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糺す【拾漆】《タダス【ジュウシチ】》

遅くなりました。

更新します。

目の前で固まったように動かない媟雅(セツガ)を見ながら舜啓(シュンケイ)は小さく息をついた。それだけで、びくりと媟雅(セツガ)の身体が大きく(フル)えたのが分かる。手を伸ばしても(トド)かない場所に(スワ)ったという事は舜啓(シュンケイ)が伝えに来た言葉を昨日のように思っている、ということだろう。舜啓(シュンケイ)とてそのつもりで来ていたのだ。読まれたのは意外だったけれど、思ったよりも媟雅(セツガ)態度(タイド)冷静(レイセイ)に見えていた。だが今目の前に(スワ)っている媟雅(セツガ)は今にも(クズ)れて落ちそうだ。自分から見ようと(サガ)して見えなかった事など今日一日だけであったのに、とても長い(ジカン)見ていなかったように思えてしまう。じっと見つめているとすっと視線が(ハズ)された。沈黙(チンモク)も視線を受け止めるのも(ツラ)さを(アオ)るのだろう。早く()いてやらないと、とは思うが目の前に媟雅(セツガ)がいるとなるとどうしても心が(オド)ってしまう。


やっぱり可愛(カワ)いいよなぁ…。


視線は()らされたけれどその姿はしっかりと見ることが出来て心の底から舜啓(シュンケイ)は思ってしまう。()れ動いていた思いがまた()き出してきてどう話を切り出せばよいのか分からなくなる。


ここまで来て気持ちが決まっていないなどと言えるだろうか?


昨日ならば言えたであろう別れの言葉を本当に伝えても舜啓自身(シュンケイジシン)後悔(コウカイ)するのは目に見えている。


もう一度小さく息をはいて、媟雅(セツガ)と名を呼ぶとゆっくりと(ハズ)されていた視線が戻った。


「…あのさ…、一回(ハナ)れてみる…?」


何とも卑怯(ヒキョウ)物言(モノイ)いだ、と舜啓(シュンケイ)自嘲(ジチョウ)してしまう。始める時も終わらせる時も自分は卑怯(ヒキョウ)だ。覚悟(カクゴ)は出来ていたのだろうが舜啓(シュンケイ)の言葉が終わると媟雅(セツガ)は何とも言えない、というように息を呑んでいる。息が止まってしまったような姿を見ながらもう一度、媟雅(セツガ)?、と呼ぶと大きく息をついてくれた。小さく、分かった、と声がして媟雅(セツガ)はそのまま頭を下げ始める。


「…今まで長い間…、ほんとうにありがとう…」


声と背中が小さく(フル)えているのは分かったけれど、別れを切り出した舜啓(シュンケイ)にはもう抱きしめる権利(ケンリ)はない。ただ、うん、とだけ(コタ)えると、どうか(シアワセ)でいて、と(シボ)りだすような声が続いた。思わず手を伸ばしてしまいそうになり、必死(ヒッシ)に思い(トド)まる。浮かせてしまった腰を上げて、媟雅(セツガ)も、と言い置いて部屋を出るために戸を開ける。


本当にこれで良かったんだろうか…、とまだ(カス)かに(ツナ)がっているはずの(タガ)いの想いを手繰(タグ)るように部屋の中をもう一度みる。頭を下げたままの媟雅(セツガ)は動かないままだ。きっと戸が閉められて舜啓(シュンケイ)気配(ケハイ)が消えるまでそのままなのだろう。廊下(ロウカ)に出て戸を閉めると舜啓(シュンケイ)の身体が急速に冷えて、あれ?、とその場に(スワ)りこんでしまった。手を見ると小さく(フル)えていることに気づく。全身の力も抜けてしまって立ち去らなければならないのに立ち上がることができない。舜啓(シュンケイ)()()にまだいる事は媟雅(セツガ)だって分かっているはずだ。せめて気配(ケハイ)だけでも消してやらないと動くことすら(ユル)してやれない。震える手で(コブシ)(ニギ)って気配(ケハイ)を消す。しばらく息も殺すようにして自分の(フル)えが止まるのを待ってどれくらいの(ジカン)()ったのだろう。ふと、戸の奥から大きな泣き声が響いた。


(ハジ)かれた様に力が抜けて動かないはずの身体が戸に向かって振り返った。戸を開けようとして中から聞こえてくる泣き声に自分の名が呼ばれていることにも気づく。名を呼びながら幾度(イクド)となく(アヤマ)り続けている声は全て媟雅(セツガ)自身を()めるものだ。


分からなかったこと。

間違(マチガ)えたこと。

嫌な思いをさせてしまったこと。


その全てで舜啓(シュンケイ)ではなく自分を()めている。舜啓(シュンケイ)媟雅(セツガ)()めたのに、泣き叫ぶ声からは(ノノシ)る言葉など聞こえない。その声に舜啓(シュンケイ)はまた動けなくなる。


今なら間に合うはずなのだ。

今動けばまた媟雅(セツガ)を腕に抱ける。


それは分かっているのに身体が動かない…。戸を一枚(ヘダ)てた先にいるのにどうして自分は動けないのだろう。響く泣き声が少しずつ(オサ)まってきてしゃくりあげながら動き出す気配(ケハイ)がした。戸の方に来るかと思ったがどうやら寝所(シンジョ)に向かっているようだ。戸から遠ざかる気配(ケハイ)舜啓(シュンケイ)には自分と媟雅(セツガ)の距離が開いて行くように感じた。ぽすりと身体を横たえる音が聞こえて、また(スス)り泣く声が聞こえ出す。


間に合う、と自分に言い聞かせるが動けない。

卑怯(ヒキョウ)な言い方をしてまた媟雅(セツガ)に選ばせた。

間に合うのに一枚だけの戸が開けない。


大きく息をついて戸にかけようとした手を()ろすしかない。今入って何が言えると言うのだろう。自分の事など(タナ)に上げて心の中で媟雅(セツガ)だけを()め続けた舜啓(シュンケイ)に。戸の内側で一人泣く媟雅(セツガ)にかける言葉など持ち合わせていないでは無いか。力の抜けた身体を(フル)い立たせて両手で(コブシ)(ニギ)ると舜啓(シュンケイ)はその場から()げるように()けだした。周りの景色(ケシキ)を見もせずにひたすらに()けて自分の(ヤシキ)辿(タド)り着くと全力で()けたためか息が上がっていた。もしくは息をするのも忘れていたのかもしれないが、もうどうでも良かった。暗い(ヤシキ)に入ると(アカ)りをつけることすらせずに部屋の中に寝転(ネコロ)んだ。(ニギ)っていた(コブシ)を開くとくっきりと(テノヒラ)(ツメ)(アト)が残っている。広げた手は小さく震え続けていて止めることもできない。とにかく(ヒド)虚無感(キョムカン)(オソ)われて舜啓(シュンケイ)は大きく息をついた。


本当に(ハナ)してしまった。


爪痕(ツメアト)の残る(テノヒラ)を見つめて思うと、ぶるりと身体に(フル)えが走る。これからどうなるのだろうと考えるとまた大きく(フル)えが走った。今までは媟雅(セツガ)舜啓(シュンケイ)恋仲(コイナカ)だと知っている者が多かったから()()()()()をする者はいなかった。媟雅(セツガ)を連れ込んだ男も酒の(イキオ)いもあったのだろう。だが舜啓(シュンケイ)が手を(ハナ)したと知れればすぐにでも媟雅(セツガ)を手に入れようとする者が現れるはずだ。もしくはただ(ジョウ)()わしたいという者も出てくるかもしれない。それをこれからは舜啓(シュンケイ)は見守って行くしかないのだ。何も言うことも出来ずに、ただ見ているしか出来なくなった。そんな事ができるのかも今は分からない。


(オサナ)い頃から媟雅(セツガ)(チギ)るのだと決めていた。年頃(トシゴロ)になって(ホカ)(ジョウ)()わす者が現れても恋仲(コイナカ)になっても結局(ケッキョク)は引き戻されていた。どんなに(ホカ)の女が魅力的(ミリョクテキ)であっても媟雅(セツガ)を一目見れば全てが色褪(イロア)せて見えた。そんな舜啓(シュンケイ)(ホカ)の男と共にいる姿を正気(ショウキ)のまま見れるのか今は自信もない。挙げていた手で顔を(オオ)うと又大きな溜息(タメイキ)が出る。とにかく落ち着かなければ明日の(ツト)めにも(サワ)る。脱力(ダツリョク)したままの身体を()きつけて起き上がると湯処(ユドコロ)に向かいそのまま頭に水を(カブ)った。自分が(ハナ)したのだから受け入れるしかない、と言い聞かせるが頭の中に部屋の中で泣き叫ぶ媟雅(セツガ)の声が響く。幾度(イクド)も水を(カブ)って追い出そうとするが、声は大きくなるばかりだ。(スス)り泣いていた媟雅(セツガ)は今も泣いているだろう。


どんなに水を(カブ)っても追い出せない声と最後に頭を下げた姿が思い出されていつのまにか舜啓(シュンケイ)の目から涙が(コボ)れだす。これほどに想っているのに何故(ナゼ)手を離す事を選んでしまったのだ、と自責(ジセキ)だけが押し寄せた。媟雅(セツガ)(アヤマ)る事など考えてみれば一つもない。


酒に弱いのは知っていたけれど、このところ何やら張り詰めていることも知っていた。媟雅(セツガ)が話そうとしなかったのであえて聞かなかったけれど舜啓(シュンケイ)にまで言わないとなればかなりの大事(オオゴト)なのは予想(ヨソウ)がついていた。そんな張り詰めていた中で仲の良い者たちと酒席(シュセキ)に行けば少しくらい(タガ)(ハズ)れても仕方のないことだ。


何より媟雅(セツガ)が望んで肌を合わせたわけでもなく、舜啓(シュンケイ)だと思いこんでいたから(アラガ)わなかったのだ。媟雅(セツガ)が知っているのは舜啓(シュンケイ)だけであったし舜啓(シュンケイ)も他の男と(ジョウ)()わすのを許していなかった。ただの一夜限(ヒトヨカギ)りの相手がいれば手が違うことにも気づけたのかもしれないが、それをさせなかったのは舜啓(シュンケイ)我儘(ワガママ)に過ぎない。


破瓜(ハカ)の相手に選んでもらえた事は嬉しかったが一度手にしてしまえば離せなくなるのも分かった上で恋仲(コイナカ)になるなら、と条件(ジョウケン)を出してしまった。本当に卑怯(ヒキョウ)だ、と思い返すと自分が嫌になる。あれから十五年、媟雅(セツガ)は何も()(トナ)えることなどなかった。それは舜啓(シュンケイ)に対しての恋慕(レンボ)の想いと貞操(テイソウ)を護る、という誠意(セイイ)の現れだ。


最初に肌を(カサ)ねた時に、舜啓(シュンケイ)には他に(ジョウ)()わしてきた者たちがいる事も知っていたのに、自分には許されないと言われても嫌な顔一つしなかったではないか。そこまで想ってくれていたのに、何故(ナゼ)ただの一度、しかも身体を開いたわけでもなかったのに彼処(アソコ)まで嫌悪(ケンオ)しなければならなかったのだろう。本当に自分にばかりに都合(ツゴウ)の良い考えをしてしまったものだ。


(アフ)れる涙をひたすらに水を(カブ)って流すが全く止まることがない。あのまま置いてきて良かったのだろうか、とまで思い始めて頭に残る媟雅(セツガ)の泣き声に耳を(カタム)ける。


本当に離して良かったのか…?

本当にこれから先ただ見つめるだけで良いのか?

本当にこれから先、腕の中に(オサ)めることができなくなっても良いのか?

本当に(トナリ)に立つ者に嫉妬(シット)しないのだろうか?


目を閉じれば小さくなって(フル)えていた背中と共に、(ジョウ)()わすときにしか見せない表情が浮かんでは消えて行く。最初から最後まで()としか言わなかったな、と思ったけれどすぐに(チガ)うと思い直す。言わなかったのではなく()()()()()()()のだ。何か伝えたいこともあったかもしれないのに伝える(イトマ)も与えなかった。自分の身勝手(ミガッテ)さにぎりりと(クチビル)()んでもう一度水を(カブ)ると湯処(ユドコロ)(コロモ)を脱ぎ捨てて新しい物を羽織(ハオ)ってから手拭(テヌグ)いで()れた頭を乱暴(ランボウ)()いて寝所(シンジョ)(タオ)れ込む。(アフ)れ出す涙を(ヌグ)うことすらせずにそのまま(マブタ)を閉じた。眠れるとは思ってもいないがこのままだと媟雅(セツガ)の元にまた()けて行ってしまいそうだった。一夜(ヒトヨ)()ければ少しは落ち着くかもしれないし、何より同じ近衛隊(コノエタイ)なのだ。顔を合わせる事も言葉を()わすこともあるのだから落ち着かなければならない。今ならまだ間に合う、とまた思う気持ちを押し殺して大きな嘆息(タンソク)をつきながらその夜舜啓(シュンケイ)幾度(イクド)寝所(シンジョ)で寝返りを打つばかりで眠る事などできなかった。


舜啓(シュンケイ)の知らされていない満月の夜まで六日(ムイカ)だった。



次の日眠れないままに(ツト)めに出た舜啓(シュンケイ)は一日(マッタ)媟雅(セツガ)の姿を見かけずにいれた事に少しばかり安堵(アンド)した。まだ気持ちを(トトノ)えることは出来ていなかったし顔を見れば自分がどう動くのかも分からなかったからだ。


だが、次の日もその次の日も姿どころか声さえ聞こえてこない。数は多い(タイ)ではあるけれど隊長(タイチョウ)である(シン)からの(メイ)を受けるときには(ミナ)(ソロ)う。それなのに幾日(イクニチ)もちらりとも見えないのはおかしかった。また日が明けてもやはり姿が見えない。さすがに気になって昼餉(チュウショク)忋抖(カイト)(サソ)うと、(オゴ)りだよね、とついて来てくれた。(サソ)ったはいいものの何と切り出して良いものか分からずにいると、姉様(アネサマ)のことだろ?、と忋抖(カイト)食餌(ショクジ)頬張(ホオバ)りながら苦笑している。気まずいながらも小さく(ウナズ)くと、部屋にいるよ、と何でも無いように忋抖(カイト)が言う。


「気になるならいけばいいじゃん」


悪戯(イタズラ)な笑みをたたえて食餌(ショクジ)を続ける忋抖(カイト)の言葉に、それが出来ればやってるよ、とだけ(コタ)える。だろうね、と笑っている忋抖(カイト)(クワ)しいことは知らないよ?、と食べ終えた(ハシ)を置いて茶を飲み始める。


母様(カアサマ)が出すなって。それだけ」


悧羅(リラ)が?」


聞き返すと、うん、と忋抖(カイト)(ウナズ)いている。では悧羅がついているのか、と聞くがそれには忋抖(カイト)が首を振った。


「昨日まではそうだったけど妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)が帰って来たからね。帰ってきてからは妲己(ダッキ)がついてる。俺も気になって(ノゾ)いてるけど起きると泣くから母様(カアサマ)が眠らせてるよ」


「じゃあ…食餌(ショクジ)()ってないんじゃないか?」


「うん。食べたくないんだって。何で俺たちで姉様(アネサマ)の好きな饅頭(マンジュウ)買って行ったりしてるんだけどね。食べてくれない」


そうか、と大きく溜息(タメイキ)を着くと忋抖(カイト)は何も言わずに茶を(スス)っている。目が()めたら泣いてしまうのでは身体も憔悴(ショウスイ)しきっているはずだ。()せてんじゃないか?、とぽつりと(ツブヤ)舜啓(シュンケイ)に、それなりに、と忋抖(カイト)はまた苦笑した。そっか、と背中を椅子(イス)(アズ)けると胸の中がざわついてくる。だった四日(ヨッカ)姿が見えなかっただけでこんなにも気持ちが(サワ)ぐのならやはり離さなければ良かったのだ。


「…でもさ、こんなの(ジカン)がかかるもんでしょ。男にしろ女にしろ。心配し過ぎなくても良いんじゃない?近いうちに姿くらいは見れるよ」


「…知ってんだ?」


小さく笑う舜啓(シュンケイ)に、何にも、と忋抖(カイト)湯呑(ユノ)みを置いた。


「何があっても言うような姉様(アネサマ)じゃないし。ただ母様(カアサマ)が出すなっていうなら絶対(ゼッタイ)だからね。()()()()って母様(カアサマ)が思った。それだけだよ」


四日(ヨッカ)前に自室から出てこない媟雅(セツガ)の様子を見に行ったのは悧羅だった。いつもなら磐里(バンリ)加嬬(カジュ)(マカ)せるところを悧羅が(ミズカ)ら行ったということは何かしらわかっていたのかもしれない。戻ってきた悧羅は、自分の手伝いをさせるからしばらく宮から出すな、と皆に伝えた。紳も何かを感じとったようだったが、わかった、と言うだけでそれ以上は聞かなかった。もしかしたら二人の(トキ)には聞いているのかも知れないが忋抖(カイト)たち子ども達にも何も言わない。心配になってそれぞれが見に行くたびに部屋の中から(スス)り泣く声が聞こえて皆戸を開くことが二日は出来なかった。悧羅に顔だけでも見たいと願って眠らせている媟雅(セツガ)の顔だけは見る事が出来たけれど、泣き過ぎて腫れてしまった目を悧羅が冷やしているのを見て何も言えなくなった。寝ているだけなのに(コワ)れそうなほどに弱っているのは一回り小さくなった身体から見て取れた。


(ワラワ)(ツト)めには付いてゆくと()うてきかぬでの。しばらく休ませておる」


あの調子(チョウシ)では連れて行かない方が良いのではないか、と忋抖(カイト)啝珈(ワカ)は言ったけれど、そう言ったところで聞くような媟雅(セツガ)ではない。(オサ)の子でしかも長子(チョウシ)責務(セキム)を見つけ出しては背負(セオ)っている。忋抖(カイト)たち他の子ども達もそれぞれに責務(セキム)を持っているけれど長子(チョウシ)だからなのか媟雅(セツガ)は時に()め込むこともあるくらいだ。特に粛清(シュクセイ)に共に行ってからそれは強くなったように思う。多分舜啓(シュンケイ)忋抖(カイト)達にも言っていない事もあるだろう。


「そんなに気に掛けなくても数日中には出てくるよ。…出てきてもそっとしといてやってくれると弟としてはありがたいかな」


「…それは顔を合わせるなってことか?」


椅子(イス)に身体を(アズ)けたままで小さく嘆息(タンソク)する舜啓(シュンケイ)に、そこまでは言ってない、と忋抖(カイト)は苦笑した。


「見たところ舜啓(シュンケイ)もまだ思うところがありそうだしさ。お(タガ)いの気持ちが落ち着くまでは必要以上に(カカ)わると苦しいだろ?同じ近衛隊(コノエタイ)なんだし顔を合わせたり言葉を()わさなきゃならないこともあるし。それ以上はまだ無理だと思うよってだけ。無駄(ムダ)()けると余計(ヨケイ)傷つくだろうから」


肩を(スク)める忋抖(カイト)舜啓(シュンケイ)も、(ツト)める、としか言えず、代わりに大きな溜息(タメイキ)をつく。そこまで後悔(コウカイ)しているのならまた手を取りに行けばいいのに、と思ったけれど忋抖(カイト)はその言葉を呑み込んだ。二人の事は二人にしか分からない。忋抖(カイト)容易(タヤス)く口を(ハサ)むべきではないし、あと二日すれば本当に顔を合わせることになる。極内密(ゴクナイミツ)に行われている支度(シタク)は昨日妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)が戻って来たことで(スベ)(トトノ)った。後は()()()が動いた後に近衛隊(コノエタイ)武官隊(ブカンタイ)招集(ショウシュウ)をかけることになっている。それまでは気取(ケド)られないように弟達にも言っていないし、ましてや隊の者達など何が起こっているのか知りもしないのだ。


(タノ)むよ?これで舜啓(シュンケイ)まで苦しんでたら姉様(アネサマ)多分立ち直れないと思うから」


(ネン)を押すとまた大きな溜息(タメイキ)が聞こえる。それにまた苦笑しながら、甘味(カンミ)も食べていい?、と忋抖(カイト)は手を挙げて店主(テンシュ)を呼び始めた。


「…食べても良いからどうしてるかくらいはたまには教えてくれよ」


「知ってどうするのさ?知ったところで何もしないんだったら知る必要がないだろ?」


店主(テンシュ)に注文を済ませてから忋抖(カイト)(クビ)(カシ)げる。そうなんだけどさ、と言う舜啓(シュンケイ)もどうしてそんな願いをしたのか分からない。ただこのままでいいのかも分からない。


「俺が舜啓(シュンケイ)姉様(アネサマ)の事教えてもさ、それが舜啓(シュンケイ)納得(ナットク)のいくものかなんて分かんないじゃん?舜啓(シュンケイ)が安心するために姉様(アネサマ)の事知りたいの?」


「どうなのか分からないんだよな」


「じゃあ余計(ヨケイ)無駄(ムダ)じゃない?(タト)えば姉様(アネサマ)がこのまま引きずってたとしてそれを伝えてもどうしようもないんだろ?姉様(アネサマ)の心の中が(トトノ)って恋仲(コイナカ)になる相手や(ジョウ)()わしてるってのも教えなきゃなんないの?もしかしたら(チギ)りを(ムス)ぶ事だってあるよね?それ、教えて舜啓(シュンケイ)は分かったって言えんの?」


痛いところをつかれて舜啓(シュンケイ)は苦笑してしまう。その間に店主(テンシュ)(ハコ)んできた甘味(カンミ)忋抖(カイト)は口に(ホウ)りこんでいる。今のこの心持(ココロモ)ちではただ(マヨ)うだけなのだろう。この調子(チョウシ)ではいつまで(ジカン)を掛けたところで教えられた事に(オダ)やかに(サイワイ)(イノ)ってやる事などできないかも知れない。


媟雅(セツガ)舜啓(シュンケイ)(サイワイ)を望んでくれているのにどこまでも自分は勝手(カッテ)だ。


昼餉(チュウショク)馳走(チソウ)になったことだし、変わった事があれば教えてやるよ。でもそれが舜啓(シュンケイ)が望んでる答えじゃなくても知らないよ」


「俺の望む答え?」


甘味(カンミ)を食べ終えてまた茶を飲みながら言う忋抖(カイト)舜啓(シュンケイ)は聞き返してしまった。そうだよ?、と茶を飲み干して忋抖(カイト)は続ける。


「…え?自分が何を望んでるかも分かってないの?」


(アキ)れたように目を見開く忋抖(カイト)にまた舜啓(シュンケイ)は苦笑してしまう。分かんなくなってきてる、と正直(ショウジキ)に言うと、はあ?、とまた(アキ)れた声がした。まあ、そういう反応(ハンノウ)になるよな、とは思う。自分で自分の心が分からないから(トトノ)えるために媟雅(セツガ)がどう思ってどうしているのかが知りたいのかもしれない。


「それじゃあ、教えたって無駄無駄(ムダムダ)。まずは自分の心を整えないとそのまま突き進んだって何も良い事無いじゃないか。まずは舜啓(シュンケイ)は自分の心と向き合いなよ。姉様(アネサマ)に会いたいってなってもそれじゃ駄目(ダメ)だよ。手引(テビ)きもしてやれない」


自分よりも歳下(トシシタ)忋抖(カイト)にひらひらと手を振られて、だよなあ、と舜啓(シュンケイ)頬杖(ホオヅエ)をついた。


「とりあえず今何が一番大切な事なのかくらいは分かってよ。姉様(アネサマ)はきっと舜啓(シュンケイ)(サイワイ)を願ってるはずだからさ」


聞いたわけでもないだろうに媟雅(セツガ)と同じ事を言われて、(サイワイ)ねぇ、と舜啓(シュンケイ)はごちた。


今の自分にとっての(サイワイ)とは何なのだろうか?

何が一番心に(カゲ)りを()としているのか、などはすぐに分かるのに一番大切ななものが何なのか分からないのも不思議(フシギ)なものだ。とにかくさ、と忋抖(カイト)が立ち上がる。


「残りの(ツト)めをこなさないと考えるどころじゃないよ。まだ山のようにあるんだから」


(ウナガ)されるままに立ち上がって舜啓(シュンケイ)忋抖(カイト)と共に隊舎(タイシャ)に戻った。忋抖(カイト)舜啓(シュンケイ)と同じ一部隊(イチブタイ)(マカ)されている身だ。確かに朝から紳に(メイ)じられた(ツト)めは山のように二人に残っている。戻り次第(シダイ)隊士達(タイシタチ)(ツト)めを割り振って舜啓(シュンケイ)でなければならない(ツト)めをこなしていると、もやもやと考えている(イトマ)もなかった。自分の(ツト)めを片付けて隊舎(タイシャ)に戻る頃には(トリ)(コク)を過ぎ(アタ)りもすっかり()が落ちて宵闇(ヨイヤミ)に染まっていた。先に戻っていた隊士達(タイシタチ)から(マカ)せていた(ツト)めの(シラ)せを受けてまとめるとそれを紳に伝える。御苦労(ゴクロウ)さん、と(ネギラ)ってくれる紳はいつもと変わりがなかった。媟雅(セツガ)の事は悧羅から聞いて知っているだろうに何も言わないのも紳らしいといえば紳らしかった。


その紳もこの所(イソガ)しくしていて宮への(モド)りが(オソ)い。帰っていいぞ、と笑われて、あんまり無理しないようにとだけ伝えて舜啓(シュンケイ)(ヤシキ)に戻る。()けている間に宮の(ホノ)かな(アカ)りが目に入ったけれど出来るだけ見ないようにして()けていく。


今頃(イマゴロ)目を()ましてまた泣いているのだろうか、と(ヨギ)ったけれど頭を振って追い出した。忋抖(カイト)の言う通りまずは自分の心を(トトノ)えて何が一番大切でやりたいことなのかを考えなければならない。(ヤシキ)に入って(アカ)りを(トモ)してから湯処(ユドコロ)支度(シタク)(トトノ)えて湯を使う。ゆっくりと湯に()かると一日の(ツカ)れと共にとろりとした眠気(ネムケ)(オソ)ってきた。そういえばこの所(ネム)りも(アサ)かった。静かな部屋に居ると()()()媟雅(セツガ)が思い出されて微睡(マドロ)んでも夢を見ているかのようだった。大きく息をついて湯船(ユブネ)に肩まで()かって考え始める。


自分が望む答えとは何なのだろうか?


今までぐるぐると考えていたのは手を離したのが正しかったのか、媟雅(セツガ)に何も言わせなかった自分の卑怯(ヒキョウ)さや、これから先に現れるであろう媟雅(セツガ)の新しい相手の事ばかりだった。それらを一旦(イッタン)頭の片隅(カタスミ)に追いやって何がしたかったのかをもう一度深く考えてみる。


しばらくそうして考えていたがやはり答えは見つからない。湯当(ユアタ)りしそうになって湯船(ユブネ)から上がり身体の水気を手拭(テヌグ)いで取ると寝間着(ネマギ)羽織(ハオ)る。夕餉(ユウゲ)()る気になれなかったので酒だけを持って寝所(シンジョ)に入った。()いたままだった布団(フトン)の上に座って酒瓶(サカビン)ごと酒を(アオ)り始める。この数日は媟雅(セツガ)の事ばかり考えていたので(ヤシキ)の中のことも出来ていない。近い内に休みを取って(ヤシキ)の中の事も(トトノ)える必要があった。媟雅(セツガ)(トナリ)にいた頃は舜啓(シュンケイ)が忙しくしていると、特に何を言うでもなく(ヤシキ)の中の事まで整えてくれていた。いつのまにか当たり前のように甘えていた事にも気づいて自嘲(ジチョウ)しながら酒を呑む。


一緒(イッショ)にいた(ジカン)が長過ぎてさまざまな事が思い出された。その中で自分が一番望む事を考え続ける。あっという間に無くなった酒瓶(サカビン)(ホウ)ると何かに当たる音がした。こつりという音に(ミチビ)かれるように転がした酒瓶(サカビン)のところまで行くと光る(カザ)りが見えた。(テノヒラ)に乗る程度の軽い()()(クシ)だった。媟雅(セツガ)のものだ、とすぐに分かる。(クシ)を持ったまま又布団(フトン)に戻って寝転がると、何だ、と笑いが出た。思い(ナヤ)んでいた事など(オサナ)い頃から変わらない容易(タヤス)い事だった。


舜啓(シュンケイ)が一番望むもの。


ただ媟雅(セツガ)(サイワイ)でいて欲しいのだ。

ただ(サイワイ)にするのは自分でなければ嫌なのだ。

ただ舜啓(シュンケイ)媟雅(セツガ)を求めているだけだ。


なんて当たり前の事だったんだろう、と声を出して笑いながらそれでも媟雅(セツガ)を傷つけた自分が腹立(ハラダ)たしくて仕方なくなる。今すぐ宮に()けて行って許されるものなら(アヤマ)ってやり直したいと伝えたいが思い(トド)まる。忋抖(カイト)は悧羅が眠らせている、と言っていた。無理に起こしてしまうのも(シノ)びない。(ハヤ)る気持ちを落ち着けて数日中(スウジツチュウ)には会えるだろう、と言った忋抖(カイト)の言葉を信じて待つ事にする。


会えた時にはすぐに伝えることが出来る様に、言葉と心を(トトノ)えることにして目を閉じる。手には媟雅(セツガ)(クシ)(ニギ)ったままで。



満月の夜まであと二日に迫っていた。

ぐるぐると廻っておりますが少しずつ進展させていきます。


お付き合いいただきありがとうございます。

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