…」
考えたくない、と呟いた媟雅の身体を抱きしめると舜啓は名をもう一度呼んでみる。応えの代わりに聞こえたのは、壊してという切な過ぎる願いだった。狂おしくなるほどの甘い声音に誘われるかのように口付けて強く抱きしめると、早くと乞われた。
「じゃあ呼んで?俺が良いって、俺が欲しいって言って?」
今まで共にしてきた十五年でも聞かなかった言葉を舜啓が欲すると落ちていた腕が動いて頬に触れた。潤んでとろりとした目で見つめながら甘い声がその名を呼ぶ。
「…舜啓…、お願い。…舜啓が壊して…」
ぞくりと這い上がってくる官能に舜啓も堪え切れずに拳を握る。元々離さないつもりではあったし、卑怯な手を使ってでも自分を刻みつければ媟雅は戻ってくれるかもしれないと思っていた。だが腕の中の媟雅はそれとは違う。本当に何もかもを忘れたいほどに苦しいのだろう。
他を当たると言ってしまうほどに。
求められて本心ではない言葉を紡いでしまうほどに。
大きく息をついて舜啓は媟雅の額に口付ける。
「分かった…。止まってやれないよ?いいね?」
唇を降ろしながら媟雅の唇を啄むとまた、早くと言いながら身体を捩り始めている。
「…絶対に優しくしないで…」
啄んでいる唇からまた意外な言葉が飛び出して舜啓はうん、としか言えなくなった。そのまま媟雅の望み通りに身体を開かせる。何も考えたくないと言った媟雅が溺れていく様を見やりながら、まるで互いが獣のようだ、と果て続ける媟雅を強く抱きしめた。
それから先の刻、目を覚ますと無意識の内に涙を溢す媟雅を見るのが辛くて少し身じろぎすると舜啓も目を覚まして組み敷き続けた。窓から差し込む白んだ光が高くなってまた沈んでを繰り返すけれど、壊せと願われた舜啓はその願いを果たし続ける。三度目の夜が来て明日からは務めに出なくてはならないという時になっても、媟雅は溺れ続けることを選んだ。さすがに少し休めと言ったのだが、ならば他に行くだけだ、と言われては離すことなど出来なかった。他と情を交わしても良いから戻ってくれ、と願ったはずなのに本当に行ってしまうのではないかと考えただけで離せなくのるのであればその約束さえ守れるか舜啓には自信がなくなってしまう。
組み敷くたびに呆っとしていく媟雅を気遣おうとすると、優しくしないで、と責められてしまう。互いが果ててぐったりと倒れ込んでも意識を手放すまでは続けてくれと願われた。乞われるままに乱暴に媟雅の中に自分を刻みつけながら慈しみ続けて何度目かの意識を手放してくれたのは夜も更けた頃だった。果てて舜啓を受け止めると同時に崩れた細い身体を抱きしめて布団に横にするとぐったりとした身体は汗で濡れているし刻みつけた跡が至るところに残っている。離さないとは言ったがここまでする気はなかった、と残ってしまった跡に指を這わせる。手首にも肩にも腰にも抑えつけすぎて舜啓の手の跡がくっきりと浮かんでいる。
この三日で少し色が変わり始めているそれらを見ると痛々しくなってくる。それほどまでに狂いたかった媟雅の気持ちが痛すぎてもっと早く気持ちを伝えるべきだった、と後悔が押し寄せた。会える時まで待つなどと悠長な事を考えずに、気持ちが整った瞬間に媟雅に伝えに走るべきだった。そうすればもう少し信じてもらえたのかもしれないから。荒れた息のままで媟雅の横にごろりと寝転んで、中に入ったままの身体を引き寄せる。意識を手放している媟雅は身じろぎひとつせずに容易く腕の中に収まった。夜が明けてしまえば務めに出なければならない。今度はいつこの腕の中に戻ってくれるかも分からないのに、またもう一度手放さなければならない。
大きく息をついて抱き寄せた媟雅の髪に顔を埋めると、包まれ慣れていた匂いがする。こんな思いをさせるために何十年も想い続けてきたわけではなかったはずだ。ただ倖にしたかっただけだった。全てが遅すぎたのだ、と言い聞かせるように、ごめんな、と呟いてしまう。聞こえているはずもないのに何度も呟くように伝え続けて、いつのまにか舜啓も気怠さの中に沈むように眠りに落ちた。
次に目が覚めた時には窓の外が白み始めた頃だった。腕の中で媟雅が動く気配がして慌てて目を開けると気怠いのだろう。思いの外に力の入らない自分に戸惑っているようだ。眠いのか目を擦る姿が愛らしくなって舜啓は抱きしめる腕に力を込めて引き寄せた。
「まだ早いよ?」
そう伝えてみたのだが呆としたままの媟雅は身を起こそうとしている。離さないように力を込めると、宮に帰る、とぽつりと呟かれる。何で?、と余計に抱きしめる腕に力を込めると、三日経った、とまた起きあがろうとする。確かにそうなのだが何故戻る必要があるのか分からない。ただでさえ気怠そうにして思うように身体を動かせてもいないのに、一人で帰ることなどできるはずもないように思えた。
「いいからこのままもう少し休もう。務めの前には湯も使わなきゃならないだろう?」
どうにか身を起こした媟雅を追うように舜啓も起き上がる。意図せずに媟雅の中から出てしまったが、それも分からないほどに呆っとしたまま投げ捨てられたままであった隊服を取りに行こうと媟雅が動き出している。媟雅、と名を呼んでみるがぼんやりしているのか、うん、としか応えがない。起き上がった背中にも舜啓の跡が残っているのが見えてつい目を細めてしまう。もそもそと隊服を身につけようとしている媟雅をもう一度引き寄せて背中から強く抱きしめる。ここで離したら本当に腕の中には戻ってくれない気がしてしまう。
「…帰らなきゃ…」
腕の中から出ようとする細い身体を抱きしめて首を振ると、困ったように名を呼ばれた。告白に対する答えもまだもらえていない。待つのは慣れているとは言ったけれど一度想いが繋がった者を、また戻ってくれるのだろうかと待ち続けるのは十五年前までとは違う。
「ここから行けばいい。答えを出せないなら少しでも長く俺の側にいて」
哀願する舜啓の腕をどうにか外そうとしているのか廻した腕に媟雅の腕が触れた。戻らなきゃ、と呟く媟雅の心が急速に離れた感じがして舜啓はまた首を振った。
離したくない、離れたくない。
誰にも渡したくない。
その想いだけが舜啓を支配して、抱きしめながら出た言葉に舜啓自身が驚いた。
「…俺と契ろう、媟雅…」
腕の中の媟雅も言葉を発した舜啓も共に何が起こったのか分からずに固まってしまった。告白の答えさえもらえていないのに、とんだ身の程知らずな言葉を出してしまった。本当にどうかしてしまっている、と自嘲するしかない。固まったままの媟雅を抱きしめる腕を緩めて自由に動いて良いことを示したがそのまま動く気配がない。まだ微睡みが残っているのか?、と心配になっていると、何を言ったの?、と小さく震える声がした。
「…ごめん、忘れてくれていい」
あれだけ辛い思いをさせ続けたのだ。突然舜啓が言った言葉など信じられないだろうし、馬鹿げたことだと笑われても仕方ない。舜啓でさえ自分の口から飛び出した言葉なのに現のことなのか分からないのだから。けれど媟雅は背を向けたままでもう一度尋ねてくる。今何と言ったのか、と。
「…媟雅と契りたいって言った…。返事ももらえてないし酷いことばっかりして傷付けてばかりだけど、どうしても離したくない」
言葉にしてしまうと受け入れてもらえないだろうという気持ちも大きくなってくる。今更何と愚かな事だ、と嘆息して背を向けたまま身体を離さない媟雅を見下ろすと小さく震えていた。かたかたと震える身体をもう一度抱きしめると抗うこともなく腕の中に収まってくれる。
「…なんで…」
ぽつりと呟くような声音も震えていて舜啓はまた大きく嘆息してしまう。
「忘れてくれていいよ。聞かなかったことにしてくれていい」
震え続ける身体をさすって宥めるが、忘れられるわけがない、とまた小さな声がした。確かにそうだろうが信じられない気持ちの方が大きいだろう。この三日、媟雅の訴えも聞かないふりをして自分のものにし続けたのだ。その間にどれだけ好きだと伝えても信じ切れていなかった媟雅が舜啓でさえ無意識の内に出した言葉を信じてくれるはずもない。
「…本気で言ってるの…?」
震えが大きくなりつつある媟雅に尋ねられて舜啓もしばし考えてみる。無意識に出たとはいえ舜啓自身もその言葉に驚いた。けれどよくよく考えてみれば元より舜啓は媟雅と契るのだ、と幼い頃から決めていた。恋仲であった十五年の中では手に入れた安心感からかそこまで強く願うことは無かったけれど、今思えば誰にも渡すことなどないという慢心からくるものだったのだろう。それが離してしまったことで忘れていた気持ちが強く蘇ったのだということか。もう一度大きく嘆息して抱きしめる腕に力を込める。
「どうやらそうみたい」
小さく笑って伝えると、どうして今?、と咽び泣く媟雅がいた。それに分からない、と苦笑して媟雅を抱き上げて自分の方に向けるとそのまま膝に座らせる。はらはらと泣いている媟雅の頬に口付ける。
「どうしてだろうね。よく考えたら俺ずっと媟雅と契るって決めてたんだよな。一緒にいる刻が長すぎてそれに甘えてそんな当たり前の気持ちを忘れてたんだな。…信じられないだろうけど考えてくれないか?」
「だけど、許してくれてないんじゃないの?」
「うん?許してないのは媟雅を責めた自分の心の方だよ。媟雅の方がこんな事を強いた俺を許せないだろう?だから返事はすぐじゃなくて良い」
見上げながら涙を流し続ける媟雅が首を振った。
「やっぱり嫌だよね?」
当たり前だな、と苦笑する舜啓の前で媟雅は首を振り続けている。それをみる舜啓は苦笑するしかない。首を振り続ける媟雅の背中をぽんぽんと叩いて宥めながらもう一度苦笑して、送るよ、と伝えるが媟雅はまだ首を振り続けているばかりだ。
「どうしたの?…帰る前に湯が使いたいなら支度しようか?」
首を傾げて苦笑を深めると首を振りながら媟雅の頭がぽすりと舜啓の胸に預けられた。媟雅?、と名を呼ぶと小さな声がしたが聞き取れなかった。なあに?、と聞き返すと嗚咽の混じった声がした。
「…戻りたい…」
聞こえた言葉にただ舜啓は震える身体を抱きしめた。
「…でも本当に戻ってもいいのか分からないの…。また同じような事があったら?また私が裏切りそうになったら?また手を離されるのが怖くて堪らない…」
ふうっと声を上げて泣き出す媟雅を舜啓は強く抱きしめて、大丈夫、と囁く。
「何があっても信じ抜くって言っただろう?恋仲に戻ってくれたとしても、契ってくれたとしても媟雅がそうしたいならそれで良い。最後に俺の腕の中に戻ってきてくれればそれで十分だ。媟雅が他に目がいかないように俺が倖にすればいいんだから」
本当にごめん、と謝ると腕の中の媟雅が首を振る。
「だから戻ってきて、媟雅。俺と契ろう」
応えの代わりに媟雅の腕が舜啓の背中に廻されて力が込められると、途端に大きな泣き声が響いた。泣き叫び続ける媟雅を抱きしめて、うん、と舜啓は小さく笑う。
「ごめんな、本当にごめん」
童をあやすように抱きしめる腕に力を込めながら泣き続ける媟雅に舜啓は謝り続けた。
長くなりました。
なかなか思うように言葉が見つけられず更新まで時間がかかってしまいました。
お楽しみいただけましたか?
いつもありがとうございます。