糺す【拾弐】《タダス【ジュウニ】》
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朝議の間で紳は荊軻から渡されて手に取った文書を読み終わると、それを投げ出しながら溜息をつくしか無かった。投げ出された文書を拾い上げながら荊軻も溜息をつく。頭を抱えた紳を枉駕も栄州も気遣うように見守るしかない。紳の隣に座っている悧羅は何を言うでもなくその膝に手を置いた。頭を抱えていた手を片方だけ解いて膝に置かれた手を握ると、そっと上から手が包まれた。その姿を見ながら拾い上げた文書を巻き取りながら荊軻は再び大きく嘆息する。巻き取っている文書には、この十五年で見つけた間者の近頃の動向が記してある。紳にとっては読みたくも無ければ信じたくもない事柄ばかりだ。幾ら既に分かっていた事とはいえ、やはり目にすると動揺と衝撃が大きいのは仕方が無いだろう。
巻き取った文書を自分の横に置くと、悪い、と紳の小さな声がする。いいえ、と荊軻は静かに首を振った。これでも始めの頃よりは幾分か落ち着いてくれた方だ。その者の名が上がった時には戸惑って声も出せていなかった。紳がそれ程に戸惑うのは悧羅に何かあった時だけだと思っていた荊軻達も紳の戸惑いぶりに驚いたものだ。見守る中で、大丈夫だ、と大きく息をついて紳が真っ直ぐに顔を上げた。
「…無理をせずとも良いのだえ?何であれば紳はこの企てから外れても良いのだがな…」
包んだ手を撫でながら言う悧羅に、いや、と紳は小さく笑って見せた。
「分かってるつもりなんだけどね。何処かでやっぱり信じたくない気持ちが残ってるんだろうな」
痛々しくも笑う紳に、心中お察しする、と栄州も苦虫を噛んでいる。この十五年で集めた物は全てが紳を傷付けるには十分な事柄ばかりだ。紳にとっての第一が悧羅なのは皆が知っている事だがそれでも上がってくる報せに眉を顰めたくなるのも分かる。それほどまでに動いている理が稚拙過ぎるのだ。
「…既に策は仕掛け終わっておりますれば早々に動きがあれば分かりますでしょう。私共だけでも片はつきましょうから長の申される通り今回ばかりは紳様はお外れになられてもよろしいのでは?」
紳を慮って荊軻が言うが紳は首を振って、それは出来ないよ、と苦笑する。
「悧羅が動く時に俺が側に居ないなんてこと許されるわけないでしょ。見張ってないとどんな無茶でもしちゃうんだから」
空いた手で悧羅の頬を撫でる紳に悧羅は小さく嘆息するしかない。だが今回ばかりは紳の心の方が気に掛かる。言うてもきかなんだろうな、と溜息をつくと紳はまた小さく笑って見せた。大丈夫だ、ともう一度紳が言って朝議が再び始められる。では、と荊軻が余り面白くも無い話を始めた。
「まず整えましょうか。初めは闘技での矜焃、荽梘に事は始まりましたね。あの二人が姍寂の作った犬神…、今の哀玥でございますね。それに当てられていたかは分かりませんが其処から長に対する不穏が見え始めました」
うん、とその場の者達が頷きながら十五年前の事に思いを馳せる。一つは力で全てを治めるべきといい、一つは悧羅に対する私怨で動いていた。
「その後姍寂が哀玥を用いて民達を惑わし『誅芙蓉』を掲げた者たち…一万でございますが長により粛清という形を取らざるを得ませんでした」
その言葉に悧羅の胸の奥がちくり、と痛んだけれど顔に出さないように努める。もう少し早く哀玥の存在や姍寂の壊れた心を読み取っていることが出来ていれば一万もの若い民達を殺めずに済んでいたかもしれない。その思いは十五年経った今でも変わることはない。ふいにずっしりと両肩が重くなったように感じたけれど、それを振り払うように悧羅は軽く頭を振った。長?、と枉駕が声をかけたが、何でもない、と荊軻に先を促すように言う。紳と繋がれたままの手に少し力が入れられたのが分かった。思い出して悔やむな、ということなのだろう。
「最後が大国の犬神騒動でございますね。姍寂が作っておりましたモノは十体。その内の数体が図らずも蠱毒の様相を呈し朝を腐敗させておったようですが、王母様の任が下りまして始末が済んだ。…ここまでが十五年前の事でございますが、よろしゅうございますか?」
一旦言葉を切って荊軻が見廻すと皆大きく頷いている。よくよく考えればそうも大きな騒動が立て続けに起こっていたことが異変の兆候であったのだ。あの時に哀玥が悧羅の眷族となっていなければ今でも核には近づけていなかったかもしれない。
「この十五年で調べ上げた事から申し上げますと、まずは姍寂の縁者で妹、と名乗っておりました者は妹としての縁者では無かったということでございます。とある呪でそう見えていただけの事。そしてその者は姍寂を拐わかして壊れさせ自らの手を汚すことなく身を潜めておりました。これに気づかれたのは啝珈姫様ですね」
極秘密裏に調べていたのだが唐突に夕餉の席で啝珈が、変な者がいる、と言い出したのは十年前になる。啝珈の突破な発言はいつもの事であったので何も気にせずに紳や悧羅、他の子ども達も特に気にせずに食餌を続けていたのだが啝珈から出た言葉は、懐かしい匂いがする者がいる、というものだった。懐かしいとはどういうことか、と尋ねる紳に、えっとねぇ、と箸を進めながら啝珈は考え込んでいた。
「啝珈もさあ小さい頃にしか居なかったからはっきりとはしないんだけど…。倭の国の匂いをさせてるのがいるんだよね」
倭の国?、と紳も悧羅も顔を見合わせた。うん、と言う啝珈は首を傾げた。
「そんなに近かったかなあって思うんだよね。だって匂いがしてる奴って二本角なんだよ?ちょっと姿を消すことがあるんだけどその間に匂いがついてくるの」
「ちょっとってどのくらいなんだよ?」
忋抖が尋ねると、四半刻くらいかなぁ、と啝珈が応える。その応えに皆が、は?と聞き返すしかない。悧羅が全力で翔けても一日半、紳や荊軻達であっても三日はかかる。それを四半刻で行き来するなどあり得る話ではない。それも二本角が、だ。誰なのか尋ねると名前は知らないと言う。
「だけどよく父様に引っ付いてるよ?部隊も何処かは知らないけど。今度見かけたら教えるよ」
啝珈の言葉に紳が一瞬凍りついたがそれに気づいたのは悧羅だけだった。その後、こっそりと教えられた者が頭を過った者と同じであったことに宮に帰ってきた紳は落胆を隠せはしなかった。
「啝珈姫様が気づかれた事を元にその者を調べましたところ、頻繁に大国に降りておる事、それとは別の門を使って倭の国に渡っている者だということが分かりました。その者が使っている門は陰陽道のものである事は晴明に確かめております。程よく晴明が大国におりましたことも幸運でございましたね」
伯道上人という大国で名のある道士の元に自己を研鑽しに来ていた晴明の元に枉駕が現れたことに驚いてはいたが何も聞かずに同行してくれたことには感謝すべきだった。その者が通った門を見て、だから関わるなと言ったのだ、と苦笑する晴明が消えかかった門にその場で手早く呪符をしたためて貼り付けた。その呪符自体はすぐに消えたがもう一つ呪符をしたためて枉駕に渡す。
「引き合うからな」
すまぬ、と礼を言う枉駕にやめてくれ、と笑う晴明がありがたかった。それを辿って更なる報せを集める事ができたのだから。倭の国まで引き合う呪符を持ち渡ると蛙が待っていた。晴明から報せを受けていた、と笑う蛙から妖達の動きを聞き、引き合う呪符の行き先を確かめてから里に戻った。
「枉駕の報せにより長が数度、倭に渡られておられますね。上々の仕上がりであった、とお聞きしておりますが?」
悧羅に微笑む荊軻に、うんと頷くと、それはよろしゅうございます、と満足そうだ。
「同時に私共の方でも罠を仕掛けております。姍寂の一件でお分かりいただけますように二本角に私共が掛けた呪を読み取れる者などそうおりません。それが、陰陽師と手を組んでおったとしても所詮は人の子でございますから」
嘆息する荊軻に、気づかれても構わぬと思うたのだろう?、と枉駕と栄州が苦笑している。まあそうでございますね、と荊軻も苦笑した。相手も荊軻達に気取られようと構わない、というような動きだ。例え気取っていたとしてもそのままにしている事だろう。それも分かっているからこそ幾重にも罠を張り巡らせることが出来たのだ。
「ですが易々と気取られるとは思うておりませぬよ?この私が施させていただいたのですからね」
悪戯な笑いを浮かべる荊軻に、そうであろうの、と悧羅は頷きながら紳の手を握る力を込める。紳にとってはやはり面白く無い話だ。
「大丈夫だよ、悧羅」
握られた手を撫でながら落ち着きを取り戻した紳が穏やかに声を発した。ここまではもう幾度となく確かめ合ってきた話だ。文書にしるされていた事柄が話されるのはこれからなのだから、悧羅を支えて護るべき自分がいつまでも戸惑っていてはならない。
「ここからは新しいお話になります。紳様と長には先の報せでお読みいただいておりますが、枉駕と栄州殿へもお伝えせねばなりませんので御容赦くださいませ」
紳と悧羅に向かって軽く頭を下げると二人が小さく頷いた。それを確かめてから荊軻は横に置いていた文書を開く。
「人の子と手を組んでおりますのは近衛隊に属する二本角の男鬼でございます。特に務めに粗はなく、言葉の端々には長をお護りするのだという気概も感じられておりました。たまたま妙な陰陽師と出会い意気投合したようでございます」
「そう容易く手を組めるものなのか?」
訝しむ栄州に、悧羅は苦笑した。
「なんらかの思いが共にあり同じ方を向いているのであれば目的は違えど手を組むこともできようて。妾らが晴明と懇意にしておることを見ればそれも分かろうて」
確かに、と栄州は白い髭を撫でた。晴明は稀有な存在だが栄州たちを尊び真摯に応じてくれていた。だからこそ民達も友として受け入れていたのだ。
「ですが間者となっておる者が通じておるは晴明にとれは関わり合うな、と言うておる者でございます。呪は間者が行った先にも掛かるようにしておりましたが、全く気取っておりません。倭の国に渡った妖達を主にして使役できるモノを集めているようでございます」
「妖達を持って我らに諍いを仕掛けるつもりなのであろうな。何とも戯けた事を考えつくものだ」
呆れたように息をつく枉駕に、然り、と栄州も同意する。その陰陽師としては使役しているつもりでも相手は妖だ。何らかの制約を持ちかけられているだろうに、一人でそれを賄えるとでも思っているのか。余りにも過信が過ぎると言えよう。
「晴明みたいに妖から寄ってくるなら分かるけどね。何の制約も無く、ただ共にいる。互いに信を置いてるから何かあれば頼り合うってのもいるから。実際、俺たちと晴明の関係だってそんなもんだろ?」
紳が言うと栄州がまた、然り、と微笑みながら髭を撫でる。
「人の子の里への恩恵を与えてあった時には、何某か頼らばその分の見返りが生じておりましたからな。長が出されていた制約といえば里に害を為さない事と、民達が精気を獲ることに抗うなという事くらいでございましたがのう」
懐かしむように笑う栄州に悧羅は苦笑する。恩恵を与えるのであれば、もう少し何かしら取り上げろとよく言われていたものだ。特段血肉を喰らうわけでもなしそれで十分だ、と言っていたのだがまだ若かった栄州にはなかなか納得出来なかったようだった。そんなこともあったな、と小さく笑う悧羅に、ほんに、と栄州も笑っている。自らの感情を外に出すことも無かった悧羅が目の前で笑うようになるなどその時には思えもしないことだった。
「まあ、本人は使役しているつもりでも逆に利用されてることもあるだろうな。取り込もうとしておるのは大国から渡ったモノが多いのだろう?」
やれやれ、と肩を竦めた枉駕に荊軻が、そうでございますね、と応える。こちらに移って倭の国とは異なる妖達の姿や能力の違いに驚いたのは事実だ。だからといって荊軻達にとれば大したことはないのだけれど、それでも悧羅が出なければならない程のモノも多い。気を抜けばこの場合に入り込もうとする妖達を牽制するのも悧羅が王母から与えられた任なのだから。支えなければならない悧羅の負担が大きくなってしまったのは荊軻達にとっては心苦しくもあるが、大きな諍いではないから良い、といつも悧羅は笑って言うのだ。
「まあどちらにせよ長が私とは別に動いて下さっておりますから大事には至りませんでしょう。…妲己と哀玥を動かしておられるのでしょう?」
悧羅を見ると小さく笑っている。それが応えで良さそうだった。
「あとはこれでございますね」
座ったままで袂から木箱を取り出して前に置くと皆の視線が集まった。何だ?、と聞く枉駕の前で木箱に掛けていた封呪の呪を解くと中から紅い飾りを取り出した。話は聞いていたけれど見るのは悧羅も初めてだ。微かに獣のような臭いが鼻をくすぐった。十五年、悧羅と紳、忋抖以外はその存在すら知らなかった物だ。
「十五年前に姍寂の邸跡で見つけたものでございます。…何の関わりもない物かも知れませんが」
立ち上がって悧羅に差し出すと白い手がそれを受け取った。表や裏と返しながら検めながら、ほう、と目を細める。荊軻が言っていた通り里の技物ではない。埋め込まれている玉も里には無い物だったし、造りとしては倭の国でも見たことの無い物だ。どちらかといえば大国で造られた物のような彫りに見える。微かな獣の臭いは馴染みのあるモノと同じ類のようだった。
「…狐だの」
飾りを紳に手渡すと検める前に臭いを嗅いでいる。確かに妲己と同類の臭いがした。紳の手から飾りを取って悧羅がそれを紳の頭に置くと場の皆が息を呑む。今まで紳であった者が見たことの無い鬼女に転じたからだ。紳は何が起こっているのか分からずに、何?、と言っているがその声が自分の物でない事に気づいて首を傾げた。
「何なの?一体?」
隣に座る悧羅を見るとくすくすと笑いながら手を伸ばして頭の上に置かれた飾りを取ると、見慣れた紳の姿がまた現れる。何が何やらと首を傾げた紳に見せるために悧羅は自分の頭に飾りを置いて見せる。途端に悧羅の姿が男鬼に転じて、は?、と紳は目を見開いた。繋いだ手はそのままなのでそれが悧羅であることは分かるが、目の前で起こっていることが信じられない。面白そうに飾りを取るといつもの悧羅がそこにいた。
「さもありなん、といったところだの。化けるは狐の得意とするところであろうからの。狐仙から与えられた物なのだろうて。これを使うて姍寂の妹として見せかけておったのだろうな」
くすくすと笑いながら飾りを荊軻に返すが、皆その場で起こったことが俄かには信じられない。見た目も声も全て異なっていた。こんな物を使っていたのでは幾ら妹と称していた者を探しても見つからないわけだ。
「全くもって驚きでございますな。姿形から声音まで違うておりましたぞ。同じであったのは髪の色だけでございますなあ」
いやはや、と栄州は笑った。
「お二人ともなかなかのお姿でございましたぞ?紳様など一度そのお姿で里に降りられてみては如何か?すぐさま男鬼達が寄って来られようや」
揶揄うように笑う栄州に、やめてよ、と紳は首を振った。そんな興はないよ、と苦笑する紳も悧羅が元の姿に戻ったことに安堵する。あのままの姿でいられたら慈しむことも憚られる。
「狐が化ける、とは聞いておりましたがよくもまあ艶っぽい姿になるものなのですな。妲己が化けたところは見たことがありませぬが、あれも化けるのですか?」
面白いものを見た、と枉駕までも笑っているが、さてどうかの、と悧羅は肩を竦めた。妲己が化けたところは見たことがないし、妲己自身もやったことが無い、と以前言っていたような気がする。
「化ける必要があれば出来るのかも知れぬが…。妾と共におって化ける必要もないのではないか?なれど元来、狐の妖は化けて人の子を誑かすモノであるからの。艶かしい姿にならねば誑かすこともできぬであろう?誑かす者の思いに応じて化けるものじゃ」
それが愉しいのだろうがな、と笑い続けている栄州に皆苦笑するしかない。
「姍寂が捕えられたことで必要が無くなり捨て置いた、ということでございましょうね。心変わりして持ち去る前に私が手にしたのは僥倖でございましたか?」
小さく息をつきながら飾りを木箱に納めてもう一度封呪を施す。これを今も持っておられたら正体を見破ることにも難儀していただろう。
「捨て置いておった事といい、荊軻が見つけた事といい良い方に転じたことはよろしかろうの。…このような物が良からぬ事を考えておる者の手に渡れば、民達を混沌に墜とすは容易かろうからの」
預かって置いてくれ、と言うと荊軻が木箱を袂に仕舞った。悧羅が預かっても良いのだが、子ども達に知れると面白がって使いたがるだろう。そう皆に言うと、確かに、と誰もが頷いた。
「啝珈なんてこれ倖と使うだろうね。悪戯大好きだから」
「玳絃、灶絃もであろうな。ほんに誰に似たのか…」
苦笑する紳に悧羅も小さく笑ってしまう。本当に身体も心も大きくなったというのに啝珈、玳絃、灶絃はまだまだ童のような心持ちでいることも多い。啝珈などはまだ紳が戻ると抱きついているし、玳絃、灶絃も悧羅が戻ると側を離れたがらない。紳や悧羅にとれば可愛いらしいものではある。
「ですが此度の企てには御子方も共に行かれるおつもりなのでしょう?」
「そのつもりみたいだよ」
上の媟雅、忋抖、啝珈は悧羅の長としての重責を目の当たりにしたことはあるが下の皓滓、玳絃、灶絃は見たことがない。十五年前から見せる機会が無かっただけなのだが今回は悧羅が何たるかを知るには丁度良い。連れて行こうと言い出したのは忋抖だったが否と言う必要も無かったので紳が承諾した。歳の頃も二十を越えたし皓滓は身体の成熟も止まっている。この機会を逃せば大きな諍いを治める悧羅の姿を見る機会はまた遠い日までないかもしれないからだ。
王母の任に上の子ども達が同行する様になったのも最近のことだ。危ういと反対した悧羅に、何のために自分たちがいるのだ、と子ども達から言われてしまっては悧羅も是と言わざるを得なかった。
「皓滓達には直前まで何のためにに行くのかは教えてないけどね。口を滑らすような子たちだとは思ってないけど、変に勘繰られても困るから」
頬杖をついて笑う紳に、よい頃合いでしょう、と重鎮達も頷いた。上の子ども達は悧羅の粛清の姿を見たことで自分の責務を自覚した。少しばかり遅かったような気もするが一度見せておかなければならないとは皆が思っている。悧羅だけは血生臭くなる自分の姿を見せたくないように思っている様だが、大切なことだ、と紳が説き伏せた。
「最後にもう一点でございますが。どうやら動きがらあるのは次の満月の夜のようでございます。丑の刻の神とも契約を結んでおるようですから、まだまだ使役される妖は多くなると思うておりましたがよろしいでしょう。…妖同士の総合戦と言わざるを得ませんね」
「…ほんにせんなき事よの…。妾とすれば妖達と無益な諍いを起こしたくはないのだがなあ…」
大きく肩を落とした悧羅を紳様が引き寄せた。契りの疵痕をそっと重ねると発した言葉とは裏腹に紳への何とも言い難い気持ちが流れ込んでくる。自分の手を汚すことよりも、間者となっている者を裁くことによって傷つくであろう紳の気持ちの方が気に掛かるのだろう。だが紳としては悧羅が危うい目に合う方が心を痛める。しかもそれが自分の治める部隊の者が関わっているのであれば尚更だった。
その者だけは自分の手で獲らなければならない、と決めている。違うと信じて証を集めたけれどどれも全てがその者を指し示す。十分過ぎるほどに集まった報せに紳も覚悟を決めた。どんなにその者との関わりが深くても悧羅に仇為す者にかける容赦は持ち合わせていない。
だがどうしても突き付けられる現実に心が動かされるのは仕方ないだろう。それは紳が飲み込まなければならない事でやらなければならない事とは違うのだ。
「とはいえ此処らで終わらせた方がよろしいでしょう。動くは次の満月の夜…十日後でございますね。彼の者が門を潜り倭の国に渡りましたら開戦と参りましょう」
粛々と、と頭を下げた荊軻に枉駕と栄州がならう。
「すまぬが頼むえ」
悧羅の言葉に、御身のために、と三人は声を揃えて礼を深くした。
お楽しみいただけましたか?
ありがとうございました。
次も早めに…。