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糺す【拾参】《タダス【ジュウサン】》

遅くなりました。

更新致します。

やれやれ、と湯から上がって縁側(エンガワ)(コシ)()ろした悧羅(リラ)の背後で、お(ツカ)れでございますか?、と加嬬(カジュ)手拭(テヌグ)いと(クシ)を持ってきて座った。()れたままの髪を丁寧(テイネイ)水気(ミズケ)加嬬(カジュ)が取ってくれていると磐里(バンリ)()えた水を(ゼン)に乗せて(ハコ)んで来てくれる。差し出された水を受け取ると磐里(バンリ)もそのまま悧羅の(ソバ)(スワ)った。悧羅の髪を整えている加嬬(カジュ)もいつもより丁寧(テイネイ)に行ってくれているようだ。


近頃(チカゴロ)旦那様(ダンナサマ)御子様(オコサマ)がたもお(イソ)がしゅうにしておられるようでございますものね。(オサ)も何やら落ち着きになられないようで…。私共(ワタクシドモ)(アン)じておりますのですよ?」


「…(オサ)私共(ワタクシドモ)には心配を掛けまいと何も(オオ)せになられませんからね。これまでもそうでございましたけれど。これでも500年もお(ソバ)におりますのですから何某(ナニガシ)かお(ナヤ)みになられておるのは分かってしまうものなのですよ?」


二人の言葉に小さく笑いながら悧羅は受け取った水を飲んだ。よく冷えた水が(ノド)を通っていくのが心地(ココチ)よい。(タイ)したことはない、と二人に言うと、またその様な事を、と溜息(タメイキ)をついている。何も二人に(カク)そうと思っているわけでは無かったのだが、気づけば十五年何も言わないままだった。話せば(アヤ)うい目に合わせてしまうかもしれないと心と何処(ドコ)かにあったかも知れないが、二人が過ごすのは悧羅の宮の中なのだからそう(アヤ)ういことなど起こるはずもない。とはいえ全て終わるまで後少しだ。ここまで黙っていたのだから、何も(シラ)せず終わってから茶飲(チャノ)(バナシ)として聞かせてもいいだろう。


「ほんに大した事はない(ユエ)(アン)じてくれるな。…まだ(ダレ)(モド)ってきてはおらぬのかえ?」


(ユワ)えられた髪を(サワ)りながら(タズ)ねると二人が首を振る。もう(ヨイ)()けてきているのだが確かに近頃(チカゴロ)皆の戻りは(オソ)くなってきている。妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)(ツカ)いに出しているから必然的(ヒツゼンテキ)に悧羅も女官(ニョカン)二人と宮にいる事が多くなった。


まるで三十余年(ヨネン)前までのようだ、と静かな宮の中庭を見やると池には王母(オウボ)(シン)と悧羅を場に呼んだ時に共に(モド)した(ハス)の華が浮かんでいる。(ホノ)かに(カガヤ)くそれらはさすがは王母(オウボ)の華というべきなのか一切(イッサイ)()()てる事がない。(ツネ)(ツユ)(シタタ)るように閉じては開き開いては閉じる。


「…三十余年(ヨネン)前まではこの静けさが当たり前であったのにのう。今では静けさがあるのが不可思議(フカシギ)な思いじゃて」


小さく笑いながら中庭を(ナガ)める悧羅に磐里(バンリ)加嬬(カジュ)も、そうでございますね、と目を細める。三十余年(ヨネン)前には宮の中が(ニギ)やかになるなど(ダレ)も想像していなかった。ただひたすらに()えて(シノ)ぶ悧羅が縁側(エンガワ)に座る時は冷たい顔で小さく息をつき細い身体の横に妲己(ダッキ)(ハベ)って(ナグサ)めていた。広い宮の中に悧羅と妲己(ダッキ)磐里(バンリ)加嬬(カジュ)の四人だけで静かに過ごしていたのに、(シン)が入ってきた事で全てが一変(イッペン)した。紳と悧羅が同じ床で眠って目を(サマ)さなかった日を(ナツ)かしく思い出して磐里(バンリ)加嬬(カジュ)は共に微笑みながら悧羅を見た。500年自分を()し殺して耐えていた悧羅が手にする事を捨てていたものまで今はある。(ソバ)で見ていた磐里(バンリ)加嬬(カジュ)にとれば本当に感慨深(カンガイブカ)い。


「あっという間でございましたものね。特に御子様方がお生まれになってからは、日々が(ニギ)やかで…。悪戯(イタズラ)なさる御子様方(オコサマガタ)(シカ)らせていただくなど、ほんに(ホマ)れな事でございますよ」


「あの様に小さかったのにのう…。其方(ソナタ)達に付いて廻っては妲己(ダッキ)(クワ)えて戻す。(ナツカ)しい(カギ)りじゃな」


小さく笑う悧羅に、本当に、と磐里(バンリ)加嬬(カジュ)も笑ってしまう。目を細めればその時の光景(コウケイ)がその場に(ヨミガエ)ってくるほどにこの三十年は速かった。日々(サイワイ)(ツツ)まれていく悧羅を見ているのは二人にとっても(サイワイ)だったのだから。まさか六人も子に恵まれるなど思ってもいなかった。紳と悧羅の姿に子ども達が追いついてしまったがそれでも二人は変わらない。悧羅に(イタ)ってはますます美しさが増すばかりで、紳が離したがらない気持ちも鬼女(キジョ)である二人にも分かるような気がしてしまう。同じ鬼女(キジョ)であっても、どきりとさせられる事があるからだ。それも紳と共にいる様になってからの事であるから、やはり悧羅には紳が必要だったのだと痛感(ツウカン)させられる。


(ヨイ)()けて少し肌寒(ハダザム)い風が吹いてきて、加嬬(カジュ)が中に入る様に悧羅に(ウナガ)すがゆっくりと頭を振っている。紳が戻ってくるまで縁側(エンガワ)で待つのが悧羅のいつもの姿なのだ。紳は中に入っていて欲しいと願うのだがこればかりは悧羅が退()かない。一番に(ムカ)えたい思いがあるのだろう。それを分かってか紳も玄関(ゲンカン)から戻ってくる事は少なくなり、(ジカ)に中庭に降り立つようになった。子ども達は玄関(ゲンカン)から入ったり中庭に降りたったりと様々(サマザマ)なので、迎える磐里(バンリ)加嬬(カジュ)もこの場で(マミ)えるようになってしまった。(ツカ)える女官(ニョカン)としてはどうなのか、とも思うが悧羅も子ども達もそれで良いと言ってくれる。


「大きゅうなられるのは(ハヨ)うございますから。手が離れてしまうと(サミ)しゅうもありますものね」


自分の子ども達の事も思い出しながら磐里(バンリ)が笑う。そういうものですか、と加嬬(カジュ)は首を(カシ)げているがそれにまた磐里(バンリ)は笑ってみせた。


加嬬(カジュ)も良い者を見つけたら言うのだえ?(ワラワ)にかかりきりで出会いも無かったろうからの。…申し訳なく思うておるよ」


苦笑しながら言う悧羅に、まあ、と加嬬(カジュ)(ホオ)(フク)らませた。


「何を(オオ)せになられますか。(オサ)のお(ソバ)()れることなどこの上ない(ホマレ)でございますのに。(ワタクシ)を追い出さないで下さいまし」


「そういうつもりではないのだが…。其方(ソナタ)ならば引く手数多(アマタ)であろうと思うてな」


小さく笑う悧羅にまた加嬬(カジュ)(ホオ)(フク)らませる。


「そのような殿方(トノガタ)がおりますればすぐに申し上げておりますよ。旦那様(ダンナサマ)若君(ワカギミ)方を近くで見過ぎて加嬬(カジュ)の目は()えきってしまっておりますのです。旦那様(ダンナサマ)若君(ワカギミ)方以上でなければ(ワタクシ)は嫁になど(マイ)らぬと決めております」


()ねたような加嬬(カジュ)の姿に悧羅も磐里(バンリ)も声を上げて笑ってしまう。それはなかなかにおらぬでしょう、と磐里(バンリ)が言うと、そうでございますよ、と加嬬(カジュ)が胸を張った。近くで見てきた紳と悧羅のように互いをいつも(イツク)しめる相手でなければ納得できない。宮にいて二人の姿を見てきているからか本当に目が()えてしまったのだ。


「では(ワラワ)の子らなどどうじゃ?」


笑いながら(タズ)ねる悧羅に、とんでもございません、と加嬬(カジュ)が急いで首を振った。悧羅の子ども達など加嬬(カジュ)にとっては高嶺(タカネ)の華すぎる。何より赤子(アカゴ)の時から世話(セワ)をしてきたのだ。加嬬(カジュ)にとっても子どものようなものなのだから(ツレアイ)になるなど考えられない。


「お(タワム)れがすぎますよ、(オサ)。あまり(ワタクシ)(イジ)めにならないでくださいまし」


大きく嘆息(タンソク)する加嬬(カジュ)にまた悧羅と磐里(バンリ)は笑ってしまう。どうにか話を変えたくて加嬬(カジュ)は茶を()れてくる、と立ち去ってしまった。おやまあ、と笑う悧羅に磐里(バンリ)が苦笑する。


「良い者ができたらすぐに(オサ)にお伝えしますでしょう。加嬬(カジュ)にとりましては(オサ)はお(ツカ)えすべき(タツト)ぶお方ですが、姉のような所でしょうからね」


「それは(ウレ)しゅうあるの。(ワラワ)は甘えてばかりじゃがな。なれどそれを言うのであらば磐里(バンリ)(ワラワ)にとれば母のような者であるな。(シカ)られては(カナ)わぬからの」


「それはそれは。長年お(ツカ)えした甲斐(カイ)もあるというもの。何よりの褒美(ホウビ)でございますよ」


くすくすと二人で笑っていると(ニワ)かに(ミヤ)の入り口が(ニギ)やかになった。お戻りのようですね、と立ち上がる磐里(バンリ)の視線の先から子ども達が全員(ソロ)って入ってきた。今日も鍛錬(タンレン)が厳しかったと見えて皆土埃(ツチボコリ)にまみれている。まあまあ、と子ども達を(ムカ)えながら湯殿(ユドノ)支度(シタク)を整えに磐里(バンリ)が立ち去っていく。入れ違いに温かい茶を持ってきてくれた加嬬(カジュ)も戻ってきた子ども達を見て磐里(バンリ)の手伝いに向かった。歩いてくる子ども達を、お(モド)りやし、と(ムカ)えると皆一様(イチヨウ)に笑顔になって悧羅の(マワ)りを取り囲むように座り始める。


(イソ)がしゅうあったかえ?」


(ソバ)に寄った玳絃(タイゲン)灶絃(ソウゲン)の頭をそれぞれに撫でると、いつも通りだった、と笑っている。そうか、と微笑む悧羅に、もうすぐ父様(トウサマ)も戻ると思う、と媟雅(セツガ)が教えてくれた。


「冷えるから母様(カアサマ)も中に入りなよ。身体壊したらどうするのさ?」


心配そうに立ち上がりながら忋抖(カイト)が言うが悧羅が部屋に入らないのはわかっている。悧羅の部屋から上衣(ウワゴロモ)を取ってくると(ダマ)って掛けてくれた。くすくすと笑う悧羅に、何さ?、とまた座りながら忋抖(カイト)(タズ)ねた。


「…いや…。其方(ソナタ)達は(ワラワ)に甘いと思うてな」


笑い続ける悧羅に、当たり前でしょ、と子ども達が声を(ソロ)えて言う姿が面白(オモシロ)くて悧羅はまた笑ってしまう。そんなに心配しなくても良い、と言うが(ダレ)も首を(タテ)に振らない。悧羅に甘い所は(シン)(ユズ)りだと思いながら子ども達に湯を使うように(スス)めると、(アタタ)かくしててね、と言い置いて皆が湯殿(ユドノ)に向かった。背中を見送りながら、本当に大きくなったものだ、と目を細めてしまう。下の子ども達も近衛隊(コノエタイ)入隊(ニュウタイ)した。紳の直下(チョッカ)(キタ)えてもらいたい、ということもあるのだろうが近衛隊(コノエタイ)が悧羅の護衛(ゴエイ)(ニナ)うということも理由の一つであることを悧羅は知っている。あと数百年もすれば子ども達が近衛隊(コノエタイ)(ニナ)い里の(カナメ)となっていくだろう。その日が来るのを楽しみにしながらも、それまで(イサカ)いのない里にしなければ、と強く思う。若い者たちも()いた者たちも皆が笑って過ごせる里にしておくことが悧羅の(ツト)めなのだ。まだ能力(チカラ)自体(オトロ)えてはいないし、どちらかといえば増して来ている。悧羅の定命(ジョウミョウ)は遠いだろう。


数十年前までは早く定命(ジョウミョウ)(ムカ)える事を望んでいたのに今では出来るだけ長く世に居たいと願っている。考えは変わるものなのだな、と変わった自分に苦笑するしか無いがそれも仕方ないとさえ思う。何よりも大切な伴侶(ハンリョ)や子ども達を()てしまっては離れ(ガタ)くなるのは当たり前だろう。贅沢(ゼイタク)になったものだな、と手にしていた茶を(スス)っていると中庭に(イト)おしい姿が降り立った。


湯呑(ユノ)みを(カタワ)らに置いて歩み寄ってくる紳に、お(モド)りやし、と微笑(ホホエ)むと、ただいま、と笑って抱きしめながら口付けてくる。そのまま(トナリ)に座って悧羅を引き寄せながら精気(セイキ)を送り始める紳もいつもの事だ。


「冷えるから中で待っててって言うのに。身体(コワ)したらどうするの?」


子ども達と同じ事を言われてしまって悧羅はくすくすと笑う。本当に皆悧羅に甘すぎる。


「いつも言うておるであろ?そこまで(ヨワ)くはない、と。紳が精気(セイキ)を分けてくれておるに、(アン)じずとも良い。子ども達も紳と同じことばかり言うて、(ワラワ)が護られてばかりではないか」


「それでいいの。悧羅はちょっと(サワ)ると(コワ)れそうだからね。子ども達も大事にしたいんだよ」


悧羅の(ヒタイ)に口付けて笑う紳が上衣(ウワゴロモ)を整えてくれた。


「そんなに容易(タヤス)くは(コワ)れぬよ?…紳が一番知っておろう?」


身体を(アズ)けると紳の体温が伝わってきてほっと安堵(アンド)してしまう。小さく嘆息(タンソク)する悧羅を抱きしめる腕に力が込められた。


「俺以外に知ってたら、俺が(コワ)れちゃうよね」 


「…そうであろうな。…大事(ダイジ)ないかえ?」


腕の中から紳を、(アオ)ぎ見ると少しばかり苦笑している。あと数日後に(セマ)った満月の夜は十五年かけて仕掛(シカ)けた(クワダ)てを行う事になっている。それまで相手に気取(ケド)られないように振舞(フルマ)わねばならないのだが、紳が一番その者と近しい。仕方(シカタ)がないと、どうにか()()もうとしている紳の苦しさは十分に悧羅にも伝わっている。


「心配してくれて(ウレ)しいけど、俺は大丈夫だよ」


聞けばいつもそう返してくれるがそれが心の(ソコ)からの言葉でない事は悧羅にも分かる。ぽすりともう一度紳の胸に身体を(アズ)けて悧羅は小さく息をはいた。


「…あまり無理をしてくれるでない。其方(ソナタ)(クル)しゅう(オモ)うておるは(ワラワ)にも分かる(ユエ)。このような時にこそ支えねば(ワラワ)が共におる(コトワリ)を失うではないか。…その昔、其方(ソナタ)(ワラワ)に言うてくれたであろ?」


「そうだったね。…じゃあ全部終わったら甘えさせてくれる?今甘えると張り詰めてる気持ちまで(ユル)みそうだからさ」


抱きしめられる腕の力が強められてそれに悧羅は手を当てた。


「どれだけでも。其方(ソナタ)の好きにして(カマ)わぬよ。…其方(ソナタ)の痛みを分けてくれるのであらば、の」


うん、と(コタ)えた紳をもう一度(アオ)ぎ見るとそのまま(クチビル)(フサ)がれた。痛いほどの苦しみも流れ込んでくるが今はまだ悧羅も何も言うことができない。紳と同じ思いを悧羅も幾度(イクド)となく感じてきているからこそ、何も言葉を(ツム)げないのだ。紳が苦しんでいる今も、(コト)が終わった後も(ソバ)にいて支えることしかできないだろう。


だが、それでいいのだとも思う。


悧羅が苦しんでいる時も紳はただ(ソバ)にいてくれた。それがどれだけ心を安らげてくれたかなど紳は知る(ヨシ)もないかもしれない。ただ一人で(カカ)えこんでいた頃を思えば(トナリ)で共に背負(セオ)うと言ってくれている者がいるだけで肩の力が抜けた。紳が悧羅に与えてくれたように、今度は悧羅が紳に安らぎを与える番なのだ。(クチビル)が離された()わりに抱きしめられる腕に力が込められた。その腕を優しく(タタ)いていると、大きな溜息(タメイキ)頭上(ズジョウ)で聞こえる。しっかりしなきゃな、と自分を鼓舞(コブ)するような紳の声に悧羅はまた廻された腕を叩いた。


空を見上げるとまだ()けた月が浮かんでいる。あれが丸くなる時には動きはじめなければならない。


本当に、無理だけはさせたくないのだがな…。


見上げた月に向かって小さく嘆息(タンソク)すると名を呼ばれた。月から紳に視線を(ウツ)して微笑(ホホエ)むと、どうした?、と見下ろされた。いや、と苦笑(クショウ)する悧羅に紳もまた嘆息(タンソク)する。


「…また置いていこうとか考えてるでしょ?」


考えを読まれて、おや、と笑うと(アキ)れたような表情になっている。無理をたせたくないのだ、と言うがそれにもまた紳は(アキ)れたようだ。


「それ…、俺がいつも思ってることだからね?悧羅が聞いてくれた(タメ)しはないけどさ」


「おやまあ、それはせんないことをしておったのだな」


くすくすと笑い出す悧羅に、やっと分かったでしょ?、と紳が苦笑している。そうであれば悧羅が置いていこうとしても決して紳は、()、とは言わないだろう。


「悧羅は忘れてるかも知れないけど俺の役目は悧羅の側近護衛(ソッキンゴエイ)なんだからね。子ども達も連れていくのに俺が(ソバ)に居ないなんてこと出来るわけもないでしょ?置いていこうなんて変な事本当にしちゃったら、俺泣くよ?」


頭に紳の顔が(ウズ)められたのが分かって、悧羅はますます小さく笑う。承知(ショウチ)した、と笑いながら応える悧羅に(アキ)れ返ったような紳の嘆息(タンソク)がまた降ってくる。やれやれと抱きしめていた悧羅を持ち上げて自分と向かい合わせにするともう一度深く口付ける。


「そういうこと考えなくていいから、悧羅は怪我(ケガ)しないようにだけ気をつけてよ。俺が(ソバ)にいるのに十五年前みたいな大怪我(オオケガ)されたら困るんだからね」


「あい分かった。怪我(ケガ)などせぬと紳に(チカ)うとするえ?」


「どこまで本当だか?」


(ヒタイ)を付けて紳も小さく笑い出す。二人で笑い合っていると、父様(トウサマ)お帰り!、と子ども達の声がした。声のした方を二人で見ると啝珈(ワカ)()け寄ってきて紳の背中に飛びついてくる。反動で悧羅を落としそうになって(アワ)てる紳に他の子ども達も笑いながら周りに座った。


「まあた二人で(タノ)しんでたの?」


揶揄(カラカ)うように髪を()きながら笑う忋抖(カイト)に、(ウラヤ)ましいだろ?、と背中に抱きついたままの啝珈(ワカ)を離しながら紳が笑った。どうにか落とさずに済んだ悧羅をもう一度膝の上に座らせて抱きとめ直すと、また啝珈(ワカ)が紳の背中にひっついてくる。


父様(トウサマ)母様(カアサマ)って変わらないよね。俺たちが小さい頃からその調子(チョウシ)だもんね」


「私が小さい時からこんな感じよ?…今更(イマサラ)変わられたら、そっちの方が(オドロ)いちゃうじゃない」


灶絃(ソウゲン)の笑いを含んだ言葉に媟雅(セツガ)が、馬鹿(バカ)ね、と小突(コヅ)いた。そっか、と灶絃(ソウゲン)も髪を拭きながら納得(ナットク)する。紳と悧羅が仲睦(ナカムツ)まじいのは里の民達(タミタチ)でさえ知らない者がいないくらいだ。何十年も一緒に居てよく()きないものだ、とも思うが二人を見ていると日に日に(タガ)いへの愛情が深まっているようにも見えて不思議(フシギ)にもなる。


「よく()きないよねえ。毎日毎日…」


双子の片割(カタワ)れである玳絃(タイゲン)磐里(バンリ)加嬬(カジュ)が持ってきてくれた水差(ミズサ)しを受け取りながら苦笑している。


「どんなに仲が良いっていったって、こうも何十年も一緒に居たら少しは()きそうなもんなのにね」


玳絃(タイゲン)を手伝って人数分の水を()いで渡しながら皓滓(コウサイ)までも肩を(スク)めている。紳と悧羅の昔の話を知っている上の三人はまず()きることなどないだろう、と分かっているが話を知らない下の三人がそう思うのは無理もないのかも知れなかった。紳と悧羅も聞かれない(カギ)り話そうとはしないはずだ。あまり話したくない事だと言っていたし、出来れば思い出したくもないはずなのだ。だが、紳と悧羅は玳絃(タイゲン)皓滓(コウサイ)の言葉に声を上げて笑っている。()きるんだって、と笑い合う二人は子ども達の(オサナ)い頃の姿となんら変わらない。


「お前たち分かってないなあ」


悧羅を抱きしめながら紳が玳絃(タイゲン)皓滓(コウサイ)に向かって笑っている。


「悧羅って里一番の女なんだぞ?そんなん手に入れて()きるなんて事ないでしょ?第一そんな数十年で()きるようなら(チギ)る必要も無いじゃないか。鬼の(セイ)なんて長すぎるんだからな」


それはそうかもしれないけどさ、と水を飲みながら灶絃(ソウゲン)が苦笑している。


「何でそこまでっては思うよね。なんかあったの?」


突如(トツジョ)核心(カクシン)(セマ)られて紳も言葉に()まってしまった。その表情に、やっぱりね、と灶絃(ソウゲン)が笑っている。どう考えてもそうとしか思えなかったのだ。


(コウ)兄様(アニサマ)とも言ってたんだよ。絶対なんかあったんだって。でないとここまで(タガ)いを想いあってる(ツレアイ)なんて見た事ないもん」


悪戯(イタズラ)に笑いながら、何があったのさ?、と(タズ)ねてくる灶絃(ソウゲン)に紳も悧羅も小さく苦笑した。いつか聞かれる日が来るだろうとは思っていたがこんなに軽く聞かれるとは思ってもいなかった。どうする?、と紳が悧羅に聞くと、良いように、と悧羅も(ウナズ)いた。上の三人には話して聞かせているのだ。これまで紳と共にいた事で500年前の事など本当に些末(サマツ)な事だと思えている。聞きたがるのであれば特段(トクダン)(カク)す事でも今は無いとさえ感じているほどに(サイワイ)なのだ。


面白(オモシロ)い話じゃないからな」


前置きして紳は話し始める。500年前の事をゆっくりと。紳にとっては忘れてはならないことを話し終えると、皓滓(コウサイ)灶絃(ソウゲン)玳絃(タイゲン)がいつのまにか居住(イズ)まいを(タダ)していた。はい終わり、と笑った紳に、ごめん、と三人が頭を下げている。どうした?、と首を(カシ)げる悧羅に、そこまで深い話だと思ってなかった、と灶絃(ソウゲン)がますます頭を下げる。


「よいよい。そう気負(キオ)うでないよ。ほんに遠い日の事であるのだから」


悧羅の言葉で顔を上げた三人の目には(ウッス)らと涙が(ニジ)んでいた。泣くなよ、と紳に笑われて必死に涙を(コラ)えるが(アフ)ら出るものは止められない。だが、二人が(タガ)いを(イツク)しみ合う理由が分かってすっきりしたのは本当だ。


「泣くなって。…って言っても無理か。上の三人も聞いた時泣いてたしな。だけどお前たちがいるから少し話しやすくなったってのもあるし…。とりあえず俺が悧羅以外見ない理由は分かったろ?それさえ分かっててくれたら良いから」


ね?、と悧羅の(ホオ)に口付けている紳に三人は大きく(ウナズ)くしかない。それに、よし、と言い置いて悧羅を膝から降ろすと紳も湯を使ってくる、と大きく伸びをしながら湯殿(ユドノ)に向かって行った。ゆるりと、と見送る背中に声を掛ける悧羅に手を挙げて応えながら廊下(ロウカ)の先に消えていく。紳が見えなくなってから悧羅は涙を流している三人の(ホオ)其々(ソレゾレ)に撫でた。微笑みを浮かべる悧羅に、母様(カアサマ)、と皓滓(コウサイ)が声をかけた。


「…(ハラ)疵痕(キズアト)って今もあるの?」


聞いてもいいものか悩んだような声音(コワネ)に悧羅は静かに(ウナズ)く。


「…今でも痛んだりしてる?」


「…時には、といったところだの。紳と共におるようになってからはそう痛みもせぬし()()ることも少のうなった」


そっか、と涙を拭きながら意を決して次の言葉を皓滓(コウサイ)(ツム)ぐ。


「それってさ…、見せてもらうことってできないかな?」


皓滓(コウサイ)の言葉に上の三人が息を呑んだ。自分たちが話を聞かせてもらった時には言えなかった言葉なのだ。そこまで踏み込んではならない、と自制(ジセイ)が働いたから。少し考えて悧羅は立ち上がって自室に向かう。座ったままの子ども達に、おいでやし、と声をかけると皆が立ち上がって悧羅と共に部屋に入った。


「見ても気持ちの良いモノでは無いえ?」


座りながら言う悧羅に皆が大きく(ウナズ)くと、寝間着(ネマギ)(オビ)(ユル)めて下腹(シタバラ)(アラワ)にする。途端(トタン)に子ども達の目に飛び込んできたのは真っ白な肌に(カゲ)りを落とす(オビタダ)しい数の疵痕(キズアト)だった。刺し傷だけでなく時には(タテ)に横にと切り裂かれ引き()れている部分まである。息を呑みながら触ってもいいか、と(タズ)ねる子ども達に悧羅は静かに微笑んだ。六つの手が疵痕(キズアト)に触れて手が引かれると悧羅は寝間着(ネマギ)を整える。


母様(カアサマ)はそれだけ父様(トウサマ)以外の子を(ハラ)むのは嫌だったんだね」


手に残った疵痕(キズアト)感触(カンショク)を忘れないように握り締めながら媟雅(セツガ)(ツブヤ)いた。同じ女であるからこそ(ミズカ)らの子袋(コブクロ)(ツブ)すということがどういうことなのかは分かる。その後に待ち(カマ)えていた(オサ)としての苦渋(クジュウ)も今なら理解できる。


(ワラワ)勝手(カッテ)にしたことであるからな。紳を()めておくれでないよ?紳は共におる時は(ワラワ)(キズ)を隠すな、と言うのでな。…(イマ)だに(オノレ)()めておるのであろうよ。(ワラワ)其方(ソナタ)たちという(サイワイ)をくれておるのにのう」


今では些末(サマツ)なことなのだから、と微笑む悧羅の前で子ども達はそれぞれに疵痕(キズアト)に触れた手で(コブシ)(ニギ)る。自分たちがここにあることを当然(トウゼン)だと思ってはならないのだ、と誰もが思った。



満月の夜まであと九日(ココノカ)だった。

遅くなり申し訳ありません。

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